選択と決断

             

先日、シータヒーリングなるものを受けました。
未来を見るという内容だったのですが、「あなたはバリバリ仕事をしている。まわりの期待に答えたほうがいい。あなたは仕事ができる人。のんびり生活にあきている」というようなことが見えたようです。



このことについて、歌で知り合った友人4人と話していました。「ゆっくりと仕事をしたいと思って、4月から仕事のやり方を変えている。でも、やっぱりバリバリ仕事をしたほうがいいのかな〜と感じた」という感想を伝えました。


そこで友人たちから色々と貴重な意見をいただきました。

「誰かに何かを言われて、そうしないといけないと思うのではなく、そう言われたときに自分がどう感じたかが大事。それでもやっぱり自分はバリバリ働くよりものんびりしたい、という思いを再認識するかもしれない。最終的に選択するのは自分だ」

「自分がバリバリ働いているところを想像して、どういう感じがするか感じてみるのもいいかも」



そうですよね、いくら「未来のあなたはバリバリ働いている」というのが見えたからといって、「あっそうですか、ではバリバリ働くことにします」というのでは、全く自分の意思が入ってない。意識して選択していないということになります。



溝口あゆかさんがよくおっしゃっています。「どちらかの選択のほうが正しいということはない」
どっちのほうがいいということはない、あなたはその時に最善の選択をしている。どちらが正しいということはない。


エジソンの言葉も思い出しました。何かの本に書いてあったかと思うのですが、エジソンは実験に何度も失敗したけれど、自分ではそれを決して失敗と思っていなかった。「成功に一歩近づいた。成功でないやり方をひとつみつけたから」と言ってたそう(言葉は少し違うと思います)

何を選択しても、それは間違いではない。失敗ではない。そういう経験をしただけ。



つい人の意見に流されがちな私ですが、自分で常に意識して選択していきたいと思いました。
またいつも頭で考えすぎてしまうので、どう感じるかにも、もっともっと意識したいです。



そして仕事ですが、4月から思うところあって、仕事を減らしてきました。
1か月ほどは全く教える仕事から離れ、教材関連の仕事のみ携わり、また5月から4か月ほどは臨時のような形で、かな〜りゆっくりペースで働いていました。そして今までやりたかったけどできていないことに、片っぱしから挑戦しました。


そろそろ臨時ではなく、本格的に仕事に復帰しようかと考えています。


どんな風に仕事をするのか、受け身ではなく、ハートの声に素直に従っていきたいな。自分の心に確かめていきます。
なんか不安な感じもでてきたのですが、何が不安なのか、不安の正体を確かめてみると、確率的にはかなり低い出来事を心配している自分。


それよりも、自分がこれから担当する生徒さんとの出会いにワクワクする気持ちを大切にしよう。
これからまた色々な事が起こると思うけど、その時に私がどのように対応するのか、今までと同じなのか、今までとは違っているのか、楽しみです。