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小人さんの妄想 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2011-04-16

光子っていらない子?

光子(フォトン)なんていらない?!

物理学の上で「アンチフォトン」という考え方があるそうです。

それを唱えているのは、ノーベル物理学賞受賞者のウィリス・ラムという人 >> wikipedia:ウィリス・ラム

「ラムシフト」に名を留めています >> wikipedia:ラムシフト

そのものずばり、Anti-photon というタイトルの論文があります。

>> http://www.springerlink.com/content/h16g2307204h5654/

1994年の論文なので、さほど古いというわけでもありません。

冒頭の要約は、こんな風になっています。

表題からも明らかなように、著者は1926年来の「光子」という言葉の使用が好きではない。

著者の見解によると「光子」といったものは無いのだ。

ただ喜劇的な間違いと、歴史的なアクシデントが、物理学者光学科学者の人気をもたらした。

この言葉が短くて便利なことは認める。その利用は癖になる。

何もない空間のことを「エーテル」や「真空」などと言い易いのと同じことだ、

たとえそんなものが存在しなかったとしても。

「光子」の代わりになる、もっと良い言葉もある(たとえば「放射(radiation)」や「光(right)」)、

「光子通信学(photonics)」の代わりもある(たとえば「光学(optics)や「量子光学(quantum optics)」)。

同様の申し立てが、1932年来の「音響量子(phonon)」という言葉の使用にもあてはまる。

電子や中性子、あるいはヘリウム原子のように有限の静止質量を持つ物体であれば、

適切な条件下で粒子であると見なせるだろう、

そういったものの理論は、非相対論的、非量子的な極限であっても生き残る。

この論文では、放射量子論の主な特徴を概説し、それらがいかに量子光学の問題として扱われるかを示そう。

ノーベル賞の威を借るわけではありませんが、私も単純素朴に「光子」に疑問を感じています。

なぜ「光子」なんだろう、単に「光」ではいけないのだろうか、と。

光は電磁波なのだから、9割方までは Maxwell方程式で記述できて、粒子性は残りの1割程度なのではないか・・・

そう思うと、どうも「光」に「子」を付けるのはしっくりこないように思うのです。

ここのところ、もっと噛み砕いて説明してある本を見つけたので、引用します。

光子という考え方はいらない?!

 ここで注意したいことがある。それは、光子という「考え方」が、量子化した状態の1つの側面に過ぎないということである。

電子や原子核のようなわかりやすい実体を伴う量子では、電子あるいは原子核そのものを量子と呼んでも良いのであるが、

光の場合、元が電磁波という質量のない波なので、光子と言っても電子や原子核のようなわかりやすい実体が存在しない。

したがって、光子という考え方は非常に理解し難くなっている。

 実際、光子という考え方(この場合、主に粒子性を指しているが)はいらない(アンチフォトン)と言っているノーベル物理学賞受賞者もいるほどである。

    -- 量子もつれとは何か(Blue Backs)

この引用の最後の一文から、私は上の論文の存在を知りました。


アンチフォトンの主張を読み進めてみましょう。

この論文によると、「光子(photon)」という言葉を初めて用いたのはアインシュタインではなく、

ギルバート・ルイスという人だそうです。Wikipediaにもそのようにありました。

「1926年、放射エネルギーの最小単位を "photon"(光子)と名付けた。」>> wikipedia:ギルバート・ルイス

アインシュタイン自身は光量子 (light quantum) の名前で提唱していた。」>> wikipedia:光子

ちなみにこのルイスという人、むしろ化学の世界で有名人だと思います。「ルイスの酸塩基説」とか。


この論文の主眼は、次のようになっています。

量子力学的な放射場(quantum-mechanical radiation field)は、量子力学的な単純な調和振動子の組み合わせ(system of quantum-mechanical simple harmonic oscillators)と、動きの上で等価である。このことを著者ははっきりさせたい。

光の正体は、要するに“量子的な”振動子なのではないかと。(そのように私は読み取りました。)

放射場とは、次のようなハミルトニアンで記述される量子力学の法則に従う、動的な系だ。

  H = ∫(E^2 + B^2) dτ'

ここで dτ' = dx'dy'dz' は3次元の体積要素。

E = E(x', y', z' t) と B = B(x', y', z' t) は、・・・電場磁場

これをフーリエ展開か何かでモードごとに分けて考えれば、結局のところハミルトニアン

  H = 1/2 (p^2 / μ + μ ω^2 x^2)

といった、調和振動子に帰着します。

実はこの調和振動子が、擬似的に「粒子」と呼ばれているものなのです。

この調和振動子の固有状態のエネルギー(取り得るエネルギーの値)En は、

  En = ( n + 1/2 ) h~ ω

    h~ = h / 2π (エイチ・バー)、h : プランク定数

nは自然数、1, 2, 3・・・のことで、この値が連続的ではなく「とびとび」なのが、

いわゆる「光子」と呼ばれる所以です。

・・・こんなのが粒子なのか、変じゃなイカ

(n= 0 のときのエネルギーは、E0 = 1/2・h~ ω となります。

これが「ゼロ点エネルギー」と呼ばれているものなのですが、

何もないのにエネルギーがあるという、ちょっと悩ましいことになっています。)

固有状態の重ね合わせ、定常状態でない場合の波動関数は、

  ψ(x,t) = Σ Cn Un(x) exp(-i/h~ En t)

ここで一般には |Cn|^2 を「光子を見出す確率」と言っているのですが、

・・・ますますおかしいじゃなイカ

どこに「光子」が局在化するっていうのか、どう見たって粒子には見えないじゃなイカ

というわけなのです。

ええと、途中思い切り意訳が入りましたが、どうしても気になる人は元の論文をあたって下さい。

念のために付け加えますと、別にこの論文量子力学を否定するわけでも、

いわゆる「波と粒子の二重性」の議論を蒸し返しているわけでもありません。

こと光の場合、粒子性の概念はとても把握しずらい。

ならばいっそ「光子」というのは止めよう、というのがこの論文の主張です。


光の粒子性の第一の根拠は、アインシュタインの光量子仮説だと言われています。

せっかくなので、光電効果の元論文の中から、それらしい箇所を抜き出してみましょう。

(でもドイツ語はわからないから英語で)

* Concerning an Heuristic Point of View Toward the Emission and Transformation of Light

>> http://www.esfm2005.ipn.mx/ESFM_Images/paper1.pdf

According to the concept that the incident light consists of energy quanta of magnitude Rβν/N,

光の照射が強度 Rβν/N のエネルギー量子から成り立っているという概念に従えば、

however, one can conceive of the ejection of electrons by light in the following way.

光による電子の放出は次のように考えられるだろう。

Energy quanta penetrate into the surface layer of the body, and their energy is transformed,

物体の表層を突き抜けたエネルギー量子は、そのエネルギーを移し替える、

at least in part, into kinetic energy of electrons.

少なくとも部分的に、電子の運動エネルギーに。

The simplest way to imagine this is that a light quantum delivers its entire energy to a single electron:

最もシンプルな想像は、光量子がその全てのエネルギーを電子に与えるということだ:

we shall assume that this is what happens.

そういうことが起こっているのだと、我々は仮定しよう。

つまり、光と電子のエネルギーのやりとりは中途半端ではなく、丸々1個分になる。

それが光量子 light quantum なのだ、というわけです。

しかし、どうも私がよくわからないのが「エネルギーを100%全部受け渡すもの=粒子」なの? というところです。

これはもう「粒子」と聞いて何を思い浮かべるかというセンスの問題ですが、

少なくとも丸いビー玉みたいな粒で無いことだけは確かでしょう。

光電効果を式で書くと、こうなります。

  E = hν

「光の持つエネルギーは、振動数に比例する。その比例定数は、プランク定数hである。」

これのどこが粒子やねん? そう思うのは私だけなのでしょうか。


それでは、光は粒子だという考え方は完全に捨て去って、やっぱ波でした、ということで問題無いのでしょうか。

残念ながら、そう簡単でもありません。

どうしても波では説明できない現象が、上で紹介した「量子もつれとは何か(Blue Backs)」に載っていました。

光をビームスプリッタ(半透鏡)で半分ずつに分けたとき、

どうがんばってもきっちり50%ずつには分けられない状況があるそうです。

f:id:rikunora:20110416184034p:image

なぜかというと、光には「小数点以下が無い」から。

3÷2 = 1.5 ですが、もし小数点以下を許さなければ、1と2に分けるしかありません。

この端数の差が検出器に表れるとのこと。


もっと直観的にわかりやすいのは、「ものすごく遠くの星が見える」という事実。

もし光がただの波だったなら、ものすごく遠くの星からくる波はうんと薄くなって、

とても地球上では見えなくなっているはずです。

それが実際に見えているのは、やはり光のエネルギーが1個より小さくならないので、

「薄まることなく」見る人の目まで届くというわけなのです。


ならば、結局のところどうなのか。

これは私の感覚なのですが、光は「波9:粒子1」くらいではないかと思うのです。

もう一度、「量子もつれとは何か(Blue Backs)」から引用。

・・・量子光学ひいては量子力学を理解しようとする場合、ほとんどのことは波動像で理解できるということである。

粒子像で考えなければならないのは、量子のエネルギーは飛び飛びの値しか取らないという条件を使わざるを得ないときに限られるということである。

この感覚を身につけられたなら、読者は「量子力学のプロ」の称号を得たのに等しい。

※ ググったら、こんなブログ記事も。

* アンチ巨人じゃあるまいし >> http://ballackuma.blog119.fc2.com/blog-entry-48.html

* 光子は「存在」しない;電子の都合にすぎない >> http://k-hiura.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-d23b.html

T_NAKAT_NAKA 2011/04/17 17:53 過去に「光子の粒子性の実験について調べた。。」http://teenaka.at.webry.info/200905/article_26.html という記事を書きました。浜松ホトニクスのHPに光子の粒子性を表したような画像があって、このスクリーン上の粒々は光子なのだろうか?という疑問から調べたものです。結論を言うと、この粒々は光電効果で飛び出た電子を倍増させて画像化したもののようで、光子そのものではないということです。そうすると、光はエネルギーのやりとりについては粒々のように振る舞うけれど、それ以外では波として考えても差支えないのかな?とも思います。

バラッくまバラッくま 2011/04/17 20:55 リンクに張ってもらった"アンチ巨人じゃあるまいし"のブログ主です。ありがとうございます。
光子の存在については、あまりに基礎的すぎて最近の研究者の多くはスルーしている感じでしょうね。いまさらそこを掘り下げてどうするの?って感じですかね。でも掘り下げてみると、謎めいたことが出てくるんですよね。
レーザーの黎明期のころの研究者はやはり本気で考えていたようです。ラム氏もその一人です。ちなみに、「レーザー研究」という雑誌の25巻(4)から「光の粒子性と波動性」というタイトルで4回くらいにわたって連載されている霜田光一氏(ラム氏とほぼ同年代)の解説があります。波動性を見ようとすると粒子性が失われ、その逆もしかりなどが分かりやすく書かれております。入手しづらいかもしれませんが・・・

rikunorarikunora 2011/04/19 10:25 T_NAKAさん、言われてみれば検出器がどうなっているのか、あまり注意を払っていませんでした。
我々が「見ることのできる」結果は、光子そのものではなくて、あくまでも増幅された結果だということですね。
実は私が波動像で9割方説明できると思い至ったのには、T_NAKAさんのブログの影響が大きかったような気がします(^^).

バラッくまさん、はじめまして。光やレーザー関係のご専門の方とお見受けしました。
確かに「光子とは何か」では、あまりにも漠然としていて研究テーマにはならないでしょうね。
> でも掘り下げてみると、謎めいたことが出てくるんですよね。
専門の方でもこうした感想を抱かれるとは、基礎だけにかえって奥深いのだと感じました。
ご紹介の連載、図書館に行った際にでも探してみようと思います。

三毛公爵三毛公爵 2011/04/29 18:50 どうもお久しぶりです。就職して住所が変わりやっとネットが繋がりました。

私も大学時代フェムト秒パルスレーザーを扱っていて同様のことを疑問に思ったことがあります。

アンチ光子という考え方があったのは初めて知りました。
主眼が磁性体であったためスルーしましたが、磁性の分野でもマグノンなるものがあるので、波と粒子的なものを常にくっつけて考えようとするのはなんとなく分かります。相補性の議論とかも面白そうですね。

私達が触ったり見たりするのも結局のところは皮膚のセンサーでエネルギーの授受をしているのだから、波によってエネルギーの授受が行われている結果だとするならば波という考え方が包括的な気がしなイカ?というのが私の見方です。(粒子はなんかもっと人間の感覚に根ざしている様な)

〜(^ ^)〜 世の中全て波だらけーというシュレディンガー音頭が的を得ている気がします。

rikunorarikunora 2011/05/04 09:43 触ったり見たりできるものは、なんとかく具体的に存在感があって安心できる。
だから粒子にこだわりたくなるのでしょう。
でも、触ってみれるというのは「結局のところは皮膚のセンサーでエネルギーの授受をしている」のだから、
そこから先を考えると、どうしても人間の感覚ではとらえきれないものに成らざるを得ません。

私は「世の中全て波だらけー」で良いのでは思っています。
でも、きっとマグノン(?!)とか考えている人が想像している粒子も、
普通に想像するパチンコ玉のような粒子と全然違っているのだと思います。

就職おめでとうございます!

なる・Aなる・A 2011/05/06 07:14 考えてみれば脳波なんてものがありますし、自我も波なのかもしれませんね。

「世の中全て波だらけ」ならそろそろ波紋の練習をしておいた方がいいかもしれませんね。

rikunorarikunora 2011/05/13 11:25 あらゆる粒子が波だとすると、俺の繰り出す拳も波ということになるわけで・・・
・・・そうなると、波紋もカメハメ波もあるのか、出せるのか!

hirotahirota 2011/10/27 13:32 ちょっと昔に流行ったもので、テーブルの上に立てた紙を手を差し伸べただけで動かすというのがありました。
タネは手を動かして起きる風で紙を動かしたんですが、手で風を起こしてないように見せるための工夫にコツがありまして、たいていは自分の頬を叩いてから手を差し伸べていました。
これは頬を叩くことに気を取られて副作用に気付かないことと自分の顔からテーブルまで距離を稼ぐことで風を起こし易くすることが狙いです。(やってた人は自覚してなかったようだけど)
ここで起こる風は手の後ろにできる渦によるものですから、手を差し伸べた後で追い越して紙を動かすので、ますます手の動きと関係なく見えるという効果があります。
動く渦は波でもありますから、波を出して紙に当てられるのです。

rikunorarikunora 2011/10/28 10:24 こうして種明しされると、こっそりカメハメ波を出す練習してたのが無駄になってしまう!
どうせやるなら手品の練習にしましょうか(笑)

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