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2017-09-20

[] 消費税減税署名をやってます

Change.org で消費税減税署名をやってます。もう2年間細々と続けているのですが、現在の賛同者は281人… 衆院選前に締め切ろうと思うので、早めに賛同お願いします!

署名の宛先は民進党・自民党・公明党。要するに2012年に消費税増税法案に賛成した会派です。署名を始めた経緯については「当キャンペーンのこれまでとこれから」をどうぞ。

その他キャンペーンのお知らせのところに各種情報を掲載しています。

Change.org の仕様で元記事のURLがむちゃくちゃ長くなってはてブが正常に機能しないのでこのエントリにはてブしていただけると幸甚。

追記(2017-09-26): 賛同者が1000人を超えました!

どうもありがとうございます!みなさんのおかげです!

衆院解散が確定的になりましたが、署名の締切日はまだ調整中です。決まり次第お知らせします。

追記(2017-10-04): 10月7日に締め切ります。

署名は10月7日に締め切らせていただきます。10月7日深夜に署名簿を印刷しますので、それ以降に署名されても、提出する署名簿からは漏れることになります。ご注意ください。

なお、昨日から宛先を「民進党・自民党・公明党」から「自民党・公明党・希望の党・立憲民主党」に変更しています。システムの仕様上、キャンペーンのURLとブラウザのウィンドウタイトルには古い宛先が表示されていますが、ご了承ください。

宛先変更以前に署名された方で希望の党・立憲民主党への提出を望まない方は、申し出ていただければ両党に提出する分の署名簿から名前を削除させていただきます。詳細は、お知らせ「署名の宛先「民進党」の扱いについて」をご確認ください。

残り少ない期間ではありますが、さらなるご協力をよろしくお願いします。

追記:(2017-10-08): 発送しました。

今朝、宛先の各党に署名を発送しました。詳細はこちらを。

これでキャンペーンは終了です。ご支援ありがとうございました!

2014-11-20

[] リフレ政策はトリクルダウン理論じゃないよ、という話

「アベノミクス」の図解としてこんなのが出回っていますが、違いますよ、という話。

これ、元ネタの図は Trickle down economics (トリクルダウン理論)の説明です。

しかし少なくとも、いわゆる「アベノミクス第一の矢」であるリフレ政策は、トリクルダウン理論ではないですよ、という話をします。

トリクルダウン理論というのは金持ちの金儲けを優遇する政策をとって金持ちをもっと金持ちにすれば自然に貧困層も潤うよ、だから大企業の法人税を減税したり、所得税の累進課税を緩めたりするといいよ、というもの。

一方、リフレ政策というのは、要は金利を下げてインフレにするということです。通常はデフレの時は中央銀行が金利を下げればいいのですが、金利をゼロまで下げてもデフレが続くと、それ以上金利を下げられなくなります。そこで、予想インフレ率を上げることで実質金利をさらに下げるのです。やり方は違いますが、目指す結果は基本的に同じです。

金利を下げてインフレにするのは金持ち優遇を目的にしているわけではなく、実際必ずしも金持ちが得するとは限りません。というか、お金を持っている人がお金を溜め込まずに使う方向に行動を変えると得をする(変えないと損する)状況にするのが目的です。

人を雇って事業をしている人は、人をもっと雇うと得するようになります。現金を持っている人は、持っているお金を事業をしている人に投資した方が得するようになります。土地や商品などの資産を担保に借金をして事業をしている人は、事業を拡大した方が得するようになります。

一定の人々が上で述べたように行動を変えて得することで、需要は拡大し、インフレは進み、より多くの人が同様に行動を変えていくことになるでしょう。

お金が上から下へと順番に落ちてくるというような単純な話ではなく、様々な経路でお金が回り出すのです。順番としては、お金を動かしやすい人から得をする傾向はあるし、それはお金持ちから、という部分はありますが、お金持ちたちにお金が行き渡らなくても失業率の低下や企業倒産の減少は進みます。

「景気回復の実感がない」という人は実際少なくないと思いますが、それは行動を変えにくい人、逆に言うと安定している人なのだと思います。たとえば、それなりの企業に正規雇用で長年勤めていて定期預金でがっつり貯金してるような人は、景気回復の途上ではむしろ損するかもしれません。

あと、安倍内閣は「アベノミクス」だけやってるわけじゃないので、他の政策の影響はあります。例えば福祉削減で景気回復以上の損害を被っている人は大勢いるでしょう。そして4月の消費税増税の影響が景気回復分を吹き飛ばしてしまっているのは周知の通りです。

以上、まあ、素人の言うことなので話半分に聞いていただいても構いませんが、とりあえず、

というあたりだけは確かなのでご注意を、ということで。

追記: 甘利経済再生相の「トリクルダウン」発言

ブクマで指摘されるまで知りませんでしたが、甘利経済再生相が「トリクルダウン」とか言っちゃってるんですか。困った人だな。

消費増税を延期する場合の理由として、企業収益が上がっている一方で実質賃金が上がっていない点を指摘。「アベノミクスの基調が頓挫したということではないが、トリクルダウンがまだ弱い。引き上げを延期するとしたら、企業業績が賃金に跳ね返る2巡目、3巡目を起こす時間的猶予が必要になるという判断だ」との考えを示した。

増税延期なら日本売り起こさせぬ決意と手当て必要=経済再生相 | Reuters

誤解を招く表現だし、ひょっとしたらマジでリフレ政策をトリクルダウン理論と理解(誤解)してるのかもしれないけど、政権の誰かがトリクルダウンだと思っていようがいまいが、やることが同じなら起こることも同じです。

「リフレーション!」って叫びながらリフレしたらきれいなリフレになって、「トリクルダウン!」って叫びながらリフレしたらきたないリフレになる、ってことはありませんし、自民党がやろうと共産党がやろうとリフレはリフレです。

ただ、いわゆる第二の矢・第三の矢がトリクルダウン指向じゃないの? というのはその通りかもしれず、いらんことしてかえって景気回復の足を引っぱる可能性も懸念してます。*1どのみちたいして(良くも悪くも)効かないと思ってはいますが。

まあ、自民党が自業自得で誤解を招いて議席を減らすのなら個人的には歓迎しますが(経済政策以外のところで賛成する部分がほとんどないので)、リフレ政策自体が誤解されたままだと困ります。。。

*1:前回衆院選の前からずっと。参照:自民党の経済政策について

2014-07-06

[]「集団的自衛権問題」についてのメモ

最初に自分の現在の立場を述べておくと「いずれかの時点で適切な歯止めを持った制限付きの集団的自衛権を憲法改正によって確立することが望ましい」というのが僕の立場です。

しかし「安倍政権が」「閣議決定で」「解釈改憲」というのはネガティブに受け止めています。

  • 近隣諸国に対して挑発的な行動を繰り返した上での決定であること。
  • 重大な判断について国民的議論や国民に信を問うプロセスを回避したこと。
  • 憲法解釈の不安定さを対外的に印象付けてしまったこと。

が、理由です。後ろの二つは今に始まったことではないですが、繰り返せば繰り返しただけ弊害が大きくなるので、今更だからどうでもいい、とは思いません。

僕から見ると、世間での集団的自衛権に関する議論は、賛成派・反対派共に極論・暴論に思えるものが多く、デリケートな意志決定の参考にするには頼りないものに思えました。

じゃあお前が模範的な議論をしてみろよ、と言われても、僕にはそれをやるだけの見識はありません。だからこそ賢い人たちの議論を参考にしたいわけで…

しかし、どういうことを踏まえた議論が必要だと思うか、読みたいか、という要望はありますので、以下それについて述べます。

安全保障のリスク論

国民の生命や財産の安全のためには、あらゆる可能性に対応できるように可能な限り武力行使可能な範囲を広げるべきでしょうか。それによって国民の生命や財産は、より安全になるのでしょうか。

他国からの侵略や地域紛争に巻き込まれるような状況で先手が打てる等、ある面ではイエスです。が、国民の生命や財産の安全に対するリスクは戦争だけではありません。

たとえば、国際社会から信用されないとか、経済が停滞するとか、そういうことも国民の生命や財産に関わるリスクです(他にも、もっと大きなリスクがありますがそれは後述)。

戦争放棄、あるいは専守防衛の原則にしても、安全保障上のリスクと引き替えに外交上のリスクや経済上のリスクを低減することが優先課題とされた時期に日本が選択した(あるいはタテマエとして利用した)態度です。

その態度を変更するには、

  • 安全保障リスクが高まった。
  • あるいは他の対抗リスクが低下した。

という情勢の変化があって最適なバランスが崩れた、という理由が必要です。

実際、日本は国際社会に復帰し、世界的な経済大国になり、一方で冷戦が終結し、地域紛争に対して国際社会が対応していく、という変化の中で、9条を含めた改憲論が一定の説得力を持つ時期がありました。90年代から2000年代にかけての話です。

しかし、その後、約20年続いたデフレ不況、日韓・日朝・日中関係の悪化、排外主義の台頭など、また状況は変化しています。今、どうバランスを取るのがベストなのか、冷静な議論と合意が必要だと思います。

個人的には、やっとデフレ脱却へと前進させたと思ったら消費税増税でその勢いを削いでしまい、外交的には失点が重なっていて、一方で9条以外にも問題だらけの改憲案を抱えている今の自民党・安倍内閣は、タイミング的にも資質的にも、こういうデリケートな仕事ができる内閣ではない、と判断しています。

戦争のリスク

ここまで、軍が動きやすくなれば戦争で国民の生命や財産が失われるリスクが減るという前提で書きましたが、本当にそうか? それだけか? とも思います。

戦争のリスクと言っても、他国から戦争を仕掛けられたり、他国間の戦争に巻き込まれたりするリスクだけではなく、自国がするべきでない戦争を始めてしまったり関わるべきでない戦争に関わってしまったりするリスクもあります。

特に日本の場合、最後にやった戦争(太平洋戦争)では、開戦国側になって多くの国民の生命・財産を失わせる結果になっています。

無謀にも自分から戦争を仕掛けてしまった、戦争を始めてからも降伏のタイミングを見失って徒に被害を増やしてしまったこと、軍の犠牲者の過半が戦闘ではなく餓死や病死という形で命を失ってしまうほど、個別の軍事作戦も無謀であったこと、など反省すべき過ちは多々あります。

平和憲法、というか、それを追認した国民の選択は、その反省の上に成り立っています。戦後の大半の時期が保守政権だったにも関わらずその選択が維持されてきたのは、理想主義的な「平和主義」によるというよりは、「ウチら戦争下手すぎヤバい」みたいな現実主義的な認識が国民の大半に共有されていたからではないでしょうか。

だから、さすがに今の日本はそんな過ちは繰り返さない、何らかの形で戦争に関わることになったとしても戦前に回帰するようなことはありえない、そう思っていた時期が僕にもありました… 昨今の世情を見ると、そうでもないか? という気になっています。

過去の過ちに対する反省は、不十分とはいえ、少しずつ進んでいるものと思っていたのですが、ここ10年程の間に逆風が吹いている、というか、今までの「反省」も、豊かな経済を背景とした余裕があってこそだったのか、とか、一部の階級の人たちの知的流行でしかなかったのか、とか、そういうことを考えてしまいます…

その他、軍が戦争に備える動きをすることが近隣諸国を刺激してしまい、かえって戦争の引き金になってしまう(相手国の攻撃の口実に使われてしまう等)、ということは実際あります。そうなった場合、もちろん善悪で言えば先に武力行使した側が悪いに決まっているのですが、自国のリスクマネジメントという観点では失敗には違いありません。

その他

余裕がなくて書ききれなかったことをメモ的に

2014-03-31

[] Re:人種同一性障害について

id:muchonov さんの以下の記事へのお返事です。

前置き

本題に入る前に前置きを。

ここでは原則として議論の大元になった米国人少女の話題からは離れて、一般論に限って述べたいと思います。僕が英語が苦手で当人の主張をほとんどチェックできてない(聞き取りが全然ダメなので例の動画も見れてない)のと、これから書くことが未成年者の発言に対する非難めいたものと受け止められたくない、というのが理由です。

疾患概念への懸念について

「人種同一性障害」という主張を聞いてまず僕が感じたのは、ニセ科学的に対するそれに近い警戒感です。

提唱された当時は医学界からは否定的されていたが後に広く受け入れられるようになった疾患概念だってもちろんあるのですが、一方で精神的な困難を抱えた人が根拠のない疾患概念に引き寄せられて適切なケアを受けることを阻害されていると思われる例も少なからずあります。*1

この種の懸念は、たとえそれが「ポリティカル・コレクトネスに刺さる」説であっても払拭できるものではありません。それが疾患であると主張する以上、医学的な観点での妥当性が求められるのではないでしょうか。そしてその立証責任は新しい概念を提唱する側にあります。

「人種同一性」あるいは「日本人であること」について

もう一つひっかかったのは「人種同一性」というのが、ethnic identity の事を指すようで、これは個人の自己認識の問題では済まない話ではないか、民族の歴史の中で継承されてきたものを担う人たちの共同性に従属しない ethnic identity なんてあるのか? ということです。

このあたりは、最初はうまく説明できそうになかったので、ブックマークでのやりとりでは話題にしませんでしたが、改めて考えてみると、こっちの方が大事な気がしてきました。ethnic identity 一般について専門的な知識があるわけではないので、ここでは僕にとって僕が「日本人である」という感覚がどのようなものなのかを説明します。

日本で暮らし、日本文化に馴染み、日本人的な考え方をする、という意味では、生まれや国籍がどうであろうと誰だって「日本人になる」ことができる、と僕は考えます。そういう意味での「日本人になりたい」という気持ちなら、むしろそれをわざわざ「人種同一性障害」という疾患概念を通じて理解する必要がどこにあるのか僕には全くわかりません。*2

でも、ethnic identity としての「日本人であること」は、そういう意味ではないと僕は感じています。

僕の感覚では、「日本人であること」には、たとえば、過去に日本人が犯してきた過ちを自分たちのこととして受け止めること、日本の未来について責任を感じること、というようなことも含まれるのです。

たとえば南京事件について、それを過ちとして反省するにせよ、そんな事件はなかったと否認するにせよ、その「事件」が他人事ではない自分たちのことだと受け止めるからこそ、そのように反応せずにはいられないのです。ethnic identity というのはそういうものではないでしょうか。

「日本が好き」という気持ちが「日本人であること」なのではありません。むしろ「日本が嫌い」だとしても、それがまるで自己嫌悪のように感じられ、だからこそ、日本を変えたい、と思わずにはいられなくなるような、そんな感覚が「日本人であること」だと思います。*3

もちろん、そういう意味での ethnic identity がない人、希薄な人、というのは日本人でも大勢いるだろうし、それが悪いとか不自然とか言うつもりはないけれど、ethnic identity を語るなら、そこまで考えて欲しい、ということです。

未整理の色々

この話題に絡めて書きたい事は色々あるのですが、今はちょっと気力が続かなくて、うまく整理できません。ほっとくといつ書けるかわからないので、雑多な思いつきを箇条書きにして残しておきます。。。

  • 安田浩一『ネットと愛国』で紹介されている、在特会の通称「ダルビッシュ」君の話。イラン人・日本人のハーフとして生まれ、その容姿からどうしても「ハーフ」として扱われることと、彼の日本人としてのアイデンティティとの間の齟齬が、彼を極右運動へと駆り立てた。人種的違和感による苦痛と聞くとどうしてもこの話を思い出してしまう。
    • でもそれは彼が病気なのではなく、彼をとりまく社会の差別の問題だと思う。
    • もっとも ethnic identity って差別性・排他性抜きに成り立つのか? という疑問も…
  • アイデンティティ選択の自由の話。性同一性障害なんて言わなくても、そもそも性別なんて自由に選べていいんじゃないか、という考え方はありうる。しかし一方で人種とか民族についても同じ事が言えるのか。
    • id:macska さんの「「人種同一性障害」とわたしの身勝手な論理」で考察されている。
      • 疾患概念の話じゃなくて人種の自己決定を認めるか否か、認めないとするならなぜか、というのがテーマ。
      • 「自称○○人」が、オリエンタリズムの一種であり、文化的搾取・文化的略奪の口実になっている場合があるとのこと。
      • 「人種同一性障害」の話は、それが性同一性障害概念への批判として持ち出された事実があるという文脈で出てきてるので、今回の話とはちょっと違う。
  • ethnic identity って自称じゃダメで共同体からの承認抜きには成り立たないのではないか? という話。
    • たとえば勝手にユダヤ人自称したらヤバくない? とか。
      • いや、某自称ユダヤ人ヤバいよね、とかいう話ではなく…
  • 何を医療の対象とすべきか。
    • 「アイデンティティ選択の自由」で済ますと、手術するなら美容整形扱いだよ(保険きかない)、自己決定故に自己責任、って話になりかねないが…
    • それじゃ困るって事はやっぱりあるわけで、疾患概念大事。

*1:前者はいわゆる多重人格など。後者については当事者を刺激しかねないので敢えて例は挙げません…

*2:いや、本当はちょっとは引っ掛かるところはある。在特会の通称「ダルビッシュ」君の件とか。

*3:このあたりは「愛国的」な日本人に対して僕が感じる違和感・苛立ちとダブる部分が大きいです。

2014-02-11

[][] 2/24: ロボット工学と倫理「胎児・新生児発達シミュレーションの現状と将来」/「ロボット工学における構成論的アプローチと<心>の概念」

2月24日(月)に、前回紹介した、テーマ別創成塾「ロボット工学と倫理」の研究会があります。

今回は 「人工知能学会の表紙の件(その2)」で紹介した、大阪大学の森裕紀さんの講演がありますので、あの一件をキッカケにこの分野に興味を持った研究者の方は是非。場所は前回と同じで大阪大学吹田キャンパスです。

第13回テーマ別創成塾「ロボット工学と倫理」

日時:2月24日(月)16:30-18:30

場所:吹田キャンパスF1棟4階浅田研会議室

内容:

講演1:森裕紀(工学研究科助教)「胎児・新生児発達シミュレーションの現状と将来」

講演2:石原孝二(東京大学総合文化研究科准教授)「ロボット工学における構成論的アプローチと<心>の概念」

認知脳理解に基づく未来工学創成 - ロボット工学と倫理

地図はこちらをどうぞ。

森さんの講演は、例の記事で触れた胎児の神経系のシミュレーションがテーマです。「現状と将来」ということで、色々と気になる内容ですね(特に「将来」の方)。

参加条件は前回同様、創成塾関係者以外の方は、研究者限定で、小山さん(小山虎, @torakoyama)に事前に連絡を取っていただければ参加可能です。

工学系・理学系の方でも、人文科学系・社会科学系の方でも参加可能ですので、興味のある方は小山さんまでお問い合わせください。

2014-01-20

[][] 1/23: テーマ別創成塾ロボット工学と倫理「神経学的セラピー用ロボットの社会システムへの導入と倫理的考察」

大阪大学でロボット倫理に関する研究会があるそうです。「人工知能学会の表紙の件(2)」で紹介させていただいた森裕紀さんに教えていただきました。

第12回テーマ別創成塾「ロボット工学と倫理」

日時:1月23日(木)16:30-18:30

場所:吹田キャンパスF1棟4階浅田研会議室

内容:

講演:柴田崇徳(産業技術総合研究所)「神経学的セラピー用ロボットの社会システムへの導入と倫理的考察」

認知脳理解に基づく未来工学創成 - ロボット工学と倫理

創成塾関係者以外の方は、研究者限定で、小山さん(小山虎, @torakoyama)に事前に連絡を取っていただければ参加可能とのことです。

工学系・理学系の方でも、人文科学系・社会科学系の方でも参加可能だと思います。興味のある方は小山さんまでお問い合わせください。

なお創成塾は「国際」と「テーマ別」に別れていて、国際創成塾の方は発表・ディスカッションはすべて英語ですが、テーマ別創成塾の方は日本語でOK、との事です。

2014-01-12

[] 人工知能学会の表紙の件(その2)

前回のエントリ「人工知能学会の表紙の件」への反応を中心に続編を書くつもりでしたが、むしろ現役の人工知能研究者の方の話が面白かったので、一応質疑応答形式になってますが、半分くらいはそっちの話題です。

現役の人工知能研究者はどう思ってるの?

あのあと現役の研究者の意見を読む機会がありました。研究者としてもあの表紙は問題含みであると自覚している人もいました。また「ロボット工学三原則」のさらに先について、真剣に考えている研究者も少なくないようです。

大澤博隆さんの記事

一つは、人工知能学会の会員で、あの表紙が公開される前に関係者に意見を述べる機会があった大澤博隆さんによるブログ記事です。*1

大澤さんは人工知能研究の一分野であるヒューマンエージェントインタラクション(HAI)という分野の研究者です。人間のような姿をしたロボット(エージェント)と人間との関係をどのように設計するか、といったような研究分野で、人工知能学会が学会誌の表紙で提起しようとしたテーマとは深く関わる分野です。

記事には、HAI研究に関わる論点の他、問題の表紙の選定プロセスについての説明など様々な論点について詳述されているので是非ご一読を。ここでは僕の論点に関連する部分のみ取り上げます。

大澤さんが事前に表紙を見た際には、それが女性差別的なイメージを喚起することを懸念し、しかし「無意識的な差別意識を暴き出す、というようなエクスキューズがあれば良い」と伝えた、とのことです。

「エクスキューズ」についてもう少し説明しますが、この表紙は、人工知能におけるモチベーションの矛盾をうまく示しているように思えました。人工知能の研究者の中には(非明示的にせよ)人間と同じような創発的な知能を作る、というゴールを目指す人も多いです。しかし工学的には、その知能に人間と同じような自由を与える動機はありません(工学の第一義の目標は、ある課題に対する解決策を提供することで、それ以外のことを考える必要はありません)。人間に似た形状をもつものを、掃除という課題で縛り、電力線で繋留している図は、その動機の矛盾点を暴きだしているとも解釈できます。「汎用の課題を解決できる人工知能に関する研究(Artificial General Intelligence)」の輪講に関わっていた身としては、このテーマは非常に気にかかるものでした。付け加えれば、ピグマリオンコンプレックス(特に「マイ・フェア・レディ」のような)観点から考えても、自律性と制御性というのは面白い課題だと思いました。

Thinking Spot: 人工知能学会の表紙について、会員として調べた/考えたこと

大澤さんによると、僕が思っていたほど工学寄りに割り切った考え方をしない人も多く、そういう立場からすると、その立場故に研究の動機に矛盾を抱えてしまっている、ということのようです。

敢えて問題的な表現をすることで問題点を暴き出す、というのはアリだとは思います。そういう告発的な(あるいは挑発的な)表現であることが伝わるようなプラスアルファが「エクスキューズ」として必要ということなのだと思います。

確かに、あの表紙にキャッチコピーを一つ入れるだけでも随分印象が違ってくると思います。例えば「お掃除が終わったら出かけてもいいですか?」とか…

うーん… 「エクスキューズ」をスマートかつ間違いなく伝わるように表現するのはなかなか難しいかもしれません。「エクスキューズ」に失敗すると、単なる差別表現として機能してしまいますから、やるなら用意周到にやらなくてはなりません。

しかし大澤さんが関係者にコメントした時点では表紙は最終稿で、発表の3日前ということで間に合わなかったようです。

大澤さんのコメントは twitter 上で見れます(リプライ先は非公開アカウント)。

「ヨコハマ買い出し紀行、のバランスとかは好きなので」とのコメントも。言われてみるとヨコ出し的な雰囲気のある絵ですね。そのへんの素養があると、いい絵なのにボツにするのはもったいない…! という気持ちが先行してしまうのかも…

ブログ記事の方に戻って、もう一点。人工知能学会誌では、人工知能が人間を越えた時、社会に何が起こるか、といったテーマの特集があったそうです。

また、本年5月には、人工知能の知性が人間を超えるその「特異点(シンギュラリティ)」に関する特集がありました。ここでは、単純に技術だけでなく、社会がどう変革されるか、人の倫理がどう変わるか、ということまで含めた議論が行われています(わたしはこのパネルトークの編集にかかわりましたが、シンギュラリティ大学のNeil Jacobstein氏の未来に対する力強い楽観主義と、Yahoo! ResearchのElizabeth Churchill氏による鋭い批判、オックスフォード大のWilliam Dutton氏の現実主義等を含め、訳していてとてもワクワクするものでした)。

Thinking Spot: 人工知能学会の表紙について、会員として調べた/考えたこと

人間並みになった場合のことは考えていましたが、人間を越えた場合のことまでは想像していませんでした… 当該記事は未見ですが、機会があれば読んでみたいです。

また、同誌では毎号「人工知能とはなにか」についてガチの討論をやっているとのこと。

あと、レクチャーシリーズ「人工知能とは」は、人工知能の研究者を志す人にとって参考になるのではないかと思います(私が面白がっている)。第一線の人工知能研究者の方々が、毎号入れ替わり立ち代り、「人工知能とはなにか」という大テーマについて、自分の持論を述べてお互いに議論する。しかも、相手の意見に対して経緯を払いつつも、相手の意見を安易に肯定せず否定も辞さない、という、ガチの討論です。毎号、ものすごく刺激的で、触発的です(私見ですが、このシリーズ、学会誌に掲載されているショートショートSFより想像力に溢れていると思います)

Thinking Spot: 人工知能学会の表紙について、会員として調べた/考えたこと

そして、大澤さんは「人間の知性について自覚的な人々が、人の持つ差別意識の仕組みについて、無意識のままにしておくことはない、という方に私は賭けます」との力強い言葉で記事をしめくくっています。

森裕紀さんのお話

もう一つ、人工知能研究の中でも「人間の学習や発達をロボット工学の立場から研究」されている森裕紀さんからツイッターで言及があり、少しお話を聞かせていただきました。

森さんは人工知能学会の会員ではないのですが、人工知能学会誌に共著で解説論文を寄稿した経験があります。ニューラルネットワーク関係の業績が多い方で、現在僕の出身大学に所属されていることもあって、個人的にも面白い話を色々聞かせていただきました。*2

発端となった森さんのツイートはこれです。

森さんによると、日本ロボット学会ではロボットを道具としてのロボットに限定しているわけではないとのこと。実際、日本ロボット学会の学会誌では、分子ロボティクスの説明の際に、ロボットを以下のような定義を仮設しています。

「ロボット」の定義にもいろいろあるだろうが,ここでは,「センサ,アクチュエータ,プロセッサにより構成されたシステム」であり,「そのシステムの実体が環境と区別されていて,環境から情報を得,その情報に応じて何らかの判断をした結果,環境に対して働きかけるもの」としてみよう.

2010 Vol.28 No.10 | 学会誌|日本ロボット学会

これはどちらかというと「人工生命」の定義のサブセットといった感じですね。森さんの研究にも人間の胎児の神経系の自己組織化をシミュレーションするものがあります。*3

胎児の神経系のシミュレーションは工学的応用というよりは、前回の記事でも触れた「人間の知能の仕組みを解明する」系の研究として発表されていますが、森さんのホンネとしては「勝手に賢くなるシステムを作りたい」という動機が先にあって、その道程のワンステップとしての研究と位置付けているようです。

要するに、人間の脳が、胎児から始まって、子供、大人へと成長する過程をシミュレーションできれば、人間のような知能を持つロボットが作れるはず(それは計算機上の存在かもしれませんが)というわけです。

森さんの研究の究極目標は「人工意識」「人工自由意志」。そこまでいくと、そもそも自由意志とは何か、それを実現した場合にどんな倫理的な問題があるのか、というところまで考えなくてはならず、ロボット工学の射程を超えてしまっているようにも思います。

だからというわけでもない、とのことですが、森さんは最近は哲学者の方々とも議論しているそうです。ロボットの応用哲学という研究会でそういった学際的な議論をしているのだとか。

この研究会は2011年10月に立ち上げられた,ロボットに関する哲学的・倫理学的問題についての研究会です。 2013年4月から2015年3月まで、文部科学省科学研究費補助金(基盤研究C)を獲得して「工学的関心に基づくロボット倫理学の構築」という研究プロジェクトを行っています(代表者本田康二郎)。

ロボットの応用哲学

個人的にも「心の哲学」の分野について勉強されているそうです。このあたりは前出の大澤さんも同様のようですね。*4

以上、森さんご自身は「僕の意見は一般的じゃないですし、ロボットや人工知能の分野の研究者の意見を代表していません」と前置きしてはいますが、こういった方向で研究している人たちもいる、ということで紹介させていただきました。

学会誌なんてたいして影響ないでしょ? 学会員しか読まないし。

まず、直接的に一般人に影響(性差別の再生産)を与えるかというと、それは限定的でしょうね、とは思います。だから、元の記事では「研究者たち」への影響という話をしました。

影響が研究者に限定されるとしても、人工知能研究の奥行きが性差別的な視点の制約を受けるということは、人工知能の未来にとって決して望ましいものではありません。極端な話、性差別を暗黙の前提として設計された人工知能が社会インフラとして当たり前になることで「差別意識」なしに社会のアーキテクチャが差別を再生産することだってあり得ない話ではありません。*5

関連して、僕が言う「公共性」の範囲が広すぎないか? という疑問を目にしましたが、問題にしているのは、学会誌というメディアの公共性よりも、学会で研鑽される研究そのものの公共性を問題にしています。

次に、一般人に対する影響はないかというと、ないわけではない、というか、そもそも一般人にもアピールするためにああいう奇抜な試みをしているわけです。*6

結果論として、あるいは客観的予測として「影響ない」としても、やってる当事者がこの試みが話題になって一般人にも影響があることを期待している以上、どういうつもりでやってるんだ!? という批判には意味があります。今後のことだってありますし。

最後に、些細なことではありますが、メジャーな学会の学会誌って学会員以外の人も読みます。まず、その分野の研究室の本棚には大抵バックナンバーも揃えて置いてあるものですから、学会に所属してない学部生や院生も読んでます。また、大学や学部の図書館にも置いてありますから、その分野に興味のある他の分野の研究者や畑違いの学生にも読まれるものです。

まあ、学会誌の表紙に洗脳(?)されるほど影響を受けるのは、よほど熱心な人に限られるかもしれませんが、論文を片っ端から漁るよりは、その分野のトレンドを比較的平易な文章でうかがえるのが学会誌ですから、それなりに読まれるよ、ということです。

女性に家事が押し付けられているのを問題視するのは、家事という仕事を蔑視しているのではないか?

仕事の貴賎の問題ではありません。女性に生まれたということで、職業選択に偏った圧力がかかるのが「性的役割分業」の問題です。

逆もまたしかりで、魔法少女まどか☆マギカのまどかのお父さんのような専業主夫という仕事だって今の世の中では選びたくてもなかなか選べなくなっているわけです。*7これは社会から受ける「男性的であれ」という圧力の直接的な作用でもありますが、女性差別の反作用という面も大きいでしょう。

今回の批判の多くは「差別性に気付いている人が見て不愉快な思いをする」の方がメインだったと思うけど?

そうかもしれません。網羅的に、あるいは無作為抽出で意見を見ているわけではないので断定は避けますが。しかし、元の記事でそういう論点は「二次的な話」だと書きましたが、二次的な話が出てくるのは一次的な話、つまり性差別の再生産があってこそのことです。

差別の現場が見えてしまえば不愉快になって当然です。どのように見えたかという点では、僕とは異なる視点での批判も多くあったことでしょう。特に性的欲望が暗示されているという視点は、あり得る視点だとは思いますが、*8今回の件について言えば、僕はそこに重きを置くつもりはありませんし、そこに重きを置かなくても十分問題含みだったと思っています。

お掃除ロボットは女性を家事から解放するので、批判するより歓迎すべきではないか?

問いの前半部分については、そういう面は確かにあります。実際、いわゆる「女性の社会進出」は家電製品による家事労働の省力化が支えていた部分はあると思います。

しかし、家事労働、つまり女性がするべきとされる労働が省力化されたからといって、性的役割分業そのものから女性が解放されるわけではありません。性的役割分業が当然とされる世の中では、働く女性には家事と仕事の両立が求められるのです。

一方で、専業主婦に対しては、むしろ省力化した分を埋め合わせる形で「女性としての仕事」をより一層求められているのではないでしょうか。たとえば、育児によりコストをかける、家事のコストパフォーマンスをさらに高める(主にコストカットする方向で)、などという形で。

ですから、お掃除ロボットは歓迎されてしかるべきですが、そのことは、性的役割分業の再生産を批判することと全く矛盾しません。

「本を読んでいる」ことから主体性を持つロボットと解釈すべきではないか?

これは見る人の立ち位置の問題で、工学をやってる側の視点で見るとそうは解釈しづらい、ということです。一般人のロボットのイメージで見るなら別、というのは前回のエントリでも説明した通りです。

人工知能学会も最初に「掃除機が人工知能になっていることを表しています」と説明してしまっているので、工学の一分野として人工知能研究を見ている人からすると、本を読んでいるのは説明と矛盾しているようにも見えるし、整合的に解釈するなら、手にしているのは一般的な本ではなくてマニュアルあるいは命令書ではないか、とも解釈できるんですよね…

人工知能学会から公式見解が発表されましたが、納得できた?

年が明けてから人工知能学会の公式サイトで今回の騒動についての公式見解が公開されました。

「性的役割分業」という言葉は使っていませんが、同様の趣旨のステレオタイプで解釈される余地があったことについて「公共性の高い学術団体としての配慮が行き届かず、深く反省するところです」としています。

ただ、「不快な思いをされた方々、また人工知能学会を日頃から支援して頂いている関係者の方々に深くお詫び申し上げます」という形のお詫びは少しズレているかな、とも思います。誰もあの表紙を不快に思わなかったとしたら、そんな社会は性的役割分業に誰も疑問を持たない社会に違いないのですから、不快にさせたこと自体が問題なのではないのです。*9

また、公式見解では表紙のデザイナーによるデザインの意図が紹介されています。

「擬人化」という表現技法を用いて、日常生活に人工知能が擬人化され溶け込む場面を描いた。このロボットはほうきや本と互換性があり、いままで人間が育んできた文化を置き換えるのではなく、いまの文化や生活を大切にしながら、そこに溶け込んでいく技術であって欲しいという願いを表現している。

「人工知能」の表紙に対する意見や議論に関して | 人工知能学会 (The Japanese Society for Artificial Intelligence)

面白い観点ですし、ルンバで掃除できるような平坦な床が全く残ってない部屋に住んでいる身としては、この発想には「いいね!」したい気分です… その一方で、大切にしたい「いまの文化や生活」の中に性的役割分業のステレオタイプも無意識のうちに混ざり込んでしまったのではないか、とも思いました。

とはいえ、この激しい喧騒の渦中にあって表紙問題に関する議論を「人工知能を搭載したロボットが将来、日常生活で使われる際に、その外見はどうあるべきかというのは深い問題」として研究者にフィードバックしたい、という態度は立派だと思います。

海外でこの件が批判的に紹介されているようだけど…

BBC News の News from Elsewhere という海外メディアから話題を拾って紹介するブログで、今回の騒動が紹介されています。

経緯はともかくとして、人工知能学会の編集部の弁明が妙なことになっています。

Defending the choice of cover image, the head of the journal's editorial board said it was the overwhelming choice of society members from the 100 entries submitted.

(試訳: 学会誌の編集委員長は、この表紙を選択したことについて、この表紙は100件の応募作品の中から学会員の圧倒的な支持を得たものだ、と弁明した。)

BBC News - Japan: Artificial servant girl sparks sexism row

これじゃあ人工知能学会ヤバいよ! って話になっちゃうじゃないですか… 編集委員長、本当にこんな「弁明」をしたんですかね?

そもそも選出プロセスから言って「学会員の圧倒的な支持」などない、ということについては、冒頭で紹介した大澤さんのブログで説明されています。

数多くの意見の中には「表紙は一般投票でも、圧倒的一位で選ばれた」従って「人工知能学会一般の意見が表紙に代表されている」ということを前提とした意見が散見されます。表紙に肯定的にせよ、否定的にせよ、これは事実とは異なります。

(中略)

以上から、「表紙は人工知能学会の会員の大多数によって選ばれた」という見方だけは、訂正しておきたく思います。また、これは熟慮を求められる通常の選挙とは異なります。「会員のうち数%が、11/11-13の仕事の合間に、幅広い読者層にアピールできるデザインを目指して、たたき台となる表紙を選んだ」と捉えるのが、現状をより表していると思います。ここから、表紙の選定が「会員全員の意識を表していた」と導くのは、ミスリーディングだと思います。

Thinking Spot: 人工知能学会の表紙について、会員として調べた/考えたこと

BBCの記事のニュースソースは朝日新聞の英語版記事です。

確かに「圧倒的多数の支持」について代表の説明があるのですが、単なる選考プロセスの説明で、直接的には「弁明」というニュアンスはないような…

Yutaka Matsuo, a University of Tokyo associate professor who heads the editorial board for the journal, said the JSAI had posted an online call for cover illustrations. The work in question, drawn by a female illustrator, obtained by far the largest number of votes from JSAI members and nonmembers among the 100 entries submitted.

The illustration was also the top choice of the 30-member JSAI editorial board, which has three female members. It was second choice with the 20-member JSAI board of directors, which has one female member.

(試訳: この学会誌の編集委員長である松尾豊東京大学准教授は、人工知能学会はインターネットで表紙イラストを募集した、と語った。問題となっている作品は、女性のイラストレーターが描いたもので、100件の応募作品の中から、人工知能学会の会員と非会員から圧倒的多数の票を得た。

このイラストは、3人の女性を含む30人からなる人工知能学会の編集委員においても第一候補であった。1人の女性を含む20人からなる役員会においては第二候補であった。)

Robotics journal cover draws accusations of stereotyping women - AJW by The Asahi Shimbun

イラストレーターが女性で、委員に女性が何人いて、というあたりが弁明じみていると解釈できなくもないですが、この手の差別問題では組織構成員の多様性が問われるのは普通の事なので、単に問われて答えただけのようにも見えます。

このあたり、BBC の当該記事の性質から言っても、編集委員長に追加取材したわけではなく、単に朝日新聞の記事を拡大解釈(曲解?)したものかと思われます。

とはいえ、「圧倒的多数の支持」については元々誤解を与えるコメントになっていた可能性があります。この件については大澤さんも含め関係者が頑張ってくださるそうなので期待しましょう…

*1:ブログのプロフィールには osawa としか書いていませんが本人に了解を得たので実名で紹介します。

*2:話の中で学生時代に僕が散々迷惑をかけた先生の名前が出てきた時は超あせりましたが…

*3研究テーマと概要 - 構成的発達科学に基づく胎児・新生児シミュレーション

*4:たとえば大澤さんのブログには「クオリアに才能を投資するべきでないと考える理由」という記事があったりします。

*5:具体的にどんなのだ、と言われると困るけれど、理路としてはあり得る、ということ。まあ、あくまで極端な例です。

*6:学術誌の表紙に漫画・アニメ風の絵というのは、今となっては前例も少なくないので、さほど奇抜でもないですが。

*7:赤木智弘氏とか。彼は彼で別の理由で「選べない」のかもしれませんが…

*8:サブカルチャーの中での「メイドロボ」の扱いを考えるとあり得なくはない、ということ。ただし、僕には、その手のイメージからは距離を取った作風の絵に見えます。

*9:もっとも、逆に、社会から一切の性的役割分業がなくなり、かつてそれがあったことも忘却された社会においても、あの表紙を誰も不快に思わないことでしょう。しかし、それは遠い未来の可能性の話でしかないし、果たしてそういった過去は忘却されてしまっていいのか、という問題もあるでしょう。