労務屋ブログ(旧「吐息の日々」) このページをアンテナに追加 RSSフィード

2009-06-10 現場からみた労働政策(2)ホワイトカラー・エグゼンプションを忘れず

「労基旬報」紙に連載しているコラム「現場からみた労働政策」の第2回です。

http://www.jade.dti.ne.jp/~roki/

久々に、世間の一部で非常に受けの悪い(笑)このネタです。


ホワイトカラー・エグゼンプションを忘れずに


 昨年(2008年)12月5日、労働基準法改正法案が一部修正のうえ可決成立し、来年(2010年)4月から施行されることとなりました。

 その主な内容は周知のとおり二つあり、ひとつは時間外労働の割増率の引き上げです。1か月に60時間を超える時間外労働について50%以上に引き上げられましたが、中小企業については当分の間猶予されることとなっています。また、特別条項付時間外労働協定を締結する場合には、月45時間を超える時間外労働に対する割増率も定めること、その率は法定(25%)を超えるよう努めること、超える時間はできるだけ短くするよう努めることとされました。もう一つは年次有給休暇の時間単位での取得で、労使協定の締結により年5日分を限度としてこれが可能とされました。

 厚生労働省の通達によれば、この改正は「長時間労働を抑制し、労働者の健康を確保するとともに仕事と生活の調和がとれた社会を実現する観点から、労働時間に係る制度について見直しを行うもの」とのことです。しかし、一見して明らかなとおり、1か月に60時間を超える時間外労働についてのみ割増賃金率を25%引き上げてみたところで、よほど多くの人が月60時間を超えるような長時間労働をしているような場合を除けば、企業の総額人件費負担への影響は軽微なものにとどまるでしょう。逆に、所得選好の強い労働者が高率の割増賃金を求めてより長時間労働を行う恐れすらあり、こと長時間労働の抑止については訓示的な効果しか期待できそうにありません。年次有給休暇の時間単位取得についても、使い勝手はよくなるにせよ「半日、1日休んでもいいのだけれど、時間単位で休めるなら必要最低限の2時間にしておこうか」といった逆効果も考えられ、あまり効果的な施策とも思えません。この改正法案が閣議決定されたのは一昨年の3月ですから、成立までに1年9か月を要したわけですが、そのわりにはかなり内容の薄い法改正であるという感は否めません(もちろん、小さいとはいえ一定の意義は有すると思いますが)。

 もともと、改正法案は一昨年末に成立し、昨年3月から施行されている労働契約法と一体的に検討されてきました。公労使の三者で構成される労働政策審議会労働条件分科会の2006年末の報告をもとに法律案要綱が作成され、2007年2月には労働政策審議会もこれを妥当と答申しました。この時点では、実は労基法改正法案はもっと豊富な内容を含んでいました。具体的には、「自己管理型労働制」(いわゆる日本版ホワイトカラー・エグゼンプション、以下WEと略記)と企画業務型裁量労働制の規制緩和がこれにあたります。また、時間外労働の割増率については中小企業に対する猶予はなく、また月60時間ではなく80時間を超えるものについて50%以上とされていました。

 ところが当時、格差問題やワーキングプアが世間の耳目を集め、規制緩和がその「元凶」として悪者扱いされていた(これが妥当な議論だったかどうかについては現在では否定的な見解も多いのですが)ことや、さまざまな理由で当時の安倍政権の支持率が急降下していたことなどもあって、与党の中に労働時間の規制緩和に消極的な雰囲気が強まりました。さらに、マスコミや野党がWEに対して「過労死促進法案」「残業代ゼロ法案」といったネガティブキャンペーンを展開したこともあって、政府・与党も2007年初には「四月の統一地方選、七月の参院選を控え、政策の是非を冷静に議論する環境にないと判断」(平成19年1月10日付日本経済新聞朝刊)していました。そのため、労働政策審議会が妥当と答申した法律案要綱は、WEと企画業務型裁量労働制の規制緩和が削除されたうえで3月に閣議決定され、国会に提出の運びとなったのです。

 しかし、当初の法律案要綱をみれば、WEは決して「過労死促進法案」ではありませんでした。WEは端的に言えば一定の要件を満たす労働者については割増賃金の支払を要しない、すなわち「賃金を労働時間の時間割で支払わなくてもよい」というものでした。その要件の中には「対象者の個別の同意」も含まれており、制度的には労働者はいやなら拒めるものとされていました。しかも、労働時間についてはたとえば4週4日以上かつ週休2日相当(年間104日以上)の休日を確実に取得させる(これは罰則つき)、週40時間を超える在社時間等がおおむね月80時間程度を超えた対象労働者から申出があった場合には医師による面接指導を行う、などといったものが含まれています。これらは労働基準法の定める1週1日または4週4日の法定休日の定めや、労働安全衛生法の定める「週40時間を超える労働が1月当たり100時間を超え、かつ、疲労の蓄積が認められるときは、労働者の申出を受けて、医師による面接指導を行わなければならない」という定めと較べて規制強化となっており、長時間労働の抑止や健康被害の防止のしくみがより強く織り込まれています。

 また、「残業代ゼロ法案」という批判に関しても、WEは「一定以上の年収水準」を要件としており、その水準について厚生労働省からは「たとえば900万円」と説明されていました。具体的な企業実務としては、たとえば基本給+残業代+賞与で年収900万円を超えており、WEの他の要件も満足している労働者がいるとします。この場合、従来の残業代に相当するWE手当を支給し、基本給+WE手当+賞与であらかじめ同額(900万円以上)の年収を決定・保証してしまい、いちいち時間割での割増賃金の計算・支払はしない、という扱いになることが想定されます。たしかに残業代はなくなりますが、それに代わる手当が支給されて年収900万円が保障されるわけですから、少なくとも「残業代100万円込みで500万円の年収を、残業代ゼロにして400万円に切り下げる」というニュアンスの「残業代ゼロ法案」という表現は適切なものではなかったでしょう。

 企業は無際限に人件費を費やすわけにはいきませんから、当然従業員に対して「今月の残業は○○時間以下で」といった管理を行うことが多くなるでしょう。いっぽう、ホワイトカラーを中心に一定程度以上の専門性や裁量性をもって働いている人の中には、こうした制約にとらわれず、自分のペースで自分の納得のいく仕事をしたい、残業代より昇進・昇格で報われたいと考えている人も多いでしょう。こうした人たちにとっては、WEは働きやすい、いい制度になるに違いありません。対象とすべきでない人や望まない人は対象とならないようよく考えられていたと思われるだけに、政治的な思惑で削除されてしまったことは残念です。

 こうして内容の薄くなった労基法改正法案は、国会に提出されたものの長きにわたりたな晒しの憂き目をみることとなりましたが、その間、2007年7月の参院選で与党が大敗しました。そこで、与党はやはり政治的な配慮によって割増率の「月80時間を上回る」を「月60時間を上回る」に短縮、さらに中小企業への猶予を加える議員修正を行って成立させたわけです。注目すべきなのは、この与党合意においてWEなど労働時間規制のあり方の検討が課題として明記されたことです。使用者サイドに対する配慮ということではありましょうが、WEが完全消滅しなかったことは歓迎すべきでしょう。当分の間は難しいでしょうが、いずれ「政策の是非を冷静に議論する環境」となった際には、建設的な議論を期待したいものです。

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