「セカイカメラ」に感じた閉塞感打破の可能性

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今月18日に渋谷のセルリアンタワーで行われるアンドロイドセミナーに絡めて日経エレクトロニクスさんがセカイカメラの可能性について触れて下さっているのですが、なんだかちょっと「こそばゆい」と言いますか、未だちょっとした思いつきの段階にここまで褒めて頂き恐縮しています。

ただ、セカイカメラハードウェアの「妄想」を少しだけリアルに近づける意味でも、さらに妄想拡張しますと「サービス」視点からハードウェアを構想するというアプローチは、アンドロイド以降のモバイルデバイスの潮流を考える上で非常にアリな切り口なのだろうと思います。

それは、今更ですがアップル iPod やアマゾン Kindle などの事例に明らかな様に、ウェブエコノミーこそが利用者のコミュニケーションやコミュニティなどの経験性を変革し続けている昨今「サービスをベースにする発想でない限り時代的な要請に応えて行く事ができない」という命題なのだと思います。

ここから本題なのですが、実は日経エレクトロニクスさんの事前取材で申し上げたかったのは、そういったサービス視線によるアジャイルなデバイス開発と、現状のエレクトロニクス企業の組織体が非常に大きな不整合を起こしているのでは?ということでした。

基本的にはソフトウェアの表層(インターフェイス部分)でしか開発経験の無い自分にファクトリーベースの開発行程を云々する下地などまるで無いのですが、たとえばフェイスブック的な使い勝手のリアリティって非常にフラジャイル(可変部分が無茶苦茶多いですね)で、アドホック(状況に応じてダイナミックに切り替わるし、第三者の突然のコミットに応じてもその都度変化する)な設計デザインですし、その設計基準は「クライアントとサーバーを全体として扱うインタラクティビティの心地よさ」こそが軸だったりします。
ですから、そもそもフィーリングとかセンスの部分プラス、相当クリティカルなサーバーサイドのチューニングの併せ技になります。

その双方とも日本の製造業があまり得意としてこなかったというか、むしろ必要がなかったので鍛錬されなかった領域のように思います。考えてみればUIやそのデザイニングなんて、ハード優先の時代(それこそ大した昔ではありません)にはむしろ表面的なお化粧に過ぎなかったのが、今では、それがデバイスの成長と発展をドライブするコア要素だったりします。 それにウェブインターフェイスクラウド的なソーシャルグラフの束との結合を目の当たりにしたのはせいぜいここ数年の話です。

ですから、そこのギャップを目先の微調整で切り抜けるというのは相当大変なのでは?と思いますし、またさらに深刻なのが、たとえば上のフェイスブック的なリアリティはネットネーティブな経験や感性と大きく結びついている上に、基本的にはコミュニケーションやコミュニティの領域ですから、従来企業的なマネージメントにとってはある種“水と油”な体験性です。

極端な言い方をすると、スケボーで通勤したりiPodで音楽聴きながら仕事する感覚が求められると言いますが(いや、見た目というよりはライフスタイルという意味で)。

isologueさんで「タメグチ的ガバナンス」というキーワードを拝見して「なるほど!」と思ったのですが、Diggのケビンローズに代表されるようなネットネーティブな起業家はそういったライフスタイルが血肉になっていることが当然の前提で、そういったロール・モデルを既存メーカーのマネージメント層にいきなり当てはめるというのは無理といいますか、破壊的に困難なのでは?と感じます。

つまりタメグチ的なフラット志向はウェブエコノミーにはよく合致しているし、逆に非タメグチな組織はなかなかそこの取り込みが(エラい人はウェブソーシャルな場にはなかなか入りにくいですよね)難しい面がある様に思います。

でも、その一方では、海外メーカーやキャリアはメールやスカイプ等駆使してどんどん迫ってくる(そのスピード感とカジュアルさは、日本の株式会社のイメージとは大きな隔たりがあります)現状がありますから、そのビハインドはますます広がっていくのではないでしょうか?

そういった状況をどう捉えて、さらにどう組み立て直すべきなのか?僕にはまったく分かりませんし、そもそも自分たちの舵取りだけでも精一杯な現状なので何かもっともらしいことを言うのは困難です。

ただ、「メールを使いましょう」とか「スカイプ便利ですよ」とか、そういう次元ではなく、ウェブエコノミーを空気の様に体感しながら生活する感性をベースに挑む事はもはや当然の前提と捉えざるを得ないのではないでしょうか?
そして、さらにそこから出てくる製品のコンセプトやポジショニングはそれこそ日本独自の感性や価値観を盛り込んだ物の面白さがあるのだろうと思います。

たとえばセカイカメラって、ある意味「コトダマ」とか「百鬼夜行」「モノノケ」などのイメージやメタファに相当被る部分がありますから、そういう根っこのところにあるオリジナリティは大きな財産なのでは?と思う次第です。そういえばエアタグを防御する「お札」とか、あるいは「ATフィールド」とかってすごくイメージし易いですし、そういった共通言語を共有して新製品をストレートに議論出来る下地の存在も、考えてみれば日本的な強みですよね。

恐らく「童心」に戻ればエラい人もエラくない(僕みたいな)人も等しく共有している「何か」があるんじゃないかと思います。果たしてそういった気付きが日本製造業の福音になるのか?ならないのか?は分かりませんが...。

※アンドロイド・ファウンダーのアンディルービンと。もちろん彼もタメグチ的ガバナンスの真骨頂的な人物です。