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活字中毒者地獄のりす蔵 RSSフィード

2018-04-22

リベラルアーツの学び方 エッセンシャル版/瀬木比呂志

| 11:52

リベラルアーツの学び方 エッセンシャル版 (リベラルアーツカレッジ)』を読んだよ。教養でないのは確か。

本書のオリジナル版があるのは知っていて、気になってはいたんだけど、あの大きさにたじろぎ、あきらめモード。と思っていたら、そのエッセンシャル版が出た〜とことで早速に手に取る。

リベラルアーツ」とか「教養」とかが、キーワードとして気になるんだけど、そもそも論として、この2つの違いは何か?ってところから始まると思うんだけど、筆者曰く、

そのような意味で、考える方法や感じる方法の生きた蓄積であるリベラルアーツは、個々人みずから考え、発想し、自分の道を切り開いてゆくための基盤として、まず第一に必要とされるものではないかと思います。
と。そう、単なるインプットされただけの知識ではなく、考えていくための基盤となるものなんだよね。でも、自分的にはこれは認識済み。

そして、リベラルアーツを身に付けるための方法論。

自分の世界の方法とほかのさまざまな世界の方法との間に、また、人々の生き方の方法との間に、新たな橋をかけ、そこに共通するものを探るためには、視点の移動と並んで、先のような「方法の転用」が非常に重要なのです。
自分的にはこの考え方が好き。何の関係もないと思っていたことが、ある日突然に橋が架かって、新たな視点が開ける。それを次に応用していく。いいよね。

後半はリベラルアーツを学ぶための書物の紹介。

実はこれに期待していたんだけど、どうもレベルが高過ぎて、付いていけない感じ。

最後にこんな記述も。

この宇宙が「ある」というのは、考えてみればそれ自体一つの奇跡であり、ある意味では、僕たちは、奇跡の中に住んでいるのです。そして、あらゆる種類のリベラルアーツは、その奇跡の一端にふれようとする人間の企てだともいえます。僕たちがそれらから学びうるのは、単なる発想や方法にとどまらず、もっと深いものでもあるのです。
これは、まさにリベラルアーツ的な発想と発言だよね。自然科学から一般論に橋を掛けているよね。いいなぁ〜。

リベラルアーツの学び方 エッセンシャル版 (リベラルアーツカレッジ)
リベラルアーツの学び方 エッセンシャル版 (リベラルアーツカレッジ)瀬木 比呂志

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2018-04-21

魔法の世紀/落合陽一

| 22:26

魔法の世紀』を読んだよ。20世紀型人間には理解不能

近頃話題の落合陽一氏。どうして話題なのか分からないけど、本屋の平台に何冊も山積みになっていることが多いから。

ということで、自分的にはとりあえず読んでみるということ。当然、最初の著作を選んでみるということで本書。

では、その内容はというと…。

まずは20世紀は「映像の世紀」であった。それが21世紀は「魔法の世紀」なのだと言っているよ。いや、分からないと思う。冒頭で筆者は、

内部のテクノロジーが意識されないまま、それどころか究極的には、装置の存在そのものが意識されなくなったときに初めて、テクノロジーは社会や我々人間それ自体を変えるようになるはずです。
と。そう、これこそが「魔法」。技術が魔法になるくらいなレベルって、ちょっと想像の域を出るけれど、分かる人には分かるんだろうね。ちなみに、ここでいう技術とは基本的にはコンピュータの話。

で、筆者のもう一つの顔であるメディアアーティストの話になると、もっと訳が分からなくなる。

しかし、コンテンツよりもメディア自体がアートとしての価値を持つ。メディアと表現の境目がどんどん曖昧になっていく時代においては、先ほどの乳幼児の例で出てきた原初的な感覚、すなわち「原理のゲーム」の方が大きく台頭してくるのではないでしょうか。
うん、「映像の世紀」ではコンテンツがアートだったけど、「魔法の世紀」ではメディアアートになるってこと。自分的には「ふ〜ん…。」としか言えないんだけど…。

最後に「デジタルネイチャー」という概念。

なぜなら、人間はデジタルネイチャーの世界においては、せいぜい計算機で処理されるアクチュエータであり、認知的なロジックを持ったコンピュータにすぎないからです。
となる。多分だけど、人間中心主義ではなく、人間とコンピュータを対等なものとして位置づけ、より一般的な捉え方をしているのだと思うよ。でも、残りの人生、「魔法の世紀」に付いていけるかなぁ〜。

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2018-02-03

シンギュラリティは近い[エッセンス版]/レイ・カーツワイル

| 19:45

シンギュラリティは近い[エッセンス版] 人類が生命を超越するとき』を読んだよ。人類は加速度的。

『シンギュラリティ・ビジネス』を読んで以来、気になるキーワード「シンギュラリティは近い」。『シンギュラリティ・ビジネス』では、本書を取り上げて、何度も「カーツワイルによれば、」というセリフが登場するよ。ということで、その原典を読んでみたというわけ。

とは言え、本書は「エッセンス版」という位置付け。原書の邦訳は『ポスト・ヒューマン誕生』という分厚いもの。洋書って、記述がしつこいものが多いから、この「エッセンス版」で十分かも。

で、本書の内容はというと、タイトルではピンと来ない。原書の邦訳本も同じ。分かりやすいのは「人類が生命を超越するとき」という副題。原書の邦訳本は「コンピュータが人類の知性を超えるとき」というもの。そう、後者の方が分かりやすい副題だよね。もっと端折ってしまうと、シンギュラリティ時点で人間とコンピュータは融合してしまうだろうという話。

では、実際に筆者はどう言っているか。

シンギュラリティとは、われわれの生物としての思考と存在が、みずからの作りだしたテクノロジーと融合する臨界点であり、その世界は、依然として人間的ではあっても生物としての基礎を超越している。
ということ。いや、これは完全に人間のコンピュータ化。その区別がつかない世界に到達するということを言っているわけだから。

もう少し具体的にいうと、身体はハードウェア化され、その精神はソフトウェア化される。ナノボットというコンピュータが身体の中を流れ、(ハードウェアの)不具合を見つけ、調整する。脳の中身はスキャニングされ、ダウンロードも可能となる。もちろん、他の身体にアップロード可能というわけだ。

そして、最後はハードウェアも消滅する。筆者曰く、

最終的に、ソフトウェアをベースとする人間は、今日われわれが知っている人間の厳しい限界を大きく超えるものになる。彼らはウェブ上で生きていき、必要なときや、そうしたいと思ったときには体を映し出す。その形態は多様で、VRのさまざまな世界を舞台とするヴァーチャル体、ホログラフィで投影された体、フォグレットが作り出す体、ナノボットの大群やその他のナノテクノロジーの形態で組織された物理的な体などがある。
と。いや、そんな世界が2045年に来るのだろうか。そう、それは確実に来る。人類は加速度的に進化しているのだから。あ〜。

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2018-01-28

クラウド時代の思考術/ウィリアム・パウンドストーン

| 00:06

クラウド時代の思考術―Googleが教えてくれないただひとつのこと―』を読んだよ。タイトルに異議あり!

しかも、副題が「Googleが教えてくれないただひとつのこと」だから、なんとなく『〈インターネット〉の次に来るもの』を想像するのは必然。でも、本書の内容はちょっと違う。

テーマは「ダイニング=クルーガー効果」。それは、

知識や技術にもっとも欠けた者の特徴は、知識や技術の欠損をまったく理解できないことだ。
ということ。そう、Googleで検索すれば、知識は簡単に手に入る時代。だからこそ、知識を持つ必要はないのか?という疑問が起きる。だから、本書は、
事実を簡単に調べることのできる世界にいて、なお事実を知ることに価値があるのだろうか?この本はこうした単純な質問に答えを出す試みである。
ということに。

では、筆者は何をしたか。それは世論調査の手法を使い、知識と所得の相関関係を調査すること。本当にどうでもいいようなちょっとした知識を質問項目として上げてみる。そして、その人の所得との相関関係を分析するわけ。例えば、歴史の教科書によく出てくる人物の写真を提示し人名を答えさせるとか、ビックマックのカロリーはどのくらいか?とか。

この相関関係の話が延々と続く(400頁のうち300頁位上はその話)んだけど、知識は必要なのか?という冒頭の命題の結論はというと…。そう、やっぱり、知識は必要なんだと。その理由も長いんだけど、例えば、

広い知識の持ち主は、恐ろしくひどい決断をすることはまずなさそうだ。それは彼らが全体を見渡していて、自分が知らないことを、はっきり述べることができるからだ。
と。いや、これってイメージ的には理解していることだよね。まぁ、知識は必要なことには間違いない。なんでも検索できる時代でも、その文脈は知識がないと理解できないわけだからね。

それにしても、長かった…。

クラウド時代の思考術―Googleが教えてくれないただひとつのこと―
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2017-12-27

シンギュラリティ・ビジネス/齋藤和紀

| 01:10

シンギュラリティ・ビジネス AI時代に勝ち残る企業と人の条件 (幻冬舎新書)』を読んだよ。2045年がその日。

「シンギュラリティ」という単語はすでに聞いたことがあり、それを超えると一気に社会に一般化する閾値みたいな印象だったけど、テクノロジーの世界ではそれが2045年ということになっているみたい。その定義は、

カーツワイルは、「テクノロジーの進化のスピードが無限大になる」シンギュラリティが、2045年に到来する、と予言しました。
ということ。ここでポイントなるのが「無限大」ということ。これを理解するには、
それをより深く理解するには、テクノロジーの進化が「指数関数的」=「エクスポネンシャル」に加速していることがもたらすインパクトの大きさを理解する必要があります。
と筆者。ちょっと数学的になるけれども、指数関数をちょっと思い出すだけで、その「無限大」という概念がイメージできるんだよね。

さらに言うと、

そしてそのポイントは、それまでの進歩の継続性を断ち切るように、突然に起こります。そのポイントこそがカーツワイルのいう技術的特異点、シンギュラリティにほかなりません。
ということに。でも、具体的に何が起こるかは、まったく分からないんだけどね。ちょっと、ノストラダムス風…。

そして、実際にシンギュラリティに到達した後、人々の生活はどうなるのか?AIがすべての仕事をこなす世界では、人間としての尊厳は?とかいった哲学的な話になるよね。それに対して、

エクスポネンシャルな社会変化に人間の「心」が追いついていけなかった場合、それは「ユートピア」ではなく、AIに支配される「ディストピア」になってしまうかもしれないのです。
と筆者。やっぱり、そのための準備が必要なるんだろうね。若い人たちは心に留めておいてほしいなぁ…。そして、この変化が現実なんだということをきちんと理解してほしいと思う。いかん、引退モードが入ってしまったわ…。

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