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もっと最高の夢を【〜鼻呼吸〜】

2014-03-30

機動戦士ガンダム第2話「ガンダム破壊命令」

それにしても番組の第2回から主役機の「破壊命令」とはずいぶん冒険したサブタイトルである。ご存知のとおり第1話のサブタイトルは「ガンダム”大地に立つ!”」であり、大地に立った途端破壊されてちゃあたまったもんではない。

そう、前回でガンダムは”大地”に立ったのである。大地といっても地球とか惑星の地面のことではなくコロニーの”大地”であるが。もはや地球ではなくスペースコロニーが彼らの自然であり、大地なのである。

しかし大地に立った途端、ガンダムは宇宙に連れて行かれる(正確には宇宙への脱出)。いちおう地上戦だったコロニー内の戦闘からいきなり宇宙での、しかもシャア専用ザクとの戦闘を強いられるのである。さっきから大地に立ったと思ったら破壊されそうになったり地上戦やったと思ったら宇宙戦強いられたりとか、ファーストガンダムの展開が突飛であるかのようないい方をわざとしていますが、要するにこの時代のアニメ、展開が速かったんですね。

ただ、物語だけ取り出すなら展開はたしかに速いんだけど、それでいてひとつひとつの描写が細かいのがこのアニメの恐ろしいところなんだよな。なんというか、登場人物の一挙手一投足が。登場人物の一挙手一投足をちゃんと描写しているのが見て取れるのだ。作画枚数はたしかに少なめなんだろうけど、キャラの動かし方にしても要点をきちんと押さえているのである。

物語がアニメの全てじゃないんだよな。とりわけキャラに付随する物語にわれわれはこだわりがちだけど、キャラクターとストーリーだけでアニメが成り立っているんではない。アニメは描写の積み重ねでもある。物語だけ追う観方だとつい描写の連続を見過ごしてしまう。

ところでこの回アムロビームライフル撃ち過ぎだろw

機動戦士ガンダム第2話『ガンダム破壊命令』もう少しだけ

ところでこの回だけでもさまざまな主要人物をめぐる事態が進行しているのだが、その代表がキャスバルアルテイシアの再会であろう。この兄妹をめぐる事態を最終話まで引っ張らせるわけだが、実を言うとシャアセイラ兄妹のドラマには昔っからあまり興味ないのよねえ、俺。理由は、なんか華がありすぎるというか。ふたりが向かい合っているビジュアルが華々しすぎるのよね。

星山博之の回想によると富野シャアセイラがお好みだったようだが、星山自身はもっと泥臭いキャラクターが好きで、セイラに「軟弱者!」とぶたれるカイ・シデンなんかがお気に入りだったらしい。僕もカイとミハルの悲劇的なエピソードが好きだった。もっとも悲劇的といってもカイの成長をきちんと描けてるわけだからあれは前向きでもあるのだが。

だがしかしセイラは紛れも無くこのアニメの重要キャラの一人であって、セイラを軸にどう『ガンダム』というアニメ自体が描写されていくかは今後も考えなければならない課題であろう。そういえばセイラってたしかにシャアの妹なんだけど、シャアみたいに強烈な言葉遣いをあんまりしない気がするんだよな。より正確に言えば、シャアのエキセントリックさが受け継いでるんだけどそれが薄まっているというか。

そしてもう一つの主要な関係がアムロとブライトの関係である。この回の最後なんかアムロ、ブライトに明らかに敵意剥き出しであり、ブライトさんにしてもそんなにアムロが弾薬使いすぎた事に対しキレなくても……と思う。

なんというか、ジオンのほうがアットホームですらあるんだよな。緊張感の欠如。もちろん裏ではひどい粛清とかやられているんだろうけど、ホワイトベースにあるようなギスギス感はアニメの表面上に見えてこない。ジオンの方はまったり戦争が進行している雰囲気すらある(毎回重要人物が死ぬけどw)対してホワイトベースアムロとブライトのせいではあるがなんか空気がピリピリしてて、観ていて落ち着かない。

最終的にどうなったんだろう、アムロとブライトの関係性は。「親父にも打たれたこと無いのに〜」→「だから甘ったれというんだ〜」で終わったわけじゃないだろう。なんかこの二人、永遠に仲良くならないまま『逆襲のシャア』まで関係を引き継いでしまったのではないんだろうか。だとすると水と油みたいに反り合わないやつは永遠に仲良くなれないままズルズルと過ぎていき、それが真実であるというのが『ガンダム』に入り込んだ富野的なコミュニケーション論なんだろうか。

富野は自分の作品を「いや〜哲学がありますねえ」みたいに褒められても、「自分が作品で”哲学”している」なんてほんとうは思われたくないのかもしれない。富野自身は大言壮語を吐きがちであっても、本当は自分や自分の作品をそんなに高尚と思われるのはいやなのかもな。

だから「殴られずに大人になる奴がどこにいるか〜」なんてほんとのところは思ってなかったのかもしれないし、『ガンダム』シリーズには富野自身の「ポーズ」みたいな成分が多いのかもしれない。今後も一層富野アニメの表層的理解を超えた分析が必要になってくるだろう。それはそうと、アムロとブライトの関係も宇宙世紀を通してなんだか有耶無耶になってしまった感があるが、それこそもっと立ち入って分析するべきなのかもしれない。

2013-05-05

「静」のアニメ、『機動戦士ガンダム』

BSイレブンの、『機動戦士ガンダム』再放送を観ている。

やっぱり、ファーストは、音の置き方が面白いと思う。
脚本チーフだった故・星山博之が自著で語っている通り、ファーストはTVアニメとして相当に「静かな」フィルムだった。
静のフィルムだった。

興味は、1979年当時の他作品に及ぶ。
1980年前後のアニメをあまり知らないから。同時期のほかのアニメにおける音の置き方、あまり知らないから。
1979年あたりのTVアニメにおける音の置き方がもっと知りたい。知的好奇心がすべてを突き動かしていく。

或るひとつのアニメから、同時期のほかのアニメにおける表現手段に思いを巡らせることができる。
流麗で淀みない音の流れ……惚れ惚れする。『機動戦士ガンダム』、富野の代表作、やっぱり、偉大だ。