2010-10-01から1ヶ月間の記事一覧

偸梁換柱の計 がんばれ前原     

ハノイで予定されていた日中首脳会談が前原外務大臣の態度を理由に突然キャンセルされた。これには5つの要因があると考えられる。①尖閣諸島について日中間の密約があると雑誌アエラが報じたものがネットで中国に流れ、政府は日本に甘すぎると考える普通の人…

マキアヴェッリの忠告

思わぬ本の中にマキアヴェッリの名前を見つけたこともあって、塩野七生さんが訳された彼の語録(新潮文庫)を読んでいる。彼は1469年に大激動期のフィレンツェに生まれた外交官だった。「政治は宗教と道徳から離して考えるべき」という現実主義的な政治論を唱…

デモ、事業仕分け、沖縄、テロ 

1.デモ 10月16日、日本と中国でデモがあった。日本のデモは、「いわゆる右翼」のデモでも、興奮している人たちのデモではなかった。動画で確認すると、日本で最もデモをやりそうにない老若男女の人たちが立ち上がったという意味で自分には驚きだった。一方…

中国の大戦略と日本

日本の防衛相が、ASEAN国防相会議でベトナム、インドネシア、オーストラリア、タイ、シンガポールの国防相と個別に会談し、尖閣諸島事件について説明したが、慎重な対応を求める発言が相次いだという。日本の政治家は小中学校の時で取っ組合いのケンカ…

万博後の中国経済に異変はあるか

残っていたフジタの社員1名が解放され日本に帰ってきた。中国は国際交渉で揉めると、中国国内にいる誰かを拘束することが続いている。豪州の資源会社、フランスの重工会社ともそんな事件があった。かつて台湾の企業の社長のご家族にそんなことがあったと聞く…

中国の軍事力と4隻の空母

1.問題の中心 尖閣諸島事件に抗議する東京でのデモの参加者は2700名にのぼった。ごく普通の人々が中国というよりは日本政府に怒っている。巡視艇の傷跡を見れば、どのようにぶつけられたか想像できる。中国に着いた漁船には石垣島の時にはなかった穴があけ…

尖閣、沖縄そして日本 (2) 

1920年12月、柳田国男は、豊後の臼杵を出発し日向を抜けて佐多岬で年をこし、正月3日に沖縄に向かい、5日に那覇に着いた。そこで後に沖縄学の祖となる伊波普猷(いはふゆう)と会う。それから八重山まで足を伸ばし、1月21日に宮古島、25日に石垣島に着いた。…

尖閣、沖縄そして日本 (1) 

この夏、深夜の再放送でみたのは、佐藤首相の密使として沖縄返還交渉にあたった若泉敬さんの物語だった。佐藤政権は「核抜き本土並み」での沖縄返還を公約として掲げ、米国ニクソン政権と交渉した。万一の際の沖縄への核兵器の再持ち込みを了解するとの密約…