ペニンシュラ型

~私とあなたの不可避な壁~

連れてこねばならぬということはその人だけでは出来ぬということ 『京騒戯画』9話

前回説明回と書いていたらもっと露骨な説明が来たでござる。
ここまで潔いのは珍しいというか大胆でびっくりしました。
再生のための破壊が必要とはおもってましたが、これまでに出てきてたことじゃなくて本格的なそれがここだとは思わなかった。
というか稲荷がガチ神様であったのであった。そりゃ考えるスパンも違うし言わなくても分かんだろ、になる。それにしても「後で説明する」と古都に言うようになってるのは成長?学習?してるといっても良いのでしょうか。


にしたって稲荷の話が通じない様に見えるのは意図的ですね、明恵との間に地面に亀裂が入ってるのなんかすっごい分かりやすい。
というか今回画面自体の動きはそんなに大きくない割にそういう演出がキレッキレッでした。
あの長回し稲荷語りパートも地味に凝ってます。宮司と共に活動していたところまでは宮司の位置に近付いて行って、まだ神社での活動中は神社所属のねこ達辺りの位置にいるんですが、そこからだんだん宮司から離れていって、稲荷の関心が別のところに向きだしたところで、一般的な神社のアイコンである鳥居から彼が出ていくように見える。その後、御神刀でコトに介入する際にも鳥居の向こう側に突き飛ばしているという形。
ここまで見てると稲荷が好き勝手やってるだけに見えますが、あくまで今回のタイトルは「どうしたらいいかみんなで考えよう」、みんなで考えようなんですね。神たる稲荷が自身で世界を作り変えるのではなく、自分でない誰かの力が必要だと。
ただやっぱり説明しないし、価値観が違うし、結果どうなるか判断できないから視聴者もキャラクターも混乱するという。


その一番の被害者たるのが明恵こと薬師丸ですね。さんざんな目に遭ってます。「使ってないのか」の発言なんか完全に「言わなくてもわかんだろ」の結果です。でも彼には資格があった。八瀬の言うように自身のことを軽く思っても他者のことを軽く扱わなかった。
鞍馬たちと一緒に地面の下?に埋まってる時なんか、背中に岩盤があって後ろには戻れない、過去に胡坐をかいてること(それまで謎円盤にずっと座ってた鞍馬が自分で立ってるのも印象的ですね)が露骨に描かれてるんですが、その分鞍馬の先にある光は明るい。
鞍馬と八瀬が「あるべき様に」振る舞ったから、ゆりかごのような三人議会から卒業するのが遅くなってしまった面もあるかもしれませんが、「あるべき様に」振る舞わなければ薬師丸の元服もあり得なかった。
八瀬も何故記憶が残ったかというと、ものに依拠する過去のことではなく明恵という今の存在に意識が向いたからではないのかな、と思います。
そこから着せられていたマフラーを捨ててちち離れを果たして、あるべき様に自分のなすべきことをなす、すっごい綺麗な流れだと思います。


そして次で最終回。毎度更新する時間が遅くなりましたが、どうにか全話何か書けそうです。