一生ものの本を求めて

さる記事で「まともな本」があまり読まれていないという話をした。まともな本とは、言い換えるならば、個人にとって一生ものの本となる可能性を秘めた本のことでもある。

誰かにとって一生ものの本とは必ずしもたった1冊というわけではない。一生ものの本は増やすことができる。ここが読書の醍醐味であり、面白いところ。
何も「一生もの」とはその人の人生を決定づけるという意味なのではない。「一生付き合える本」、まさにその意味で言っているのである。

西田幾多郎善の研究』はおそらくわたしにとって一生ついてまわる本なのだろう。最近傾倒しているニーチェの著作群も。フロベールも。もちろんトルストイも。三好達治の詩論も。
一生ものの本がいっぱいあるって、幸せだ。