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活字中毒者地獄のりす蔵 RSSフィード

2018-09-22

あやしい探検隊 北へ/椎名誠

| 09:58

あやしい探検隊 北へ 「椎名誠 旅する文学館」シリーズ』を読んだよ。北だけではなく、南にも行く。

椎名誠の「あやしい探検隊シリーズ」の第2弾。タイトルは「北へ」となっているけれども、なぜか突如として南に行くことになるのもいかにも怪しいし、シーナ的とも言えるかも。

では、あやしい探検隊はどこに行くか。前半は新潟県粟島。観光地化されていないから、誰にも邪魔されずに思う存分キャンプができる適地。それでも弱点があって、荒天で船が欠航することがあること。実際に帰れなくなったあやしい探検隊。

福島県の某海岸では、夜中に暴風雨にあい、びしょ濡れの悲惨なことにもなる。でも、それがそれで楽しかった思い出なんだよね。例えば、こんなセリフ。

沢野もすでに起きていて、歯をみがきながら「おいシーナ、雨だよ、雨はまいったなあ」と、そのわりにはずいぶん楽しそうな顔で言った。
…だよね。

キャンプの楽しさってなんだろ。必須アイテムは焚き火かな。シーナ的には、

焚火というのはヒトが手をつくすことによっていかようにも変化していく可変可動の自然造形物なのである。
と言っているよ。手をつくさなくても、眺めているだけでもいいものだよね。あぁ、もう何年も焚き火なんかしていないな…。

最後に本当にあやしい話。

あいにく今夜は月明かりはないが、ゆっくりつかってその温泉で酔いをさまそう、と言いつつ、じつは新しい焼酎を一本ぶらさげておれたち八人が三台の車に分乗した。もちろん運転手はどちらの車も相当酔っている。
これ、相当にあやしくてヤバくないか…。八丈島だから?あるいは時効成立?探検隊は無法地帯だぁ〜。

あやしい探検隊 北へ 「椎名誠 旅する文学館」シリーズ
あやしい探検隊 北へ 「椎名誠 旅する文学館」シリーズ椎名 誠

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2018-09-17

本よみの虫干し/関川夏央

| 17:00

本よみの虫干し―日本の近代文学再読 (岩波新書)』を読んだよ。やっぱりSNS

副題は「日本の近代文学再読」ということで、本書の内容はまさにこれ。作家の関川夏央氏が日本の近代文学(とは言え、海外文学もあるんだけど。)から選んだ本について考えたことを朝日新聞のコラムと雑誌「図書」に連載していたもの。朝日新聞に連載されていたらしきものは短くてサクッと読めて嬉しいよ。

では、筆者にとって、日本の近代文学はどのように映ったのか。まえがきでは、

文学には日本近現代そのときどきの最先端が表現されている。文学は個人的表現である。と同時に、時代精神の誠実な証言であり必死の記録である。つまり、史料である。そう考えたとき、作家たちは私の目にはじめて先達と映じた。
とズバリ。そう、文学は貴重な歴史証言者であり、その史料なんだよね。

では、これらの史料からどんなことが読み解けるのか?ひとつは、小説には類型があるということ。その例として『不如帰』。筆者は、

難病を結核から癌に、戦争と軍人と政商経済と会社員と会社に置き換えて、「開放された女の婚姻外恋愛」を足せば、これは現在のヒット恋愛小説となる。つまり、すべての要素の原型は『不如帰』に出揃っている。
と説明し、結論的には、
天の下に新しいものなど何ひとつなさそうである。
と言っているよ。そう、どの物語もフレームは同じなのかもしれないね。あるいは、人間の行動ってパターン化しているってことか?

さらに私小説について。

東西冷戦下の平和と正義が失われたいま、私小説が栄えないのは不思議だ。
と思っていたら、「ワイドショー」で他人の醜聞をのぞく趣味、インターネットに見られるだらだらした自己表白がそれだ、と気づいた。近代小説が、大衆化の果てに極限まで退化した姿が、そこにある。
と筆者。当時はブログ、今ならばツイッターとかフェイスブックなどのSNSに、私小説のフレームを見出したんだよね。う〜ん、そう考えると文学って何なんだろ…。

本よみの虫干し―日本の近代文学再読 (岩波新書)
本よみの虫干し―日本の近代文学再読 (岩波新書)関川 夏央

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2018-08-27

楽隊のうさぎ/中沢けい

| 16:07

楽隊のうさぎ (新潮文庫)』を読んだよ。今の自分にもうさぎが欲しい。

新潮文庫編集部が毎年出している「中学生に読んでほしい30冊」シリーズ。ということで、夏休みはこの中から1冊ということで本書。

主人公は、奥田克久という中学生。中学に入学してから吹奏楽部に入部し、打楽器パートを担当することになる。まずは同級生で同じパートの部員との関係。そして、同じパートの上級生との関係から、人間関係が築かれていく。その間にも小学校が同じだった同級生との関係、両親との関係の中で、いろいろな経験を積みながら、成長していく。

2年生になると、打楽器パートでも重要な役割を担うようになり、下級生、上級生、さらに卒業した先輩たち、先生との関係も絡んでくる。そして、気になる女子も。

少しだけ、克久の成長の過程を追ってみる。

1年生の最初は、ひたすら机を叩くだけの練習。単調ではあるけれども、音の粒が揃うと気持ちがいいことを知る。

音の粒が揃うと、身体の血の巡りが良くなる。克久は心臓が微笑するような感覚がそこにあるのを発見した。
と。

そして、本番での大会では、

そこにあるものは、目に見えるものではなかった。が、克久は全身で、そこに確かにある偉大なものに参与していた。入るとか加わるとか、そういう平たい言葉では言い表せない敬虔なものであった。感情というようなちっぽけなものではなくて、人間の知恵そのものの中に、自分が存在させられていた。それが参与ということだ。
という「参与」という感覚に気がつく。

最後は、

幸福がそこに立っているという輝かしさだ。
に辿り着く。中学生がこういう経験をすることが貴重だよね。でも、実体としての中学生はただただ夢中なのかもしれない。小説だから、この体験が後付けで概念化されるんだろうね。あぁ、疑似中学生になった感じ。

楽隊のうさぎ (新潮文庫)
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2018-08-26

「粗にして野だが卑ではない」石田禮助の生涯/城山三郎

| 17:28

「粗にして野だが卑ではない」石田禮助の生涯 (文春文庫)』を読んだよ。実業家という言葉がピッタリ。

三井物産の代表取締役社長を経て、国鉄総裁歴任した石田禮助氏の半生記。1886年明治19年)に伊豆松崎町に生まれ、一橋大学を卒業後、三井物産入社三井物産では主に海外の支店での勤務を長く努め、その後に取締役から代表取締役社長に就任する。この海外での経験は大きかったようだよね。石田氏の言葉には、英単語が多いのはこのため。マンキーとか、エンジョイとか、ルー大柴の走りか?って感じもするけど…。

国鉄総裁就任後、初めての国会での運輸委員会に出席したときのこと。いきなり、議員たちの向かって「諸君」と呼びかける。周りが慌てるのも無理はないこと。さらには、

「生来、粗にして野だが卑ではないつもり。ていねいな言葉を使おうと思っても、生まれつきでできない。無理に使うと、マンキーが裃を着たような、おかしなことになる。無礼なことがあれば、よろしくお許しねがいたい」
と挨拶。無礼と思われても致し方ない感じだけど、これが石田氏の素直な表現。そして、本書のタイトルにある「粗にして野だが卑ではない」が登場する。そう、嘘はつきませんと言っているんだよね。

委員会での別の発言について、筆者の解説は、

「諸君にも責任がある」との国会での発言は、同志として本当のことを言ったまで。一緒になって改めるべきは改めようと、訴えたつもりであった。
ということ。うん、ストレートな表現。忖度なんて存在しないよね。

国鉄総裁を引き受けた理由として、海外での経験もあったような。

政府にたのまれたり、社会事業に手を貸したり。公職として給与が出ても、形式的に一ドル受けとるだけ。「ワンダラー・マン」と呼ばれるそういう男たちが居ることが、石田には強い印象になって残った。
そう、石田氏としては国鉄総裁の仕事は「パブリック・サービス」として捉えていたんだろうね。

石田氏のような筋道の鮮やかな生き方、いいよね。

「粗にして野だが卑ではない」石田禮助の生涯 (文春文庫)
「粗にして野だが卑ではない」石田禮助の生涯 (文春文庫)城山 三郎

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2018-07-21

失速・事故の視覚/柳田邦男

| 19:56

失速・事故の視角 (文春文庫 240-1)』を読んだよ。政治的殺人か…。

柳田邦男氏の航空機事故追跡ルポシリーズ(あっ、自分が勝手に呼んでいるだけ)の1冊。昭和51年の『失速』と昭和53年の『事故の視覚』という単行本から航空機問題に絞って、再編集したもの。ということで、事故の事例は古いものだけど、システムという観点で見ると、十分に現代に通じるものなのは確か。

単行版のあとがきが本書で紹介されているので、ここではまとめてそれを抜粋。

まずは、『失速』について。

ロッキード事件は、日本の戦後史を画する一大事件であり、さまざまな角度から書かれなければならないが、本書の第?部は、この事件を、アメリカの航空産業全体の眺望の中でとらえ、その歯車の中にわれわれがどのように噛みこまれているのかを、俯瞰しようとしたものである。
と筆者。そう、航空産業はシステムが巨大であるが故に、それによる得られる利益も大きいということで、あのロッキード事件のようなものが起こり得る。事故そのものよりも、そういう背景をもその要因となり得るってわけだよね。

もう一つの『事故の視覚』については、

なぜここで事故調査という言葉の定義をあらためて持ち出したかというと、本書をすでに読んだ方は理解していただけると思うが、事故というものを過失責任論優先の発想でとらえがちな日本の精神的風土を逆転させて、事故調査を安全技術論としてとらえる視点(フィロソフィー)を定着させる道を探ってみようかというのが、本書のねらいだからである。
と言っているよ。『マッハの恐怖』の全日空羽田沖事故も同じような事例だよね。事故調査委員会の結論はパイロットのミスだったわけだからね。

そして、大切になってくるのがシステム的思考。

システム的思考のないところには、合理的な事故調査は成立し得ない。
と筆者。日本人はどうしても精神論というか、周囲のことも考え過ぎて、事実の把握が曖昧になるよね。事実と責任は別物という考え方をしないとダメだよなぁ〜。

失速・事故の視角 (文春文庫 240-1)
失速・事故の視角 (文春文庫 240-1)柳田 邦男

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