7 MEN 侍 に救われた話

前回の記事に書いたように、わたしは抑鬱病になりました。

メンタルクリニックにかかって即休職してくださいと言い渡されてから、2ヶ月は過眠症、次の1ヶ月は不眠症に陥っていました。それらがやっと治ってきても、気力は戻らずぼーっとしてなにも出来ず、朔ちゃん朔ちゃんと泣くばかりの日々。

 

そんなわたしを救ってくれたのは、ジャニーズJr.の 7 MEN 侍(せぶんめんさむらい)でした。

2020年7月21日深夜。ヒマだからと録画しておいた少クラを早送りしていると、赤髪で物凄く顔が整った男の子が画面に映っていました。慌てて巻き戻すと、その子は10年前から知っている「中村嶺亜」くんでした。その瞬間、わたしは人生で初めて人に対して一目惚れをしました。そして7MEN侍の『SAMURAI』のパフォーマンスを見終えた頃にはすっかり虜になり、7MEN侍のファンになっていました。こんな高揚感を覚えたのは、いつぶりか分からないくらいに、胸の高鳴りがおさまりませんでした。一目惚れの感覚は世界を変えるようでした。

それから半月が経ち、7MEN侍のサマーパラダイス略してサムパラの日がやってきました。このご時世なのでライブ配信でしたが、そんなことを感じさせないくらいの熱量とパフォーマンスをぶつけてきてくれて、今までのライブの中で世界一幸せなライブでした。世界がきらきらと輝いて見えました。

幸せや楽しいってこういうことなんだ、って心の底から思えたのは、朔ちゃんと暮らしていたときぶりでした。それはわたしにとってすごく大きな進歩で、7MEN侍に出逢えなければ幸せや楽しさを思い出せないままの人生だったと思います。

 

今わたしは幸せです。そう胸を張って言えます。

朔ちゃんはいなくなってしまったけれど、心の中にちゃんといるし、お骨もあってずっとずっと永遠に朔ちゃんを愛しています。

それと同時に、7MEN侍を応援することが今のわたしの軸にもなっています。幸せや楽しさと愛おしさを教えてくれた朔ちゃん、それらを思い出させてくれた7MEN侍には感謝ばかりです。これからはそれらのことを、お手紙や声援を通して7MEN侍のみんなに伝えていけたらと思っています。

わたしを救ってくれてありがとう。彩りと幸せくれてほんとうにありがとう。

 

 

宇宙一の仲良しで大切な宝物

朔ちゃんとわたしは、7ヶ月半前までいっしょに暮らしていました。

朔ちゃんは、キンクマハムスターの女の子です。明るくてやんちゃで元気でちょっぴりびびりさんで、とってもとっても優しくて、とってもとっても頑張り屋さんの子でした。

 

わたしにとって朔ちゃんは人生で2匹目のハムスターでした。以前飼っていた「れんくん」というゴールデンハムスターの子は、先天性脳疾患が原因で2週間足らずで亡くなってしまいました。その間一生懸命看病したり、分からないながらも必死に調べたり病院に通ったけれど、れんくんは旅立ってしまいました。

その後、ペットショップで朔ちゃんと出逢いました。他の姉妹の寝ているハムちゃんに上ったり、ぴょんぴょん跳ねたり、手を差し出すとすぐにわたしの腕に登ってきてくれて、このかわいい子にわたしは一目惚れをしました。

最初は手探りながらも徐々に距離を詰めていって、いつの間にか朔ちゃんとわたしは大の仲良しになっていました。人生でこんなに仲良しな子はいない、こんなにも愛おしく大切な存在はいないと思うまでに、宝物の存在になっていました。とても幸せな日々でした。

 

しかし、そんな日々は朔ちゃんをお迎えして1年1ヶ月経った頃に、他人によって破壊されました。

定期通院で朔ちゃんの検診をしたときに、動物病院で朔ちゃんの右足を折られたのです。気付いたのは夜22時頃でした。朔ちゃんがいつもの時間に起きてこず、心配になって見たら、骨が反対方向に折れていました。

通常、ハムちゃんは高いところから落ちたり横方向に力を加えられないと骨が折れることはありません。つまり、自分では骨折なんて起こすはずないんです。しかも朔ちゃんは動物病院から帰った後ずっと巣箱にいました。何もどう考えても、医師か看護師に骨折させられたのです。

しかし、病院側は否を一切認めませんでした。怒りに震えました。

けれどハムスターをきちんと看られる(骨を折ったくせに)病院はそこだけで、ここにまた通うしかありませんでした。経過を見たけれど朔ちゃんのあんよがくっつく様子はなく、開放骨折になってしまったため、手術を余儀なくされました。

手術には大きなリスクが伴います。あんなにもちいさな身体に麻酔を打ってあんよを切断しなければならないのだから当然のことです。

悩みました。すごくすごくすごく悩みました。わたしの朔ちゃんの生死がかかっているから。結果的に手術しなければ菌が入ってしまうとのことで、手術をし、無事に終えることが出来ました。しかし、朔ちゃんの容態は芳しくありませんでした。開放骨折中に傷を舐めたことで菌が入ってしまい、重篤化してしまいました。

朔ちゃんは生死の境を彷徨い、2週間入院しました。毎日お見舞いに行って「朔ちゃん、ママだよ。今日もがんばったんだね」と声を掛け続けました。

そしてなんとか退院したものの、元気になる→菌が入る→炎症が起こる→病院で処置をする→(入退院)→少し元気になる、を繰り返しました。症状は日に日に悪化し、セカンドオピニオンもしましたが、今度は足の付け根から断脚手術をせざるを得なくなりました。

人生でこれ程悩んだことはないほどに悩みました。

朔ちゃんの容態は悪く、今にも旅立ってしまいそうな状態で麻酔に耐えられるのか、手術以外の方法はないのか、なんとか探しましたが、結局手術以外の方法は見つかりませんでした。

2度目の断脚手術をし、結果的に成功して朔ちゃんは懸命に生きてくれました。ですが、数日経たないうちにおしっこの色が異常だと気づき病院へ連絡すると、遺伝性の糖尿病だと発覚しました。泣きました。絶望しました。ハムちゃんの糖尿病は後天性じゃない限り治らないと本で勉強していたからです。

余命はもって2週間と告げられ、その間もわたしと朔ちゃんは必死で頑張りました。朔ちゃんはごはんを食べて力をつけるように、わたしは朔ちゃんにごはんを食べて貰って少しでもいっしょにいられるように。

骨折させられてから4ヶ月間、ふたりでほんとうに必死にがんばって、いっしょにいられるように尽くしました。朔ちゃんは生きようと懸命だったし、遊びたいよ!かいぬしが大好きだよ!と伝えてくれたし、わたしは毎日朔ちゃん愛しているよと言って看病しました。

でも、朔ちゃんは余命を告げられて数日間すごくすごく一生懸命に頑張って、最後の日は1日中わたしの手の中で過ごしてから虹の橋へと旅立って行きました。

 

朔ちゃんがいってしまうなら、私も連れて行って欲しいと切に願いました。

しにたい。朔ちゃんといっしょにしにたい。虹の橋へ行きたい。朔ちゃんといっしょじゃなきゃ生きている意味なんてない。とくかくしんで朔ちゃんの元へ行きたかったです。

でもわたしにはやけに現実的なところがあって、死んだところで朔ちゃんと再会できるのか科学的根拠はないのだから、この意味の無い世界で生きていくしかないんだと悟ってしまったのです。だからしねなかった。

思い当たる方もいるかもしれませんが、この状態はどう考えてもうつ病です。でも自分では分からなかったのです。他人に言われても朔ちゃんといたかったから頑なに病院には行きませんでしたが、それは正解だったと今でも確信しています。だって、鬱病になってでも朔ちゃんといたかったから。自分なんてどうでもよかった、朔ちゃんが生きてくれればそれでよかったから。

その後、4ヶ月間ごはんを食べられず体重減少が止まらないとのことで、持病のかかりつけ医に紹介するからメンタルクリニックに行った方がいいかも、と言われて素直に病院へ行きました。抑鬱病になっていました。

 

メンタルクリニックへ行っても抑うつ病はすぐに治るわけではありません。3ヶ月は毎日朔ちゃんを想って泣いてばかりで何も出来ず、過眠症と不眠症に陥りました。ぼーっとする日々から少しずつ抜け出せたのは、診断されてから3ヶ月半は経った頃でした。虹プロジェクトが好きになって日々に楽しみを見いだせるようになったからです。でも、やっぱりごはんは食べられないし、生きる気力もあまり沸かない、そんな中で、わたしは7MEN侍と出逢ったのでした。これは次の記事で詳しく話しますね。

 

わたしの唯一無二の宝物の朔ちゃん。

朔ちゃんと過ごした1年4ヶ月と10日は、わたしにとって世界一幸せな記憶です。

今でも「おはよう」「おやすみ」「大好きだよ」と、写真と骨壺に声を掛けてお話ししています。朔ちゃんはお骨になってしまったけれど、きっと今頃虹の橋であんよを取り戻して元気な身体でたくさんごはんをたべて、たくさん探検をして遊んでいて、呼んだらわたしの元へ駆けつけてくれていると、そう信じています。

朔ちゃんのことが大好きです。

ずっとずっと、わたしは永遠に朔ちゃんを愛しています。

 

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朔ちゃん

 

好きなものをすきでなくなること

トラジャクリエに2公演参加してきました。結論から言うと、楽しくなかった。

4・5月は現場の予定がつまっていてクリエの楽しみ度はその中でも低かった。いちばん楽しみだったのは娘。長野コン。そうは言っても楽しみで、そのために1ヶ月も前から仕事を前倒しして公演日に休めるように調整してがんばっていた。でも、公演4日前から体調を崩して3日前に入院してしまった。焦ったし悔しかった。行けないのではないかとその数日で何度も思ったけれど、友人と話す中でやっぱり諦めきれなくて、退院した直後に身体を引きずりながら観に行った。


その結果、楽しくなかった。

アンコールをしたくなかった、早く終われとひたすらに願っていた。
かなり体調が悪かったからそのせいもあるだろうとは思ったけど、次の日少し良くなった状態で見てもまだぜんぜん楽しくなかった。楽しかった探しをするのが難しいほどに。愕然とした。だいすきな、だいすきなはずののえるくんがいるのに、楽しくない。のえるくんを見ても何も思わない。かわいいも格好いいも何も思わなくて、心を動かされることなくわたしのトラジャクリエが幕を閉じた。
いま、どうしたらいいかわからない。のえるくんが好きなのかわからない、ファンなのか分からない。
今回の髪型と色がかなり好きでは無かったのでそのせいもあるかもしれないけど、髪型が似合ってなくて好きじゃないなんて今まで何度もあった。だからそれくらいで見る気になれないなんてあるはずないのに、そんなはずないのに、見たくなくてしめばかり見ていた。

しめは良い。しめはかわいい。皮肉なことにのえるくんからこの6年間で初めて目を逸らしたことで、しめの控えめな表情の豊かさを知ってより一層しめを好きになった。でもそれは担当としてではなくて、今までずっと持っていた遠くから見守るしめへの愛情みたいなものだった。

わたしは個人主義だからこのユニットを好きになったことは1度もなくて、トラジャクリエとしては楽しみにはしていなかった。あくまでものえるくんとしめを観に行っただけ。だからこそ余計に好きな子を見て心動かされない衝撃が大きくて、もう、何と言えば、どう書けばこの心の空白みたいなものを表せるのかわからない。ユニット全体としてMCがあまりにもつまらなかったり全員歌が下手だったりと不満はたくさんあるけれど、個人主義としてはそんなの関係ないんだと思う。関係なしに、たのしくなかった。これはとても大きい事実で。


長い年月の間、時間とお金と熱量を費やしてだいすきでたまらなかった子を好きでなくなることは到底受け入れがたい。何も言えなくなるくらいつらい。
わたしは過去に縋っているのだろうか。今ののえるくんのことは好きじゃないのだろうか。今回は体調の悪さも相まってたまたま波が引いていただけだと思いたい。
「好き」が「好きじゃなくなる」ことはとてもつらくて悲しい。

ABC座に行ってきました

お久しぶりです、りくです。
Twitterに入り浸りツイ廃と化していたらあっという間に2年半経っていました。時が経つのは早いもので、いちばん初めにブログを始めた当時は中学1年生だったというのに今では社会人になりました。驚きです。自分がいちばん驚いています。更新していない間に病気が悪化悪化で芋づる式に合併症になっていったり倒れたり、それは働き始めてから急速にひどくなったので、仕事するってたいへんなんだなあやだなあ働かないで金もらって悠々自適に暮らしたいなーー!!!!と思う日々です!!でもここ一週間はやっと合う薬が見つかったのか、少し痛みが和らいでおります。生きていくって大変だ。


そんなこんなで塞ぎ込む日々が続いていたのですが、のえるくんが1年ぶりに舞台に出演とのことでいそいそとえび座を観劇してきました。

のえるくん、キラキラしてた。

アイドルって凄いんだな、のえるくんって凄いんだなとひたすらに感じました。現場に行かないとTVも雑誌も疎くなってしまうタイプなので昨年のえび座以来ほとんどのえるくんの姿を見られていなくて、そうなると毎日見てた頃よりどうしても好きという気持ちは少し薄れるものだとは思うのですが、1年ぶりに見ても何にも変わらずにずっと好きなんだなと実感しました。
よくわからなかったんだけど、多分ほんとにつらかったんですよね、会社で働く日々が。だからストレスとか薬や病気の不安や恐怖とかで8月に倒れたんだと思うんだけど、それすらお父さんに言われて気付いたくらい、気付けなかったくらいつらかった。最近は前述した通り少しは回復したものの、公演日に東京着いた瞬間歩けない程足痛くなったりして。でも、のえるくんが全身全霊をかけて歌い踊る姿を見たらつらい気持ちとか、言いようのない不安とか、そういうの全部救われた気がした。舞台上で応援している姿を見て*1、自分が応援されてる気持ちになって、胸がぐっと熱くなった。
今年の夏に美男高校地球防衛部LOVE!LOVE!というわたしが好きなアニメが放送されていたのですが、その中に「アイドルはそこにいてくれるだけで、自分の力になる人」という台詞があって、まさにわたしにとってのアイドル像であり、のえるくんそのものを表している言葉でした。舞台に立つ姿を見るだけで救われた、心が解放されるようだった、そして何より楽しかった。やっぱりアイドルって凄い、のえるくんって凄い。そんなことを心底感じた舞台でした。

*1:今回の題材は「応援屋」で人を応援する姿を描く物語です

下の記事で

ゆまきゅんトラジャ公演に行けなくても落ち込んでないよ、昨年ソロ見られたから落ち込んでないよ大丈夫だよ、との旨を書き表しておいたものの、心の中ではやっぱり行きたい…のえるくんのコンサート見たい…という未練が断ちきれずにいたようで……
なんとかこうとか見に行けることになりました。笑
ね、落ち込んでないのは事実だったけど心の奥底では未練たらたらだったのかな…。笑 人混みが本当に嫌いなので見たら即とんぼ返りしてくる予定です。と、とりあえず良かったの…かな!?ナルチカも行けるので勉強がんばります。


ところでチケット届いてないけど大丈夫なのかなwわたしあゆみんに会えるのかなw友達に「娘。コン行くんだ〜〜6年ぶりくらいに来るんだよ〜〜〜(デュフフ)」と話したら「りくこんなに気持ち悪かったっけ??」とゴミを見るかのような目で言われたくらい楽しみにしています。笑 Mステの新曲披露も素晴らしかったですね!格好いい。鞘師のソロパートは本人もブログに書いていたように、力みすぎた感はありましたがその直後の自信満々な表情がめちゃくちゃ格好良くて、こういうところが鞘師の鞘師たる所以だな!と。普段はごはんもおやつもぽろぽろ零したりマイペースで愛らしくて「りほりほ」って呼びたくなるけど、パフォーマンスしてるときは「鞘師!!!」だよね。笑 格好いいなー。

そして、S/K/Eのまつりなが卒業されたということで…おめでとうございます。ビジュアルがとにかくとても好きでたまらなくて、たまに歌番組に出ていると目の保養にしていました。理想的な可愛さの子でした。

聞いて下さい2

スマイレージコンと娘。ナルチカのチケット取れたんですよー!!!(仕切り直し)

2つとも一般で、スマは掛け始めて20分・娘。は5分で取れました。ハローの子を生で見るのは実に11年ぶり…?娘。が第一次黄金期だった頃ぶりです。わたしが小学校3年か4年くらいの時期でゴマキがいた記憶があるぞ…!ライブハウスかつ低身長なので見えるか心配ですが、楽しみです〜!!えりりんがいた頃に行けなくて後悔したから*1せめてさゆちゃんが在籍している間に行きたいと思ってて、念願叶って遂に…!あゆみんもりほりほも〜生田も〜♪スマはゆうかりんが卒業してからさっぱりなので予習してから行きたいでーす。両グループとも握手付きなので焦って泣かないようにしないと。苦笑 た〜のしみだな〜〜〜たのしみだな〜〜〜。きっとハロメンは同じ人間とは思えないくらい可愛く美しいのだろうな。たのしみだな〜〜♪

ダビングしていただいたゴッ/ド/タン照れ℃-ute芸人を見て、舞美ちゃんは女神…舞ちゃんは間違いなく可愛い…と思う日々なので、℃-uteもいつか来てもらいたいです!舞ちゃん本当にかわいい。

画像は右から女神舞美ちゃんなっきぃ・舞ちゃん

*1:プラチナ期に一度地元に来たけど、中3か高1でおっちゃんたちの群れに入るのが恐怖で…怯えて行かなかった…