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2009-04-01 労働政策を考える(2)内部留保で雇用は守れるか

「賃金事情」2559号(2009年3月5日号)に寄稿したエッセイを転載します。


内部留保で雇用は守れるか」

 本年正月明け早々の平成21年1月5日、「河村建夫官房長官は五日午前の記者会見で、派遣社員の雇い止めなど深刻化する雇用問題の対応策として、企業側に内部留保を活用するよう求めた。河村長官は「企業はこういう事に備えて内部留保を持っている。こういうときに活用して乗り切っていくべきだ」と強調した。」と報じられました(平成21年1月5日付日本経済新聞夕刊から)。労働組合などは、すでにかなり以前から企業の内部留保に注目し、「内部留保を取り崩せば大幅賃上げも可能」などと主張していましたが、ついに政府もこれに注目しはじめたようです。

 企業は通常、利益のすべてを株主への配当や役員への賞与にあててしまうわけではありません。経営の安定をはかるため、一定額を準備金として積み立てることが義務づけられています(法定準備金)し、多くの場合はそれを上回る金額を任意積立金、繰越利益剰余金などといった形で企業の内部に蓄積します。これが内部留保で、どのように利益処分を行うかは毎年度株主総会で決議されます。株主としては、利益のすべてを配当として受けとるよりは、一部を内部留保して財務体質を強化したり、設備や研究開発への再投資にあてるなどしたほうが将来的に受け取り配当の増加や株価の上昇が見込めて有利だと判断すれば、内部留保を行うことに賛成すればいいわけです。ですから、従業員の中に高い能力を持つ人材が多数いて、現在は一時的に人員が過剰でも人材を流出させずに雇用を維持しておいたほうが将来的には多くの利益を得られるということであれば、内部留保を雇用維持にあてるという考え方もありうるでしょう。また、たしかに理屈上は内部留保は株主のものであるとしても、実際にそれを積み上げるには従業員の寄与が大きいわけですから、それを雇用の維持にあてるというのも、理屈はともかくとして比較的受け入れやすいかもしれません。

 そこで企業の財務諸表を見てみると、大企業では内部留保が数千億円といった巨額に上っていることも珍しくはありません。従業員一人あたりで数千万円といった額になる企業もあるでしょう。もちろん、いかに多額であっても有限ですから、取り崩しを続ければいつかは枯渇するわけで、しょせんは一時しのぎの対応に過ぎません。それにしても、その大きな金額の数字だけをみれば、相当の長期間、かなりの大人数で「一時しのぎ」ができそうに思えてしまうのも無理からぬものがあります。

 とはいえ、現実にはそうそううまい話はありません。バランスシート上では内部留保は金額で表示されており、しかもその名称が「剰余金」「準備金」などといったものなので、あたかも「企業の金庫を開ければそれだけの現金が出てくる」という印象を与えがちかもしれませんが、実際にはその相当割合は資材や生産設備、中間在庫などの形で保有されています。これを雇用の維持にあてようとすれば、売却して現金化する必要が出てくるでしょう。これはあまり現実的ではありませんし、仮に売却できたとしてもかなりの売却損が発生するはずで、「額面」をそのまま真に受けることはできません。

 また、繰り返しになりますが、内部留保は企業がその安定と成長に資するべく株主の承認を得て積み立てているものですから、需要が減退していて当面増産投資の必要性が低い現状、その分は内部留保を縮小してもよいというのもひとつの考え方かもしれません。とはいえ、そもそも企業活動に必要な設備や在庫まで売却してしまっては企業の存続自体危うくなりますし、今現在はとりあえず増産投資を行うような局面ではないにしても、将来に向けて行われるべき研究開発投資や、事業続行や安全性確保のために必要な老朽更新投資などを怠ることは、企業の存続にかかわりかねない問題となる可能性があります。そうなれば雇用の維持どころの話ではありません。

 さて、バランスシート上の数字で「金庫を開ければ出てくるお金」に比較的近い(かなり違いますが)のは、むしろ「流動資産」のほうでしょう。これは現金や預金のほか、1年以内に現金化できる手形や有価証券、たな卸資産などが含まれます。多くの企業では内部留保に較べるとかなり少ないはずですが、それでも大企業なら相当大きな数字になります。中には手元資金の潤沢な企業もあるでしょう。とはいえ、これを使って過剰な雇用をどれだけ維持できるかといえば、やはり大きな期待はかけにくいのが現実です。

 企業が活動するためには、仕入代金の支払や、それこそ賃金の支払などに必要な運転資金として一定のキャッシュが絶対に必要です。バランスシートをみれば、1年以内の短期で返済しなければならない流動負債も相当額計上されているはずです。財務の健全性という観点では、流動比率(流動資産の流動負債に対する比)が2を上回ることが望ましいとされています。しかし、現在のわが国では、大企業もふくめ流動比率が2倍を超えている企業は多くありません。資金のショートは倒産に直結しますから、とりわけ現在のように金融機能が低下している時期には、手元資金の確保には相当の神経を使う必要があるでしょう。

 また、内部留保ほどではないにしても、流動資産の中にもたな卸資産のように売却した場合に損失が発生する可能性の高いものが含まれています。やはりそのまま「額面」どおりのキャッシュが確保できるわけではありません。

 このように考えると、内部留保や手元資金を活用して雇用を維持するという考え方は、すでに一部で(意図しないものであるにしても)現実化しているとはいえ、それほど大きな効果が期待できるものではなさそうです。

 それに加えて、どのような従業員の雇用が維持されるのか、という問題もあります。冒頭の記事によれば、河村官房長官は派遣社員などの雇用維持を念頭においているようです。しかし、前述したように内部留保を取り崩して雇用を維持するのは、それが将来的により多くの利益をもたらすと考えるからです。となると、その中心は技能や技術、ノウハウなどに優れた正社員にならざるを得ないでしょう。派遣社員などの非正規雇用は増産局面に入っても即座に労働市場からの調達が困難になるとは考えにくく、また蓄積された技能等もそれほど多くはないことから、内部留保などを活用してその雇用を維持する必然性は高くないと考えざるを得ないのではないでしょうか。

 とはいえ、現実をみれば、すでに非正規雇用もふくめ相当数の余剰人員を抱えながら赤字決算に陥っている企業は少なくありません。この赤字は結局は繰越利益などで埋め合わせされるわけですから、こうした企業ではすでに「内部留保を取り崩して雇用を維持している」という状態にあるわけです。これは企業が雇用維持を重視していることの現れと申せましょう。しかし、述べてきたようにそれは決して長続きするものではなく、企業が数字上は多額の内部留保を持ちながら人員削減を行うのも、余儀なくしてのものと考えるのが妥当と思われます。表面的な数字だけを見ての議論は戒められるべきものでしょう。

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