日本の滅茶苦茶な雇用方法

賃金の支払われ方には、職務給と職能給というのがある。
日本では職能給を採用しているが、これと日本の新卒者の採用方法とは実は大いに関係ある。日本では、新卒者は大学で専攻した事と関係のない仕事に就くのも普通である。新卒者が何が出来るかという事を問題としないので、東大の学士の方が博士より評価が高くなると言う事も普通に起こる。このために日本は高度な知識、技術を必要するソフトウエア産業や金融では秀でなかった。高度な知識を学ぶインセンティブがほとんどないのである。日本が秀でたのは、大学で学んだ知識を生かす事が出来る製造業ぐらいと言っても過言ではないだろう。このシステムでは、一流大学へ入った事自体が評価され、学部、修士、博士で学んだ事はほとんど評価されない。従って諸外国では歓迎されている博士が歓迎されないという風変わりな事が起こる。何がいいたいかというと、職能給は日本の新卒者の採用方法に非常にマッチした制度で、職能給だからこそおかしな事が起きているとも言える。

では職能給から職務給に変えるとどうなるであろうか?欧米のように修士、博士の評価は学士より確実に高くなるであろう。学士、修士、博士は入る段階でそれぞれ違う仕事をすべきである。すべきと書いたが、出来る仕事により分けるのである。入った段階でほぼ横並びの給料ではなく差をつけるべきである。それがインセンティブにつながるのである。同一労働同一賃金は職務給と言い換えて差し支えない。現在の歪んだ、個人のインセンティブを奪う職能給を早急に見直すべきである。


(参考)
終身雇用がクリエーターを滅ぼす

池田信夫

http://ascii.jp/elem/000/000/402/402074/index-2.html

単身とひとり親世帯の増 非正規雇用が生む貧困

単身とひとり親世帯の増 非正規雇用が生む貧困
http://www.excite.co.jp/News/politics/20090907/Economic_pol_090904_009_4.html

>男性の約3割、女性の約2割が50歳時点で一度も結婚したことがない『生涯未婚』の状態になると予測されている。また、高齢単身世帯も増加し大きな割合を占めつつあるが、その数は女性が圧倒的に多い」としている。

普通でないのが普通になる時代になるのかな。

>2人以上の勤労世帯において女性が世帯主である割合も、平成6年の4.8%から平成16年の8.0%に伸びている

こういう記事を読むと日本のシステムが崩れ始めてると感じざるを得ない。もはや「普通の家庭」だけを考慮して制度の構築は出来ないし、維持も不可能。普通でないのが普通になるわけだ。社会がそのような変貌を遂げようとしている時、日本のシステムは硬直化したまま変化に対応できていない。日本のシステムの多くは、リスクの計算が出来ていないという点で失格である。

失敗が起こらない事を前提としたシステムから失敗がおこる事を前提としたシステムへ転換を

城繁幸さんのブログに、「真の再チャレンジ可能な社会とは、失敗を前提に設計された社会のことだ。」といい事が書いてあったので関連記事を。


英会話、ミス気にせずに=正確さ優先から転換−高校の新指導要領で・文科省
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2009090600086

これはいい話だね。人間は失敗するものだよ。失敗を恐れていては何事も上達しない。日本経済がいい例だ。

Failure Offers Lessons Japan Would Rather Forget
http://www.nytimes.com/2009/09/06/weekinreview/06goodman.html?_r=1&scp=2&sq=japan&st=cse

日本という国は失敗を前提としないシステム作りのために非常に非効率になっている。ゾンビ企業は生き残るし、社員は斜陽な企業にしがみつこうとするし、英会話は上達しないし、運転手はあわてすぎて線路から脱線してしまう。アメリカを見ると失敗を前提にした国づくりが行われているのがわかる。起業してもリスクは少ないし、日本のセンター試験に相当する試験は何回でも受験可。卒業後、世界放浪の旅をしてから就職活動しても全く不利ではない。30代や40代から大学へ通う人もいる。失敗を恐れないために大胆な行動ができる。日本が今必要なのは解雇されても、再チャレンジできるシステムの構築や派遣社員からでも正社員に簡単になれるシステムの構築なのではないか?失敗から学ばなければ、失敗はただの失敗に終わるであろう。そしてまた何度でも同じ失敗を繰り返す可能性がある。派遣を規制したり、解雇を規制するのは非効率になるだけで何も生まない。