いとうせいこう/みうらじゅん『見仏記』読了。

見仏記 (角川文庫)

見仏記 (角川文庫)

 いとうせいこうみうらじゅんが日本各地の仏像を観て回る、ただそれだけの御本。ほとんど旅行記ですらない。旅の経過はすっ飛ばされ、ただ目的のブツ*1を観る二人の感想・行動・駄弁り具合のみが描かれる。
 正しく頭の悪い大人というものに我々は憧れ、僕の場合、その筆頭は伊集院光だったわけですが、彼らが幼くして既に達成している奇行の数々は本当に眩しく、時にちょっとした悔しさすら感じさせます。「真に才能ある人間は二十歳で頭角を現す」という言葉がありますが*2倣って言えば、「真に頭の悪い大人は幼少期に既に萌芽が見える」。みうらじゅんが小学生の頃に作成したという《仏像スクラップブック》が大変クール。なんだよあんたら。畜生、やっぱりモノが違うのか。
 文章をいとうせいこう、挿絵をみうらじゅんが担当しているのですが、この二人の仏像の見方の違い、ひいては物事一般の見方の違い、というのも一つの読み所になっています。目の前の事実を分析し、そこから普遍的な理屈を導き出そうとするいとうに対し、事実から想像(というか妄想)を広げ、隙あらば大法螺を吹こうとするみうら。
 最後になって、みうらじゅんいとうせいこうの思考法に言及するシーンがあるのですが、ここがなかなか面白いです。我々は基本いとうせいこうの思考をトレースして読んできたわけで、メタに突っ込まれるというか、上から撃たれた感覚というか。

*1:彼らは仏像を“ブツ”と呼ぶ。場合によっては“この人”とも呼ぶ。

*2:そりゃあ言葉はなんだってある。