宇宙・肉体・悪魔(3)

Perhaps after all it is hope that really determines whether an age is or is not creative.
たぶん結局のところ、希望なのだ、本当に時代が創造的であるか否かを決めるのは。

これは、J・D・バナール「宇宙・肉体・悪魔 理性的精神の敵について」の一節です。
バナールの未来予想は、SFの先駆けとも呼べるものです。
「宇宙・肉体・悪魔」が書かれたのは、およそ80年前(1929)。
この本の中には、
・来るべき人類の宇宙進出、スペースコロニーや宇宙帆船
・肉体改造、サイバースペース、統合思念体
といった内容が描かれており、斬新かつ正鵠を得た考察は、今なお古びていません。

* 原文はこちら >> The World, the Flesh & the Devil (JD Bernal, 1929)
* 第一章、第二章 について >> [id:rikunora:20081003]
 >> I The Future -- 未来 --
 >> II The World -- 世界 --
* 第三章 について >> [id:rikunora:20090111]
 >> III The Flesh -- 肉体 --

今回は、続きの第4章を読んでみました。
 >> IV The Devil -- 悪魔 ---
(前回からちょうど1年。年に1章のペースで進む、気の長〜い連載なのです!)

Because we can abandon the world and subdue the flesh only if we first expel the devil,
なぜなら、我々は世界を放棄し、肉体を征服することができる、我々が最初に悪魔を追放したときだけに、
and the devil, for all that he has lost individuality, is still as powerful as ever.
悪魔、それらはすっかり個性を失ってはいてもなお、かつてと同じくらい強力な存在だ。
The devil is the most difficult of all to deal with:
この悪魔はあらゆるものの中で最も扱いが難しい:
he is inside ourselves, we cannot see him.
彼は我々自身の中にあり、我々は彼を見ることができない。

バナールが「悪魔」と呼んでいるものは、一体何なのでしょうか。
それは、人の心の中に巣食う、一見すると非常にわかりにくいものです。

It will be hindered or stopped either by a failure in the capacity for maintaining creative intellectual thinking,
創造的な知性の思考を保つことは、妨げられるか、あるいは停止するだろう、能力の欠陥によって、
or by the lack of desire to apply such thinking to the progress of humanity,
あるいは、そのような人間性の進歩についての考えを適用しようとする欲望の欠落によって、
or, of course, by both these causes together.
あるいは、もちろん、この両方の理由によって。

人類の進化を妨げ、止めてしまう要因は何なのか。
それは、創造的な思考を維持しようとする能力の欠落、
あるいは、進歩しようとする願望の欠落にあるのだと、バナールは言います。

One of the most threatening retarding factors of the present is specialization,
現在、最も恐ろしい妨げとなる要因は専門化であろう、
particularly as it is bound to increase with scientific knowledge itself.
特に、専門化する知識それ自体が増加の一途をたどらざるを得ない。

1つの要因として、増え続ける知識に対する専門化があります。

Specialization is brought about by the wideness of the field in which science operates,
専門化はもたらされる、その科学の扱う分野の広さによって、
but as we go more deeply into nature
しかし我々がより深く自然に入り込むにつれ、
the intrinsic complication of the phenomena increases
現象本来の複雑さは増大し、
and the modes of thinking used in ordinary life become more inadequate to deal with them.
日常生活における考え方のモデルは、取り扱いの手に余るようになる。

知識は増え続け、どんどん複雑化し、普通の人にはとても扱えないようなものになってゆくでしょう。

it is not in specialization or complication that the chief danger to progress seems to lie:
前途に横たわっているであろう主たる脅威は、専門化の中にないし、複雑化の中にもない:
it is in something much more deep-seated and much more elusive.
それはより深くに座していて、もっと捉えにくい。

しかし、そうした専門化、複雑化が一番の問題なのではない、
それよりももっと捉えにくい問題があるのだと、バナールは述べています。

There seem to be two psychological determinants in any culture:
どんな文化においても、2つの心理的な選択があるように見える:
a crop of perverted individuals capable of more than average performance,
平均的な能力以上の歪んだ個人による作物、
and a mass of people effective not so much by their number as by their secure hold on tradition.
それと、大衆の、伝統の上に確保している安心と、彼ら自身の数による、影響力の質量。

世の中には、規格外れの天才と、伝統に甘んじる大衆がいます。

Their mode of expression is dictated by the modes conceivable in the society;
彼らの表現方法は決められる、社会が受け容れられるような方法によって;
everywhere, even the most aberrant individual must conform to one of a small number of recognized types.
どこでも、最も常軌を逸した人でさえ、少数の認められた規範の内に従わなければならない。
・・・
genius is potent only when it fits the tendencies of the age.
天才は、時代の傾向に合ったもののみが影響を及ぼす。

そして、社会に認められたものだけが、影響を残せるのです。

Whether an age or an individual will express itself in creative thinking or in repetitive pedantry
時代や個人が、 創造的な思考、又は学者ぶった繰り返しの中で自身を表現すかどうかは、
is more a matter of desire than of intellectual power,
知性の力というよりも欲望の問題だ、
and it is probably more the nature of their desires than of their capacities
そして、おそらく欲望の本質だ、能力というよりも、
that will determine whether or not humanity will develop further.
それは、人間性をより遠い地点まで開発するかどうかを決定する。

Now it would seem that the present time is a very critical one for the evolution of human desire.
今与えられた時間は、とても重大であるように思える、人間の欲望の進化にとって。

で、世の中が何を欲するのかといえば、つまるところそれは、一人一人が何を望むのかによって決まることでしょう。

未来の人類の姿を思い描くと、そこには大きく2つの可能性があるものと思います。
1つは徹底的な機械化。科学をとことんまで推し進め、人間は自らをサイボーグ化し、宇宙進出を果たすというもの。
もう1つは牧歌的な自然主義。人間本来の姿に立ち返って、
食べたり、飲んだり、歌ったり、踊ったり、愛し合ったりすることです。

Melanesian existence of eating, drinking, friendliness, love-making,
メラネシアのような存在、食べたり、飲んだり、友好、愛し合い、
dancing and singing, and the golden age may settle permanently on the world.
踊ったり歌ったり、黄金時代が世界に永遠に居続けるだろう。

急進的な機械化について、たいていの人はどこかに嫌悪感を抱くものです。

The reader may have already felt that distaste, especially in relation to the bodily changes;
すでに読者は嫌悪を感じているかもしれない、特に肉体の変化に関するものについて;
I have felt it myself in imagining them.
私自身、想像のうちに感じている。

そしてこの、機械化.vs.自然の対立は、いまのところ機械化の方面に世の中は進んでいますが、
いつまでもそうであるとは限りません。

so that, up to the present, in the war of the machines, the mechanists have always been the victors;
そして、現在に至り、機械の戦争の中で、機械化は常に勝者であった;
but, of course, if the emotional reactions of the mass increased more rapidly than the power of the mechanists,
しかし、もちろんのこと、もし大衆の感情的な反応が、機械論者の力よりも急速に増大すれば、
the reverse would be the case.
反対のことも起こりうる。

It is here that prediction is most difficult and most fascinating.
最も難しく、そして最も興味をそそる予言の段階に来た。

Under the influence of psychology it may well be that,
心理学の影響下で、たぶんこんな風になる、
just as all the branches of science itself are coalescing into a unified world picture,
ちょうど科学の全ての枝が、それ自体融合して1つの世界像を描いたように、
so the human activities of art and attitudes of religion may be fused into one whole action-reaction pattern of man to reality.
人の芸術活動と、宗教の姿勢も融け合って、人が現実に向かうアクション-リアクションのパターンとなるのではないか。

人が望むこと、たぶんそれは科学だけでなく、芸術、宗教までが一体となった「アクション-リアクションのパターン」ではないでしょうか。

the development of a di-morphism in humanity
人間性における2つの発展、
in which the conflict between the humanizers and the mechanizers
人間化と機械化の間で衝突しているような、
will be solved not by the victory of one or the other but by the splitting of the human race
それは解けない、一方が他方に勝つことでは、しかし人類を分割することで解消する、
- the one section developing a fully-balanced humanity,
一方では完全にバランスのとれた人間性が発展し、
the other groping unsteadily beyond it.
他方は不安定にそれを越える。

ひょっとすると、機械化.vs.自然の対立は、融合することではなく、人類を2つに分けることで解決を見るかもしれません。
一方が自然に立ち返って人間らしい生活を送り、もう一方はすっかりサイバー化して、どこまでも突き進む。

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以上が、バナールの「悪魔」についての予言です。
一見すると科学に傾倒した学者のタワゴトのようにも見える、かなり難解な予言です。
なぜバナールは「悪魔」呼ばわりまでして、この問題を大きく取り上げたのでしょうか。
バナールが悪魔と呼んでいたもの、それは一言で言えば「停滞」です。
人類が停滞してしまうこと、これがバナールが最も恐れたことでした。
今日の世の中を見ると、毎日が発見に次ぐ発見、進歩に次ぐ進歩で、とても停滞しているようには思えません。
でも、本当にそうなのでしょうか。

例えば今日、物理学の最先端の発見と言えば、巨大な加速器をぶん回して、
ほんの一瞬だけ垣間見る極限の粒子を追い求める、といった状況です。
はっきり言って私には、何をやっているんだかよくわかりません。
私の持っている科学の知識といえば、せいぜい100年前か、ひょっとすると200年前の知識なのです。
私だけでなく、たいていの人はそんなものであろうと思います。
最先端なんて、ほんの一握りの専門家だけが到達できる領域でしょう。
そんなことが、バナールの予言の中に書いてありませんでしたか。
・・・最も恐ろしい妨げとなる要因は専門化であろう、・・・
たいていの人にとって、科学は100年も昔で停滞しているのです。

ここから先は私見なのですが、今の世の中って、毎日すごいスピードで進歩しているように見えて、
本質的な部分は、実は停滞しているのではないでしょうか。
例えばインターネット上には日々、新サービスが出現します。
こんなに便利で、こんなにお手軽で、こんなに楽しいですよ〜、ってな感じに。
でも、どうでしょう、内心もう見飽きてませんか?
よほどのことでもない限り、私の感想はいつもこうです。
「ああ、またこの手のやつね。」

世の中に、最初に電話というものが登場したときは、本当にショックだったことでしょう。
これで世界が変わるだろうと。
ラジオの次にテレビが出てきたときは、やはり驚きであったろうと思います。
今度は声だけでなく、絵も出るのか、これはすごい。
テレビの次にビデオが普及したときには、便利だね、と思ったことでしょう。
これで好きな番組は、いつでも見ることができる。
次にインターネットができたときは、ふーん、ちょっといいかな。
携帯電話は、そういえば昔、未来はこうなるって思ってたよなあ・・・
1つ1つの技術は確かにすごいですけれど、それに対する人の反応、驚きは、
だんだん小さくなってきていませんか。
後から出るものほど小粒になっていて、世の中を変えるインパクトはますます小さくなってゆく。
飢えから満腹の差は大きいですが、満腹から美味の差は、それほどではありません。
これが極限まで進むと、どうなるか。
もう、以後どんな新しいサービスが出たところで、世の中にインパクトを与えることはない。
そんな世の中は、本質的には「停滞」しているのではないでしょうか。

バナールが「悪魔」と呼んでいたものは、そういうことなのではないかと思うのです。
確かに、物理学上の新発見が為された。
でも、「ふ〜ん、すごそうだけど、なんだかよくわからないね。」
確かに、新サービスがスタートした。
でも、「ああ、またこの手のやつね。きっと儲かってるんだろうなぁ。」
そして、私自身の暮らしは、さほど変わってはいない。
正確に言うと、確かに家の中に置かれている機器は変わっているのですが、気持ちは変わっていない。
唯一変わることと言えば、その新サービスに乗り遅れないように、一生懸命フォローすること。
あるいは、乗り遅れて損をしないように、戦々恐々としてアンテナを張り巡らせること。

こうなると、もう、便利、快適はいいよ、もっと人間らしい暮らしをしよう、
という声が挙がってきても不思議はないでしょう。
徹底的な機械化に対して、その一方で、牧歌的な自然主義に走る人が出てくる。。。

以上は、人類の進歩を停滞させる、避けがたい問題です。
人の心の中にあって、見えにくく、わかりにくいが、依然として強力な存在。
この「悪魔」を追放しない限り、人類の未来は無い。
そのようにバナールは述べているのです。