2012-05-18
“摂津の城と国人”その1 池田城
新シリーズ「摂津の城と国人」。第1回は、大阪府池田市にある「池田城」を紹介します。
●池田城とは
建武元(1334)年に、豊島郡(現在の池田市、豊中市、箕面市付近)の国人領主・池田教依によって五月山の麓に築かれた平山城。その後、代々摂津池田氏が城主を務めた。応仁の乱や永正の乱などの戦闘に巻き込まれたが、防衛拠点や縄張りを強化、天正期まで存続した。
摂津源氏の源頼光が摂津池田氏のルーツ。平安期から戦国期まで、源氏,楠氏,足利氏,細川氏,三好氏といったそれぞれの時代の摂津国の支配者の配下として豊島郡池田にて活動していた。織田信長入京の際、信長につくか否かで、ときの当主の勝正と一族の知正とで家臣が分裂し、以後衰退していった。
←↓池田城大手門
池田城の主郭部分は、現在「池田城址公園」として整備されている。阪急宝塚本線の池田駅から五月山方面に向かって歩く。
15分程歩くと池田城の模擬櫓が見えてくる。
園内には、日本庭園が広がっており、模擬櫓や茶室、管理棟がある。この茶室は、使われているのだろうか…
茶室「冠桂」
池田城の礎石。平成元(1989)年から4回にわたる発掘調査で発見されたものだ。
【左】枯山水(復元) 【中】井戸(復元) 【右】排水溝(復元)
この3つも、発掘調査で発見された遺構を復元・整備したもので、かつてを偲ばせてくれる。
枯山水があるというのを見る所、この城は“防衛拠点”だけでなく“住居”としても使われていたことも分かる。
この公園のメインは、やはりこの模擬櫓であろう。1階は休憩スペースで、2階は展望台となっている。
展望台からは、北側は園内や五月山が、南側からは池田市街や川西、宝塚の景色が、遠く神戸・大阪の景色も望める。
また、1階には少しだが池田城に関するパネルも展示されている。
【左】北側からの景色 【右】南側からの景色
空堀散策路→
かつての空堀跡が歩道として整備されている。右側は池田城の土塁である。この歩道は、北門(復元)から大手門の下をくぐり、南門(復元)を結んでいる。また、南門付近には小さな「菖蒲園」が広がっている。
【左上】南門 【右上】西門
【左下】北門 【右下】虎口
また、その他公園内には、大手門以外にも4つの門がある。実際の池田城主郭では“虎口”のみだったとされているが、城跡というのを演出するために5つもの門があるのだと思われる。
【左】北側の堀として機能していた杉ヶ谷川 【右】主郭西側の崖下から模擬櫓を望む
北側を流れる杉ヶ谷川は、北の堀として機能していたという。また、西側の崖は“天然の要塞”として機能し、攻め落としにくくしていた。そのため、必死に崖を登ろうとしても、大石を投げられたり、弓矢を射掛けられたりと、落城させることは難しかったであろう。また、五月山の麓に築城したのもよかったといえる。
←五月山体育館
池田城址公園の北側にある池田市立五月山体育館。ここの1階ロビーでは、池田城に関する展示が行われている。
池田城復元模型→
五月山体育館所蔵。画面上部分が東側。この模型では、主郭部分の入り口が1個だけになっている。現在のような立派な櫓は建っておらず、小屋のような質素な櫓であることが分かる。言わば、大規模な館のようなものだったようだ。
池田城は、伊丹城の戦い*1で、織田信長が本陣として使用。その時、すでに築城から250年は経っていたと見られ、乱の鎮圧直後の天正8(1580)年に廃城になったとされているが、実際の廃城時期はよく分かっていない。
●感想
いい感じに整備されていてよかったと思う。本物の礎石が雑く放置されているのが少し残念だが、城マニアはもちろんのこと、家族連れにも一度行ってもらいたい。
●アクセス












