『冒険を終えたので』


まだ好きなSSは残っていますが、
それをアップしながら最後の心の整理をして、
そろそろ魯智深という彼の作ったキャラクターと、
交代した中の人の私との旅を終了しようと思います。


以降は現実の話になります。
そういう話題は勘弁という方もいらっしゃると思いますので、
ご注意下さいませ。


フレの方や、一部のお話した方には説明しましたが
私は魯智深の中の人の妻です。


いつも陽気で元気だった彼が原因不明の病気で入院。
二週間後、ようやく病名が特定できた、治療が開始された
その日に彼は逝ってしまいました。


こんな事になるなんて二人とも思わず、
入院したその日に個室のベッドの上から親友のtakamackyさんに
『ブログを更新しておいて』と微笑みながら
携帯からメールを送っていた事を覚えています。
そんな時にもこのブログの事を考えるくらい
大航海時代オンラインというゲームが好きな人でした。


二人並んで大航海時代をやっているとき、彼は時々ふっと
「僕は本当はこの辺(欧州)よりも喜望峰から東が好きなんだ。
早く海事が強くなってたどり着けるといいなぁ」と呟いていました。


なので、せめて魯智深には喜望峰を見せてやりたい。
そんな事を思って、人がプレイするゲームを見るのは大好きだけれど
自分では殆ど、オンラインはおろかオフラインゲームすら
まともに最後までやったのは一本きりという
おぼつかない腕前の私が中の人を引き継ぐことにしました。


そう決めたものの、彼はPCに大変明るく、私は大変疎く、
自宅のPC絡みの事は全部彼に任せていたので、
彼のPCのログインパスワードも、大航海時代のIDもパスも不明。
大航海時代にオフラインゲームのようにソフトが存在するのか否かも、
数ヶ月の放置で利用料がどうなっているかも(どういう支払い方法かも)、
私がキャラクターを引き継いでプレイしていいのかも分からず
検索しまくるも頭が働いていないのか中々見つからず、
見つかっても文章の意味が飲み込めず(苦笑)。


そんなこんなで各種IDとパスを探ること数週間、
ノートンの強固な回線切断を乗り越えて接続でき、
ようやく魯智深の姿を見た時には力が抜けました。


その後の様子が、1/15のブログ内容です。


ブログを書いたのは操作になれて来た頃なので、
とぼけた書き方をしていますが、
実際はヘルデル〜アムステルダムを彼は0日航海をしていたのに、
私はガイドを片手にしていても、マウスの使い方がよく分からない、
分からないから視点の切り替えも街の歩き方も船の進め方も怪しい。
5日経って、何をどう操作したか分からない状態で
半泣きボロボロでアムスにたどり着いています。


いつまで大航海時代に繋いでいられるか分からないのに
(アカウントの支払い切り替えの方法がこの時点で
分かっていなかったので、
彼のクレジットカードの失効=終了かもしれないと思っていました)
こんな調子で喜望峰へたどり着けるのか。
なんとか到着したアムステルダムで茫然としていると
TELLが届きました。のちのちさんでした。


事情はよく分からないが魯智深がインしている。


インに気づいた彼女はTELLの後、
即座にアムスへ駆けつけてくださったのです。
私は慌ててガイドブックをひっくり返してTELLの返し方を調べ、
延々と長文で事情を捲し立てました。今思うと動揺しすぎです。
のちのちさんは冷静にあちこちのフレへ連絡してくださっていました。
後から後から多くのフレの方からTELLが届き、
セルゲイ・ヤナポンスキーさんと
EXILLIONさんもアムスまで来てくださいました。


そして皆様からの本当に親切で丁寧なレクチャーが始まりました。
夫はSSを撮る時に色んな機械とソフトを立ち上げていたので、
それを起動しないとSSは撮れないと思っていた誤解がとかれ、
今後の指針やチャットの方法、視点の動かし方、街の歩き方、
モーションのやりかたなどなどを教えていただきました。


その日、最後に皆で乾杯して、落ち込んでいた私は
再び「頑張ろう」と思えるところまで引っ張りあげていただいたのでした。


(続く)