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活字中毒者地獄のりす蔵 RSSフィード

2018-06-07

ロングテール/クリス・アンダーソン

| 13:22

ロングテール(アップデート版)―「売れない商品」を宝の山に変える新戦略 (ハヤカワ新書juice)』を読んだよ。ロングテールの次は何だろう。

ロングテール」という言葉は知っていたけれども、体系的に詳しく知りたいと思い本書。実は以前から読みたい本リストに入っていたんだけど、新書版でも450頁の大書なので、ちょっとタイミングを見ていたって感じ。

では、本書のテーマから。

文化を席巻する大きな箱への需要はまだあるけれども、唯一の市場ではなくなった。ヒット市場はいまやあらゆる大きさの無数のニッチ市場と競い合い、消費者はもっとも選択肢の多い所に引きつけられている。「全員にフリーサイズ」時代は終わりを告げ、新しい傾向が見えてきた。マルチ市場だ。
と冒頭に宣言。そう、ロングテールの概念はここに集約されているんだけど、キーワード的には、ヒットとニッチ選択肢、全員にフリーサイズ辺りかな。

で、最初のキーワードである「ヒットとニッチ」の関係はというと、

ロングテールの本当の凄さはその規模にある。繰り返すが、ヒットしない商品を集めればヒット作に匹敵する市場が作られる。
ということ。だから、本書の“「売れない商品」を宝の山に変える新戦略”という副題はちょっとヘン。「売れない商品」というのは有り得ないって筆者は言っているんだからね。少数でも買ってくれる消費者がいるので、そこにいかに届けるかという戦略なんだよね。

そして、ロングテールの三つの追い風。それは、「生産手段の民主化」、「流通手段の民主化」、「需要と供給の一致」。これをしっかりと抑えておけば、ロングテールとは何かが一望できる。そして、どんな商品にでもロングテールの波が押し寄せてくる可能性があるのがわかると思う。商品…いや、もっと広げて、サービスと言ったほうがいいかな。

本書の初版は12年も前。だから、現代にロングテールが着実に定着しているのが分かるよね。そう、だからこそ、ロングテールの次は何が来るんだろ…と興味津々だよね。

ロングテール(アップデート版)―「売れない商品」を宝の山に変える新戦略 (ハヤカワ新書juice)
ロングテール(アップデート版)―「売れない商品」を宝の山に変える新戦略 (ハヤカワ新書juice)クリス アンダーソン Chris Anderson

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2018-05-26

不思議の国のアリス/ルイス・キャロル

| 10:38

不思議の国のアリス (角川文庫)』を読んだよ。アリス自身が不思議ちゃん

アマゾン選定「一生のうちに読むべき100冊」のうちの1冊。機会があれば、このリストの中から適当なものを拾い出して、読んでいるんだけど、今回は以前にKindle本を入手したので、読んでみる。

冒頭から不思議の世界に連れ込まれる。アリスの身体が大きくなったり小さくなったり。ついにはコントロールまで出来るようになる。いや、そのお陰で不思議の世界を体験できるんだけどね。

そして、文章そのものに特徴が。あちこちの解説を見ると、「言葉遊び」ということになっているけれども、オヤジギャグか?と思われるもの多数。例えば、

とうとうドードー鳥は、「これはドードーめぐりじゃからな、 みんな勝ったのじゃ、だからみんな賞品をもらわねばならん」と言いました。
とか、「洗濯」という授業があることを主張するために、
「いいかい、ぼくらの学校じゃあ、 授業料の明細書の最後に、『フランス語、音楽、センタク授業 ──特別料金』とあったんだ。」
と言ってみたり。そりゃ、「選択」だわ…。

不思議なのはこの「言葉遊び」をどうやって翻訳したのかということ。訳者あとがきでは、

不思議の国のアリス』には言葉遊びがあふれています。この翻訳では洒落のみならず、詩のライム(脚韻)に至るまで、その楽しさがわかるように訳出を試みました。それがこの翻訳の画期的なところだと自負しています。
と言っているけれども、前述の「選択」と「洗濯」のシャレなんて、原本ではどう表現されていたのか、まったく想像できないよね。

同じく訳者あとがきで、

一見低レベルな言葉遊び哲学的・論理的思考と結びつき、ばかばかしいのに高尚であり、笑えるのに深遠であるといった特徴が、シェイクスピアと同様、キャロルにもあるのです。
とも。分かる人には分かるということなのか…。シェイクスピアも同様って、そんなものなのかなぁ〜。

不思議の国のアリス (角川文庫)
不思議の国のアリス (角川文庫)ルイス・キャロル 河合 祥一郎

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2017-09-24

大人のための国語ゼミ/野矢茂樹

| 06:43

大人のための国語ゼミ』を読んだよ。いつまでも国語の勉強。

筆者の野矢先生は哲学者。でも、論理学の本を書いたりもしているので、ちょっと数学者っぽい面もあったりで、新刊が出る度にその著作が気になる自分。で、今回のテーマは「国語」。哲学、論理学と来て、どうして国語?って思うけど、論理を表現する手段の一つがまさに国語であるわけで、当然ながら、言語を組み立てるとは論理を構築するのと同等の作業ってこと…ではないかと。

おっと、小難しい話になってしまった。いや、もっと端的に言うと、人に物事を分かるように伝えるってどういうことなのかということを分かるということ、そして、それが実践できるようになることが、本書の主旨なんだよね。

では、国語をどう駆使していくか。本書で紹介されている考え方を少し紹介。まずは、

事実は多面的である。それゆえ、多くの場合、単純に事実と考えを区別しようとしてもうまくいかない。だいじなことは、自分の意見や見方が相手と共有されているのかどうかを意識すること。そして、共有されていない可能性があるときには、それが自分の意見や見方であることがはっきり分かる語り方をすること。
ということ。これは前提条件と言っていいかもしれないね。これがあってこその、相互理解だからね。

もう一つは、接続表現の重要性。文章は短い方がいいという視点を受けて、

相手のことを考え、迷いそうなところには的確な接続表現を使う。それによって、文章の流れが見えてくる。流れが見えてこない文章は、たとえ一つひとつの文の意味が分かったとしても、「達意」というにはほど遠いものでしかない。
ということ。これも、間違った接続表現を使うと意味が全く違うものになってしまうので、注意が必要だよね。

最後は、質問力。

私たちは、生徒として、学校で質問する技術を教えられてこなかった。これは従来の学校教育の欠陥である。私たちは新たに、質問の練習を始めなければならない。
と力強く筆者。そう、自分自身、質問力がないよなぁ〜って思うこと、度々だし。これって、国語力がないってことだったんだ。

久しぶりに国語のテストに取り組んだという感じ。それでもなんだか楽しかったのは、野矢先生の国語力のお陰なのかなぁ?

大人のための国語ゼミ
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2017-09-07

神々の午睡/清水義範

| 15:45

神々の午睡 (講談社文庫)』を読んだよ。人類最大の発明か。

タイトルから類推するに、いろいろな神様が登場してちょっとした事件から大事件まで起こして、さてどうなるやら…という感じかなと読み始めたけど、筆者が清水センセーだったことをすっかり忘れていたのは自分の不覚。そう、今回もパロディー的小説。

そして、その対象となったのが、世界三大宗教のキリスト教、仏教、イスラム教。宗教の名前こそ違っているけれども、読み進むほどにどの宗教をパロっているのかが分かってくる。分かるとまたさらに小説の面白さが増幅するっていう仕掛け。

冒頭は、その宗教の起源から。三人の開祖の物語。イエス・キリスト、ゴータマ・シッダルーダ、ムハンマドのパロディーが登場するよ。もう、この段階で面白過ぎるのに、続きの物語がさらに楽しい。後継者とか、教えの解釈の問題とか。例えば、

亡くなった偉人の遺した言葉というのは、後世の研究の対象であり、論争の種になっていく。ひとつの言葉の解釈をめぐって、それを理解するための諸説が入り乱れたりするのである。ひょっとしたらもともとの言葉には大した意味はなく、言った本人も、なんだか今日はとりとめのない話になってしまったな、と反省していたのかもしれないのに。
ということ。そうそう、絶対にそういうことってあるんだと思う。もっと悪いことに、後で「あっ、あれは失敗だったな。」って思っていたことも、遺されていたりするんだろうな。

さらに、解釈を発展させて、別の概念を作り上げる事例も。

アルカマ・ミザーロは神を説いたが、悪魔などは説きはしなかった。ところが教会はいつの間にか、悪魔の存在を口にするようになり、二神教に近いことを言うようになっていたのである。
これはもう、自己矛盾を起こしているよね。

そして、近現代。宗教対立を背景に戦争も起こる。

「もしそうだとすれば、神様はどうしてそんな、神の教えに従わない存在をお造りになったのでしょう。それはただ、亡ぼされるために創造されたのでしょうか」
と登場人物の一人が語る。これも自己矛盾が内包しているわけ。

やっぱり、神様ってそんなつもりで世の中を作ったわけじゃないんだろうに…という思いは消えないなぁ〜。

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2016-01-31

森の暮らし、森からの旅/加藤則芳

| 06:02

森の暮らし、森からの旅―八ヶ岳山麓だより』を読んだよ。あこがれの森の生活。

筆者の加藤則芳氏の著作は『ぼくのペンションは森のなか』から始まって、幾つも読んできたよ。そして、今回は八ヶ岳ものの一冊。月刊雑誌『月刊リゾート物件情報』に連載されていたものをまとめたもの。タイトル的には別荘地の広告雑誌っぽいけど…。

『ぼくのペンションは森のなか』は八ヶ岳の中でも南東山麓の大泉高原。行政区は山梨県北杜市。以前の大泉村。そして、今回の舞台は南西山麓の富士見高原。行政区は長野県富士見町。ペンション村がある原村の南隣という感じ。

で、内容はエッセイ集。四季ごとの八ヶ岳の森の様子を中心に綴ったもの。その一つ一つが何とも加藤氏の人間味が溢れ、まるで加藤氏のコテージに居て、氏の話の聞いているかのように感じる。何とも不思議な感覚。

まずは、春。

緑という色が驚くほどたくさんあるものだと、感嘆するのもこの季節です。
あ〜、この感覚って普通の生活では全くないような…。自分レベルだと、新緑の季節かそれ以外しか見分けがつかないかも。多少は自然に理解がある自分だと思っていたけど、情けない。

夏は省略して、秋。

釣りや山菜採り、きのこ狩りなどとともに、季節の光や風の匂いや色を、そして季節の移ろい自体を楽しむことを、ぼくは“季節遊び”と名づけています。そして、ぼくの季節遊びを楽しむ最適な季節が春であり秋なのです。
いいなぁ、季節遊び。都会でもできないことはないけれども、やっぱり楽しさが違うだろうなぁ〜。

そして、最も印象的な冬。

ところが、ぼくの冬の北八ヶ岳歩きは、クロスカントリー・スキーなのですが、あえていうと、そぞろ歩き、にどうも近いようなのです。漫歩というよりむしろ「逍遥」に近いものです。
クロカンっていうと、ひたすら漕ぐっていう感じがしなくもないけど、それが加藤氏にかかると「逍遥」になる。花も咲いていないのに、気ままな散歩。冬だからこそ、楽しめるのかもしれないね。

本当の森の生活は無理そうだから、ソローの『森の生活』をそろそろ読んでみようかななんていう気分になりました〜。

森の暮らし、森からの旅―八ヶ岳山麓だより
森の暮らし、森からの旅―八ヶ岳山麓だより加藤 則芳

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