日々是好日

2018-11-13 謝罪

やっぱり、謝罪するとしないとでは大違いなんだな、と思った。

謝罪文を読む前と読んだ後では、気分が全然違った。

アメフトの宮川選手が謝罪した時も、間違ったことをしたけど、それに本当に真摯に向き合ったんだな、ということがわかって逆に感心したけど、それくらい、謝罪には意味があるんだと思う。


応援するのはいいけど、間違ったことを擁護するのは違うと思う。

間違いは間違いとしてちゃんと認識した上で、そこはちゃんと指摘した上で、応援してほしい。

盲目的に擁護するのは違う。

それはモンスターペアレントみたいなものだから。

愛情があるなら、間違ったことは正していかないと。

また同じ間違いをしないように、注意してあげないと。

それが本当の愛情だと思う。

だから、キノコ雲のTシャツを着ても「別にいいじゃん」というのはおかしい。

その感覚に危機感を覚える。

そしてデマであってほしいけど、本当かどうかわからないけど、これがきっかけでTシャツが再販されるとか日本からも購入が・・・とかいう記事を見かけた。

もしそれが本当なら、世も末ですよ、まったく。

本当に、デマであってほしい。


こういう出来事やそれに対する反応を見ていると、そりゃトランプが大統領になるのも無理ないのかな、と思ったりする。

世の中のみんなが分別があるわけじゃないし、物事に対する感度が高いわけじゃないし、経験値や理解力が高いわけじゃない。


ただね・・・

うっかり間違えることはあると思う。

でも大切なのはやっぱり、そのあとの姿勢や態度であって、どのように対応するかがその人の人間性を語るんじゃないのかな。


だからやっぱり、所属事務所がちゃんと謝罪してくれて本当に良かった。

それに尽きる。

例えばこれがきっかけで、もっとそういう社会的な感性が磨かれた活動になっていくなら、それこそ怪我の功名のようなことになるわけだから。

プラスに転じてほしい、本当に。

2018-11-10 その手に信念を握って

書きたいことがたくさんある。

わたしには本当に波があって、書くことが何も出てこない日もあれば、書きたいことがわんさか出てくる日もあって、でもわんさかありすぎる日はそれはそれで書けなくなる。

手がつけられなくなるというか、収拾がつかなくなるというか。


でも、書くことが出てこない日も、それは何もなかったからじゃなくて、考えていることや感じていることは常にあるんだけど、ある意味「まとまった形」にならないだけで、いろんなことが渦巻いている状態で、それがある一定に達すると、わーーーーーっと溢れ出てきて、急に形を成して押し寄せてくるような感じだ。

だからもう、今日のページはものすごく長くなるかもしれないけど、すべてを入れてみようと思う。


朝、なんとなくネットの記事をスクロールしていたら、「せやろがいおじさん」のYouTubeについて書かれてあって、「死んだら負け」についても動画を挙げていると読み、そこから見に行った。

なんか、最終的には涙が出てきた。

わたしの感じた違和感を、こんなにも的確にユーモアも交えて形にするとは。

新潮45の記事についても、渋谷ハロウィンについても。

少し前、初めて見たのはオリンピックボランティアについての動画だったけど、その時も感心したけど、今回はチャンネル登録しちゃった。

そうやって発信して、誰かに伝えるということ。

大事なことだと思う。


もう一つ、「謝罪」について。

国家間だとか外交問題だとかなんとか、いろんな背景があるのかもしれないけど、どんな問題であれ、誰かを傷つけたのであれば謝罪しない理由はないと思う。

それは最終的には人間としての問題であり、国籍云々以前の問題だと思う。


戦争責任」と言ったときに、謝罪すべきは誰なんだろうと考えてみた。

言い出した人なのか、賛同した人なのか、反対しなかった人なのか。

そう考えていくと、明確に「誰」という判断はしづらいように思う。

だから結果として、「誰も謝罪しない」ということになる。


だけど誰かを傷つけ、苦しめたのであれば、それを認めて謝ることが必要だ。

それは国家間だけの問題じゃない。

先日知覧に行ったという知人の話を聞いた。

戦争で傷つけたのは、相手だけではない。

自国民だって、傷つけている。

どれだけの若者が死ぬために飛び立っていったのか。

国のために自爆するって、何?


だから、みんなに謝罪すべきだ。

攻め入った国の人々にも、戦いに巻き込んだ兵士にも、地上戦になった沖縄の人々にも、空襲原爆で被害にあった人々にも。

もし誰も謝ってないなら、わたしが謝ろう。

あのときの日本は間違っていました、多くの人々を傷つけました、本当にごめんなさい、と、日本人として謝罪するのは何もおかしくないんじゃないか。

そのようなことが二度と起こらないように努力します、と、過去から学び、進んでいくしかないんじゃないのか。


一つ興味深かったこと。

原爆投下は戦争を終わらせるために仕方なかった」と考える人の率。

その記事に書かれてあったのはアメリカ、日本、韓国ドイツの4カ国だけだったんだけど。

ドイツは日本の7%よりも低い4%だった。

日本よりもドイツの方が低いとは。

それで思い出したのは、ドイツの教育。

ナチスドイツの過ちを徹底的に教えていると聞いたことがある。

二度と繰り返したくない黒歴史に、ちゃんと向き合う。

原発だって、廃止にした国だ。

日本より徹底している。


それで思い出したけど、ベルリンの壁の崩壊って、当時はなんだかよくわからないけど衝撃的だった、くらいのイメージだったけど、少し前に生徒と「ドイツは昔は西と東に分かれてて、それがベルリンの壁が崩壊して統一に向かって・・・」と話していて、それまでには考えてもみなかったことが、誰かの発想の転換で「そんな壁は壊しちゃえ」になって、あっという間にみんなに広がって、最終的には統一に向かった、って、改めてすごいなと思った。

もちろん、水面下での動きがあってのことだけど。

意識の高まりの結果ではあるけれど。

それでも、何かを動かすという人々のエネルギーを感じて、心が揺さぶられる。


話が逸れたけど。

結局、人々の向き合う気持ちと思いの深さが歴史を変えていくんだろうと思う。

諦めるのではなく。

ただ流されるのでもなく。

ハンマーで壁を叩き続ければ、世界は変えられる。

なんだかショーシャンクを思い出した。

壁を削り続けて脱出する。


その手に握っているのは、信念だ。

2018-11-09 もうそんな時代じゃないのに

争ったりいがみ合ったり貶めたり足を引っ張り合ったり。

もうそんな時代ではないのに。

誰がやっても悪いことは悪いんだから、お互いにそんなことはやめればいい。

そんな簡単なことが。

そんなシンプルなことが。

どうしてそんなに難しいんだろう。

2018-11-08 BTS問題

わたしがこんなところに書くことでもないのかもしれないけど。

こんなことになるなんて。

残念というか、なんというか。

なんじゃそれ?というか。


少し前に、BTSのことを高校生の生徒が話してて、わたしは基本的にアイドルグループ韓国の方がレベルが高いと思っていたから、人気が出てきているんだなー、と思っていた。

それより前、いっとき全然韓国の音楽が流れなくなった時期にも生徒と話していて、中高生のKーPOP人気はメディアが流さなくてもあるものなんだと思っていたんだけど。

そして今回はアメリカで盛り上がったりしてたから、日本でもいけるかな・・・と、期待していた。

それはなんというか、見えない壁を取っ払うみたいなことに対する期待だった。


なのに。

なんなんだ、これは。


こうなると、なんか裏があるんじゃないの?とか思ってしまう。

わざととしか思えない。

誰かが陰謀説でも唱えてくれた方がよっぽど納得できる。


ファッションとは、その人を表すものだと思う。

そんな意識を持っていない人もいるけど。

そういう文化的なもの、音楽もファッションもダンスも、「表現活動」なわけだから、すべてひっくるめて意味を持っている。

わたしの好きなロックがああいう服装なのも、「反体制」だったり、何かに抗うことが姿勢に表れている。

トランプ政権の集会に自分たちの音楽を流すのはやめてくれ、と言うのも、ちゃんと意思を持って表現しているからだ。

だからどんなTシャツを着るのかも、ちゃんと彼らは考えて着ているはずだ。


今回のことは、ある意味「失望」なのかもしれない。

それは人間としての問題だから。


どんな国の人でも、その国にどんな歴史的背景があったとしても、原爆の写真をプリントしたTシャツを着ていたら、わたしは軽蔑する。人格を疑う。

誰かも「それは私は殺人者を支援しますと言っているのと同じだ」と書いていたけど、そういうことだとわたしも思う。

そんな無神経なことをできる感覚を疑う。

それは自分が日本人だからということとは別の次元の、人間としての問題だとわたしは思う。

ナチスのマークには嫌悪感を感じるし、昔の日本の国旗にも抵抗がある。

それは戦争=人殺しという連想があるからだ。

その原爆の下には、何万人もの人がいたのだから。


そんなこともわからないのか、と、いつも思う。

だけど世界では今も戦争が行われ、銃の乱射事件が起き、人の命が簡単に奪われている。

その無神経さ、無感覚さが、それを可能にしているのか。


だからもう、本当に失望でしかない。

そして当人はコメントすら発していない。

これに対して、どういう態度をとるのか。

人気が出ていたところに、水を差すような行為。

それは日本だけの問題じゃないとわたしは思う。

まさか、アメリカだからそのTシャツが問題にならないとか、ないよね???

ソルマ、ないよね?


だからといって、わたしが韓嫌になることはない。

それは個人の問題だから。

ただ残念というか、若干裏切られたような気がするだけだ。

まさかそんなことをするとは思わなかったから、寝耳に水というか。

だから本当に、誰かの策略だった、と言われた方が気が楽だ。


そんなTシャツが作られて売られているということ。

どこの国にも、そういう人種がいる。

人間の弱さにつけ込み、利用する人種。

乱射事件には、施設に銃を持った警備員がいたらよかったんだよ、と言うバカ大統領

人間の知能が、こんな風に愚かに消費されているのかとうんざりする。


知性と感性は一致する。

もっと知性のある人間が増えることにはならないのだろうか。

地球の未来を危惧してしまう。

もっと希望を持ちたい。

この愚かさをなんとかしたい。

2018-11-07 話しやすい?

人と人とのコミュニケーションは相互作用だから、盛り上がる盛り上がらない、話しやすい話しやすくないは、双方の理由によると思う。

それでいうと、やっぱりわたしって話しやすいの?と思うことがある。


今の職場で、アメリカに依頼の電話をかけることがある。

とはいえカナダでも受電しているらしく、いわゆるアメリカ人でない人だったりもするんだけど。

相手にもよるんだろうけど、なんとなく、わたしがかけたときに対応してくれる人は、雑談をする割合が高いように思う。

他の人の電話が聞こえてきても内容だけ言っているように思うんだけど、そっちの天気はどう?そっちは夕方なんでしょ?日本もその日は祭日なの?とか、うれしそうに話しかけてくる人がいるんだけど・・・・わたしだけ?

まぁ、だけってことはないんだろうけど。

でも明らかに他の人の時と雰囲気が違うように思うのは、気のせい?


上司?に言ったら、それは発音が綺麗だから、わたしみたいなチングリッシュだと話してこない、とか言っていたけど、そういう問題じゃないように思う。

たぶん雰囲気で、「この人、雑談しても大丈夫そう」と思うんじゃないのかな。


あれ?また?ここでも?と思った。

国籍とか人種とか文化とか、関係なく。


そんなとき、ちょっとフレンドリーすぎるのかな、とか、プロフェッショナルに欠けるのかな、とか、気にしてしまう。

自分がそういう部分を引き出してしまっているような気がして。

わたしが相手だと緩んじゃう、ってこと?

それって、いいのかな?みたいな。


たまたま、フレンドリーな人に当たっているのかもしれない。

もちろん淡々と必要事項だけ確認する人もいたけど。

でもなーー。

なんか気づくと、「○○だよねー」みたいな話し方になっちゃう。


それっていいの?大丈夫なの?とか思うけど、きっといい悪いではないし、よくても悪くても変えられるものでもないし、変えなくてもいいんだろうと思う。

いや、別にそれでいいんだろうなー。

そんなわたしでいいんだろうなーー。


わたしが「話しやすい人でよかった」と思っているということは、相手も同じことを思っているのかもしれない。


ちなみに、This is .... と名乗ると、必ずHi, Tomoko, how are you? ときいてくる。答えた後、わたしはいつもHow about you?と言ってしまう。

それはなんとなく、How are you? で聞き返すより、How about you?と言ったほうが「あなたはどう?」というのが伝わりそうな気がするからなんだけど。

単なるお返しではなくて。

ちょっと大袈裟かな、とは思うけど、変えられない。


話しやすい人であること。

もっと自信を持っていいのかも、と思う。