NHKで体罰が肯定されていた時代の記憶

中村メイコさんの訃報に接して、三波伸介さんと共演していたNHKの「お笑いオンステージ」を懐かしく思い出した世代である。その中に減点パパという人気コーナーがあった。有名人の子供が出演し、その子供たちの描写に合わせて三波さんが似顔絵を描き、パパが登場、最後には子供が作文を読んでパパが泣く、みたいな、当時大人気といえるコーナーだった。最後の方では少し時代が進んで「減点ファミリー」になった。以下はその「減点ファミリー」なって、時代が少しは進んでからの話だが、エンディングテーマの歌詞に

「ゲンコツもらうとよくわかる、その後なぜだかあったかいよ〜」

という歌詞があった。70年代後半ぐらいの話。ゲンコツ全肯定「そのあとあったかい」とか、殴られる子供にすればふざけんなという話なのだが、当時は全く問題視されることはなかった。

今、それを蒸し返して問題にしようというのではない。今五十代の自分が子供の頃はまだそんな時代であり、それを当然視する社会の中で育ってきた我々は、まだ社会の中枢にいるといってよい。今なら大問題、今ならDV、差別、パワハラ等々であることを私たちはしばしば喜んで懐かしがって、たとえば私自身でも昔のプロ野球選手のめちゃくちゃな暴力ネタなどを喜んで見ている。その反面で現在のプロ野球球団での暴力事件などは許し難いこととして批判している。

今絶対ダメなことは当時だってダメだったんだけど私らにはそれがわかっていなかった。だけど時代が変わって今はもう許されない。いい時代になったし、それが当然である。一方で体罰が当たり前のように許されてきた時代は、ついそこで、そこで育ってきた私らはまだ現役で世代的に大きなパワーを持っている。もしかしたら、いまだにわからない側にいる、いたかもしれない。

ゲンコツがあったかいよ〜という歌詞をNHKがこどもに歌わせていた。若い人にしてみたら大昔のことのように思うかもしれないけれど、つい昨日のように覚えていることを記録しておきたい。

 

 

 

 

上野千鶴子氏の法律婚について自称フェミニストが考えたこと

一言でいえば「勝手にせい」ということである。

そして、その(私の)考えはまさに上野千鶴子小倉千加子著「ザ・フェミニズム」(2002年、筑摩書房)にいうフェミニズムのめざすところ、「自己定義権の獲得」に沿ったものであろう。私は二十年以上、実際のところは四十年近く前から彼女らの影響下にあって、今もあり続けている一人であろうし、勝手にフェミニストを名乗っている。この人たちのいう「解放」を目指している一人である。

「何が解放か」というのは、当事者が自己定義するしかないということ。これが解放だと人に押しつけられるのは、もはや解放ではない。だから答は人によって違う。自己決定しかない。(上野・小倉著「ザ・フェミニズム p.240」)

同じ本の次のページで上野はこうも言っている

いまや、システム総とっかえというのは、変革の思想としては成り立たなくなっている。システムの空洞化や、現場における実践的な組み替えなどの蓄積によってしか、変革は考えられなくなっています。(同書 p.241)

上野千鶴子法律婚するとは法律婚のシステムも空洞化したものである。かつて「結婚しているフェミニストが嫌い」と言ったのは小倉千加子のほうであるが、上野はたとえば夫婦別姓については

別姓だろうがなんだろうが、要するに異性愛カップルに法的な特権と経済的な保護を与える、という制度そのものがナンセンスやからやめなはれ、と。(同書92ページ)

と言っていた。ここから法律婚を批判していると読みとるのは自然な考えであろう。しかし、彼女自身の言葉に従うのであれば、システム総とっかえが現時点で効かない以上(伝え聞くところによれば介護のためなのか理由はわからないが)もはや法律婚というシステムが彼女の自立(たとえば「性の自由、身体の自由は基本のキ」(同書95ページ)というような)を妨げるものではなくなったという事態、性的な自由を行使することもなくなる年齢、に及んで現実的な選択肢を採ったのかもしれない。しらんけど。私は、この件についての彼女に対する批判は、SNSなどで見たが、その後の本人による反論は読んでいない。私がどう思ったかを言っているだけで、上野がどう考えているかは実際、知らない。ただ、たとえば

にあるような「彼女を信じて結婚しない人生を選択した人たち」というような意見に対して、一体どこにそんな釈明を求めているような人がいるのかといいたいだけである。上野は一貫して自己決定を求め、本人も自己決定している。わたしらが彼女から受け取ったメッセージは「勝手にせい」であってわたしらの答えは「ほな、勝手にさしてもらうわ」である。そして、そのとおり、ずっと勝手にしてきたしこれからも勝手にしていく。それがフェミニストとしてどうか、なんて勝手な物差しで測るなというのが上野の「教え」である。彼女を教祖のように言う人、そしてフェミニストたちを「信者」のようにいう人の雑な例えにあえてのるならば。

 

釈明など必要ない。上野が他者の人生で、法律的に結婚するかどうかを「上野の考え方に依存して」決めることを推奨しているならば、私は上野を見限るだろう。念の為、彼女はそのようなことはしていないと思っている現在においても、別に「信者」ではないので、たとえば彼女が年収300万を「貧乏」と称したのにはブチ切れたこともあるし、他の毀誉褒貶についても是々非々の立場で毀誉褒貶はその人自身のもの、というのは私自身のかねての主張である。

 

だから私は上野を擁護したい訳でもなく最近の動向も追っていない。影響を受けたというのはつまり、上野や小倉が自身の考えを言語化してくれたところがあり、その方向性に共鳴した、ぐらいのところである。勿論、結婚するかどうかをこの人ら(どちらかといえば小倉の影響が大きい)に従って決めたりはしない。ただ、唐沢氏のように、自身ではなく架空の釈明を求める人を想定してそれに対する釈明を求めている人々に、いや、釈明を求めるなら自分が求めたら、と言いたいだけである。なんでそんないるのかいないのかもわからない人を勝手に代弁するのか。私はそこに「自身の考えもなくただ扇動されて入れ込んで梯子を外されて怒っている人」という蔑視をみる。たとえ、ほんとにそんな人がいたとしても、大きなお世話である。

 

 

 

 

みみずくからの伝言からの伝言

先日来の上野千鶴子氏が法律婚をしていた件について、彼女に少なからず影響を受けた40年近い読者でありフェミニストを自称する一人として、なんか書くといいながら、ブックマークの短いコメント以外まだ何も書いていないので、書こうとしてブログを開いた。私は下書きをしていたのだが、それを消してしまったということを忘れて、下書きを開いたところ、その原稿はなくて、かわりに今はなきteacupブログへの追悼文の下書きが出てきた。これは全く別の今回とはなんの関係もない話なのだが、記録のためにここに記しておく。teacupブログでは楽しくも馬鹿馬鹿しいことを書き散らしていたので、こんな深刻な話はこれ一件きりである。あのブログをご記憶の方がいらしたら、これの関しては全く楽しい話でも面白い話でもない深刻な話であることをご諒解願う。私に心の傷はほとんど残っていないが、もっと深刻な被害を受けた人にはそうではないだろう。性犯罪未遂被害者の記録である。上野氏の件についてはまたそのうちに書くと思う。以下、下書きにあったものに少し手を入れた「みみずくからの伝言」からの伝言である

 

懐かしいね...

と自分で懐かしがってたら世話ないんですが、そういえばあれteacupだから消えてたことに今気づいた。

あれは、ほぼ「水からの伝言」批判に特化したブログだったのでご本尊も亡くなった今、消えてもどうでもいいとも言えるが今もこの種の、水伝のような言論はますます隆盛ではあるのであってもよかった。しかしもっと質の高い批判はいくらもあろうしこれからも出てくるだろう。はてなに移る前ごろには身辺雑記とアホネタブログと化して一部のアホな人を中心とする奇特な読者のおかげで楽しくやっていた。で、書くことの99%は消えてもよいのだが、一つだけ記録としてあそこにしか書いていなかったことをここに思い出しながら転記しておく。こういうことがあったという事実だけで、今更それを糾弾しようという訳ではないが、当時の世相やら、女性がどういう言葉を投げつけられて生きてきたかという話の一つである。

 

以下、暴行未遂事件の話になりますのでフラッシュバック等ご注意ください。80年代後半ごろにあった話。

 

経緯は省くが見知らぬ男に布団に乗られて「命が惜しかったら一回だけやらせろ」と言われたことがある。私は頷いて、言うことを聞くふりをして、男がズボンを下ろし始めた一瞬の隙に布団を飛び出して裸足でたまたま近隣にあった警察に駆け込んだ。パトカーの中で警官は「告訴しないよね?告訴するとあなたが恥ずかしい思いをするよ」と言った。当時二十歳ぐらいでもう分別もあったけど、その場で今暴行男の腕の下から逃げてきてパジャマのままで、私は頷いてしまった。警官は無線で「マルガイ、コクイシないです、マルガイ、コクイシないです」と報告していた。被害者は告訴する意思がないと言ってるんだなとそんな状況でもわかった。

実害はなかったので私には暴行未遂男に対しては当時からあまり印象がない。ただ、あの警官の言葉は一生忘れられない。そして告訴も何もせずにもしかして次のどこかの被害を引き起こしていた可能性もあるという自責の念、それはたとえば犯罪加害者の周りの人が抱くようなものに近いのかもしれない、は消えない。そして、限られた友人などにリアルで話をした中では自分のような経験をして、社会的には何事もなかったこととして生きている人はやはり複数いた。この話を具体的に知っている限られた人の中で、である。せめて「告訴するとあなたが恥ずかしい」というような、恐らくは善意のアドバイスでもあったであろう、警官の認識は現在は変わっていてほしいと思う。一方で今も、仮にそこが変わっていたとしてもたとえば遠方で暮らす親には死ぬまで言えないというような現状は変わっていないであろうとも思う。

 

 

日本ハムファイターズの謝罪文を添削した

もしも自分が北海道日本ハムファイターズの公式の立場を表明する責任者だったとして、広報がこういう原稿をもってきたらどう添削するだろうかということを考えてみた。「責任者として「読者の目線ではこう考えるのでは」という振りをする」という振りをしている。以下、出典元のない引用は以下による。

www.fighters.co.jp

 

ファンの皆様へ

差別動画の発信は不特定多数に向けられていた。ここで問われているのは、全世界に発信しているメディアで公開された出来事に対する球団公式としての姿勢である。批判を浴びているのは出来事そのものとは別に、球団の対応が、およそコンプライアンスのかけらもないと思わざるを得ないことである。これに対して弁明するのはファンだけではなく直接間接に傷つけた人々を始め、企業としての信頼を裏切った全ての人であろう。誰に対しての発信なのかを見極めること。

この度は、チーム成績も低迷する中、シーズン中にもかかわらず、

関係ないことは書かない。

チーム内の暴力問題ならびに球団公式ツイッター公開動画の問題で、皆様にご不快な思いやご心配をお掛けしまして、誠に申し訳ありません。今回の一連の件に関して、皆様からの数多くのご意見を頂戴し、真摯に受け止めております。

まず、中田選手につきましては、2018年シーズン終盤に、残留を求める数多くの皆様からのご声援を受けて3年契約を締結するに至ったにもかかわらず、その最終年度途中に、皆様に対して「ファイターズの中田翔」としての声を発する機会を設けぬままの退団となってしまい、皆様を失望させてしまったことを、深くお詫び申し上げます。

身内向けの発信はこの場では控え、別途ファンに宛てて真摯にお詫びしたほうがよいと思う。

今回、当球団ではトレード時の一般的な慣行に従い、今月20日に中田選手のコメントを公表し、移籍前の会見は控えさせて頂きました。しかしながら中田選手に「当面の間、一軍・ファーム全ての試合の出場停止処分」を通達しており、退団により当該処分を解除する手続きとなる以上、退団前に皆様への謝罪・説明の機会を設けるべきでした。

ここは、今回の事態は「一般的な慣行」じゃないだろうという点は措いて、まあよいとする。ファン宛ての文なので、これは全世界宛てとは別に発信すべきとは思うが内容についてはここでは問題にしない。

また、本年4月11日に公開した試合前の選手円陣動画において、差別的発言が収録されていたことを心よりお詫び申し上げます。差別的発言は、どのような状況、どのような間柄であっても、決して許されるものではありません。

ここまではよい。しかし、「収録されていたこと」が問題なのではないということは、一応言っておかないとならないだろう。収録ではなく、そもそも発言がなされたこと、その発言に対し周囲が注意をするわけでもなく容認、あるいは助長する行為、あるいは見ないふり、あるいはとっくに指導、改善すべきなのに放置等々を繰り返し、ファンや動画を見た人からの差別ではないかという指摘、コメント等は長期に渡って無視してそのまま動画を公開し続けていた、そのことが問題になっているのだから。何が問題なのかは誤解の余地なくはっきりと示す。

円陣内の個別発言について確認が至らないまま球団公式ツイッターでそのシーンを公開したことは、当球団の管理体制が不十分でした。

何回読んでもひどい認識ですね。今回問題になった時点では下記の記事にあるように「発言している選手の口元の動きまでは分からず、4カ月が経過し、誰が誰に対して、どのような意図で発言しているのかは確認できませんでした。」とか言っていたらしい。

「日サロ行きすぎ」発言、父がコンゴ人の日ハム・万波選手に? 球団「聞こえるが…」:朝日新聞GLOBE+

その場でそれはまずいのではないかと他の選手の発言もあったとあるように、関係者に事情を聞けばすぐにもわかること、そして内部では間違いなくわかっていることではないか。上の記事には「発言が差別を目的とした悪意あるものであったならば看過できませんが」ともある。差別を目的としなくても悪意がなくても内容が差別であったらだめなんですよというのが、差別はいけないと認識する第一歩ではないのか。「決して許されるものではありません」と言いながら誰が言ったのか確認しない。何人もの当事者がいて動画まで残っていて、当初から問題になっていたのに数ヶ月前を理由にわからないことにする。その選手一人を晒せというのではない。まず事実関係を確認しなくては反省のしようがないではないか。差別発言をした選手からも話を聞いて、ぶっちゃけ何なら許されると思っていたのか、今になって何が悪かったのかがわかったのか、その辺も聞かないで再発防止を徹底できるのか。思い込みではなく具体的なデータを示すこと。

今後は監督、コーチ、選手、その他役職員を含む全てのチーム関係者に対してコンプライアンス研修等を実施するとともに管理体制を強化し、再発防止を徹底して参ります。

当球団内でこのような問題が立て続けに起きてしまったを立て続けに起こしたことについて、皆様に心より謝罪申し上げます。

自然災害ではない。この事態を引き起こしたのは球団のコンプライアンスの甘さと言わざるを得ない。

今回の一連の問題を真摯に受け止め、暴力及び差別がどのような状況でも許されないことは当然のこととして、同じチームに所属する者同士が、年齢や成績や肩書等に関係なく、互いに相手を尊重し、1つのチームとして一致団結し、皆様に応援していただけるような試合とプレーをお見せすること、そのために全力を尽くすことを、改めて、監督、コーチ、選手その他役職員を含む全てのチーム関係者において徹底して参ります。

ファンじゃないけど、次はないぞと思う。

そして、当球団として「ファンサービスファースト」の原点に今一度立ち返り、皆様から愛される球団を目指して、活動を見つめなおして参りますので、何卒よろしくお願い申し上げます。

ファンサービスって。これがファン向けの文だということを考えても、それを今言うことか。結論は全体として何がいいたかったのかがはっきりわかるように、明確に主張を示すこと。

 

極私的プロ野球OB You Tubeチャンネル好きな順ランキング

主観のみ、自分が好きな順2021、4月までメモ

なお、この記事はまだプロ野球選手OBのYou Tuberが少なかったころの話なので今ではだいぶ変わっている。ここで取り上げているのはプロ野球OBがやり始めた初期のころにやっていた人々の話である。

 

(2023,3,29 追記)

今記事を書く予定があり、それを読んでくれる人がいれば過去記事を見られる可能性もあるなーと思って過去記事を見直している。デーブ大久保氏は相変わらず、今日上がってたYou Tubeの対談で殴らなきゃわかんない時があるんだみたいなことを言っていて、今はできないと言ってるからもうやらないつもりなのだろうけど変われないし変わる気もないもよう。今はできないしもうやらないというところは信じたいけど、肯定的に取り上げるのもちょっとしんどくなっている。盗癖のあった人に対して殴っといたら効いたかもしれない、なんて放言は公的な立場の人がするべきではないだろう。強いて言えばこんな問題になりそうなことをまだ言っているところは正直でよいのだが、当然ながら肯定できない。フットワークが軽くて面白いおじさんであってほしいのだけど。

 

1位 デーブ大久保チャンネル

 子どもの頃からアンチジャイアンツだったし、今もうっすらアンチだし、デーブ氏は体育会の悪いとこを煮詰めた象徴みたいな偏見があって、わりとそういう価値観を今も肯定しているようなところがあるのも正直好きではない。だからチャンネル登録もしていない。でも一番面白い。話もうまいしテンポもよくゲストのよさを凄く引き出してくれて続きが楽しみになる。一番好きなのは広沢の回で全部高評価したと思う。次いで真中。槙原のは本人のチャンネルよりデーブのゲストの時のほうが面白い。あと、なんか起こるとすぐ当事者に話を聞いてくれるような見かけによらずフットワークの軽いところも好ましい。任期中に解任、ではなくて「辞任を要請」だったかになったオリックスの西村前監督の話をすぐ聞いて出してくれるような人はこの人しかいない。顔も広くてこの若さで江夏さんの話が聞けるというのには唸った。それから息子さんがやっているというような話もしていたと思うが編集がこれ系の中ではダントツにうまいと思う。サブチャンネルもまあまあ面白い。アシスタントの愛ちゃんはデーブのアシスタントより本人がストレッチの動画を出しているほうが私は好きで、ストレッチにはお世話になっている。

2位 上田剛史

 こないだ飼い犬のゆめちゃんと共演していたのがむちゃくちゃかわいくて2位に急浮上した。私は犬も猫も嫌いなのだがヤクルトの順位予想したり、山田哲人の家に飼われたかったとか言う犬というのは意表をつくかわいさである。私は今はパ・リーグ専なので上田剛史は実は現役時代は何してたのか全く知らず、週刊誌に山田の知人男性扱いされていたことしか知らなかったのだが、今一番ファンになっている。1回が短いのもちょっと暇ができた時に気分転換に見るのにとってもよい。ゆめちゃんの餌代には今後も貢献したい。

3位 クロマティーチャンネル

 元アンチGで今パ・リーグ専なのにベスト3がセリーグばっかで2人が巨人になってしまった。ブライアントとデストラーデに感激したのでクロマティは外せない。この人達の話が聞ける日が来るなんて思ってもみなかった。ウィーラーもよかった。

4位 片岡篤史チャンネル

 桑田がゲストのときが神回。あと下柳、西崎、PLの同期としゃべってるのなどが面白かった。岩本がゲストで沖縄キャンプの話してたのも面白かった。桧山もよかった。古田も面白かった。

その他、石毛、田尾は自分が子供の頃憧れて見ていた世代なので年代的に興味深い。高木豊は屋敷の回と村田真一がよかった。高木の野球の解説はセリーグばっかり丁寧でパリーグは雑な印象。これより若い世代は、特に若い上田剛史を除いてほとんど見ていない。自分が野球を離れていたころに活躍した人々なのでご本人の現役時代を知らないからかも知れない。岩本は考えすぎなように思う。高木や片岡と張り合う必要はないので好きにやったらよいのにと思う。

おしまい

 

商店街のプリン屋の話

 今の住居に越してきて1年経つ。引越して楽しいのは、クリーニング屋だの美容院、歯医者なんかをここにしようか、あそこにしようかと迷ったり決めたりするところなのだが、幸い近くにいいところが見つかったと思ったクリーニング屋とケーキ屋と美容院が閉店した。クリーニング屋はめちゃくちゃ安い取次店だったのだが、やってたのが推定年齢85ぐらいのたぶん姉妹なので仕方ない。美容院は学生街の激戦区でつぶれた、というかいくつかあるチェーンの一つで引き上げられたらしい。ケーキ屋はどう見ても商店街自体が生きていない商店街の端にあった。

 このケーキ屋は、いかにも商店街にあるケーキ屋でフランス語の店名があったような気がする。ドイツ語だったかもしれん。ここで、私は柔らかいプリンもまたよきかなということを知ったのである。そのプリンは入っちゃったので何も買わずに出るのもあれだから買ったのだったと思う。上に涼やかに果物を盛り合わせてけっこう大きいプリンだった。これが衝撃的においしかった。私はいわゆる「ふわトロ」とかクリームが上に載っているのとかを敵視していて、私の周りにもやわいプリンが好きな人なんて一人もいないのにあんなのを流行らそうとするプリン業界はけしからんと思っていたのだが、この柔いプリンは絶品だった。私は昔から和菓子党だったところに加えて寄る年波でもう洋菓子に用はないからケーキ屋がなくなっても全然困らない、と思っていたのだけれどこの商店街の端っこにこんなケーキ屋が生き延びていたことに感謝した。プリンはガラス器に入っていて、これは100均で売ってるのとたぶん同じか似たようなのだと思うが、うちでゼリーを作ってSNSに挙げたらバエるやつ。シンプルで素敵なデザインなので、近いうちこのケーキ屋に寄ってこのプリンをもう1つ買って器をもらおう、と思っていた。プリンもおいしくて器もおしゃれだとは一石二鳥ではないか。

 ところが、去年はコロナ禍で在宅勤務で全く家から出ないので買い物も減り、ケーキ屋は目と鼻の先なのだが甘いものが欲しくなるとつい和菓子屋に行ってしまったりして、また今度にしよう、次にしようと思っている間に数週間、数ヶ月が過ぎて、ある時、その店の前の扉が開くことがなくなり、店の前で毎日更新されていた手書きのボードが置き去りにされて人の気配がなくなってしまった。お休みかなとも思ったけど1ヶ月、2ヶ月経っても開くことがなかった。つぶれたのだろうと判断せざるを得なくなった。

 あの器がもう1つ欲しかったというセコい気持ちがあったのも否めないが、固いプリンだけではなくて柔らかいプリンもおいしいではないかというのは、人生にとって大きな発見だったし認識が変わったのだ。1つしかない選択肢が2つに増えたのだ。私の人生は確実に豊かになったしあのプリンはまた食べたい、なのにまた今度、今度と思って全然行かなかった。私一人が買えるプリンなんてたかが知れていても、少しでも違ったかもしれないのに。

 どこかで、店を応援したいならふだんからまめに行くことが大事で、つぶれそうになってから急に行っても遅いというような記事を読んで、そうだよなあと思っていたのに、目の前の私の認識を変えてくれたケーキ屋をみすみすつぶしてしまった。取り返しがつかなくなって初めて、単に人の意見を読んでそうだよなーと思っていただけの自分のバカさを知る。

 それから数ヶ月、先日、そのケーキ屋は何事もなかったかのように復活していた。意味がわからない。わからないながら、プリンを求めて行ってみたら、あの器に入ったプリンはなかった。あれは夏頃の限定商品らしい。それで仕方ないから普通のプリンを買って食べたら普通においしかった。その後、前回に懲りてせっせと通うかというとまた次でいいや、また今度となっている。喉元をすぐれば熱さを忘れ、今そこにあると行かない。ただ夏になってあのプリンが出てきたら、絶対行こうと思う。単に器が欲しいだけなんじゃないかと思われるかも知れないが、プリンも食べたい。それは間違いない。店がどういう都合で長期にわたって休んでいたのかは知らないが、末永く繁栄してほしいと思う。

 

 

 

 

 

作曲家の紹介に70年代をおもう

今更「ひと夏の経験」を持ち出すのか。
都倉氏は、山口百恵さんの「ひと夏の経験」やピンク・レディーの「ペッパー警部」など数多くのヒット曲を手掛けた 
 山口百恵が「蒼い時」で「ひと夏の経験」が流行った時に、マスコミにどういうことをされたか書いている。当時高校生だった彼女は「ひと夏の経験」で「あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ」という歌詞を歌わせられて、芸能マスコミに「女の子のいちばん大切なものってなんですか」と執拗に質問された。
 
 今だったら、意味がわからないかもしれない。「処女」という答えが期待されているのである。「処女」が「女の子の一番大切なもの」だと、当時「教育」されていたのだから。70年代、当時の推理小説には「妻が処女でなかったから殺した」なんていくらもあったんだから。当時高校生だった彼女はこの問いに「まごころ」で押し通したということを記している。「愛する人に捧げるため守ってきた」「汚れてもいい泣いてもいい」「誰でも一度だけ経験する」「誘惑の甘い罠」というような歌詞で、今日現在のwikipediaを見ると「年端のいかない少女が性行為を連想させるような際どい内容を歌うという、この「青い性」路線で百恵は絶大な人気を獲得することになる」とあった。おぞましい、と現代の人は思うのではないか。これがもてはやされたのだ。そして山口百恵はそれに一人で耐えていた。高校生にそれがどんなに苛酷なことだったか。
 
 作曲家である都倉氏は、たまたま当時の世相としてはなんの問題もなかった曲を作曲し、結果として人気歌手山口百恵を生み出した一人であろうことをとやかくいうつもりはない。この人事に文句を言おうというのではなく、40年の時を経て都倉氏を紹介するのに、JASRAC会長なんかもやった人なのに「ひと夏の経験」を持ち出す時事は、あの頃の「百恵ちゃん」が飛ぶ鳥落とす勢いのアイドルだったぐらいの認識なんだろうと思うのみである。それは一面の事実ではあろうが、同時に今とは比較にならないほどアイドルを踏みつけ、セクハラにさらし、「青い性」を売り物にしてきた時代であったことを記しておきたい。