2012-06-26
“摂津の城と国人”その3 花隈城
新シリーズ「摂津の城と国人」。第3回は、兵庫県神戸市にある「花隈城」を紹介します。
●花隈城とは
永禄11(1568)年に和田惟政が築城。六甲の大地が海に突き出ている先端を“鼻”、その稜線の“隅”から“花隈”と呼ばれた。城郭には石垣が採用され、天守閣もあったといい、城郭の周りには城下町が広がっていたと言われるが、築城から10年程で廃城となり、花隈城の部材の多くが兵庫城の部材に転用された他、都市化されたため、遺構は存在しない。
●和田惟政とは
1530〜1571。近江国(滋賀県)の有力豪族で、南近江の六角佐々木氏ついで、足利義輝→義昭に仕える。永禄11(1568)年に織田信長が入京すると、信長からは高槻城を任せられたほか、信長によって将軍となった義昭からは摂津三守護*1に任じられた。その後、金ヶ崎の戦いや姉川の戦いでは織田方についたが、永禄14(1571)年に、池田知正の家臣・荒木村重軍に打ち滅ぼされた。
←花隈城の模擬石垣
花隈城は、神戸の中心地「三宮」の西にある「元町」にある。元町といえば、中華街の南京町がある場所であるのだが、この元町にかつて「花隈城」が存在していた。
ビルなどが立ち並ぶ中、大きな石垣が現れる。ただし、これは“本物”ではない。でも、石垣があるだけで、ここが城郭とわかるのが有り難い。
花隈城は、かなり大規模な“近世城郭”だったと言われる。東は神戸市立生田中学校の周辺、西は花隈町と下山手通8丁目の境付近、北は兵庫県庁前道路付近、南はJRの高架下辺りの範囲であったらしい。石垣で囲われた部分は、ほんの一部という訳だ。
模擬天守台↓
中は公園となっている(石垣の下は、神戸市管理の駐車場となっている)。模擬天守台もあるので、上って眺望してみたが、JRの高架しか見えないのでイマイチだった。
個人的に、この天守台の上に「模擬天守」でも建てて、中を資料館にしたらいいのになと思いました。
侯爵・池田宣政公の書。ただし、先代は平成7(1995)年の阪神・淡路大震災で倒壊したため、現在のは2代目となる。
余談であるが、天正8(1580)年、織田信長を裏切った荒木村重は、伊丹城や尼崎城を追われ、“最後の砦”花隈城へ立て籠もった。この時、花隈城を取り囲んだのは、宣政の先祖の池田恒興だった。4ヶ月あまりで落城し、村重は安芸の毛利氏の下へ逃亡するのだが、何故、宣政の書なのだろうか。恒興と宣政が先祖と子孫の関係だからなのか。神戸市に聞いてみれば分かるかも知れないのだが…
←花隈城天守があったとされる福徳寺
花隈城公園から程近い場所にある福徳寺。寺の塀や門、建物はなぜか城郭風だ。花隈城を意識したものか。
ここの山門前には、「花隈城天守閣之址」と書かれた石碑がある。だが、実際に天守があったかどうかは判らない。
←「花隈城天守閣之址」の石碑
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