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2015-08-17 寿司債権論研究序説〜寿司債権の法的性質と執行方法〜

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(イメージ)



1.はじめに

 寿司債権は、現在の法クラ(法学クラスタ)においては、寿司債権発生原因事実が生じた場合に、債権者債務者に対して有する債権という意味で使われることが多いようである*1。この語は、2014年の法クラ流行語大賞で入賞*2しており、法クラの間では寿司債権の発生及び履行は相当普遍的に見られる現象と言える。しかし、その法的分析が進んでいるとは到底言えない。例えば、寿司債権に関する公刊された論文は私がci.niiで探した限り一本もなく*3、その意味では、法的議論の空白地帯が存在するのである。


 それでは、寿司債権発生原因事実とは何であろうか。また、寿司債権は寿司以外で履行することはできるのだろうか、寿司債権者は寿司債権をどのように執行すればいいのだろうか。その他の寿司債権にまつわる諸問題について、「試論」という形で問題を提起し、私のテンタティブな見解を述べたい。本論稿の趣旨は、議論の喚起に過ぎず、私自身、自説が正しいとは露も思っていないことから、皆様からの反論を歓迎したい。



2.寿司債権発生原因事実論


 まず、いかなる場合に寿司債権は発生するのか、要するに、寿司債権履行請求訴訟の請求原因事実は何か。これを、債務者側の要件と債権者側の要件に分けて検討する。


(1)債務者側の要件

 まず、債務者側の要件というのは要するに、寿司を奢らせるべき理由である。



(a)不労所得の獲得

 例えば、寿司債権の現実の履行案件として著名な、本年4月29日に実施された寿司債権者集会においては、債務者がベストセラーライトノベルを執筆し、印税収入という不労所得を得たことから寿司債権が発生されたものと推測される。


 もちろん、印税収入は、それまでの執筆作業に対する対価という意味もあるので、それを「不労」所得と評すべきかには争いがあるところだろうが、少なくともベストセラーまで行けば、それにより得られた超過利潤分を世の中に還元すべきという議論は十分に合理的であり、これが発生原因であるという通説的理解は妥当であろう。

 

(b)高収入を誇示する発言

 次に、例えば、「税金が高い」「節税しなきゃ」「今月は新件が多い」発言をする等、高収入を得てそれを誇示するような発言をすることも、寿司債権の請求原因事実と理解することができる。


 ここで、この類型の発生原因事実が、高収入を得た事」そのものなのか、それとも公然と高収入を「示唆した事」なのかについては争いがあり得る。私は、不労所得の獲得と同様、社会通念上、他人に還元すべきと認められる程度の高収入を得た事そのものが債権の発生原因事実であって、それを示唆したことはその証拠(間接事実)に過ぎないと考えるが、金持ちアピールをしたことではじめて、「そんなに金があるなら寿司奢れ」という形で寿司債権を発生させるという反対説も合理的であって、この点は更なる議論が必要であろう。


(c)ぼっち飯発言?

 上記2類型とやや様相を異にするのは、「夕飯を一緒に食べる相手がいない」発言である。要するに、ボッチ飯の寂しさをアピールし、その裏で「誰か一緒に食べてくれるなら奢ってあげてもいいよ」と示唆することも、寿司債権の発生原因事実になり得るのではないかという問題である。ただし、この類型はあまり事例(特に、ぼっち飯アピールの後に実際に奢ったのかどうか)が蓄積しておらず、この点は今後の研究課題と思われる。


(2)債権者側の要件

 次に、債権者側の要件というのは要するに、この人が寿司を奢られるべき人である理由である。


(a)具体的な内容

 例えば、宣伝が挙げられる。特に上記の(a)不労所得の獲得の場合には、当該本を宣伝してくれた人が債権者と理解するのは自然である。


寿司債権発生の瞬間 - Togetter


 という数少ない、寿司債権の発生の瞬間が目撃された事案においても、当該書籍の宣伝者(寿司債権者)につき、印税の獲得者(寿司債務者)に対する寿司債権が発生するという前提であることが読み取れる。


 その他、ツイッターを「寿司債権」で検索すると、寿司債務者が必要としている情報を提供したり、「明示的に寿司債権者であることを強く主張する」こと等が寿司債権者となる要件として認められていることが推測される。


(b)相関関係論

 私は、これらの多様な「債権者側」の発生原因について、相関関係論を提唱したい。

すなわち、上記で見たような債権者側の発生原因は一言で言えば「(寿司債務者に対する)貢献」という言葉でまとめられるであろう*4。そして、債務者側の奢るべき理由が強ければ強い程、貢献の程度が低くても成立するというのが、私の提唱する相関関係論である。


 例えば、某ベストセラーライトノベルに関しては約30名というかなりの多くの人が寿司債権者として債権届出をしたそうであるが、これは、当該ライトノベルがベストセラーであって、債務者側の奢るべき理由が強い事案であったからという分析ができる。このような事案においては、超過利潤が莫大であるから、比較的貢献度が乏しい人も寿司債権者となり得る。これに対し、印税が少ない書籍等であれば、相当大きな貢献が必要であり、もしかすると寿司債権者となり得る程の貢献者は1〜2名しかいない*5ということもあり得るだろう。


 更なる問題は、このように相関関係論を取った場合において、「寿司債務者側の奢るべき理由が莫大であれば、貢献が0に限りなく近くても寿司債権者になれるのか」ということであるが、「相関関係論を取る以上、超過利潤が無限大なら理論上貢献が0でも寿司債権者になれると考えるべきで、単に実務上超過利潤が無限大にはならないことから、実務上寿司債権者となるため0を超える貢献が必要とされているだけ」という考えと、「最低限満たすべき貢献の程度はある」という考え方の双方があると思われ、今後の議論を待ちたい。



(3)まとめ

 以上をまとめると、


(超過利潤を得る等して)社会通念上世間に対する還元を求められても当然と解される地位にある寿司債務者に対して、何らかの意味での貢献を行った寿司債権者が有する債権が寿司債権である


という寿司債権理解に到達することになる。これが正しい理解なのか、異論もあろうことから、皆様の反論を待ちたい。



3.寿司債権と債務の本旨に従った履行

 寿司債権の実際の履行においては、それが債務の本旨に沿った物かが問題となる。例えば、回転寿しの場合はどうか、例えばフレンチはどうか、天ぷらは、焼き肉は? という問題である。


 まず、寿司債権者そのような履行でよいと同意・承諾している場合には、その内容が債務の本旨に従っていると言える。


 問題は、例えば「寿司債務者は1000円の回転寿しで安くあげたいが、寿司債権者は1万円の回らない寿司を要求する」というように、寿司債務者と寿司債権者の見解が対立する場合であろう。この場合については、社会通念上どのような内容が「寿司」債権かというのを基準として判断せざるを得ないのではなかろうか。そして、寿司債権というのは、貢献者たる寿司債権者が、超過利潤を得る等した寿司債務者に対して有する債権なのである。そこで、そのような状況下において「寿司を奢る」ならば、「最低限これくらいは必要だろう」という水準が寿司債権が債務の本旨に従った履行として認められる最低限であろう。


 その観点からすると、回転寿しというのはいかにも安上がりであって、あえて寿司債務者に対して奢らせる内容としては社会通念上不足している、つまり、債務の本旨に従った履行ではないという考えを持つ人が多いのではなかろうか。逆に言うと、厳密な意味での「寿司」ではなくとも、天ぷらやフレンチのような(回らない)寿司と同等ないしそれ以上の価値のものであれば、債務の本旨に従った履行であるという考えを持つ人が多いのではなかろうか。(もちろん、異論はあるだろう。)


 なお、寿司債権の履行に際し、寿司債権発生原因事実について債務者に自ら説明させるという実務上の取扱いがなされた例があると仄聞するが、この事案が特殊事例か、一般化できるものかについて、今後の事例の蓄積を待ちたい。


4.寿司債権と相殺

 寿司債権については、やや特異な考えかもしれないが、私は相殺禁止債権であると考える。つまり、民法505条1項但書は「債務の性質がこれを許さないとき」は相殺が不可能であるとするところ、寿司債権の性質上相殺が許されないと解するのである。


 それは、寿司債権について相殺を認めると、実務上不都合が生じるからである。すなわち、寿司債権者と寿司債務者の関係を考えると、例えば、「Aが本を書く際に、Bが協力し、逆にBが本を書く際にはAが協力する」とか「Aがその専門分野外の事件の処理をして儲ける際に、専門家であるBからの情報提供を得て、逆にBがその専門分野外の事件の処理をして儲ける際に、専門家であるAからの情報提供を得る」といった持ちつ持たれつの関係が少なからず存在するように思われる。此の様な場合に、相殺を許してしまうと、寿司債権が履行されることが実務上かなり減ってしまうのである。


 もちろん、「現実の履行が減ったって別にいいじゃないか」という見解も十分説得的である。この点は、寿司債権の実務上果たしている機能と関連するところ、これは単独説かもしれないが、私は「寿司債権」という言葉には、他人を食事に誘う際のきっかけと言う面があるのではなかろうかと考える。つまり、私のようなコミュニケーション能力が低い人は、一般に自分から他人を食事に誘うのは躊躇してしまうことが多いものの、「この間お世話になったので『寿司債務』を履行させて下さい!」という形であれば、人を食事に誘うハードルが低くなるということである。


 もし、このような機能(私はこれを「誘い水機能」と呼びたい。)を重視すれば、寿司債権が相殺で消えてなくなってしまうと、この誘い水機能が果たせなくなる。それよりもむしろ、相殺禁止債権と考えることで、多くの人がより気楽に食事に誘って、人間関係が円滑になり、社会がうまく回って行くことに貢献するという効果を期待してはどうだろうか。更に、寿司債権者及び寿司債務者が弁護士の場合には相互に奢り合うことで、節税できるという効果も期待できるだろう。


 この辺りはもしかすると解釈論というより立法論なのかもしれないが、一応1つの試論として提示させて頂きたい。



5.寿司債権と執行

 最後に、寿司債務者が寿司債務を履行しない場合、寿司債権者寿司債権を法的手段を用いて実現できるかという問題がある。


 この点は、私は寿司債務について、自然債務説を取り、法的手段を用いた実現を否定したい。その理由は、寿司債務者が嫌々奢る寿司は美味しくないからである。これは、人それぞれ考えが違うのかもしれないが、寿司債権の履行の際、寿司債権者と寿司債務者が二人、ないしは複数人で寿司ないしはその他のおいしい料理を食べることになる。そして、この状況下において、寿司債権者と寿司債務者が寿司等を食べながら語り合い、相互に親睦を深めるという現象が比較的普遍的に見られる。このような現象を、もし、寿司債権履行に伴う反射的効果に過ぎないと考えるのであれば、寿司債権の本質は「寿司の引渡し請求権」ないしは「寿司代金相当額の金銭支払請求権」であり、寿司債権も執行が可能という解釈になるだろう。


 しかし、上記の通り、寿司債権の呼び水機能を重視すると、寿司債権の履行に伴い債権者債務者同士のコミュニケーションが図られる機能(これを「寿司債権のコミュニケーション機能」と呼びたい)は無視できない。そして、このような寿司債権のコミュニケーション機能を重視すれば、寿司債権を無理矢理行使しても、何らコミュニケーションは果たされず、むしろ寿司債権者と寿司債務者の間の人間関係が悪化するのであるから、寿司債権はあくまでも寿司債務者が任意に履行してはじめて意味がある、自然債務と解するのが自然ということになるだろう。



まとめ

 寿司債権については、法クラの間でよく使われる法律用語であるにも関わらず、法的分析がこれまでほとんどなされてこなかった。

 そこで、1つの試論として、上記のとおり、テンタティブな見解を提示させて頂いた。例えば、寿司債権発生原因の相関関係論、寿司債権の誘い水機能、寿司債権のコミュニケーション機能等は全て私の造語であって、それもかなり特異な議論である。その意味で、私は本稿の内容が正しいとは思っておらず、むしろ、皆様の議論の「呼び水」として使って頂ければという趣旨で本稿を執筆させて頂いた。

 なお、寿司債権と相続・債権譲渡、寿司債権の電子化、寿司債権回収機構と弁護士法72条・サービサー法、寿司債権者集会による遮断効等の他の論点については他日を期したい。


【追記 8/19】

このような論文論文形式を取ったネタ記事)を書いたところ、バベル先生から以下のような補足・批評を頂いた。

改めて感謝の意を評させて頂きたい。


【追記 8/20】

 上記脚注で「反論の論文があればぜひ読んでみたいものである」と書いたところ、野良猫氏が、原義主義に基づく論文を公表された。

寿司債権に関する基本的な考え方について|猫務庁

 まず、野良猫氏が思想の自由市場にふさわしい「論文」の形で反論を行われたということは、それ自体賞賛に値する。そして、このことから、野良猫氏が、私の論文を反論に値するものと認めていると推察され、それについても感謝したい。

 次に、反論文の「内容」であるが、野良猫氏は、パクツイ以外に寿司債権の発生原因は存在しないとでも考えているのであろうか。もしそうであれば、現実に法クラにおいて発生し、履行されている「寿司債権」はいったい何なのであろうか?(本文でも寿司債権の発生及び履行の事例をいくつか紹介しているが、ツイッターで「寿司債権」を検索すれば、


https://twitter.com/search?q=寿司債権


私の論文の意味での「寿司債権」という用語の利用例が圧倒的多数であり、パクツイを理由とする例が圧倒的少数であることはお分かりになるだろう。)

 野良猫氏をはじめとする原義主義者の皆様が、「寿司債権が実際に法クラにおいてどのように使われているのか」という現実を直視せず、原義にのみこだわることにつき、疑問なしとしない。

 なお、私は、単に、「寿司債権」の現実の利用実態から見ると、パクツイは「用語の発生の経緯」に過ぎず、実際にはそのような意味で利用されている事例がほとんどないという点を重視して、上記のようにパクツイを寿司債権の発生原因事実から一応除外しているに過ぎない(私はこのような「実質」を重視しているのであり、「形式」的な批判をしているものではない。)。今後原義主義者の皆様が、精力的に「パクツイ」により発生する債権という意味で「寿司債権」という用語を利用され、その頻度・利用事例が一定程度に達するのであれば、私は喜んで寿司債権の発生原因事実としてパクツイを追加する用意がある

 最後に、寿司債権に関する論争が更に深化し、本論文と上記反論文の間で交わされた論争が、例えばイースターブルック対レッシグの「馬の法」論争に比肩するものとして歴史に残ることを期待する次第である。


【追記 8/23】

リーガルニュース様にご紹介頂きました。ありがとうございます。

Nothing found for 2015 08 22 Okaguchik_Girl

*1:なお、某ツイッタラーがパクツイをしたお詫びに寿司を奢るという経緯から「寿司債権」という言葉が生まれたとのことであるが、私は原義主義を取らない。ただし、原義主義者からの反論がなされることは、「思想の自由市場」において望ましい事態であり、むしろ反論の論文があればぜひ読んでみたいものである。

*2法クラ流行語大賞2014【本選】投票結果速報 #LCN2014award - Togetter

*3:なおci.nii「寿司」and「債権」で検索すると一本論文が出て来るが、全く無関係の論文である。

*4債権者であると強く主張するというのは「何らかの形で自分は寿司債務者に対して貢献した」と強く主張をするということであろう

*5:この場合の寿司債権者がその本の謝辞欄に記載された人と一致するかについてはまだ事例が少ないので、今後の事案の蓄積を待ちたい

k077114k077114 2015/09/15 22:42 いつもブログを楽しく読ませていただいています。

環境法ガールH26、27の連載をお願いできないでしょうか。
信頼できる解説がなくて困っています。

よろしくお願い致します。

ronnorronnor 2015/09/27 01:08 有難うございます。有斐閣ステュディアとかあの後色々と本が出ているので、フォローするのには一定程度時間がかかりそうですが、前向きに検討させて頂きます!

2014-10-10 大島義則『自炊代行サービスの複製権侵害の判断枠組み』を読んで

[]米国における複製主体(著作権侵害主体)に関する判例の展開〜大島義則『自炊代行サービスの複製権侵害の判断枠組み』を読んで 18:55 米国における複製主体(著作権侵害主体)に関する判例の展開〜大島義則『自炊代行サービスの複製権侵害の判断枠組み』を読んで - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常 を含むブックマーク 米国における複製主体(著作権侵害主体)に関する判例の展開〜大島義則『自炊代行サービスの複製権侵害の判断枠組み』を読んで - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常 のブックマークコメント


 毎年楽しみにしている「情報ネットワーク・ローレビュー」の13巻が刊行された。どれも珠玉の論文ばかりだが、冒頭に掲載されている論文についてレビューしてみたい。



1.チャレンジングな論文

 自炊代行の著作権法上の問題については、既に東京地裁が2つの判決*1を下しているところであるが、控訴審で争われているようであり、学説上は異論もあることから、まだ決着はついていない。



 ここで、この問題についてのもっともわかりやすい論考としては、田村善之『自炊代行業者と著作権侵害の成否』*2がある。これを読んだ後は、「控訴審判決が出る等の新たな動きが見られない限り、この問題について田村論文を超えるものは出ないのではないか」と思っていた。


ところが、この論点について新たな論文を書くという、大変「チャレンジング」な試みをされる方が現れた。それが、あの、『憲法ガール』『行政法ガール』の大島義則先生による「自炊代行サービスの複製権侵害の判断枠組み」である。


同論考は、複製主体と私的複製の成否という2つの論点があることから、自炊代行については、以下のような議論フレームワークマトリックス)が存在するとして、これまでの議論を明快に整理する。

複製主体/私的複製の成否私的複製肯定私的複製否定
ユーザーの複製主体性肯定小坂・金子説宮下佳之説(?)
自炊代行業者の複製主体性肯定田村善之説東京地裁判決、島並良説
ユーザー及び自炊代行業者の複製主体性肯定論者は不見当だが、理論的にはこのような見解を取ることも可能横山久芳説

このような議論の整理を前提に、自炊代行業者の行為を私的複製として適法にするためには、著作権法30条1項の趣旨を再検討しながら、立案担当者の見解を「覆す」必要があるとし、自炊代行サービスの私的複製の可否を検討するためには、30条1項の趣旨を解明することが先決問題となると論じる。


非常に明快な論旨であり、読み進める毎に、これまで読んできた論考の内容が、頭の中ですっきりと整理されていく感じを覚え、大変面白かった。



 もっとも、同論考は、複製主体性について日本法に基づき素晴らしい考察をしているものの、残念ながら、アメリカの議論には触れられていない。ここで、米国では、Betamax事件以来、複製主体は非常に重要な問題となっており、Cablevisionにおいて注目すべき判断がされた後、本年6月25日にAereo判決が下されている。もちろん、アメリカと日本は法律が異なるので、アメリカで複製主体がどのように解されているかという議論を、直接日本に持ってくることはできないものの、考察に奥行きを出す上では、アメリカ法を踏まえた論述がなされた方がよりよかったように思われる。


2.米国の議論の概観

注意:このブログで何度も何度も書いておりますが、当方はアメリカ法の資格を持っていないただの素人ですので、この内容に依拠せず、必ず原文にあたるか、アメリカ法有資格者の方にご相談をされて下さい。


 そもそも、米国で複製主体の問題が論じられる時は、それが直接侵害(Direct infringement)か否かという問題として論じられることが多かった。そして、Netcom事件*3等の先例は、volitional conduct(意思的行為)が必要とする。


 よく使われる例としては、コピーサービスの事案がある。

ケース1 X社は、コピー屋を運営し、顧客Yから本を受け取ると、Xの従業員においてコピーを作成してYに渡し、報酬を得ている。


ケース2 X社は、セルフサービスコピー機を店舗内に置いている。顧客Yは、お金を払うとコピー機を使うことができ、Y自身が本のコピーを作成することができる。


そして、ケース1では、Xの従業員の意思的行為があり、Xが直接侵害をしている(Xが複製主体である)のに対し*4、ケース2では、直接侵害しているのはYであって、コピー機を置いているだけのXではないと言われる。



 古典的なBetamax事件、つまりいわゆるビデオ録画機を製造販売するSonyの行為が著作権侵害(のいわば共犯)となるかが問題となった事案においては、ビデオ録画機のユーザー自身がコピーを行っている*5ことを前提に、Sonyの寄与責任(contributory liability)等が否定された*6


 比較的最近のCablevision事件*7では、遠隔テレビ録画&視聴サービスを提供していた業者の行為が著作権侵害であるかが問題となった。この事案では、ケーブルテレビ等を運営する業者が、自社のケーブルテレビのユーザーに対し、追加的な便利機能として「自宅にHD録画機がなくても、業者のサーバーに録画しておいてあげる」という機能を追加したところ、権利者がこれを著作権侵害として訴えたのである。概ね、ユーザーが遠隔操作を行って、業者のサーバーに録画リクエストを送ると、それに従ってハードディスクにコンテンツが蓄積されるという仕組みであった。問題となったさまざまな論点のうちの1つの重要なものは、複製(copying)の主体が誰か*8であった*9


第二巡回控訴裁判所は、Cablevisionの遠隔テレビ録画&視聴サービスのユーザーの行為と、Betamax事件におけるビデオ録画機のユーザーの行為の間に区別はできないとして、複製主体をユーザーと見たのである*10。要するに、家の中でユーザーが操作する録画機と、家からユーザーが操作する録画機の間に違いがないと判断したのである*11。これは、一つの見方を取れば、アメリカのネットベンチャーに対し、ユーザーが操作する形での様々なインターネットサービスを適法に提供するための理論的根拠を与えた判決といえよう。


ところが、このCablevision判決の理屈が大幅に限定される可能性が出てきた。それは、本年6月25日にAereo事件について最高裁判決が下されてしまったからである*12。この事件をきちんと考察するなら多分1冊本が書けてしまうのだが、要するに、Aereoは、Cablevision事件における著作権侵害行為主体性議論を前提とすると、普通の(=無線の)テレビのネット配信についても、ユーザーに操作をさせることで、著作権侵害を免れられるのではないかという発想でサービスを始めた。模式図としては、WSJのもの*13が分かりやすいと思われるが、要するに、Aereoは大量の小さなアンテナを準備した。そして、ユーザー毎にアンテナを割り当て、そのユーザーの指示に従って、ユーザーの見たいテレビ番組をインターネットを通じてユーザーへの配信等を行う。要するにCablevisionの論理を使えば、家にユーザーがアンテナを立てて視聴するのと、家からアンテナを操作して視聴するのは同じでしょ?と言いたい訳である。


法的に言うと、インターネットを通じて番組を流すことは、著作権者が持つ公の実演(public performance)権を侵害するのではないかが問題となっているところ、Aereoは、実演(perform)しているのはユーザーだと主張したのである*14



連邦最高裁の多数意見は、Aereoのサービスを違法とした。多数意見を書いたのは、有名なブライヤー(Breyer)判事であるが、*15このロジックを一言で言えば、


議会は、著作権法を改正して、ケーブルテレビによる配信が『公の実演』であって、これを行うには、著作権者の許可が必要であることを明確にした。




ケーブルテレビとAereoの違いは1点。ケーブルテレビは常に番組を流しているが、Aereoは、ユーザーのリクエストに応じて流す、この違いだけである。ここで、ケーブルテレビは、配信の権限を得ているが、Aereoはこれを得ていない。




どのタイミングで番組を配信するかというだけの違いが、著作権侵害の成否の判断において重要とは思われないので、やはりAereoはケーブルテレビと同様に、『実演』をしていると解すべきである。



このような議論により、Aereoに実演の主体性を認め、その行為を著作権侵害としたのである。



Aereo判決は出たばかりであり、今後学者の評釈がなされ、また、下級審裁判例が積み重なることで、その射程が明らかになる。この射程を広く解すれば、様々なウェブサービスにおいて、ユーザーがネットを通じて操作をしたとしても、著作権侵害行為の主体はユーザーではなく、ウェブサービス運営者ということになりかねない。もし、このように解釈されるとすると、今後のアメリカのインターネットベンチャーイノベーションに暗雲が漂いかねない。


もっとも、Aereo判決ロジックは、法の立法趣旨等から明確に禁止されている事項については、それについて「小細工」(大量の小さなアンテナを設置する等)を使って「法の抜け穴」を突いて回避しようとしてもダメだというようにも解釈することができ、もしもそのように解することができば、Aereo判決の射程は(そのような立法者が明確に禁止しようとした事項の潜脱の場合に限定されるという意味で)狭くなるだろう。




まとめ

自炊代行サービスについての大島義則『自炊代行サービスの複製権侵害の判断枠組み』は、大変チャレンジングで面白い論考だった。

もっとも、複製等著作権侵害の主体性を日本で議論する場合においても、これらのAereo判決に至る米国の議論を参照し、法制度の異なる日本の法解釈にどこまで導入可能かを探るという努力が望ましいのではないかと考えるが、それは高望みというべきものなのだろうか。

*1:サンドリーム事件(東京地判平成25年9月30日判時2212号86頁)及びユープランニング事件(東京地判平成25年10月30日裁判所ウェブサイト

*2http://www.westlawjapan.com/column-law/2014/140106/

*3:Religious Technology Center v. Netcom On-Line Communications Services, 907 F. Supp. 1361 (N.D. Cal. 1995).

*4:Princeton Univ. Press v. Mich. Document Servs., 99 F.3d 1381, 1384 (6th Cir. 1996) (en banc).参照

*5:つまりSonyにはDirect liabilityがない

*6Sony Corp. of America v. Universal City Studios, Inc. 464 U.S. 417

*7Cartoon Network, LP v. CSC Holdings, Inc., 536 F.3d 121 (2d Cir. 2008)

*8:"The question is who made this copy?"というこの問題を、帰属(authorship)の問題だとして、第二巡回控訴裁判所は"authorship of the infringing conduct"と呼んでいる。

*9:そもそも一瞬しか複製されないのではないかといった問題については複製主体と無関係なので割愛する

*10:"We do not believe that an RS-DVR customer is sufficiently distinguishable from a VCR user to impose liability as a direct infringer on a different party for copies that are made automatically upon that customer’s command."

*11http://lsr.nellco.org/cgi/viewcontent.cgi?article=1050&context=columbia_pllt

*12:American Broadcasting Companies v. Aereo (573 U.S. ___)

*13http://online.wsj.com/articles/supreme-court-rules-against-aereo-sides-with-broadcasters-in-copyright-case-1403705891

*14:もう1つの重要な論点として、1対1の関係なのでpublicではないという主張もあったが、本稿とあまり関係がないので割愛する。

*15:少なくとも実演の主体に関する限り

2014-09-20 日米比較を通じた法律文書の著作物性の検討

[]法律文書に著作権が発生!?〜日米比較を通じた法律文書の著作物性の検討 02:56 法律文書に著作権が発生!?〜日米比較を通じた法律文書の著作物性の検討 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常 を含むブックマーク 法律文書に著作権が発生!?〜日米比較を通じた法律文書の著作物性の検討 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常 のブックマークコメント


1.法律文書に著作権が発生?

 最近法務界隈で話題になったのは、東京地判平成26年7月30日である。


企業法務戦士の雑感様は、

「規約」の著作権侵害が認められてしまった驚くべき事例。 - 企業法務戦士の雑感

の中で、契約書の著作物性を謙抑的に考えられる中山先生のご著書を引用されて、

「規約」について、正面から著作物性を肯定し、著作権侵害を認める、という驚くべき判決が最高裁のHPにアップされた。

判決の読み方如何によっては、今後の約款、利用規約等の実務にも大きな影響を与えうる

「規約」の著作権侵害が認められてしまった驚くべき事例。 - 企業法務戦士の雑感


と論じられている。


 本ブログも、法律文書の著作物性の問題に関心を持っていることから、本日このブログが10年目に入るにあたって、この問題について検討したいと思う。



2.日本法上の判例学説について

 まず、参考になる、日本法上の判例学説を探してみた。



 ここで、企業法務戦士の雑感様が引用されているのが契約交渉過程での契約草案について、思想又は感情を創作的に表現したものとはいえないとして著作物性を否定した東京地判昭和62年5月14日判時1273号76頁である。ただ、著作権法コンメンタール20頁は「簡単な契約条項のごときものを送りつけたというもので、紛争の経緯も著作権が本筋の事案ではなく、到底この事案での判断を一般化することはできない」としている。


他の先例では、法クラ腐女子界隈で有名なB/L事件(東京地判昭和40年8月31日判時424号40頁)であり、これは、ウホッではなく、船荷証券のB/Lといわれる書式(ブランクフォーム)について原告の思想は何ら表白されておらず著作権の生じる余地はないとしたものである。


 学説上は、中山先生をはじめとする、契約書の著作権について謙抑的に考える見解が有力であるが、その中山先生すらも「著作物性が認められる余地も否定していない」*1ことには留意が必要である。そして、もう少しこれを押し進めて、「だれが作成しても、ほとんど同一の文面にしかならないというものを除いて、著作物になりうる」とする見解もある(『著作権法コンメンタール』21頁)。



 また、最近の別の判決として、規約や契約書ではないが、同様に、同じ類型であれば、どうしても内容が似てきてしまう「法律文書」である催告書についての2判決がある。


 まず、東京地判平成21年3月30日である。これは、YがXから送付を受けた催告書をネットにアップしたことが、Xの著作権侵害になるかが問題となった事案である。この事案では、様々な理由でYの責任を否定したが、その理由付けの1つとして、

作成者の個性が何ら現れていない場合は,「創作的に表現したもの」ということはできないと解すべきところ,言語からなる表現においては,文章がごく短いものであったり,表現形式に制約があるため,他の表現が想定できない場合や,表現が平凡かつありふれたものである場合は,作成者の個性が現れておらず,「創作的に表現したもの」ということはできないと解すべきである。

という規範を立てた上で、催告書の各表現や全体の構成が平凡でありふれているとして著作物性を否定した。


 これだけを見ると、催告書(ないしは「この事件の催告書」)に著作権侵害が認められないということになりそうだが、実は、同じ事件の「後始末」的な事案として、福岡高等判平成25年3月15日がある。要するに、本件について、事前にXがYに仮処分をかけていたところ、東京地判平成21年3月30日で勝ったYがXに責任を追及した訳である。そして、福岡高判は、Xに故意・過失を認めることができない特段の事情があるとした。福岡高裁は、


著作物とは,思想又は感情を創作的に表現したものであるが(著作権法2条1項1号),その要件については一般に広義に解されており,創作性についても,厳格な意味で独創性が発揮されることは必要ではなく,記述者の個性がなんらかの形で現れていればそれで十分と考えられている。近年,様々な言語著作物について著作物性が主張される中,具体的事案の判断では,ありふれた表現であることを理由に著作物性が否定されることがあるが,著作物性が弱い場合にデッドコピーかそれに近い態様の侵害については侵害行為の差止め等を認める見解もある。


とした上で、仮処分申し立てに故意や過失は認められないとしたのであった。


 まさに、本件(東京地判平成21年と福岡高判平成25年)は、著作権侵害と不侵害の限界事例と言えるのであり、特にデッドコピーであることからは、ありふれた表現であっても、例外的に侵害が認められてもおかしくない(つまり著作物性が肯定されてもおかしくない)事案と言えるのではないか。



3.米国法

 ここで、少し外国に目を向けて米国法を見よう。私は米国法については何ら資格も持っていないただの素人であるので、この点は十分ご留意頂きたいが、同国の弁護士が「催告書を受領した人がそれをネットでアップして反論するという場合には、通常(著作物性はあるが)フェアユースだから、著作権侵害にはならない」と説明するのを聞いた事もあり、その意味で、日米の違いの検討は興味深いと考えた。



最近アメリカの著作権法界隈で話題になったニュースにWhite v. Westがある。

http://www.arl.org/storage/documents/publications/White-v-west-publishing-decision-3jul2014.pdf


これは、いわゆるSDNYの判決であるが、いわゆる法律データベース会社であるWestlawとLexis Nexisが、弁護士の作成した準備書面をデータベースに収録したところ,準備書面を作成した弁護士が、これを著作権法違反としてデータベース会社を訴えたというものである。2013年2月11日に被告のサマリージャッジメント申請を認めた(つまり、著作権法違反はないとされた)が、そこには理由は付されなかった。そこで、2014年7月3日に本Memorandum and Orderが出され、なぜ被告の行為が著作権法に違反していないのかの理由が説明された。


結論としては、裁判所は、原告である弁護士の訴えを否定したが、その理由としては、弁護士に著作権が認められないという構成を取らなかった。


Accordingly, for the foregoing reasons, the Court finds that the defendants' use of plaintiff's brief was a fair use.

(仮訳:そこで、上記の理由に基づき、裁判所は、被告による原告の準備書面の理由はフェアユースであると認める。)

http://www.arl.org/storage/documents/publications/White-v-west-publishing-decision-3jul2014.pdf


このように、裁判所は、フェアユース構成を取ったのである。


 これは、被告の争点設定に応じた判断ということはできる。しかし、被告が著作物性の争点を捨てて、フェアユース一本に絞ったこと自体が、アメリカ法に基づく限りにおいて、このような事案で著作物性を否定することが無理筋であり、フェアユースで戦うのが筋だということを示しているといっていいのではなかろうか。


4.まとめ

 法律文書の著作物性を否定する考えの背景にある核心的価値判断は、以下の点にあると思われる。


どんな会社でも、常に他のライバル会社に先駆けて「規約」を作れる立場にあるわけではないこと、さらに、「規約」が著作権で保護されたところで、作成者にとってのメリットはそんなに大きいとは言えないこと(多くの会社は、第三者との関係で、単に「規約」だけが類似しているからといって、それを排除しようとする動機自体がほとんどないように思う)から、「規約」に強い保護を与えることについては、首をかしげる者の方が多いように思えてならない。

「規約」の著作権侵害が認められてしまった驚くべき事例。 - 企業法務戦士の雑感


この趣旨を、私なりに、規約だけではなく、法律文書一般に敷衍すれば、


「法律文書は、どうしてもその内容が似てきてしまうところ、先にその類型の法律文書を作った者にこれを独占させる弊害が大きいことから、法律文書は自由な利用を認めるべきだ」


というものである*2


 この説明は、私個人としても、この限りでは、納得できるところがある。もっとも、逆に言えば、独占の弊害防止という趣旨があてはまらない、「工夫が凝らされた法律文書」や「(実質的)デッドコピー」については例外的に著作物性を否定しなくてもいいのではないかという気持ちもあるところである。つまり、法律文書については、「原則著作物性否定、例外肯定」という枠組みにシンパシーを感じる。



 例えば、東京地判昭和62年(契約書)や東京地判昭和40年(B/L)は、単純で簡素な法律文書について原則通り著作物性を否定した事案、そして、東京地判平成26年は、実質的デッドコピーとして例外に該当するとして侵害を認めた(そのために著作物性を肯定した)事案と見ることができるのではなかろうか。



 ここで、日本法で悩ましいのは、デッドコピーであるため著作物性を肯定したいが、その行為が、単純な不正な行為とは言い切れないので著作権侵害としてしまって本当にいいか悩ましい場合である。東京地判平成21年・福岡高判平成25年は、まさにこの(不当な通告を批判するため通告書をネットにアップするという)「(一定の)合理性があるが、著作権法30条以下に規定する著作権法上の例外に該当するといいにくい」デッドコピー行為についてどのように対応するかについて裁判官の悩みが表出された事案と言っていいのではなかろうか。



 ここで、アメリカ法のような、広いフェアユースの例外がある国では、このような場合には、著作物性を一応肯定した上で、フェアユース勝負に持ち込むという方法が可能である。この1例がWest v. Whiteである。



 要するに、日本の裁判例に見られる「普通は独占を認められない平凡な記述でも、デッドコピーだけに対しては保護してあげる」という考え方は、一見合理性があるが、日本著作権法上、無権利者が著作物を利用しても大丈夫な例外は、「限定列挙」であることから、「デッドコピーではあるけれども、フェアな利用だ」という場合には、著作権侵害を認めることが不合理に感じられる場合がある。その場合に、(いわば「例外の例外」を設けて)著作物性を否定するという考えもあり得る。しかし、このように基準を操作することは、著作物性の判断をあまりにも恣意的にしてしまう可能性がある。


原則:独占の弊害が大きいので、どうしても似通ってしまう法律文書に著作物性は認められない

                 ↓

例外:例外としてデッドコピーについては、著作物性を認める

                 ↓

例外の例外:デッドコピーでも利用がフェアであれば、著作物性を否定!??


 アメリカ法では、「デッドコピーではあるけれども、フェアな利用だ」という場合には、フェアユースで救うことができる。そこで、少なくとも法律文書の著作物性については日本のような分かりにくい議論をしなくてすむ。少なくともこの論点については、日本法よりアメリカ法の方が優れているように感じられる。


まとめ

 日本の立法において、結局アメリカ的フェアユースは導入されなかったが、限定列挙形式の著作権制限にあてはまらないが合理性のある、いわば「フェア」な行為をどのように著作権法上処理するかが悩ましい。そこで、例えば、通告書のような法律文書を、それを批判する趣旨でネットにアップするような行為について「著作物性」を否定するという手段でフェアな行為を行った者を救済したと読める判決もある。しかし、このような判決の著作物性についての判断は、「デッドコピーについて著作権侵害が認められる(つまり著作物性が認められる)余地を広げる」というこれまでの裁判例の傾向との整合性は疑問があり、むしろ、その点においては、規約に著作物性を認めた東京地判平成26年の方が、「実質デッドコピーについて広く著作物性を認めた判決」として、これまでの裁判例の傾向と整合的とすら見る余地もあるかもしれない。

 このような裁判官の悩みは、まさに、日本の著作権法にフェアユースのような規定がないことから生じているのであり、この問題についてのアメリカのような対応は、1つの参考になるように思われる。

付記:脱稿後

ウェブサイト記載の規約の著作権侵害 東京地判平26.7.30(平25ワ28434) - IT・システム判例メモ

に接したが、同記事も、実質的にデッドコピーである点に着目されている。

また、

諸々 | 日々、リーガルプラクティス。

American Family Life Insurance Co. of Columbus v. Assurant, Inc. (N.D. Ga. 2006)

に触れられている(著作権侵害が認められた事案)。

*1http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20140908/1410196746

*2:なお、企業法務戦士の雑感様は「「契約書」が、「独占を認めることの弊害が大きいものについては著作物性を否定すべき」という、現在の著作権法解釈の根底にある考え方を体現した素材として位置づけられていることは、間違いない」ともおっしゃられている