銅像めぐり旅―ニッポン薀蓄紀行/清水義範
『銅像めぐり旅―ニッポン薀蓄紀行』を読んだよ。銅像って何のために建てるのだろう。
清水センセーの本を久しぶりに読みたいと思い、図書館のウェブサイトを検索。で、アッシの琴線に触れたのがこの本。最近の清水センセーは文学系が多かったけど、旅ルポというか薀蓄でも地理歴史系は少なかったかなぁ〜と思ったから。
しかも、そのキーワードが銅像。そして、銅像を見ることで、その地域の地理と歴史を知ることができるということで、清水センセーは奥さんと銅像めぐりの旅に出るわけ。
旅のはじめは伊達政宗の銅像を見に仙台へ。そして、高知へ行き、坂本龍馬の銅像を見る。
そして、岐阜城では織田信長の木像を見る。岐阜城の天守閣に上がると濃尾平野全体が眺め渡せる。清洲も名古屋も一望の中にある。
この城を手に入れた時信長は、東海の覇者になった、という実感を持ったに違いない。濃尾平野を一望できる山の上の城なのだ。そして、そこから背後には山々が連なり、その山を西に越えれば琵琶湖に着くのだ。次なる目標は近江、そして最終目標は京都、とくっきりと進路が描けたであろう。だからと言って、信長は先を急がない。岐阜の都市造りをする。清洲でもそう、名古屋でもそう。次の安土でも。信長は都市造りの名人なんだよね。
横浜ではヘボン。そうローマ字の綴り方ヘボン式のヘボン。フェリス女学院大学や明治学院大学の創設に関わったということも初めて知ったよ。
ここでは横浜という街の成り立ちが面白い。ハリスとの日米通商修好条約で開港したのは横浜ではなく神奈川。当時の横浜はさびれた村だったとか。幕府はそのさびれた村を外国人居留地にしてしまおうと考えたけど、ハリスは反対。でも、横浜は神奈川の一部であると強引にその方針を押し進める。そこでヘボンの登場。新しい町づくりにヘボンは参加していたんだね。横浜という港は昔からあったのかと思ったら、全く違っていて面白いよね。
武田信玄はもちろん甲府。この武田信玄は江戸時代に入ってから大政治家にして軍神のように尊敬されていく。これは何故か?
武田家は、新羅三郎義光につながる源氏の名家。一方、豊臣秀吉は平氏であると自称していた。
だから、源氏の正当性のことを、ことさら重大に語るのだ。豊臣は平氏だからこの国を守る役には適さない。源氏こそそれを担当する家柄なのだと。これが幕府の見解だったのではないかと清水センセー。歴史ってそうやって作られていくんだね。
そこで、源氏の本流である武田家のことを持ちあげる。どうせもう滅びた家なんだから。持ちあげても面倒はひとつもないのだし。
その他、前田利家と金沢、太田道灌と東京も面白い。太田道灌を知ることは東京を知ること。前田利家を知ることは金沢を知ることになる。人が歴史を作ったからなんだろうね。
そう、来月の金沢出張も楽しみだなぁ〜。
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