Hatena::ブログ(Diary)

この世界は私の生きていたい世界ではない

2018-01-16

2017年に観た映画

この世界の片隅に』。年明け早々良い映画を観られた。戦争によって平穏な日常が失われても、「まともな精神」を保ってしぶとく生きていく。自分を見失わず、周りの人たちを気遣い、今あるものに感謝し……。難しいことだ。

新宿スワン供戞ヤクザの世界も絡んでのシマの奪い合い、潰し合い。前作より「抗争」感が増している。男たちの抗争だけでなく、女たちの闘いも描かれているのがいい。華やかな水商売の世界に身を置きながら、女たちもそれぞれ事情を抱えて人生生き抜いている。続編がありそうな終わり方。

早稲田松竹ペドロ・アルモドバルの『トーク・トゥー・ハー』と『ジュリエッタ』の二本立てを観た。『トーク〜』は昔映画館で観て感銘を受けたのだが、細かいところは忘れていた。改めて観てやっぱり胸がいっぱいになった。切ない愛の物語。最初と最後に出てくるピナ・バウシュの舞台もいい。『ジュリエッタ』は、母と娘の物語。こちらは『トーク・トゥー・ハー』に比べるとスケール感が小さいが、ゆっくり染みてくるような映画。若いころのジュリエッタが奔放で素敵。スペインでは電車とかエレベーターとかで一目見ただけで恋に落ちたりするんだなー、とか思った。恋愛に対するハードルが低い。

グザヴィエ・ドラン監督『たかが世界の終わり』。死を前にした主人公が、それを告げるために12年前に飛び出した実家に帰る。そこで家族の諍いが起こる。結局主人公はなにも言い出せず、彼が12年前に家を飛び出した理由もはっきりとはわからない。ストーリーがなく、もやもやした終わり方。でもこの映画はストーリーを見せるのではなく、ある時間の家族の会話を延々と描いている。母や妹は張り切ってメイクして主人公を迎えるが、兄は始終苛立ち、すべてをぶち壊しにする。ところどころに入る回想シーンの映像や音楽がドランらしくかっこよくて痺れる。はっきりと描かれてない部分を勝手に想像したり、いろんな解釈ができそう。家族の言い合いの場面はいろんな意味で痛かった。言いたいことポンポン言ったら家族なんて成り立たないんだよ。理解できないのが当たり前。でも家族だから理解したくて言い合ってしまう。ヒリヒリ。

早稲田松竹で『オーバー・フェンス』と『永い言い訳』の二本立て。『オーバー・フェンス』は思ったほど重くはなく、普通に良い映画だった。オダギリジョーが爽やかすぎたのか、あまり鬱屈した駄目男には見えなかった。そもそも函館職業訓練校にいろんなイケメンがいるって時点でリアリティがない。蒼井優はエキセントリックでコケティッシュな女の役を上手に演じていたけど、彼女はこういう役が多い気がする。それほど驚かないというか。『永い言い訳』はすごいよかった。本木雅弘の演技が、嫌な奴なのになんか茶目っ気があって、人間的で憎めない。妻にはあんなに不機嫌だったのに、子供の前だと「良いおじさん」になっちゃったり。妻を失った傷や、それまでの妻との関係のストレスが、自分でも気づかないところで大きくなっていたのか。傷を受けたときの人の反応はほんとに様々。ストレートに悲しみを表せる人はむしろ幸せなのかも。この主人公は、悲しくもなく、泣けずにいて、でもすごい喪失感とか自己嫌悪とか様々な感情がごっちゃになっていて、自分が今どんな感情を持っているのかよくわからなくなっている。そんな状況に陥ったときこそ、人の本性が出るのかもしれない。子供二人、特にお兄ちゃんの演技がすごくよかった。撮影で実際に一年くらい時間が経って、髪が伸びたり顔つきも大人になったりしているけど、演技はぶれない。子供たちの熱演がなかったら、この映画の成功はなかった。

パク・チャヌク監督『お嬢さん』。先の見えないサスペンス、壮絶な騙し合い、女同士の官能……というとシリアスなようだけど、いたるところで脱力した笑いが起こってしまう。一言で言えば変態コメディ(笑)。SMとかフェチとか……もう、みんな好きよね〜、という、ぶっ飛んだ映画。カネと性のみ追い求める男の間抜けなこと。一方、欲に振り回されない女は自分の気持ちに正直で、強かで純粋。スカッとするストーリー。女優二人ともよかった。令嬢役の女優は松たか子に、侍女役の女優は安藤玉恵に似ている。日本統治下の朝鮮を舞台にしているから、日本人という設定の登場人物もいるし、皆日本語を話す。しかしそれがカタコトなので、なんか笑えてくる。朝鮮語なのに卑猥な単語だけ日本語だったり、カタコトの日本語で荒唐無稽な官能小説を朗読したり……なんか脱力する。深刻なサスペンスだと思って観に行ったのに、最初のほうはやたら大掛かりなわりに妙にB級ぽい感じで、なんだかヘンな映画だなあと思いながら観ていた。でも第1部の最後の急展開、その後の視点を変えた第2部、あの構成はすごい。ネタバレできないので、とにかく観てと言いたい。

キム・ギドク監督『STOP』。原発事故についての映画なのだが、B級感溢れるトンデモな内容。それでも本人もキャストも大真面目にやっているのだろうというところがすごい。いろんなツッコミどころがありすぎる。それを狙ってやってるのかと思えば単に雑なだけかとも思えたり。ある夫婦の話で、最初から現実離れしているのだが、それがどんどん暴走していく様がすごい。福島のシーンはもう悪趣味というか。聞けば10日間しか撮影時間がなく、監督は10日間ほとんど寝ずに撮ったという。確かにそんな極限状態でしか撮れない映像だと思う。だからこその鬼才。今日は上映後に出演者の舞台挨拶があった。この映画の収益は福島熊本に寄付され、出演者はほぼボランティアで、主旨に賛同した人だけが出ているのだという。監督も役者もスタッフも、この映画を撮ることでなにか社会に貢献したい、という純粋な気持ちを持っている。そこには打たれる。

美女と野獣』。エマ・ワトソンが可愛く、歌も全曲よかったし、映像もすごくて楽しめた。でもなぜベルが野獣を愛するようになったかがよくわからなかった。命を救ってくれて本のことを教えてもらい家族の話ができて心が通じ合い、尊敬し好意を持っても、そこからすぐ「愛してるわ」となるかな?

『メッセージ』。SFだけどヒロインの個人的な人生の物語を描いており、ミステリーっぽくもある。途中ですべてが「あ、そうか!」とわかる瞬間があり、震えた。「時間の流れ」がなくなるって、どういう感覚なのか想像できないな。

『淵に立つ』。凄かった。残酷な話で、いろいろ謎なまま終わるのですっきりとはしないのだけど。夫婦の心の闇みたいなものがリアルで、じわじわと嫌な気持ちになる。特に古舘寛治さん演じる夫は……。妻役の筒井真理子さんがとても美しいので、8年後の彼女の変化がすごすぎて目を見張った。

『セールスマン』。舞台役者をやっている夫婦が、引越し先でトラブルに見舞われる。何者かが部屋に侵入し、妻を襲ったのだ。妻は気絶し大怪我を負う。夫は警察に言おうとするが妻は拒む。二人が演じている『セールスマンの死』の一場面が出てきてそれとリンクするかのように物語が展開していく。暴行事件に対する男女の感じ方・行動の違い、これは日本でもあることだと思う。だがこの映画では妻が、問題解決のために積極的に動こうとせず感情に流されているように見えた。それは男性社会ゆえこういう場合どうすればいいのかという知識が女性側に不足しているからかなと思った。

ダンサー、セルゲイ・ポルーニン世界一優雅な野獣』。セルゲイ・ポルーニンの少年時代から現在までを追うドキュメンタリーで、家族にもインタビューしておりかなり見応えがあった。ダンスは圧巻。まさに「優雅な野獣」そのもので、ゾクゾクした。今の状態をただキープするのではなく、捨ててまた一から始める。常に自らに問い続ける。そんなことをやり遂げるには血の滲むような努力が要る。踊り終わって「クタクタだ」と言って座り込む姿に胸が痛くなった。どれほどの想いが、どれほどの苦悩があるか。

イザベル・ユーペール主演映画『ELLE』。レイプ被害に遭いながらも通報もせず騒ぎ立てずに平然としてるヒロイン。レイプ犯からの嫌がらせは続き、彼女は次々酷い目に遭うのだが、それでも平然としてる。このタフさの背景には彼女の過去のトラウマが原因の異常な性衝動があった。ヒロインはゲーム会社の社長でバツイチだが元夫とも交流しているほか、同僚の旦那と不倫中。息子はもうすぐ結婚して孫が生まれる。そして父親は獄中におり、母親も問題を起こしている。なんかあまりにもいろんなものを背負いすぎていて、生活も派手だし、まったく自分と接点がなくわからない。生きているだけで次々いろんなことが降りかかる人生って大変ねと思った。自分は今、すごくシンプルに生きてるけど、そのほうが楽でいいや。この映画のヒロインは過去のトラウマもあり、自分では気づかないまま異常な性衝動がある。確かに彼女は魅力的だけども、そのせいで男性トラブルが。ヒロインは独善的なので会社の従業員とかから恨みを買っていて、レイプ犯の心当たりがありすぎる。誰がレイプ犯か?というところはサスペンスだけど、それがわかってからも話は続くのが面白い。最後の終わり方は、女性への讃歌なのか?

散歩する侵略者』。長谷川博己がこんなにワイルドな役がはまるようになるなんて!色白で線が細いから、10年くらい前までは王子とかゲイとか鬱屈した文学青年みたいな役が多かったのに。今も相変わらず色白で線が細いけど、確実に役者としての逞しさを身に着けた。いい年の取り方してるな〜。この作品、当たり前だけど、イキウメの抽象的な美術でシンプルにやっていた舞台版が一番良い。ほかの劇団が具象美術でやったものも観たことがあるが、中途半端にリアリティがあってちょっと違和感があった。映画はというとまた別物で、これはこれでわかりやすくて悪くはない。

アウトレイジ最終章』。前作、前々作は、とにかくスピーディに話が進んでバンバン人が死んで、なにも考えず頭空っぽになれる爽快感があったのだが、今回はそこまで動きがなくちょっと重い感じで、個人的には物足りなかった。ラストもスカッとしない。殺すシーンの残酷さは好きだったけど。

『アンダー・ハー・マウス』。女性同士の性愛もの。激しいセックスシーンが多く、女優はもちろん全部脱いで体当たりの演技。ストーリーは王道な感じで捻りがないが、女優が綺麗だからいい。特にダラス役の女優がかっこよく、おっぱいも綺麗。そういう見方をすべき映画。

『IT』。スティーブン・キング原作のホラーものだが、幽霊とかではなくピエロだし、「恐怖」の概念が人によって異なるという映画なので、怖さはあまり感じず。むしろ子供たちが皆で「それ」を倒そうという青春ドラマ的になっており、笑えたり微笑ましい部分もかなりあった。

フランソワ・オゾン監督『婚約者の友人』。婚約者を戦争で亡くした女性のもとに現れる謎の男性……男女の機微を切なく繊細に描いた良い作品。カラーとモノクロの使い分けも面白い。でも私はオゾン作品では『17歳』『スイミング・プール』のような刺激的な作品のほうが好きかな。

岸善幸監督『あゝ、荒野』前後篇鑑賞。トータル6時間。ヤバいこれ。凄まじい。後篇のクライマックスは息をするのも忘れるほどだった。憎しみを原動力に生きる新次、臆病で不器用だが愛を求めているバリカン。孤独な人々の魂が繋がるのはリングの上のみ……菅田将暉ヤン・イクチュンも本当に素晴らしい。孤独な人間同士が繋がろうとする姿に泣いてしまう。いくらセックスしても繋がれない。ボクシングで殴り合うことで愛してほしい、繋がりたいと希求する。バリカンの新次に対する複雑な想いにグッとくる。設定を東京オリンピック後の2021年にしたのも素晴らしい。今よりひどくなってる社会で、人々は絶望し生きる目標を見失っている。

ナ・ホンジン監督『コクソン』。怖すぎるし謎すぎる。人の負の部分に強く訴えかけてくる感じで、引き摺られそうになる。

最低。』。AVをめぐる3人の女性のお話。AV撮影シーンのエロさが良かった。母と娘の関係について丁寧に描いていて思いがけず真面目な映画だった。

2015-11-06

ナショナル・シアター・ライブ『スカイライト』

演劇界最高峰の英国ロイヤル・ナショナル・シアターが、イギリスニューヨークで上演された舞台のなかから特に注目の演目を選び、最新技術によりデジタル映像化して映画館で上演するプロジェクト『ナショナル・シアター・ライブ』。
現在、世界40か国以上で上映されており、日本でも昨年から上映がスタートした。
ロンドンブロードウェイまで行かないと観られなかった上質のストレート・プレイが映画館で楽しめるとあって、演劇ファンの間でも注目を集めている。
評判を聞きつけ、先日、吉祥寺オデヲンまで『スカイライト』を観に行った。
実際の舞台が撮影されているので、客席の笑い声なども入っており、臨場感に溢れている。
二幕もので、間に20分の休憩が入るのだが、その間は映画も休憩に。スクリーンには休憩中の客席の様子が映し出される。休憩中に、劇場で本作の脚本を手がけたデヴィッド・ヘアーへのインタビューが収録され、それも上映される。

『スカイライト』は、1996年に初演されたイギリスの舞台だ。演出は映画『めぐりあう時間たち』『リトル・ダンサー』などを手掛けたスティーヴン・ダルドリーが、戯曲は映画『めぐりあう時間たち』『愛を読むひと』などを手掛けたデヴィッド・ヘアーが担当している。
昨年18年ぶりに再演され、ブロードウェイにも進出してトニー賞最優秀リバイバル賞を受賞した。今回のナショナル・シアター・ライブは、このときの上演を撮影したものだ。

かつて不倫関係にあったトムとキーラが、トムの妻の死をきっかけに3年ぶりに再会する。思い出話をしているうちに、いつしか激論になり……という話で、ほぼ二人の対話だけで進行する(冒頭とラストは、トムの息子エドワードとキーラの会話)。

舞台はキーラのアパート。中央にドアが、右手にキッチンとテーブルが、左奥にベッドが配置されている。質素な部屋の舞台セットの背景には、一面に無数の窓が並んでいる。窓の明かりは点いたり消えたりしており、窓の向こうに様々な人の生活があることを示す。いかにも狭く古いキーラのアパートと、無数の窓との対比が面白い。人の出入りのときなどに室内の壁が動き、外が見える。この舞台美術を見ただけで、これからなにかすごい舞台が始まるんだなと期待させられる。

ある夜、夕食の支度をしようとしていたキーラのもとを、トムが突然訪ねてくる。トムは60代くらい。キーラの年齢は30手前という設定だから、二人は親子ほども年が離れている。
ちなみに、トム役のビル・ナイは、現在65歳。1996年の初演でも同じ役を演じている。ということは、初演時は二人の年の差は15歳くらいの設定だったということか。ビル・ナイの演技は見事だったが、やはりこの役をやるには年を取りすぎているのでは……と思った。特に前半はまだ二人の間に遠慮があり、生の感情が出てこないので、元恋人同士だという感じが全然しない。けれど、二人の感情が爆発する後半を観ると、二人が恋愛関係にあったことも納得。この年の差のせいもあってか、男女の生々しい愛憎劇というよりも、自立した二人の人間の尊厳を描いた作品という印象を持った。というかむしろ、この年の差こそが、二人がわかり合えない一因になっているのかもしれない。
トムはウィスキーを飲みながら、キーラはパスタを作りながら(実際に舞台の上で調理していた!)会話する。二人の出会い、付き合い始めたきっかけ、思い出、そして別れ……。会話が進むうちに、二人のかつての関係や現在の状況、考えていることなどが明らかになる。
キーラは学生だった18歳のときにトムの経営するレストランで働きはじめ、トムの家族(妻と子どもたち)とともに幸せに暮らしていた。キーラとトムの関係は6年続いたが、トムの妻にばれ、キーラは黙って姿を消してしまったのだ。
最初は付き合っていた当時の思い出話や、互いの仕事の話などを穏やかにしていた二人。まだ互いに愛が残っている二人は、一瞬元の関係に戻ろうとする。しかし、次第に会話は噛み合わなくなり、互いの生き方などを激しく批判するように。長い間付き合っていたから互いの欠点を知り尽くしている。その上、まだ相手に対して愛があるから、自分と違う考え方を否定してしまう。否定された側もまた言い返す。まだ愛が残っていても、二人は考え方も生き方も価値観も、なにもかも違う。恋愛関係にあれば、そんな違いも受け入れて付き合えるし、むしろ自分と違う価値観を持つ人間との付き合いが自分を成長させることにもなる。けれどいったん別れてしまうと、その違いが明瞭になり、相手の言うことがいちいち鼻につく。
二人の議論貧富の差や教育などの社会問題にまで広がる。これは20年前の戯曲なのに、現在のイギリスにも、そして日本にも通じる問題が提起されているのがすごい。

トムの元から姿を消した後、キーラは教師になり、低所得層が暮らす辺鄙な地域の、狭く古く寒いアパートで質素な生活を送っている。低所得層の子どもたちは、その環境ゆえ教育の機会を奪われている。キーラは、そんな子どもたちを教育することに生きがいを感じ、あえて大変な仕事をしている。しかしレストランチェーンのオーナーとしてウィンブルドンで裕福に暮らすトムには、キーラがなぜそんな生活をしているのか理解できない。まだ若く知的で才能に溢れた彼女が、なぜ低所得層の暮らす地域で、不便極まりないおんぼろアパートに住み、教師なんていう大変な仕事をしているのだ?彼女が望めばもっと良い環境でましな仕事をして、人生を楽しむことができるのに。もしかしたら、彼女は自分と不倫していたという罪の意識があり、その罰を受けるためにあえてこんな困難を引き受けているのか?トムはそこまで憶測する。キーラはそれに猛反発。自分の今の生活はトムの影響なんかではなく、自分の意志であり、楽しんでいるのだと。キーラにしてみれば、自分の生活は悲惨なものではなく、普通だ。ほかの労働者だって皆、一日一日を生きるために必死になっているのだ。トムが恵まれているだけだ。確かに、強者の立場からしか物を見ていないトムは、とても傲慢に映る。世の中は公平ではない。れっきとした格差が存在する。キーラはトムに対し、そんな社会の現実を突きつけ、トムの言葉の欺瞞を訴える。労働者のキーラの言っていることは、とても真っ当に思える。
しかし、私はトムの言うこともわかるような気がするのだ。キーラのことを「大切なことから目を背け、人生から逃げている」と批判するトムは、キーラとヨリを戻したいという下心があるにせよ、本当にキーラのことを思って言っているのだと思う。年齢も立場も経験もキーラより上のトムは、若くて才能に溢れているキーラが苦労して割に合わない仕事をしているのを見て、「もっと才能を活かせる仕事をして人生を楽しめばいいのに」と思い、彼女の将来を心配しているのではないだろうか。
若い女性が、辺鄙な地域の狭いアパートに暮らし、恋もおしゃれもせず、趣味を楽しむこともなく、ただ毎日仕事をして、孤独に生きている。楽しみといえば、毎朝通勤のバスのなかで聞く人々のおしゃべりだけ。そういう生活は、いくら本人が満足していたとしても、第三者の目にはやっぱり「枯れている」と映ると思う。どのみち女が独身のまま年を取れば、恋をする機会も友人たちと遊ぶ時間も減り、自然と仕事だけの毎日になるのだ。だから、なにも若いうちから好き好んでそんな生活を送ることはない。もちろんやりがいのある仕事を持ち、精一杯働くのは大切だ。それもまた若いうちしかできないことだから。だけどキーラがやっている仕事は、続ければキャリアアップできたり、将来出世できるというものではない。貧しくて教育を受けられない子どもや勉強ができない子どものために粉骨砕身する教師の仕事は社会的意義は大きいけれども、頑張っても報われないことも多いだろうし、そのわりに報酬も少ないのではないだろうか。
キーラはトムになにか言われれば言われるほど意固地になって「そうじゃない!」と否定する。でもトムの言葉は、キーラを自分の思い通りにしようというエゴだけでなく、純粋に若い彼女を思う優しさがあるのではないかと私は感じた。キーラがそのことに気づくのは、彼女がもっと年を取ったときだろう。
そして、キーラの言葉や表情からも、トムに対する抑えきれない愛と優しさが窺える。表面的には互いを罵りながらも、根底には相手に対する想いがある・・・。それでもやっぱり付き合い続けることはできなくて。はあ、切ない・・・。
男と女という違い、富裕層労働者階級という社会的立場の違い、年齢の違い、そして不倫という関係。様々なものが二人を分かつ。

けれどこの芝居は、悲劇ではない。いたるところにユーモアがあり、思わずクスリと笑ってしまう場面が多い。シリアスな題材を扱っているけれども、人間に対する優しいまなざしを感じる。最後の場面が特にそれを表していると思う。
私は英語がわからないので、この芝居の本当の面白さは理解できていないと思う。台詞のやりとりだけのこの芝居は、台詞自体に含まれるニュアンスの面白さがふんだんにあるはず。今回の日本語の字幕はすごくわかりやすくて観やすかったけど、恐らく英語がわかる人、イギリス文化がわかる人にしか伝わらないジョークがいっぱい詰まっているんだろうなと思う。客席からはドカンドカンと笑いが起きていて、「え?これってもしかして喜劇なのかも?」とか思った。特にビル・ナイの長台詞はすごい。ただ台詞を言うだけでなく、全身でそれを表現していて、圧倒される。彼は舞台を自由に歩き回り、時には足でちょいちょい椅子を蹴ったりなど、ユニークな動きをする。目が離せなくなる。魅力的な俳優だ。

『スカイライト』は人気の作品らしく、上映館を変えて繰り返し上映されている。11/27(金)〜12/4(金)には渋谷ル・シネマで上映されるとのことなので、興味のある方は足を運んでみては。

2011-08-01

『東京人間喜劇』

『東京人間喜劇』

監督・脚本・編集◇深田晃司 出演◇「白猫」角舘玲奈 根本江理子 河村竜也 古舘寛治 福士史麻 大塚洋 兵藤公美 鄭亜美 村田牧子 畑中友仁 小河原康二 岩下徹(特別出演) 齋藤徹(特別出演) /「写真」荻野友里 木引優子 足立誠 根本江理子 島田曜蔵 鈴木智香子 井上三奈子 山本雅幸 石橋亜希子 端田新菜 高橋智子 たむらみずほ 宇田川千珠子 安倍健太郎 山本裕子 真山俊作(フリー) 立蔵葉子/「右腕」山本雅幸 井上三奈子 志賀廣太郎 足立誠 根本江理子 古舘寛治 秋山建一 石橋亜希子 佐藤誠 大竹直 酒井和哉 村井まどか 天明留理子 山村崇子 小河原康二 (声)

<あらすじ>公式サイトより
「白猫」
ファンであるダンサーのサインを求め、ふたりの女が雨音響く夜の街を駆け抜ける。女性の抱く願望と孤独が夜の帷に垣間見える。山海塾の岩下徹が本人役で特別出演、コントラバス奏者・斎藤徹との即 興セッションを披露している。

「写真」
アマチュアカメラマンの女の子が初めて開く写真展の一日を通して描かれる、友情への期待と失望。現代日本において消費されていく「芸術」の一風景が冷ややかに切り取られていく。芸術家のアイデン ティティの在り処についてまでも問い掛ける一遍。

「右腕」
欠損した身体を脳があるかのように認識し続けてしまう「幻肢症」をモチーフに、右腕を事故で失った夫とその妻の間に横たわる溝と孤独を描き出す。東京人間喜劇、最終話。ドラマ・映画・CMで注目 を集める志賀廣太郎が出演。

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以下、ネタばれあり。


3つのエピソードを描いているのだが、オムニバス形式というのではなく、それぞれがどこかで繋がっているように作られている。ストーリー重視ではなく、現代の東京に生きる人間を様々な角度から映し出している。
「白猫」は、曖昧で大人な男女の関係を淡々と描いている。年下の彼氏にあっさり振られてしまう主人公の女性と、結婚してるけど別居中で、フレンチ店のオーナーと付き合っている女性。2人はダンスの公演で出会い、恋愛の話などをするようになる。フレンチ店のオーナーを演じた古舘寛治さんが、相変わらず胡散臭くていい。髭を剃っているから若く見えるが、個人的には髭もじゃの古舘さんが好きです。オーナーは女性と付き合いながらも、実はバイトの女の子にも手を出していた。やっぱ古舘さんはこういうダメな男の役が合うね。
「写真」の主人公の女の子・春奈に、私は一番共感した。ちっぽけなプライドを持った、自意識過剰なエゴイスト。
春奈は写真を撮ることが好きで、ただそれだけで写真展を開く。展示されているのは春奈が撮った素人丸出しの作品ばかり。だが春奈は自分には才能があると信じており、自分の作品を愛している。
春奈は、なにか特別に酷い行為を他人にするわけではない。だがその言葉の端々から、「嫌な女だな」「自分勝手だな」というのが伝わって来るのだ。荻野友里さんの演技力がすごい。というか、荻野さんは、こういう「ちょっと嫌な女」の役がはまる。
たとえば春奈は、自分のことを「春奈」と言う。それだけで自意識過剰な女というのがわかる。あと、展示の準備を手伝ってくれている友達に何気なく「春奈って惚れられやすいんだよね〜」と言ったり、自分の才能を認めるような発言をしたりする。その友達はもしかしたら、腹の底で笑っているのかもしれない・・・と思って、ちょっと怖かった(後のシーンで、展示会のオープニングにその友達は来ないから)。
春奈にはたくさんの友達がいて、全員に展示会の案内を出していた。だから、みんなオープニングに駆けつけてきてくれるはずだと春奈は信じていた。サンドイッチと唐揚げと飲み物を用意して、彼女はみんなが来るのを待った。だが、誰一人来なかった・・・。
なんかもう、春奈が可哀相すぎて。
この状況がというより、春奈の痛さ、自分のことをわかってない馬鹿さ加減、が可哀相だった。
こういう芸術家気取りのイタタな女の子、東京にはいっぱいいますよね・・・。
彼女はその後、誰も来てくれなかった展示会の会場を片づけ、友人の結婚披露宴に向かう。その席でカメラを向けられ、彼女は笑いながら言う。「結婚してもまた遊ぼうね。私の写真展、まだやってるから来てね」。するとカメラを撮っていた男の子や、周りにいた女の子たちが、「え、今日からだったっけ?ごめん、行けなくて」などと言う。春奈は笑いながら「そうだよ〜、今日がオープニングだったんだよ〜」とにこやかに言う。
このシーン、切なかった・・・。
彼女は誰にも「誰も来なかった」なんてことは言えず。展示会会場で友達からの断りの電話が入ったときも、「大丈夫だよ、みんなが来てくれたし。写真も好評で、料理がなくなりそうで心配」などと嘘を言う。
薄っぺらな友情に失望しながらも、笑顔でそんなことを言わなければならない彼女が切なかった。
「右腕」は、ほかのエピソードに比べると、リアルに想像することが難しい内容だ。事故で右腕を切断されても、まだ右腕があるような錯覚に囚われ、ないはずの右腕が痛んだりする・・・というのは、ちょっと想像ができない。
けれど、描きたいことはその先なのだ。
失われた右腕の話を通して、夫婦の欺瞞が暴かれていく。このシーンはゾクッとした。山本さんが淡々と演じていたわけがわかったような気がした。
こうやって互いに嘘をついて暮らしているとしたら、夫婦っていったいなんだろう・・・と思った。そして山本さん演じる男が深い絶望に陥ったわけも。
哀しく切なくじっとり孤独。それでも生きていかないといけない・・・。
観終わった後、不思議とそんな暗い気持ちにはならなかった。明るい気持ちにもならなかったけど。なんか不思議なフワフワした気持ちを抱きながら、東京・渋谷の街をぶらついた。

2011-07-22

『歓待』

『歓待』

監督・脚本・編集◇深田晃司 芸術監督◇平田オリザ 出演◇山内健司 杉野希妃 古舘寛治 ブライアリー・ロング オノエリコ 兵藤公美 他

<あらすじ>(公式サイトより)
東京下町の一角に今日も響く輪転機の音。若い妻・夏希(杉野希妃)と前妻の娘・エリコ(オノエリコ)、出戻りの妹・清子(兵藤公美)と暮らしながら印刷屋を営む小林幹夫(山内健司)。最近の事件と言えば娘の買っているインコが逃げ出したことぐらいの「平和」な一家に、突然訪れた流れ者・加川花太郎(古舘寛治)。髭モジャ、慇懃無礼な加川は、のらりくらりと小林家の内部に入り込み、かりそめの平和をかき乱していく。次から次へと訪れる来訪者に翻弄される小林夫妻の明日はどっちだ!

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すっごく面白かった!ストーリーも面白いし、笑いもあって、役者も青年団の人たちだからもう見てるだけで楽しくて。
平和な一家のなかにいつの間にか入り込み、じわじわと家庭を壊していく加川。その過程が面白い。

以下、ネタばれ。


加川は、小林家の「インコを探しています」という張り紙を見て、小林印刷を訪れたのだった。
「お宅のインコを駅で見かけましたよ」と言って、加川は、そのまま小林家に居座ってしまう。
というのは、たまたま小林印刷の従業員が病気になり、加川がその穴埋めとして小林印刷で働くことになった(加川が自ら志願した)からだった。
さらに加川は、住むところがなくて困っていると言い、住み込みで働かせてもらうことになる。
そうと決まると、一応社長である幹夫に断りもなく、外国人の妻を突然連れてきて一緒に住む。
幹夫と妻の夏希、幹夫の前妻の娘のエリコ、幹夫の妹の清子という家族に加え、加川と外国人の妻が一緒に食卓を囲む・・・という奇妙な光景。
夏希は加川を気味悪く思うようになる。
加川は胡散臭いが、実は頭の良い男のようで、小林印刷の帳簿などを調べる。
今までは夏希がすべてやっていたのだが、帳簿の数字が合わないことに気付いた加川は、何気なく夏希を外に誘い出して理由を聞く。
夏希には腹違いの兄がおり、その兄が犯罪者だった。刑務所から出てきても職もなく金もなく、夏希にたかっていたのだった。仕方なく夏希は、小林印刷のお金を横領して兄に渡していた・・・。
事情を知った加川は、「すべて自分に任せろ」と夏希に言う。
はたして加川のとった行動は、夏希の兄を突然小林印刷に連れてきて働かせる・・・というものだった。
幹夫は当然反発するが、加川は幹夫が自分の妻と関係したことをネタに幹夫を脅す。
幹夫は夏希にその事実を知られたくないばかりに、以後、加川の言いなりになる。
それからの加川はやりたい放題。
たくさんの不法滞在の外国人たちを家に呼んで、派手にどんちゃん騒ぎをする。
近所の人が通報し、外国人たちが一斉に逃げたところで、加川とその妻も逃げる。
なんかもう、この加川という人物の胡散臭さがとにかく最高。
なにが目的なのかもわからない。目的なんてなく、ただ面白がっているだけなのかもしれない。
私はなぜかこういう山師みたいな人にすごい魅力を感じる。
なにより、加川を演じた古舘寛治さんの胡散臭さと濃さ、そしてセクシーさといったら!
このくらいいっちゃってる人と付き合ってみたい。実際の古舘さんは全然違う人なのかもしれないけど。それにしてはこういう役がはまりすぎ!
好きなシーンがいろいろある。
加川が、夏希に「奥さんの英語ひどいね。どこで習ったの?」と笑いながら言うシーンが好き。
人をずしりと傷つける一言を、笑いながらサラリと言ってのける加川が好き。
幹夫を脅す加川。やはり笑いながら、「うちの妻と寝ましたよね?あなた、ひどい人ですね」と言う。
喫茶店で、夏希と兄が話し合っているところに現れる加川。兄を説得している最中に、兄が嫌がるそぶりを見せると突然「ふざけんな!殺すぞ!」と怒鳴ったかと思えば、また笑い顔に戻る。突如豹変する加川が好き。
なんかとにかく古舘さんがあまりにも素敵すぎて。あの髭、声のトーン。笑いながらきついことを言ったり、言いわけをするときに見開く目がきょろっとして可愛かったり。
古舘さんの外見、というか雰囲気が好き。
一方、加川に翻弄される小林家の人々は、あまりにつまらない平凡すぎる日々を過ごしている。
夏希は若く美しいのに、冴えない幹夫と暮らして前妻の子供の面倒を見て、小林印刷の仕事を手伝っている。なんのために?夏希は幹夫を愛しているのだろうか。それがいまひとつわからなかった。
夏希は同年代の若者に誘われてライブに行き、浮気をする。加川のせいでストレスを溜め込んでいただけでなく、きっと普段から夫や生活に満たされていなかったせいだ。
離婚して出戻った清子は、留学するため英会話を学んでいる。それも目的がはっきりせず、ただプライドだけのようだ。そのうち、加川が連れてきた外国人の一人といい感じになったりする。いかにも上っ面だけで生きているような女だ。
幹夫は、優柔不断で、加川に侵入されながらもなかなか断れない。典型的な日本人。
「まあ、彼も困っているんだから」「すぐに出て行けっていうのは酷だろう」なんて善人面して言っているうちに、加川に支配されてしまう。弱い男だ。
所詮、家庭なんて、「平和」「幸せ」と思っていても、あっさりと壊されてしまうようなものなんだ。
どんな家庭にも事情はあるし、弱いところを突かれたら、壊れてしまう。
加川は実にうまくやったと思う。
だけど加川がいなくなった後、この家族はまた以前と同じような日々を繰り返すんだろうな・・・とも思った。そのくらいこの人たちは鈍感で平凡だから。
私はこういう「平和な」家庭人たちの鈍感さを憎む。だから異邦人である加川を支持するんだ。
でも、平凡だったり、「平和」を求めるのは当たり前のことだし、それが得られていると実感できれば「幸せ」である、とも言えるのかもしれない。
だけど私は、加川の破壊的なパワーがすごく好ましかった。
刹那で生きているような。最後、外人の妻と二人で全速力で走って逃げていても、どこか楽しそうだったり。
「日常」や「役割」にがんじがらめになっている人々を、加川はせせら笑っているように思える。
「自らを解き放てば、人生、もっとラクで楽しいよ」と誘っているようにも思えてくるのだ。