光子っていらない子?

光子(フォトン)なんていらない?!
物理学の上で「アンチフォトン」という考え方があるそうです。
それを唱えているのは、ノーベル物理学賞受賞者のウィリス・ラムという人 >> wikipedia:ウィリス・ラム
「ラムシフト」に名を留めています >> wikipedia:ラムシフト
そのものずばり、Anti-photon というタイトルの論文があります。
>> http://www.springerlink.com/content/h16g2307204h5654/
1994年の論文なので、さほど古いというわけでもありません。
冒頭の要約は、こんな風になっています。

表題からも明らかなように、著者は1926年来の「光子」という言葉の使用が好きではない。
著者の見解によると「光子」といったものは無いのだ。
ただ喜劇的な間違いと、歴史的なアクシデントが、物理学者や光学科学者の人気をもたらした。
この言葉が短くて便利なことは認める。その利用は癖になる。
何もない空間のことを「エーテル」や「真空」などと言い易いのと同じことだ、
たとえそんなものが存在しなかったとしても。
「光子」の代わりになる、もっと良い言葉もある(たとえば「放射(radiation)」や「光(right)」)、
「光子通信学(photonics)」の代わりもある(たとえば「光学(optics)や「量子光学(quantum optics)」)。
同様の申し立てが、1932年来の「音響量子(phonon)」という言葉の使用にもあてはまる。
電子や中性子、あるいはヘリウム原子のように有限の静止質量を持つ物体であれば、
適切な条件下で粒子であると見なせるだろう、
そういったものの理論は、非相対論的、非量子的な極限であっても生き残る。
この論文では、放射量子論の主な特徴を概説し、それらがいかに量子光学の問題として扱われるかを示そう。

ノーベル賞の威を借るわけではありませんが、私も単純素朴に「光子」に疑問を感じています。
なぜ「光子」なんだろう、単に「光」ではいけないのだろうか、と。
光は電磁波なのだから、9割方までは Maxwellの方程式で記述できて、粒子性は残りの1割程度なのではないか・・・
そう思うと、どうも「光」に「子」を付けるのはしっくりこないように思うのです。
ここのところ、もっと噛み砕いて説明してある本を見つけたので、引用します。

光子という考え方はいらない?!
 ここで注意したいことがある。それは、光子という「考え方」が、量子化した状態の1つの側面に過ぎないということである。
電子や原子核のようなわかりやすい実体を伴う量子では、電子あるいは原子核そのものを量子と呼んでも良いのであるが、
光の場合、元が電磁波という質量のない波なので、光子と言っても電子や原子核のようなわかりやすい実体が存在しない。
したがって、光子という考え方は非常に理解し難くなっている。
 実際、光子という考え方(この場合、主に粒子性を指しているが)はいらない(アンチフォトン)と言っているノーベル物理学賞受賞者もいるほどである。
    -- 量子もつれとは何か(Blue Backs)

この引用の最後の一文から、私は上の論文の存在を知りました。

アンチフォトンの主張を読み進めてみましょう。
この論文によると、「光子(photon)」という言葉を初めて用いたのはアインシュタインではなく、
ギルバート・ルイスという人だそうです。Wikipediaにもそのようにありました。
「1926年、放射エネルギーの最小単位を "photon"(光子)と名付けた。」>> wikipedia:ギルバート・ルイス
アインシュタイン自身は光量子 (light quantum) の名前で提唱していた。」>> wikipedia:光子
ちなみにこのルイスという人、むしろ化学の世界で有名人だと思います。「ルイスの酸塩基説」とか。

この論文の主眼は、次のようになっています。

量子力学的な放射場(quantum-mechanical radiation field)は、量子力学的な単純な調和振動子の組み合わせ(system of quantum-mechanical simple harmonic oscillators)と、動きの上で等価である。このことを著者ははっきりさせたい。

光の正体は、要するに“量子的な”振動子なのではないかと。(そのように私は読み取りました。)

放射場とは、次のようなハミルトニアンで記述される量子力学の法則に従う、動的な系だ。
  H = ∫(E^2 + B^2) dτ'
ここで dτ' = dx'dy'dz' は3次元の体積要素。
E = E(x', y', z' t) と B = B(x', y', z' t) は、・・・電場と磁場。

これをフーリエ展開か何かでモードごとに分けて考えれば、結局のところハミルトニアン
  H = 1/2 (p^2 / μ + μ ω^2 x^2)
といった、調和振動子に帰着します。
実はこの調和振動子が、擬似的に「粒子」と呼ばれているものなのです。
この調和振動子の固有状態のエネルギー(取り得るエネルギーの値)En は、
  En = ( n + 1/2 ) h~ ω
    h~ = h / 2π (エイチ・バー)、h : プランク定数
nは自然数、1, 2, 3・・・のことで、この値が連続的ではなく「とびとび」なのが、
いわゆる「光子」と呼ばれる所以です。
・・・こんなのが粒子なのか、変じゃなイカ
(n= 0 のときのエネルギーは、E0 = 1/2・h~ ω となります。
これが「ゼロ点エネルギー」と呼ばれているものなのですが、
何もないのにエネルギーがあるという、ちょっと悩ましいことになっています。)
固有状態の重ね合わせ、定常状態でない場合の波動関数は、
  ψ(x,t) = Σ Cn Un(x) exp(-i/h~ En t)
ここで一般には |Cn|^2 を「光子を見出す確率」と言っているのですが、
・・・ますますおかしいじゃなイカ
どこに「光子」が局在化するっていうのか、どう見たって粒子には見えないじゃなイカ
というわけなのです。
ええと、途中思い切り意訳が入りましたが、どうしても気になる人は元の論文をあたって下さい。
念のために付け加えますと、別にこの論文は量子力学を否定するわけでも、
いわゆる「波と粒子の二重性」の議論を蒸し返しているわけでもありません。
こと光の場合、粒子性の概念はとても把握しずらい。
ならばいっそ「光子」というのは止めよう、というのがこの論文の主張です。

光の粒子性の第一の根拠は、アインシュタインの光量子仮説だと言われています。
せっかくなので、光電効果の元論文の中から、それらしい箇所を抜き出してみましょう。
(でもドイツ語はわからないから英語で)
* Concerning an Heuristic Point of View Toward the Emission and Transformation of Light
>> http://www.esfm2005.ipn.mx/ESFM_Images/paper1.pdf

According to the concept that the incident light consists of energy quanta of magnitude Rβν/N,
光の照射が強度 Rβν/N のエネルギー量子から成り立っているという概念に従えば、
however, one can conceive of the ejection of electrons by light in the following way.
光による電子の放出は次のように考えられるだろう。
Energy quanta penetrate into the surface layer of the body, and their energy is transformed,
物体の表層を突き抜けたエネルギー量子は、そのエネルギーを移し替える、
at least in part, into kinetic energy of electrons.
少なくとも部分的に、電子の運動エネルギーに。
The simplest way to imagine this is that a light quantum delivers its entire energy to a single electron:
最もシンプルな想像は、光量子がその全てのエネルギーを電子に与えるということだ:
we shall assume that this is what happens.
そういうことが起こっているのだと、我々は仮定しよう。

つまり、光と電子のエネルギーのやりとりは中途半端ではなく、丸々1個分になる。
それが光量子 light quantum なのだ、というわけです。
しかし、どうも私がよくわからないのが「エネルギーを100%全部受け渡すもの=粒子」なの? というところです。
これはもう「粒子」と聞いて何を思い浮かべるかというセンスの問題ですが、
少なくとも丸いビー玉みたいな粒で無いことだけは確かでしょう。
光電効果を式で書くと、こうなります。
  E = hν
「光の持つエネルギーは、振動数に比例する。その比例定数は、プランク定数hである。」
これのどこが粒子やねん? そう思うのは私だけなのでしょうか。

それでは、光は粒子だという考え方は完全に捨て去って、やっぱ波でした、ということで問題無いのでしょうか。
残念ながら、そう簡単でもありません。
どうしても波では説明できない現象が、上で紹介した「量子もつれとは何か(Blue Backs)」に載っていました。
光をビームスプリッタ(半透鏡)で半分ずつに分けたとき、
どうがんばってもきっちり50%ずつには分けられない状況があるそうです。

なぜかというと、光には「小数点以下が無い」から。
3÷2 = 1.5 ですが、もし小数点以下を許さなければ、1と2に分けるしかありません。
この端数の差が検出器に表れるとのこと。

もっと直観的にわかりやすいのは、「ものすごく遠くの星が見える」という事実。
もし光がただの波だったなら、ものすごく遠くの星からくる波はうんと薄くなって、
とても地球上では見えなくなっているはずです。
それが実際に見えているのは、やはり光のエネルギーが1個より小さくならないので、
「薄まることなく」見る人の目まで届くというわけなのです。

ならば、結局のところどうなのか。
これは私の感覚なのですが、光は「波9:粒子1」くらいではないかと思うのです。
もう一度、「量子もつれとは何か(Blue Backs)」から引用。

・・・量子光学ひいては量子力学を理解しようとする場合、ほとんどのことは波動像で理解できるということである。
粒子像で考えなければならないのは、量子のエネルギーは飛び飛びの値しか取らないという条件を使わざるを得ないときに限られるということである。
この感覚を身につけられたなら、読者は「量子力学のプロ」の称号を得たのに等しい。

※ ググったら、こんなブログ記事も。
* アンチ巨人じゃあるまいし >> http://ballackuma.blog119.fc2.com/blog-entry-48.html
* 光子は「存在」しない;電子の都合にすぎない >> http://k-hiura.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-d23b.html