秋風の吹く先

 8月の終わり、路地に吹き込んだ風に運ばれるようにして、秋めく街路にたどり着いた。言葉でできた建物に、目移りしながら進んでいく日々。穏やかで平和な街並みはずっと居心地がよくて、流れる時間は緩やかでいとおしく思える。


 忙しさに拍車がかかる10月に、あまりいい思い出はない。人恋しくなる季節の変わり目を思い返せば、そのぶんかつての痛みが甦る。どうしてこうも重なるのだろうと笑いたくなってしまうほど、思えばいろいろなことが重なっていて、けれどそれは動かしようもない確かな過去で、現在の自分を形作る一部分なのだと認めざるをえない。
 否定したくなる過去にきちんと向き合えてこそ、前に進めるとも思っているし、同じことを繰り返すことだけは避けたくて、記憶の痛みと闘い続けている。


 とりとめのない時間の連続が、足元に続く道になって伸びていく。交わした言葉のぶんだけ、深まっていく木々の彩りがあって、揺れる木洩れ日の上を一歩ずつ進むようにして、優しい陽射しに目を細めた。


 昨年の今ごろから、少しずつ暗雲が垂れ込めてきて、10月を無事に終えることができずに2週間の療養が始まった。それはとても貴重で有意義な時間だったし、休んでよかったとは思うけれど、休んでしまったこと、堪えられなくなってしまったことは、一つの事実として、案外根深く自分のなかに残り続けている。もう大丈夫と言い聞かせてみても、同じようなことはまた起こりうるかもしれないという可能性が、そのときは思いもしなかった微かな恐怖として自分の中にあるのだと思う。


 こちらの呼びかけにこたえるようにして届いた声は温かく、深い安心感に包まれる。それは遥か遠くからのようでありながら、ずっと近いところで発せられたもののようにも思える。距離を距離として感じずに、ただ目を閉じてその声にひたっていたいと思った。


 これなら大丈夫かもしれない、と思い始めている。何度となく折れた心は少しも強くなっていないけれど、致命傷から逃げるすべだけは、多少なりとも身についたような気がしている。まだもう少し、闘っていられるのではないかと思いながら、大きく息を吸って、新しい一日に飛び込む。


 息継ぎをするように浮かんだ海の上で、波音の彼方に浮かぶ月を仰いで、その光をじっと見つめては目を閉じ、心地よい夜の海に何もかもを委ねている。失いたくない安らぎが、この先もずっと続けばいいなと思いながら、祈るようにして星と星を結んだ。
 できあがっていく星座に、まだ名前はない。大切に温めた言葉を紡いで名前をつける楽しみが、夜の果て、天の川の先に待っているのかもしれない。
 一筋の光が、夜明けに向かって流れていく。