俺と「ソロモンの偽証 後篇・裁判」

 結構、鑑賞してから期間が経ちましたが「前篇も感想書いたから、後篇も感想書かないとね」という事で、「ソロモンの偽証 後篇・裁判」の感想です。
結論から言うと、前篇ほどの素晴らしさは感じられませんでした。だけども、良かった部分もかなり色々あったので、ココが微妙だったポイントと、ココが良かったポイントを書いておこうと思います。


<微妙だったポイント>
・尾野真知子と余貴美子シーンがぶちゃけいらない。
 この映画自体、大人になった藤野涼子が当時を回想するという形で、導入とラストの〆があるんですが、ぶっちゃけこれが物凄く中学生時代のテンションと差があって微妙でした。特に、余貴美子がテレビショッピングに出てくる芸能人みたいなテンションで、「いやー、先生はすごい!」みたいに 囃し立てる感じが凄い違和感ありましたね。あれは無くても良かったんじゃないかな…。

・裁判がちょっとね…。
 裁判以外だとすごく自然な中学生だと思うのに(中学生だから当然だ!と言われるととそうだけどね)、裁判が始まると頑張って裁判してる中学生の演技をしている感じの違和感をちょっと覚えたりしましたね。いや、実際に中学生が背伸びして裁判したら、ああいう感じになるのかもしれませんが、 裁判の公判で弁護士役の神原君が自分の心情を吐露する場面とかの台詞なんかが、裁判前の自然な感じの彼らとの対比で、ちょっと違和感覚えたりしま したね。
 あと、肝心の事件の結末については、別に天狗の仕業でも良いと思ってた人なので、あれでもいいかなと思います。


<良かったポイント>
・でも、中学生たちはとても良かった。

 例えば判事役の井上君が、常に髪の毛の右側がはねてる(あれは彼の寝癖ですかね)感じとか、彼が裁判途中のとんでもない展開に「お前ら何考えてんだ!」って藤野さんと神原君に食って掛かるシーンとか、弁護士の助手役の野田君が、弁護士役の神原君の家でお母さんに麦わら帽子かぶせてもらうシーン(アレは今年一番麦わら帽子が似合ってる男)とか、裁判以外で見せる彼らの表情の一つ一つがとても印象的で良かったですね。
 いや、裁判中でも大出君がよっしゃー!と喜ぶシーンは、彼はキャラクターがぶれてなくて最高だなと思ったり、三宅樹里ちゃんが下衆の極みの発言をするあたりも、見ている私はとてもムカムカしてしまいましたが、一方でああいう人いるよなーとも思いました。

・松子の追悼コンサート
 個人的に前後篇を通じてこの作品で一番ジーンときたシーンは、松子の追悼コンサートですね。普段は、というかそれまでは、松子が死んだという事をみじんも感じさせない彼ら彼女たちが、実はしっかりと松子の事を心に刻み込んでいたあの感じ、そして吹奏楽部の演奏が高まっていくにつれて、彼 女の存在を思い出すかのように感情があふれ出す感じなど、身近な人の喪失を乗り越えた人(もしくは乗り越えようとしてる人)の持つ感情がひしひしと伝わってきた気がして、思わず涙してしまいました。

・大人の対比
 さて、前篇ではとても嫌な大人が次から次に登場して「こういう大人にはなりたくないな…」なんていい年したおっさんが思ったりしたもんですが、 後篇ではそういう大人の印象が殆どない代わりに、「いい大人ってこういう事をいうのかもしれんな」なんていう大人の描写が多かったように思います。
 特に、映画の終盤で体育教師役の松重豊が一言「判事ー」と閉廷を促すシーン。普段は多くは語らない大人だけど、中学生たちがどうしようもなくなった時にちょっとだけ手助けしてくれる、ああいう大人の感じが理想的(娘のすべてに干渉しようとする永作博美とは対照的)なのかもしれんな、なんて思いました。


 ところで、映画のパンフに「成島監督は演技経験のない中学生たちが映画のキャラクターになれるように様々な設定−例えば、校長先生は夏の草むしりが終わった後で内 緒で生徒にアイスを買ってくれてた−を話していた。」なんて話が載っていたのですが、これも全編映像で残してくんねーかなーなんて思ったりしたました。
 こういう、裁判とは関係ない部分、ごく普通の中学生を描いた部分が、この映画の中で個人的にグッと来た部分だったので、私は成島監督が作る中学生日記みたいな内容が、とても好きなんじゃないかなと思ったりしました。だから、映画の印象も裁判そのものよりも、それに付随する中学生たちの姿が印象的な、そんな作品でしたね。


彼の髪型は味があって良いな。