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小人さんの妄想 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2009-05-11

脳は脳を理解できない

より正確には「脳は、自分の脳自身を100%完全に理解できない」です。

もし脳が100%完全に脳自身を理解できたとしたら、

脳の中に、脳の持つ情報の全てがすっぽりと含まれることになります。

そして、その脳の中にある脳の情報は、また脳自身の情報をそっくりそのまま含んでいるはずです。

そして、その脳の中にある脳の中にある脳は、また脳自身の情報を・・・

というわけで、脳の中にある脳の連鎖が無限に続くことになります。

ちょうど合わせ鏡のように。

集合Sは、もしそれ自身の真部分集合に相似ならば、「無限」であるといい、

そうでない場合にはSを「有限」集合であるという。

     -- 数について(デーデキント)より

     -- なぜ1+1=2になるのか id:rikunora:20080918

有限の人知で無限を理解することは不可能なので、脳は脳自身を100%理解することはできません。

f:id:rikunora:20090511200600p:image

視覚を例にとってみましょう。

人間の目の構造の説明として、こんな絵を見たことがあるかと思います。

  >> wikipedia:網膜

眼球の後ろに網膜があって、いま見ている風景が網膜に写し出される。

そこまでは良いのですが、それでは、この網膜に写し出された風景を、一体「誰が」見ているのでしょうか。

もし脳が網膜を見ているのだとすると、脳の中には映画館のようなものがある、ということになるでしょう。

その映画館には観客が居るはずです。

観客は脳の中に住んでいる小人のようなもので、その小人が上映されている映画を見ているのかな?

だとすれば、その小人の持っている目はどのようになっているのでしょうか?

きっと小人の目にも網膜のようなものがあって、そこに写し出されている・・・

f:id:rikunora:20090511200601p:image

あるいは、こんなことを考えてみてください。

脳手術の要領で頭蓋骨を開けて、自分で、自分の脳を直接のぞいてみたとしましょう。

今、見ている脳の中には、自分が見ている情報の全てが入っているはずです。

網膜というスクリーンを、自分の目で直接見てみたら?

あるいは脳内に流れる視覚情報を、医療機器の力を借りて映像化して、自分の目で見たとしたら?

無限ループに陥るでしょう。

実際に合わせ鏡をやってみると、遠くの鏡はだんだん小さくなってゆくし、だんだん暗くなってゆく。

なので、実際の合わせ鏡の映像であれば、1つの絵として何とか受け容れることができる。

しかし、脳内に流れる視覚情報を余すところ無く「見る」のは、それとは違います。

途中に減衰するものが全く無ければ、手加減なしの無限が容赦なく襲ってきます。

なので、人間は自分の視覚自体を100%完全に「見る」ことはできない。

それと同じ理屈で、脳は脳自身を完全に理解することはできないはずです。


だからといって、脳は脳のことを全く理解できないわけではありません。

仮に、脳が脳のことを半分まで理解できたとしましょう。

すると、脳の中の脳には、1/2 x 1/2 = 1/4 の情報が含まれることになります。

脳の中の脳の中の脳には、1/2 x 1/2 x 1/2 = 1/8 の情報が含まれることになります。

これをどこまでも繰り返して、全部の脳の情報を足し合わせると

1/2 + 1/4 + 1/8 + 1/16 ・・・ = 1

合わせて1になるのだから、脳は脳自身を半分までは理解可能だということです。

理解が半分を越えると総和が1を越えるので、1人の脳に収まり切らなくなります。

たとえ脳の全てを1人で理解できなくても、複数の専門家が分担して理解することは可能かもしれません。

例えば、いま目の前にあるパソコンについて、半導体プロセスからソフトウェアの使いこなしまで、

1人で全てを理解している人はまれでしょう。

それでも各部分について詳しい専門家がいれば、社会を営む人間全体としては困らないわけです。

パソコンと同じように複数の専門家でカバーすれば、脳についてだって完全理解に近づけるでしょう。

仮に、脳が脳の99%までを理解できるのだとすれば、

(99/100) + (99/100)^2 + (99/100)^3 + ・・・ = 100

つまり100人の専門家がいれば、1人の人間の脳の99%までは理解可能ということです。


専門家の数を増やしてゆけば、脳理解のカバー率はどんどん上がってゆきます。

99% が 99.9% になり、99.99% になり、99.9999・・・% になり、、、

しかし、どこまで専門家を増やしていっても、決してカバー率 100% の完全理解には到達できません。

100%未満であれば有限、100%は無限になるからです。

人類の持てる知識としては 99.9999% あたりで充分満足すべきでしょう。


でも、人類が古来から本当に知りたかったことは、

決して知り得ない残りの 0.00001% に含まれているという気がします。

人が古来から本当に知りたかったこと、それは

  「私は一体誰か?」

という問い掛けです。

人の精神の不思議なところは、有限の存在でありながら、その内に無限を有しているということ。

無限であるが故に、永久に知り得ない。

自我とは、

  「私が自分である」

という強い思い込みのことです。

あるいは、自分の存在根拠は

  「我思う、故に我あり」

です。

上の2つの言葉、どちらも自己言及であり、無限ループを内包していませんか。

自分自身による自分へのフィードバックは、ある一定値を超えたときに、発散して理解の限界を超えることになります。

それが一人の人間の中で完結していたのなら、1ループで自身の半分以上をフィードバックすれば、

ループの総量は自身の理解の限界を超えることになります。

何を持って「半分以上」とするのか。

つまるところそれは情報量の大きさで測られるべきなのでしょうが、

まだ誰も脳内に流れる情報量を正確に計測できていません。

それでも、人が自分自身で理解することのできない自我を有していることからすると、

「私が自分である」という思い込みはとっくに限界点を超えているように感じられるのです。


ここまで大風呂敷を広げたので、あと2つばかり話題を付け足します。

1つ目。

自分で自分自身が理解できないのと同様、人が相互に他人を100%理解することはできない。

f:id:rikunora:20090511200602p:image

自分が相手を理解し、相手が自分を理解できたなら、全体として無限ループを形成するからです。

この図って、無限大の記号∞みたいですね。


2つ目。

自分の中をグルグル回っている無限ループは、創造性に深く関わっているように思える。

いわゆるクリエイティブなものは、自分で自分をどこまでも見つめ直すループの中から生まれるような気がします。

自己言及ループ無しに、外界から取り入れた情報をそのまま出力したら、それは単なるコピーでしょう。

f:id:rikunora:20090511200603p:image

なので、この図のように、いつでも何かがグルグル回っている状態というのが大事なのではないかと思うのです。


ペカリペカリ 2009/05/12 00:03 おもろいです。また来ます。

rikunorarikunora 2009/05/12 21:52 またあやしげな説を唱えてしまった。
深くつっこまず、おもろがって頂けるとうれしいです。
自分の脳を、自分で直接見てみたいと常々思っています。

晃 2009/05/15 09:21 とても興味深く読ませていただきました。
自分も「自分とは何か」とずっと考えているのですが、
このお話は、自分の心にもとてもフィットするような気がします。
また来ます。

rikunorarikunora 2009/05/15 16:53 「自分とは何か」
あれこれ考えた末、これは未来永劫、永久にわからないのだと思うようになりました。
昔から、すごい賢人とかが考えて、結局わかならかったみたいだし。
でもって、「絶対にわからない」ということが証明できるというか、
説明できるのではないかと思ったわけです。
(ひょっとして、毎日短編小説を書いている方ですか?)

EpimbiEpimbi 2011/03/06 20:26 にも関わらず、自分も日常世界も卑近で陳腐で退屈であるような感じがして、逆にその自明性が失われて、常識というのがまったく機能しなくなったときに統合失調症が発生します。普段は自分と世界は無限級数のように収束していて、発散しちゃうと発病するのかなと思いました。鉄が酸化しちゃうように新しいものもすぐに慣れて日常世界にとりこまれてしまいます。還元されて、ピカピカになった世界はさぞや刺激に満ちたものかもしれませんが、歓喜を通り越して恐怖そのものかもしれません。意味不明のたわごとですみません。

rikunorarikunora 2011/03/08 10:19 どこまで行っても終わらない、無限とは魅力的でもあり、恐ろしくもあります。
創造性と狂気が隣り合わせというのも、無限の縁をちょっとだけ覗きかけたギリギリのところに
日常を越えた世界があるのだと思います。
そのギリギリの点まで行ってきて、日常の世界に戻って来れたらすごい価値が見出せそうです。
でも、簡単に行って戻れるところでは無いようです。

hirotahirota 2011/08/20 03:28 「理解」の意味が間違ってます。
現象を細部まで丸ごと再現するのが「理解」なら、シミュレーションさえできれば理解したことになりますが、そんなことはありません。
「理解」と言えるには、何らかの情報縮約を行って本質をつかむ事ができなくてはいけません。
つまり、脳の動作情報を圧縮して少ない情報量で記述するのが「脳の理解」ですから、脳が脳を理解できます。
言うなれば、無限級数を短い公式で表すようなものですね。

rikunorarikunora 2011/08/24 15:08 理解とは情報縮約。これは蓋し名言ですね!
世の中には理解可能なものと、理解不能なものがあって、
その違いは情報縮約が可能か否か、何らかの法則が立てられるか否かにかかっている、
そんな風に私は思っています。
で、自我というものは、情報縮約が不能な側に属しているんじゃないかなぁと・・・
でも、情報縮約を考えれば、少なくとも上のような単純な級数和が成り立たないのは確かにその通りでした。

hirotahirota 2011/08/25 13:14 自分の自我だろうと他人の心だろうと、「人の心が分かる」という場合は「細部まで丸ごと再現」を意味してて、メカニズムの理解とは意味が違いますね。
科学での「理解」しか頭になかったけど、「分かる」には2通りあることに気づきました。
自分の中にすべてを包み込んで一体化するような分かり方は情報縮約による理解と全く別です。

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