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小人さんの妄想 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2012-01-14

共命鳥と半神

共命鳥(ぐみょうちょう)と読みます。

あるいは、共命之鳥(ぐみょうしちょう)とも呼ばれています。

仏教説話に登場する架空の鳥のことで、1つの体に2つの頭という姿をしています。

仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう)というお経の中に、極楽浄土に住む鳥として書かれています。

また次に、シャーリプトラよ。かの国には、常に、種々のめずらしい雑色の鳥がいる。白鵠(白い鵝鳥)・孔雀・鸚鵡・舎利(鷺?)・妙音鳥(藪蝮に似ている鳥)・共命の鳥(雉子の類?)がそれである。

-- http://ja.wikisource.org/wiki/%E4%BB%8F%E8%AA%AC%E9%98%BF%E5%BC%A5%E9%99%80%E7%B5%8C

この共命鳥には、次のような法話があります。

極楽浄土に共命鳥(ぐみょうちょう)という名前の烏がいます。

どんな鳥かといえば、身体は一つで、頭が二つに分かれている烏で、まさに命を共有する鳥です。

この鳥は、一説によりますと、極楽浄土に生まれる前、すなわち前世では大変、仲が悪かったと言われています。

片方の烏が「右へ行きたい」と言えば、もう一方の烏は、「いや私は左へいきたい」と言い、片方の烏が「もっと遊びたい」と言えば、もう一方の鳥は「いや、もう遊ぶのは飽きた、休みたい」というように、事あるごとに意見が衝突していました。

身体が別々であれば、さして問題にならないのですが、身体が一つですから、当然そこで大喧嘩が起こります。

こうして毎日毎日、言い争いをしていたのですが、ある日、とうとうその喧嘩が昂じて、片方の鳥が相手の鳥の喉首を噛み切ってしまったのです。

噛まれた方はそれが致命傷になり命を落としてしまいました。

ところが身体が一つですから、噛んだ方もしばらくして、命を落としてしまう羽目になったのです。

その命を落とす寸前に、その鳥が仏教で言う悟りを開いたのです。

「これまで私はわがままを言いながらも、何とか元気でこられたのは、あなたがいてくれたればこそだったんだなー」

ということに気付いたのです。

「この私の命はあなたの命の上に出来上がっていたんだな−」ということに目覚めたのです。

これを、「自他一如の縁起の道理」と言います。

この道理は仏教の教えの中核をなすもので、「あらゆるものは相依り相関わっており、私の命は多くのご縁をいただいて、生かされている命である。だから自分と他人は切っても切り離せない一つ如しなのだ」というものです。

こうして、この世の真理を悟った鳥は、めでたく極楽浄土に生まれ出でることが出来たと言うのです。

ネット上で検索すると、少しずつアレンジが加わった共命鳥の法話がヒットします。

上の引用は最初のリンク先のものです。詳細は異なるものの、

「2匹のお互いにいがみ合う鳥の一方が他方を殺そうとしたところ、両方とも死んでしまった」

という話の大筋は共通です。

* 今月の法話 -- 共命鳥(ぐみょうちょう)

>> http://www.koumyouji.com/houwa/28.htm

* 昨日の法話・・・・共命鳥(ぐみょうちょう)の話

>> http://blog.goo.ne.jp/myougenji/e/7e682d511de537480db9d6686d968a6c

* 共命の鳥

>> http://crs.hongwanji.or.jp/kyogaku/mission/howa/rewa/rewa_22.htm

* 『凡愚庵』ぼんぐあん 永照寺副住職のブログ

>> http://bongu0420.exblog.jp/10275566

*「極楽の鳥たち」共命鳥(ぐみょうちょう)

>> http://www.oct.zaq.ne.jp/kousaiji/gumyousichou.htm

* りびんぐらいぶず -- 共命鳥(ぐみょうちょう)

>>http://syohgakuji.web.fc2.com/h179.pdf

さて、このお話にはいろいろな解釈の仕方があると思います。

1つは、互いに憎み合い、争い合うことの愚かしさ。

もう1つは、1人の人間の中に、相反する人格が同居している、ということです。

他人と自分、この2つの解釈は一見全く違うことを言っているように見えますが、

よく考えてみると、実は憎しみの向く先は、いつでも重なり合っているように思えるのです。

どういうことかというと、自分が誰か他人を憎んでいるときには、同時に自分自身をも憎んでいる、ということです。

これ、わかりますか。

「あいつだけはゆるせない。 」

「あいつのことを思い出すだけで腹が立つ。」

  ・・・

「単純なことでした。私は、私にそっくりな人に腹を立てているのでした。」

「私は、自分自身を憎む代りとして、相手を憎んでいたのでした。」

-- むしょうに腹が立つあいつのこと、より引用

>> http://www.hyuki.com/kokoro/#hara

誰にでも、憎らしい相手の一人や二人くらい居るのではないかと思います。

私にだっています。

そんな相手のことを思い起こして、ちょっと考えてみてください。

どことなく、自分に似たところがありませんか?

相手を憎む、ということは、同時に自分を憎むことでもある。

逆に言えば、自分と何ら共通点を持たない、無関係な対象には、愛情も憎悪も抱かない 〜 無関心になるはずでしょう。

憎悪も、愛情も、ちょうど共命鳥のように、1つの体から出た2つの頭であるように思えるのです。


ちなみに、上のリンク先の「むしょうに腹が立つあいつのこと」は、キリスト教の視点から書かれています。

共命鳥は仏教ですから、ここにある憎しみの構造は、仏教キリスト教といった枠組みによらない共通のことがらだと思います。


共命鳥の法話を聞いて、私はある1つの物語を思い起こしました。

萩尾望都作「半神」というマンガです。

f:id:rikunora:20120114224710p:image

確か、こんな感じだったと思う(似てなくてすまんね)。

くっついたままで生まれた双生児の姉妹のお話です。

ここに描かれているのは、正に共命鳥そのものだと感じました。

半神 (小学館文庫)

半神 (小学館文庫)

私はこれを超える短編マンガを、未だ知りません。

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