ペニンシュラ型

~私とあなたの不可避な壁~

『血界戦線 & BEYOND』に松本理恵が残したもの

注 この記事は血界アニメ二期の感想エントリではありません。タイトル通り松本監督ファンの勝手な妄想を煮凝めたものです。


というわけで『血界戦線 & BEYOND』の放送も終わりまして、巧いことブラックの登場シーンを作って動機に繋げて一期の話があった前提で妖眼幻視行をやったらどうするかという形に綺麗に繋げてくれていて一期のファンでもある自分は嬉しかったです。
ある意味で原作のこのエピソードはヘルサレムズロットという街でレオがどの様に過ごしどの様に絆を紡いできたかを示すお話でもあったかと思っているのでそういう意味でも絶望王の件があったのならばそれがどこかで絡んでくるのは自然なことでもあるのかな、と。


ただ、仮に、仮にですよ、単なる妄想ですけど、松本理恵がこの話をアニメ化していたとするならば果たしてブラック、ホワイトを入れ込んできたかというと実は結構微妙じゃないか、と思ってしまうんですね。
そりゃ色々あったなかで明確に一期のお話と地続きであることを示してくれるのは嬉しいことではあるんだけども、尺という松本監督の天敵を相手にしたときに、(一応)本人をして描ききったと言ったとされる一期の話を無理に持ち出して来るかと言ったらそうじゃない気がするんですよ。
アニメオリジナルキャラクターである、ホワイト、ブラックというのは血界戦線という作品においてもうひとつのレオ、ミシェーラの姿でもあり、松本監督が思う『トライガン』の意匠でもあった。抗えない事象に大切な人とぶつかった時、その後、どうするのか。
その答えとして「光に向かって一歩でも進もうとしている限り」希望がある、ただそれはめちゃくちゃしんどいというのをクラウスもレオも私たちも知っている、でもそれでも生きていく、というのが血界戦線というお話だと思うのです。
そしてその中でレオナルド・ウォッチという人物がどういったキャラクターであり、加えてレオ、ミシェーラの兄妹がどう行動するかというのが妖眼幻視行というお話の肝であって、そこに敢えて(描ききったと言わしめるような)既にどの様に生きていくか選択を終えたブラック、ホワイト兄妹を挿入する必要はない様に思うのです。
そして、レオはずっと敗北し続けずに立ち続けているからこそ、もう一度何らかの形でクラウスは彼に自分の印象を語らせてしまうのも自然だと思うのです。


なぜその様に思ってしまうかというと理由があって、松本監督はアニメ一期のラストシークエンスの一幕、ミシェーラが湖を見ているシーンでこっそりトビーを写りこませているんですよね。
今回、アニメとしてこのエピソードを見て誰かに連れてきて貰わないと見ることができない、というやり取りが原作よりも印象深く自分には思えたんですが、これは確実に一期の時にこれを仕込んでいたからだと思います。
この追加があるからこそ二期をやる意志を感じられたし、ミシェーラが大事に思い、思われてる人がいることが分かる。あの数秒で、セリフなしで。
これはすごいことだと思う。
それだけミシェーラのことも掘り下げるつもりだっただろう*1し、二期も作りたかっただろうな、というのを勝手に想像してしまっていたのですよ。そういう意味でEDで世界観を統括してくれていたのは救われた気分になりました。
巨人回なんかは巨大感の演出の意図が明らかにEdと本編のそれと違って見たかったなあと思ったりもしたんですが、湖に来て云々のシーンをしっかり二期で時間をとって作劇出来たのはあの一期最後の数秒があってこそだなぁ、と。
やはり関わってくれていて良いものを見せてくれてありがたいなあと思った訳です。
ほんの短い、些細な画で、お話の印象を決める、松本監督、あなたはすごいです。


ひとまず今回はあなたの作る血界戦線を見ることはできなかったけれども次の作品をとても楽しみに待っています。

*1:多分、松本監督ならブラックジョークは全部残したような気がする