アウトレット食堂

最近、食品の不祥事ニュースをよく目にします。
会社の偉い人とかが出てきて謝っている姿も、だんだん慣れっこになってきました。
もちろん、危険な食品をこっそり騙して売る付けるなど、言語道断です。
でも、ここでふと思いました。
「こっそり隠す」のが悪いのではないかと。
正直に「この商品は賞味期限切れです、自己責任でお召し上がり下さい」と記載して、堂々と売ったらどうでしょうか。
定価の半分くらいで。
私だったら買いますね。(まあ、程度にもよると思いますが。)
自宅では期限切れの食べ物とか平気で食べてますし、
晩の残りが翌日の昼飯というのは当たり前ですし、
ちょっぴり胃袋にも自信があるし。
うまくすれば、普段手に届かなかったような高級食品が、リーズナブル価格で味わえるかもしれません。
ほら、自動車だって、洋服だって、中古ってのがあるじゃないですか。
あれと同じ。
つまり、本物の料亭の裏に「アウトレット食堂」っていうのを建てて、
おこずかいが少ないんだけれど胃袋に自信のある学生やサラリーマンは、そっちに行ったら良いのではないかと。

期限切れの食べ物はいったいどこに行くのでしょうか。
もしテレビの画面で、第三世界の飢えた子供達と、捨てられるのがもったいない!
の映像と共にニュースを流したら、イメージが180度変わるのではないかと思うのですよ。
ちょっと以前に「結婚披露宴での食べ残し22.5%」という話を聞いたことがあります。
おめでたい席や宴会の場では、食べきれないほど出すというのがステータスになっていて、その結果、多くの食べ物が残ってしまう。
確かに友人の結婚式などでも、全部の料理を残さず平らげることは希で、高級料理がどっさり余ります。
中には全く手つかずの皿とかもあったりします。
もしあれを回収してきて出されたとしても、
 ・安くて
 ・回収品であることが言明されている
のであれば、私なら平気で食べます。
もちろん、不祥事を弁護する気はさらさら無いですよ。
一番大事なポイントは「言明されている」ってことじゃないですかね。

賞味期限(あるいは消費期限)っていうものは、ある日を境に全てダメになる、というものではありません。
時間が経つにつれて、だんだん落ちてくるものでしょう。
であれば、賞味期限のより正確な表現は、確率の関数になると思うのです。
天気予報みたいに「3日後に当たる確率は20%でしょう」とか。
そして、この当たる(外れる?)確率に対して、適正な市場価格というものが存在するわけです。
賞味期限ならぬ賞味確率と価格の関係を「賞味確率リスクの公式」とかにまとめたら、食品経済界にけっこう受けるのでは。
日々の食事も投機対象なんです。
リスクの半分は消費者が背負い、安全は金で買う時代なんです。

さて、アウトレット食堂とは我ながら良いアイデアだと思い、さっそく知人に話してみました。
すると、こんなコメントが返ってきました。
「いつも安全食堂に行く人と、アウトレット食堂に行く人が別々になっちゃうね。」
そして、普段アウトレットに行っている人が、たまに安全食堂の方に行くと、
みんなから白い目で見られて、「汚い」とか「不潔」呼ばわりされるというのです。
「お客様、当食堂は品位をモットーとしております。
 他のお客様方のご迷惑となりますので、ご遠慮頂きたいのですが・・・」
と慇懃丁寧に断られて、つまみ出されてしまうのではないかと。
そうなると、2つの食堂の間に「階級の壁」ができて、一方から他方には簡単には行けなくなる、というのです。
もし日々の食事が全て「投機的」になったら、きっと食堂(あるいは食材)が
Sランク、Aランク、Bランク、Cランク・・・みたいに「格付け」されるでしょう。
それに合わせて、食堂を利用する人間の方も「格付け」されることになるでしょう。
「お客様のニーズに合わせて選択の自由が生まれる」というお題目は、単なるきれいごと。
実際には「不潔」の壁に阻まれて、ランク間を自由に行き来できる人はいないよ。
自らの意志で選択してCランクを選ぶ人は希だろうなあ。
なので、一見合理的に見えるアウトレット食堂も、やり方によっては格差社会の先兵に成り得るのですね。
日々の糧だけに、影響は大きい。

ところで、みなさん「すあま」という和菓子をご存じだと思うのですが、
私の知っているおばあさんは、この「すあま」を1ランク下の食品と見なして、絶対口にしません。
もし今、「すあま」を食べている人がいたら、以下は全部食べ終わってから見てくださいね。

なぜおばあさんが「すあま」を口にしないかというと、「すあま」は「流れ残飯拾い」が作っている、というのです。
おばあさんは長いこと下町に住んでいて、昔の下町のことを良く知っています。
昔の下町では、料亭から流れ出る下水の出口に「流れ残飯拾い」と呼ばれる人たちが住んでいました。
この人たちは、下水から流れて出てくる残飯を拾い集めてくるのが仕事なんです。
残飯の中にはごはんがたくさん入っているので、それを集めて、日に干して、乾かしたものをお菓子屋さんに売ります。
お菓子屋さんでは、買い集めた「流れ残飯」を砕いて粉にして、砂糖に混ぜて練って、そうしてできたものが「すあま」なのです。
おばあさんに言わせると「すあま」とは「すえた甘み」、つまり腐ったお菓子という意味だということです。
昔の下水には合成洗剤や、危険な化学物質とかが少なかったので、料亭から流れ出る下水であっても、それはそれで良かったんだそうな。
もったいない、という観点からすれば、これ以上のリサイクルはちょっと無いでしょうね。
ついでに下水もきれいになるし。
本格的にエコに暮らすってことは、こういういうことなんでしょうかね。

現代のすあまは近代的な設備で衛生的に作られていると思うよ・・・不祥事とかしてなければ。
ちなみに、私はすあま、けっこう好きですよ。


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ネットで「流れ残飯拾い」を検索してみたら、驚いたことにちゃんとヒットした。
【経営とリーダーシップ】わたしが愛していたことを忘れないで・・・
http://blogs.yahoo.co.jp/arkiwase/33365528.html

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さらに凄まじいのは、「流れ残飯拾い」なる仕事。
軍隊や学校の寄宿舎などの下水道から流れてくる飯粒をすくい取り、それを稼ぎにすることだ。
さらに、
「残飯の残飯」の行き先に触れる。
人気のある残飯の中にも、時には売れ残りがでる。
すると、それらは菓子問屋に持ち込まれ、姿を変えて大福やオコシになったという。


必要に迫られて、とはいえ、リサイクルの極みともいえるだろう。
極限の再生利用、循環型社会でもある。

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しかも「ミート・ホープや吉兆」とかも載ってるし。
いや、以前検索したときには全くヒットしなかったので、みんなおばあさんのことを半分疑っていたのだが・・・
おばあちゃん、疑ってごめんよ。おばあちゃんの言葉は真実だった。


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※ 9/12 追記
いつのまにか「ネットに載っている=真実、ネットに無い=疑わしい」という考え方が定着している。
しかし、ネットに載っているということは、パソコンがあって、インターネットを使いこなしている人だけに限られるのだ。
なので「流れ残飯拾い」は、とてもネットに載りにくい。
それでも、真実は存在する。