はみ出してナンボ 中原一歩著『小林カツ代伝』

私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝

私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝

 具材がはみ出しているサンドイッチが好きだ。盛りだくさんで得した気分になれる。見ただけで目と心の満腹感もグンと高まる。
 実は、人物ルポにも同じことが言える。
 書き手が事前に整理したであろう起承転結の構成から、はみ出すエピソードが多ければ多いほどダイナミズム感が高まり、物語に引き込まれる。中原一歩著『小林カツ代伝』で言えば、こんな場面だ。


 中学生になって思春期を迎えた息子の健太郎が面と向かって自分に反抗するようになると、母であるカツ代はこんな見事な啖呵を切ってみせる。
「あなたがぐれるなら、私がもっとぐれてやる」
 えっ!と虚を突かれて絶句した後、ふいに両頬がゆるむ。意外性があって、なおかつ愛らしい。100点満点なら95点レベルのはみ出し感だ。


 つづいて、カツ代流の料理の着想を描いたこんな場面。
「私ね、紅ショウガの天ぷらが大好きで、よく大阪の黒門市場にある天ぷら屋さんに行くの。揚げるところをジーッと見てたら、山のように種を入れてるじゃありませんか。油の量はそんなに多くない。で、そうか、銭湯と同じだと思ったのね。少ないお湯でもみんながワーッと入ると、水位は上がる、と。よし、これは使えるってひらめいたの」
 え〜っ、そんな光景から料理に持っていくわけ!? 強烈な我田引水ぶりに、ニヤつく自分をもう抑えられない。
 

 そのどちらも読み手の想定ラインを軽々と飛び越えているので、どんどん楽しくなる。同じ波を間近で見たとしても、高い飛沫(しぶき)が上がり顔にかかったほうが人々はキャーッとなる。あの理屈だ。お腹の贅肉と土俵際の足以外ははみ出してこそ価値が生まれ、その分だけ彼女が病に倒れてからの記述に胸がきりきりと痛む。