白井京月の読書ノート

2009年から2014年の読書メモ

日本の「安心」はなぜ、消えたのか

筆者の主張は極めて簡潔である。良く言えば分かりやすいし、悪く言えば大雑把だ。筆者は社会を「安心社会」と「信頼社会」に分類して考える。即ち、安心社会=統治の倫理=閉鎖社会=武士道、であり、信頼社会=市場の倫理=開封社会=商人道という区分だ。さらに言えば、安心社会=権力者の倫理、信頼社会=大衆の倫理であると。この分類は、本書を読むまで筆者のオリジナルかと思っていたが、そうでは無かった。この区分の発案者はカナダ人のジェイン・ジェイコブスという学者であり、その著作「市場の倫理 統治の倫理」も邦訳されている。であるならば、まずは著書の冒頭にその事を書くのが誠実さというものだと思うのは私だけだろうか。

本書で繰り返し主張されるのは、安心社会の道徳律と、信頼社会の道徳律は相容れないという点である。もちろん筆者は時代の流れがそうであるように、日本社会が安心社会から信頼社会へ移行しなければならないと主張する。つまり、昨今の武士道ブームや品格ブームは時代に逆行しており危険ですらあると言うのである。

また、筆者はすべての問題を「心」の問題とし、「心の教育」で問題を解決できるとする風潮を思考停止であると切って捨てる。社会心理学者である筆者は、道徳律は教育によって押し付ける性質のものではなく、現実の環境から学んで行くものだという立場をとる。例えば、正直であれとする信頼社会の道徳律を身につけさせるには、正直者が得をする社会である必要があるということだ。言い換えれば、教育ではなく、法や社会制度を安心社会から信頼社会へと転換しなんければいけないということである。

いじめ問題を臨界質量を説明する題材として用いたり、武士道についての十分な説明がなされていなかったり、題材を変えては同じ主張を何度も繰り返していたりで、精読する気にはならない本だ。本として出版するために原稿用紙を埋めたような感もあるが、視点は斬新であり議論としては面白い。(オリジナルはジェイコブスだと言って良いのだが)

理論の甘さ、過度の単純化は気になるが、これからの日本、そして日本人を考える上で目を通しておくべき1冊だろう。