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小人さんの妄想 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2010-10-04

なぜ哲学者は無限級数で満足しないのか

アキレスと亀」という、有名なパラドックスがあります。>> wikipedia:ゼノンのパラドックス

昔、ギリシャで俊足を誇るアキレスと、足の遅い亀が競走をすることになりました。

そのままでは亀が負るのは明らかなので、亀はハンディをもらって、アキレスより前方の地点からスタートすることにしました。

位置について、ヨーイ、ドン! で競走を始めたところ・・・

f:id:rikunora:20101004104102p:image

こうしてアキレスは亀に追いつくことができず、亀は見事、アキレスに勝ったのだそうです。


しかし、これはどう考えてもおかしい。

もし、上の話が真実なら、速いものが遅いものを追い抜くことは絶対あり得ない、ということになってしまいます。

どこがおかしいのでしょうか?


仮に、亀の速度がアキレスの半分であったとしましょう。

そして、アキレスがヨーイ、ドンから亀のスタート地点に到達するまで(上の図でA1->T1の間に)ちょうど10秒かかったとします。

その10秒間のうちに、亀はT2の地点にまで進んでいます。

次に、アキレスが亀のいたT2の地点に到達するのには、10秒の半分の、5秒の時間がかかるでしょう。

亀の速度はアキレスの半分なので、亀が10秒かかって前進した距離を、アキレスは5秒で走破できるからです。

その次に、アキレスが亀のいたT3の地点に到達するのには、5秒の半分の2.5秒かかります。

この調子で、亀のいた地点にアキレスが到達するまでの時間は、

10秒 -> 5秒 -> 2.5秒 -> 1.25秒 -> ... と、半分の、そのまた半分の、そのまた半分、、、

といった具合に、どんどん短くなってゆきます。

半分の、そのまた半分の、そのまた半分の、そのまた半分、、、という量を、

次々に足し合わせていったら、最後にはどうなるでしょうか。

f:id:rikunora:20101004104103p:image

上の図を見ればわかるように、どんなに足し合わせていっても全体の1を越えることはありません。

アキレスと亀の話で言えば、10秒 + 5秒 + 2.5秒 + 1.25秒・・・は、

ちょうどアキレスが亀に追いつくはずの20秒を越えないのです。

つまり、このアキレスと亀の話は、アキレスが亀に追いつく以前の状況を

どこもまでも細かく、詳しく分割していっただけのことで、

追いついた以後の状況については何も言及していないのです。


・・・と、ここまでが一般的に普及している説明であろうと思います。

ところが、上の説明だけでは決して満足しない人たちがいます。

時間の本性

時間の本性

アキレスと亀」のパラドックスはもっとも解決が難しいものである。

B・ラッセルを初めとする解決法、すなわち無限級数の和は有限であるという数学の命題を対置するやり方は、ゼノンの問題の立て方とは微妙にすれ違ったままで、数学者たちはともかく、哲学者を納得させるには至っていない。

つまり、上の説明では哲学者は納得しない、というのです。

いったいどの辺りが納得ゆかないのでしょうか。

以下、「時間の本性」という本を読み進めてみましょう。

アキレスと亀」に登場する時間的要素は、量を持った時間ではなく「同時性」のみであり、時間の量を与える「時計」はまだ存在していない。

最小のタームしか用いないこのような原初的な舞台設定こそが、「アキレスと亀」が最強のパラドックスである理由であり、自立した量としての空間や時間が存在しないのだから、パラドックスの解決には数学は一切使えないのである。

そこで我々が手にすることのできる武器は、「地点」「時点」「運動」といった概念しかなく、「時間」「量」「数」「速さ」といった概念を使うことは許されない。

改めて、最初のアキレスと亀の話を見直してみてください。

もともとそこには「時計」が存在していないのです。

「時計」は説明する人が後から付け加えた概念であって、

元の問題には、「何秒かかった」とか、「秒速何メートルであった」といった前提は一切含まれていません。

無限級数の説明では「アキレスが亀に追いつくはずの20秒」という数字を、当然のように持ち込んでいました。

しかし、この「20秒」という数字は、

 ・秒を測る時計というものがあって、

 ・当然追い付くはずであるという答を知っていた

からこそ出てきたわけです。

これでは最初から「追い付くはずである」という結論を、何の理由も無しに押し付けただけではありませんか。

果たして、時計も無く、距離を正確に測る物差しも無く、追い付くかどうかもよくわからない状況で、

アキレスは亀に追いつくことができる」という結論を導き出すことができるでしょうか。

もしかりに、空間や時間の「量」が単独で問題になっているのであれば、ラッセルのように無限数列の和は有限であるという数学の命題を用いることが有効であるかもしれない。

   ・・・

しかし、「アキレスと亀」はそうではない。追い付く地点は初めに与えられていないのであり、分割の全体がその内部で行われる空間があらかじめ先取りして確保されているわけではない。

   ・・・

分割の比率を数によってあらかじめ与えるのではなく、二つの運動を互いに関係づけることによってそのつど新たな時点と地点を「切り出して」みせるのが、「アキレスと亀」の議論の本質である。

おわかりでしょうか。

アキレスと亀」において、速度いくつで、何秒後に、といった道具立てを持ち出すのは、

ちょうど数学において、まだ証明されていない定理を用いるようなものなのです。

なので、無限級数の説明があったからといって「アキレスと亀」が完全解決したことにはならない。

「点」と「運動」と「同時性」のみで説明できてこそ、初めて「アキレスと亀」が解決したと言えるのではないでしょうか。


「量」の概念を一切追放して「アキレスと亀」を眺めたならば、実はこれパラドックスなどではなく、

間違ったことを言っていないのではないか・・・

次に、「アキレスと亀のお話は、実は正しい?!」という例を挙げてみたいと思います。

例に挙げるのは、√2という数の計算方法についてです。

√2という数は無理数なので、小数点で表すと1.41421356...と、どこまでも数字が無限に続いています。

この1.41421356...という数字をコンピューターで計算するには、どうするか。

f:id:rikunora:20101004104104p:image

上に描いたのは、ニュートン法による√2の計算方法の概念図です。

√2という数は、y = x^2 - 2 という放物線と、x軸との交点になっています。

問題は、この交点の位置をぴったり数字で求めなさい、ということです。

そこで、グラフ上の交点の近く、例えば x1 = 2 という数を出発点に選びます。

x = 2 という垂直な線と、放物線が交わった点で、放物線に接線を引きます。

そして、接線とx軸が交わった点を、x2 とします。

次に、改めて x2 を出発点として、先ほどと同じ操作を行います。

新しく接線とx軸が交わった点を、x3 とします。

この調子で、x4 -> x5 -> x6 ... と、次々に進んでいけば、どこまでも限りなく√2に近付くことができるでしょう。


では、ここで質問、「この√2の計算は、いつ終わるのでしょうか?」

よく見てください。

アキレスと亀」の話と、√2の計算方法は、全く同じ論旨ではありませんか。

√2の計算で、x1 をアキレスのスタート地点、1つ進んだ x2 を亀のスタート地点に置き換えてみてください。

アキレスが x2 まで進む間に、亀は x3 まで進む。

 アキレスが x3 まで進む間に、亀は x4 まで進む。

 ・・・以下、この繰り返し。従って、この計算は決して有限時間内に完了することは無い。」

どこにもパラドックスは見あたらない。

現に、私たちはこれと似た論法で、√2が決して有限桁数で終わらないことを理解しているわけです。

* なぜ黄金比は美しいのか >> id:rikunora:20090401

同じ論法でありながら、かたや「アキレスと亀」は、有限時間内に終わるはず。

かたや√2は、有限時間内には終わらない。

この違いは、何なのか。


さらに、この主張をもう1歩進めるなら、こんなことが言えないでしょうか。

√2の計算は、一見すると無限のステップを要するように見えるが、実はそうではない。

現に、アキレスは亀に追いついているではないか。

ということは、この世の中には無限の操作を有限の時間内に終えるプロセスが存在する。

ならば、この「アキレスと亀」の原理を応用して、今日のデジタルコンピュータでは考えられなかったような、

夢の超計算機が実現できることになる。

この超計算機は、従来のデジタルコンピュータではとても不可能だった計算を、一瞬にして(有限時間内に)解いてくれる。

例えば、円周率の「真の値」も一瞬にして求まるし、NP問題だってたちどころに解ける。

超計算機に不可能は無い・・・

もし「アキレスと亀」がパラドックスであるというのなら、無限の操作を一瞬にして終える「夢の超計算機」が実現できるはずです。

それとも、今日の計算科学は全て間違いで、「アキレス型超計算機」は本当に実現できるのでしょうか?


はっきり言って、これ、超難問です。

もちろん常識的に考えれば、アキレスは亀に追いつくだろうし、超計算機は実現不可能だろうと思います。

しかし、なぜ?

哲学者の皆さんは、そこんとこ解っているのでしょうか。答があるなら教えてほしい。


俄僅俄僅 2010/10/04 18:05 たしかにアキレスと亀の話では空間の自己相似性しか使ってないですね。図においてアキレスと亀の位置は変わらずに距離のスケールだけが変わってると考えることもできるわけで……これはこわい。
実際の科学には観測精度がありますから、2点間の距離が観測限界以下になったら「一致」とみなす(みなさざるをえない)でしょう。
それに対し数学は無限の精度と考えられることが多いでしょうね。思考実験においてもそうです。
うーん。まとまらないのでこのへんで。

itaita 2010/10/04 19:53 この問題に関するエンジニアの回答例です^^
http://d.hatena.ne.jp/ita/20090911/p1

rikunorarikunora 2010/10/05 13:37 もしこの世界に、アキレスの点と、亀の点の、2点だけしか存在しなかったのだとすれば、
近いとか、遠いとかに意味が無いように思うのです。
白紙の上に、ポツッ、ポツッ、と点があるだけで、他に比べるものは何もない。
どうしても、何らかの「物差し」が必要なのではないでしょうか。

哲学者は、女性の実在に懐疑を抱いたが、そこに「女性を美しいと思う自我が存在する」ことを見出した・・・
やっぱり実用的な技術者がいいですね!

俄僅俄僅 2010/10/05 23:15 確かに……
それと、2点が異なることや一致することを数学では「異なるから異なる」「一致するから一致する」という言い方しかできない気も。
ε-δ論法はあるけど、ちょっと違う気もするし。

ところでリンク先の問題は、女性のところまで行ってから「私が移動した分だけブザーをならしておいて下さい」と言いたくなります。

rikunorarikunora 2010/10/07 09:50 詳しくはわからんのですが、たぶん数学では「同じ集合に入る、入らない」という基準で、
「近さ」とか「位相」とかを定義するのだと思います。
しかし、時間について「何時までが同じ集合に入る」と言えるのか。
時間は距離と似ているけど、戻れないし、常に流れているというところが違う。

せいたかのっぽせいたかのっぽ 2010/10/08 21:17 こんばんは!
哲学者ではないですが、私も無限級数の和では納得しない一人です。
アキレスと亀については、私も色々書きたいことがあるのですが、
ひとつだけ。長くなるので、以下、若干説明が荒いですがご了承を・・・。

パラドックスというのは、数学でいえば背理法。
矛盾した結論に達するのは、前提におかしな点があるためです。

アキレスと亀の場合は、初めから無限の中間点があるという前提が、
実は自明ではない事と思います。

アキレスと亀は「実在無限」を否定し「可能無限」を説明するという解釈が、
通常、哲学書で書かれている一般的な解釈ではないかと私は理解しています。
現実の直線上には、初めから無限の中間点が存在しているわけではない。
しかし、思考上は亀との距離の中間点を無限に考え続けることは可能ということです。
現実の直線と、思考の産物である数直線とは本来、異なる概念です。

実際、アキレスは亀に追いつくまでに亀との中間を無限に通るのか。
厳格な実証主義にたてば、実際に観察できることだけが真実のはず。
とすれば、いかに高速度カメラで瞬間瞬間を確認したとしても、必ず有限の精度です。
2000分の1秒なら、それ以上に短い距離では本当に中間を通ったのか。
4000分の1秒なら、また、それ以上に短い距離では本当に中間を通ったのか。
実は、無限に短い時間で本当に亀との中間点を通り続けていたのかは実証
できない事だと思います。実証できるのは、ある時間でアキレスは亀に追いつき追い抜くこと。
現実では実証できない事なのに、初めから無限の中間点を通らないと追いつけないはずだ
と初めから考えることに前提として自明でない仮定がされています。
(工学でいえば、測定範囲を超えて伸ばされた検量線での値を自明としているようなもので、
これは、絶対してはいけない、というのは、耳タコと思います)

むしろ「実在無限」を否定したこの考えに立った方が、
量子論や、経路関分について私には心理的に納得しやすいです。
ミクロで見たら、どの経路を通ったかなんてははっきりしなくなる。
マクロでの常識がミクロにどこまでも成り立つと信じているのは実は偏見に過ぎない。

√2どころか、1という距離も厳密に取り出せない。
1.000000・・・と、無限に0であることを無限の精度で実証しなければならないですものね。
面積のない点、というのはあくまでも思考上の概念であって、現実の点とは違う。
理論的な思考をあてがって、現実の世界の解釈することは有用であるけれども、
それはあくまでも、現実とは異なるものである。
「自然は数学の言葉で書かれている(役に立つけれども)けれども、自然は数学ではない。」

以上から、時間の本性に書かれているのでしょうか、紹介されている「アキレスと亀」が原初的な
空間や時間の概念が存在しないという舞台設定に限定してのパラドックスという意見には
私はあまり納得しません。
これは、ギリシア時代に、いわゆる比の値(数値、時計でいえば、1秒を基準に取った時間の値)
というものは、使用を避けられていたという事実と混同しているだけではないかと思います。
(アキレスと亀に代表される、無限の概念に対する困難をさけるため、ギリシャ時代の公式の
書物には比の値は使われていませんが、実際の思考の場面では現代と同じように、比の値も
使われていたことと想像されることは、最近発見で話題となったアルキメデスの方法などの原文
解釈などから想像されます。つまり、ギリシャ時代に時間という量をもった概念が存在しなかった
という時代に縛られた狭い限定は必要ないと思います。もっと本質的なパラドックス例です)

ちょっと、乱文ですね。すみません。こういう考えをじっくり書けば文章長くなります。
哲学書が分厚く、だらだら長い文章なのもうなずけますね。
でも、時々こういう話を考えるのは楽しいです。(^-^)/

rikunorarikunora 2010/10/11 18:21 うーん、なかなか奥深いですね。
一言で言えば、「大きさのない点は、物理的には存在しない」ということでしょうか。
言われていると、確かにそのように思えます。
少なくとも、私たちは「大きさを持たない点」を一度も観測したことが無いですね。
長さも、重さも、1点として取り出されたことが無い。
もし電荷とか質量とかが本当に1点に集まっていたら、無限大になってしまいますし。
それと同じように、実は「時点」も1点として取り出されたことが無いように思うのです。
「いま」は本当に1点なのか?
運動にせよ、ものを感じるにせよ、
「いま」が少しだけ広がりを持っているとした方が感覚的に合うように思うのです。

上の「時間の本性」という本は、主題が「時間とは何か」ということなので、
論旨の焦点が時間に当てられていました。
せいたかのっぽさんの考えは、これとは切り口が違いますが、
現実の物理的な世界にはよく合っていると思います。

アトムアトム 2010/10/12 05:43 内容を完全には理解していないのですが、リンクのページは参考になるかもしれません。
http://d.hatena.ne.jp/hiroyukikojima/20090825/1251184499B9

rikunorarikunora 2010/10/12 22:34 リンク先の解説を見ると、この本は
「マクダガートの時間哲学や無限小算術などとの関係からケインズ理論に切り込んでいる」
らしい。これはぜひ一度手にとってみなければ。
アキレスと亀、ケインズにまでつながっているとは思わなかった。

solognesologne 2010/10/14 08:14 量の概念を取り入れないのなら、「速さ」の多寡を用いることが出来ないので、そもそも、アキレスが亀より速いという暗黙の仮定が成り立ちません。そしたら、もう、パラドックスでもなんでもないと思います。

rikunorarikunora 2010/10/14 13:14 うむむ、確かに。
きっとこの本で主張しているのは、大小関係はあるけれど、
それをより正確な数字に置き換えられないといった状況を言っているのだと思います。
順序尺度ではあるが、間隔尺度ではない、みたいな、、、なんか微妙ですね。
本の中では、アキレスと亀が作る「疑似時計」といった言い方をしています。

YNYN 2010/10/28 11:41 時間に点はないと思います。ストップウォッチとか写真のシャッター等であるように思われますが、実際にあるのは、運動だと思います。

rikunorarikunora 2010/10/29 13:19 その通りなのですよ、時間は点ではなくて、動いているのではないかと。
アリストテレスも、時間は「運動の数である」と言っていたようです。

ゲッターゲッター 2010/11/18 21:09 どう考えても、実際はアキレスは亀を追い抜かす訳で。
ならゼノンのパラドクスに間違いがあるのは間違いない訳で。

結局はプランク数を持ち出せば解決するんじゃないでしょうか

rikunorarikunora 2010/11/22 19:07 逆に言えば、アキレスが亀を追い抜けるという事実が、この世に最小単位があることの証明になるのかな?
物理的には、この世に大きさのない点は無いだろうってことで満足してます。あとは思索の問題。

imikakiimikaki 2010/11/30 23:48 アキレスと亀のパラドックスを,量子力学的な仮定(不確定性原理)や,測定限界によって解決しようとするのは
間違いだと思います.

時間に点はないというのも,ちょっとよくわからないですね.ここで議論する必要はないでしょう.
たとえば,不確定性原理の場合,不確定なのは位置と運動量であって時間ではありません.しかも,理論的には位置と運動量のどちらかを犠牲にすれば,もう片方は限りなく正確に測定可能です.単純に不確定性原理で説明はできないのではないでしょうか.
また,特殊相対性理論では「同時性」が重要な役割を果たしています.
「AとBを測定して違いがわからないほどに等しいから同時だ」ではなく,たしかな「同時性」が仮定できるからこそ相対性理論が導出できます.

空間と時間が存在するという仮定だけでは,前のコメントにあったようにアキレスの方が速いという条件をつけることができないので,問題は成り立ちません.この問題を有効にするためには,速度の大小という概念が不可欠です.
そこで,定性的な(量はわからないが,比べることによって大小もしくは等しいと表現することのできる)速度という仮定を加えてみると,「追い越せる」ことはε-δ論法で明らかになってしまいます.ε-δ論法は目盛りがなくても,大小さえ比べられればokですから.(多分)

「時間の本性」は読んでいませんが,速度の大小という概念は必要ないとしてしまったのが誤りだったのではないでしょうか.

rikunorarikunora 2010/12/04 22:37 アキレスと亀の話をいろんな人に振ってみると、どうも3パターンの反応があるようです。
1:数学理論タイプ -- 無限級数や実数の連続性によって、パラドックスの解決を見る。
2:物理実験タイプ -- 物理的に「大きさの無い点」は存在しない、プランク長などによって解決を見る。
3:哲学思索タイプ -- 人間の意識、時間の流れの認識といった方向に思索を広げる。
上のコメントを見ても、imikakiさんは典型的な1のタイプで、
例えば せいたかのっぽさんなどは2のタイプでしょう。
(あと、
4:無関心タイプ -- この手の問題に全く関心を持たない。
というのもあるのですが、こういう人はコメントをくれないので。。。)

で、この3つの中から答を選べと言われれば、正直、私は1で大方解決していると思っています。
ところが「哲学者は満足していない」。
たぶん、哲学者の目の付けどころは違っていて、ここを切り口に
「時間とは何か」「意識とは何か」といった方面に考えを進めているようです。
あと、2は間違いなのかと言われると、これはこれで間違っていないような・・・
・・・なんだか私自身、分からなくなってきました。
すいません、もう少し考えをまとめて、改めて記事にしたいと思います。

hirotahirota 2010/12/22 14:33 最初からアキレスが2倍の距離に達した状況を考えれば簡単に追い抜けるので、この問題はそういう追い抜く手段を禁止したから追い抜けないだけ、というインチキ前提の問題。
と考える私は何のタイプでしょう?

rikunorarikunora 2010/12/24 09:22 ニュータイプ。

52Kjuggler52Kjuggler 2012/08/27 21:03 √2の話の場合は√2という数がx軸上に既に存在していてその上で√2の計算を行っているからゼノンのパラドックスの話とは少々ずれるのではないでしょうか?

ちょっと自分でもこんがらがってくるのですが、哲学者が納得しない理由はとても納得できるものがあると思います。

rikunorarikunora 2012/08/31 23:45 確かに、√2 という数が最初から存在しているとするか否かによって、
この話の意味は大きく変わってくると思いました。
既に √2 が存在する、という前提から出発すると、
最初から「追い付くはずである」という結論ありきで始まる議論と変わりません。
しかし、例えば有理数しか知らない人が、まだ存在を知らない無理数に向かって操作を繰り返しているのだとしたら、
今度はゼノンのパラドックスと接点を持つと思うのです。

まだ納得できないものが残る、という点では哲学者に同意します。

NOTWORKNOTWORK 2013/01/08 17:58 問題設定「なぜ哲学者は無限級数で満足しないのか」というのか、理解できません。
気にしなければよいだけのことではありませんか。

一般に哲学者は、いろいろなことを言います。それに全部つきあう必要はありません。
哲学者が述べた特定の指摘が気になるのであれば、それについて具体的に議論すべきです。

私の問題設定は、「なぜ数学者は無限級数でごまかそうとするのか」です。

> どこもまでも細かく、詳しく分割していっただけのことで、
> 追いついた以後の状況については何も言及していないのです。

という説明で大体よいのですが、「追いついた以後の状況」というところを正確に述べることが必要です。
正確には、次のように言うべきです。

追いつく前の状況を詳しく分割していっただけのことで、
追いつく瞬間についても、追いついた後についても何も言及していないのです。

たとえば、正の数という範囲で一番小さい数はゼロというのは間違いです。
なぜなら、正の数という条件があるのに、この条件を満たしていないゼロを答えにしているからです。
非負の数という範囲で一番小さい数がゼロなのです。

これと同様に、追いつく前の範囲という条件があるのであれば、追いついた状況やその後のことを議論するのは誤りです。
アキレスとカメは、追いつく前の状況を分析しているだけで、追いつく瞬間やその後こことは、その分析からは分からないのです。

話がややこしくなっているのは、数学者の一部に、無限級数でごまかそうとする人々がいるためです。
無限級数は、ある値に収束することはありますが、収束するだけで、普通はその値に一致するわけではありません。
収束の式に等号 = を使うので、誤解をする人が出てきて困るので、等号 = ではなく矢印 → を使うべきという意見があるほどです。

というような説明を後編で予定していますが、とりあえず「アキレスとカメ (前篇)」を書いてみました。

http://www.applitech.co.jp/prime/Achilles.pdf

数学者の中には、収束という言葉で片付けようとする人もいますが、収束とはイプシロンやデルタを使ったある種の定義にすぎません。
収束するととと、追いつくこととの間には、意味の違いがあります。
「収束」の意味は、限りなく値がづくことで、一致するわけではないのが普通です。

数学者が、収束について述べるときに、一致してくれたらいいのに、と願望をもつであろうことは想像できます。
しかし、ここはきっちりと、単に収束するだけであった、一致するとは述べていないと、数学者には述べて欲しいものです。

このあたりが曖昧になっているので、2000 年以上も前のアキレスとカメの話がゴチャゴチャしているように思います。

shigeshige 2013/04/26 17:05 アキレスと亀の話がパラドックスかどうかは判断しかねるが、ゼノンの証明には論理学的にも文法的にも逸脱はないのではないか。だから、追いつく地点と時点が方程式から算出できることを根拠に否定すればそれで済む次元とは別のところでも解決されるべきだと主張したいのがゼノンさんの本音でしょう。哲学者ばかりでなく偉大な数学者も多分にそのことには気づいていて、たとえばカントールのように無限(小)を何らかの仕方で量的に扱ったり対応させるといった新基軸を模索したのではないでしょうか。私見では歴史的には先行して世に出た微積分は、この「無限」の基礎づけ作業で真の根拠を持てたとも思えるのです。実際ゼノンの提起を本気で考えたときに、簡単に解決済みと軽視した数学者も物理学者もいなかったと思います。科学や哲学に与えた、また与え続けている影響の絶大さは否定できない。

rikunorarikunora 2013/05/02 10:11 NOTWORKさん、ご指摘の通り、確かに収束と、収束先の値は別物です。
「収束先が、ある特定の値と一致するのだと見なして連続な数というものを定義しましょう。
 そうするとうまくいくみたいです。」
これが現在主流の数学の採用している、ある種のお約束(ある種の定義)です。
アキレスと亀は、これがお約束であったことを思い起こさせてくれる秀逸な議論であると思います。
* 円は無限角形と同じか >> http://d.hatena.ne.jp/rikunora/20090207/

ゼノンの証明は、このお約束を全く用いていません。
なので、ゼノンと対等に議論する(?!)には、こちらもお約束を全く用いずに行うべきなのです。
そう考えると、無限級数の収束で解決済みとするのは不十分であり、
哲学者(と一部の数学者や物理学者)が納得しない理由もわかってきました。

shigeさん、きれいなまとめ、ありがとうございます。
> 追いつく地点と時点が方程式から算出できることを根拠に否定すれば
> それで済む次元とは別のところでも解決されるべきだと
> 主張したいのがゼノンさんの本音でしょう。
この1文で納得できました。
今なおこのコメント覧にまで影響を与え続けているとは、アキレスと亀、奥深し。

「アキレスとカメ (前篇)」、おもしろかったです。後編期待しています。

aa 2017/06/23 09:54 畑違いの分野で哲学しようとするとこうなるという典型。
なんで20秒とか勝手にに定義しておいて「20秒じゃなかったら」とか言い出してんのか。20秒と置かないと自分が理解できないという数学の知識不足に他ならない。
あと√2についても、それが無限なの。いつ終わるかとか有限の話してる時点でナンセンスです。

総じて数学を勉強してください。

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