今夜の俺の安眠のためにヤツを吊るせ


人権主義者では全くない。ゴチエイではないが、人権なんてフィクションはどっかの教祖の鼻くそみたいなもんだと思ってる。けど、いやだからこそ、正義面して素朴に死刑万歳と叫ぶ連中の気が知れない。



刑事裁判の当事者は国家と犯罪者だ。検察は遺族や被害者の代理人ではなく、国の代理人であり行政機関の一部。刑罰は、遺族や被害者のためにあるのではなく、国家社会全体のためにある。死刑も当然そう。では死刑は社会全体の利益にかなうのか?

まず、再犯防止。更生の可能性がないと判断した場合、再犯を防ぐためこの社会から退場してもらう。という意味では、死刑でも終身刑でも措置入院でもあまり変わらない。終身刑は死刑よりコストはかかるが、死刑の場合にも冤罪リスクがある(※回復不能な冤罪のもたらす不信や不条理感は社会全体の安定にとって大きなマイナス。ちなみに冤罪リスクは警察官僚出身亀井静香が死刑に反対する理由のひとつらしい)。というわけで、どっちもどっち。

次に抑止効果。死刑の抑止効果は、統計上、ないとされる。死刑に値するような犯罪を犯すヤツに理を説いて理解不能というわけ。人外に人間の言葉は通じない。ので意味なし。

最後に、感情回復。社会全体が受けた傷を、死刑によって回復する。死刑は、応報感情を満たしカタルシスを得、文字通り浄化された社会は安定する。これは十分に役立ってる。ほら、実際、殺せ吊るせ鳩山弟GJでみんな大喜びだし。

というわけで、社会の感情回復に役立つし、死刑アリという結論になる。



<「おまえのいる崖の下にこいつらも落としてやるからな。それで気がすむだろう」 被害者と加害者をともに崖の下に放り出して、崖の上では何もなかったように平和な時が流れているのです>

――森達也著『死刑』で引用されている犯罪被害者遺族の言葉


社会全体の利益を考えたら、死刑はアリ。じゃあ遺族にとっては? たしかに俺たちの気分はいいけど、当事者はどうなのだろう? 死刑になってそれで満足? ですべてを忘れられるの? あいつが吊るされた様を想像して俺らは乾杯して気持ちよく寝付ける。彼らもそう?

遺族や被害者当事者の感情回復に、死刑を含む刑罰が役立つかというと必ずしもそうじゃない。刑罰は、国家が社会全体の利益のために行うものだ。現在の日本の刑罰は、罪を犯したものを社会の構成員として再復帰させる教育更生=社会全体の利益に主眼を置いている。そして、更生不可能性の先にある死刑も、当然、社会全体の利益のためにある。他の刑罰と違い、死刑だけが遺族や被害者のためにあるわけではない。

遺族が死刑を望むのは感情的に合理性があるとして、実際に死刑が遺族の未来に役立つかどうか、というのは別問題だ。例えば、欧米で行われている加害者と遺族の対話(被害者犯罪者調停)が遺族の感情回復に寄与することもあるとされる。もちろんそうならないこともあるだろう。が、重要なのは、死刑によってその機会を永遠に失われるということだ。



http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1139323.html


社会全体の利益を優先するなら死刑だって別に構わない、と思う。人権主義者ではないからね。たまにファシスト呼ばわりされるし。ドSだし。今夜の俺の安眠のためにヤツを吊るせ。って思う。

ただ、自分が遺族や被害者の代理人のような気持ちになったリ、彼らの味方のような振りをしたりはしたくないな。そこまで恥知らずなほど厚かましくはないし、馬鹿だと思われるのも嫌だし。なにより自分のカタルシスが何の上に積み上げられてるかくらいちゃんと知ってるからさ。