労務屋ブログ(旧「吐息の日々」) このページをアンテナに追加 RSSフィード

2009-06-11 イカサマ師ブログ(笑)

城繁幸氏のブログがあるというので、見てみたのですが…。

http://blog.goo.ne.jp/jyoshige

なんか、すごいですね。前々からそうではないかと思っていたのですが、城氏のビジネスモデルは佐高信氏とかと同じで、事実であるかとか理屈が合っているかとかいうことは二の次にして悪口を書き立てる。そうすれば、そういう悪口を聞くと気持ちよくなるという人は一定数いるので、それなりに需要があって、喰っていける。まあ、それなりに取材はしているんでしょうけれど。

それはそれで、ブログのネタにはなるので、使い道はあります。とりあえず、城氏のブログの一昨日の記事をご紹介。ベンチャー企業家、平川克美氏の著書『経済成長という病』の書評?なのですが…

…昨年あたりから、保守層の一部に「そろそろ成長を諦めよう」的な意見が台頭しつつある。60前後の論者が中心で、論壇でも『もはや成長という幻想を捨てよう』(佐伯啓思中央公論12月号)などがぼちぼち顔を出す。

 要するに、自分たちはこれまで高度成長だナンだと競争に突き動かされ、大事なものをいろいろ見失ってきた、だから今後は経済成長にこだわらず絆を大切にしましょうね、という思いやり深い人間宣言である。

 正気だろうか。ゼロ成長を続けるということがどういうことか、想像したことがあるのか。

 個人の生活で言えば、給料が上がらない、出世も出来ない、ローンも組めないということだ。

 たとえゼロ成長下でも原資全体の再分配を行なうなら、優秀者に限っては勝ちあがれる。

 だが現状、職能給というわけのわからないガラクタのせいで既得権を含めた再分配は認められていないので、若年層にはなんとも希望の無い社会となる。

給料が上がらないと嘆く30代も、正社員の椅子が空かないとこぼす派遣社員にも、この手の自由競争否定論者は、いかなる答えも提示しようとはしないのだ。

 あくまで国の成長自体を追及するか、それとも現状維持で我慢するか。どちらにせよ、それは血まみれの大改革を推進することで可能なのであり、痛みの伴う改革はすべてイヤですというのは、国家規模の自殺行為でしかない。

 そもそも、赤字国債というのはローンみたいなもので、今より将来は賃金が上がるだろうが今はまだ買えない、でも今買っておくと後々まで有用だというモノに対して使うべきものだ。

 つまり、ゼロ成長なら、PB黒字化は最低条件であり、平成20年度でいえばあと最低5兆円は歳出をカットしなければならなくなる。

 さらにいえば、毎年の利払い分約9兆円も現役〜将来世代が負担し続けるのは理不尽だから、使い込んだ世代にきっちりツケを払っていただかないといけない。

(今の30歳以上が年齢に応じて負担するべきだろう)

http://blog.goo.ne.jp/jyoshige/e/c4c3327a5d5fb3a3e167c77aefff77fd、以下同じ)

平川氏の本は読んでいないので内容についてはコメントできないのですが(それにしても、本当に「痛みの伴う改革はすべてイヤです」なんて書いてあるのかどうか。hamachan先生のいわゆる第2法則ではないかという気もしますが、まあ邪推ですが…)、それ以外の部分についてもいかがなものかという記述が多々みられます。たとえば、

 昨年あたりから、保守層の一部に「そろそろ成長を諦めよう」的な意見が台頭しつつある。60前後の論者が中心で、論壇でも『もはや成長という幻想を捨てよう』(佐伯啓思中央公論12月号)などがぼちぼち顔を出す。

佐伯啓思先生を担ぎ出すのであれば、それなりにウラはとっておいたほうがいいと思うんですけどね。「コンサルタント」を自任するのであれば。なにも難しいことでも手間がかかることでもなく、amazonで検索するくらいでも佐伯先生がすでに2003年には『成長経済の終焉―資本主義の限界と「豊かさ」の再定義』というハードカバーを出しているなとか、さらに10年前の1993年には現代新書から『「欲望」と資本主義―終りなき拡張の論理』が出ているなということがわかって、「昨年からぼちぼち顔を出す」なんて書いてしまうことはなかったと思うんですが。

 正気だろうか。ゼロ成長を続けるということがどういうことか、想像したことがあるのか。

 個人の生活で言えば、給料が上がらない、出世も出来ない、ローンも組めないということだ。

そもそも、他の条件が同じであれば、経済成長は大きいほうがいいのは自明です。他の条件が同じなのにゼロ成長のほうがいい、というのであれば、たしかに「正気だろうか」ということになるでしょう。しかし、平川氏はさすがにそうは言っていないのではないかと思うのですが。まあ、これは本を読んでいないのでなんともいえませんが。

それはそれとして、「個人の生活で言えば」ゼロ成長でも給料は上がりますって。ベアゼロ、つまり総原資がゼロ成長でも、「個人の生活で言えば」定昇分は給料は上がるわけですから。これは賃金実務の基礎中の基礎で、元人事マンを売り物にする人としては相当恥ずかしい間違いです。また、ゼロ成長でも当然出世はできます。社長が退任すれば誰かが代わりに社長になるわけで。まあ、チャンスは減るでしょうけれど。それから「ローンも組めない」って、どうしてゼロ成長だと「個人の生活で言えば」ローンも組めないんですか?ローンを組む上で大切なのは安定的な収入が確保されていることであって、それが確保されればゼロ成長でも特段ローンを組むのに問題はないのでは?成長率が低ければ金利も低くなって、かえってローンが組みやすくなるかもしれないくらいで。

 そもそも、赤字国債というのはローンみたいなもので、今より将来は賃金が上がるだろうが今はまだ買えない、でも今買っておくと後々まで有用だというモノに対して使うべきものだ。

「使うべきものだ」というのは、城氏のご意見としては承るにしても、赤字国債の定義という意味では間違いです。そもそも財源不足の補填のために国債を発行することは財政法で禁止されていて、「今はまだ買えない、でも」必要なおカネを貯めた後に買うよりは「今買っておくと後々まで有用」なものをすぐに手にいれることができる、といったような場合に対しては例外的に国債が発行できる(具体的には建設国債)わけです。さはさりながら、現実には歳入が不足することは起こるわけで、その補填をするために毎年のようにわざわざ特例法を成立させて赤字国債を発行しているわけです。

 つまり、ゼロ成長なら、PB黒字化は最低条件であり、平成20年度でいえばあと最低5兆円は歳出をカットしなければならなくなる。

 さらにいえば、毎年の利払い分約9兆円も現役〜将来世代が負担し続けるのは理不尽だから、使い込んだ世代にきっちりツケを払っていただかないといけない。

(今の30歳以上が年齢に応じて負担するべきだろう)

成長率がいくらだろうが財政は均衡させるべきというのが正論でしょうが、それはそれとして、城氏は「使い込んだ世代」にミルクを与えられ、学費を負担してもらったのではないのでしょうか?30歳以下の人は、新幹線も高速道路も公立病院も使わないとでも?

ということで、平川氏の本の内容については私はわかりませんが、城氏の論法についていえば、「成長率は高いほうがいい」「財政は均衡させるべきものだ」という否定しようのない命題を掲げ、それには「血まみれの大改革を推進すること」が必要であると決めつけ、したがって「血まみれの大改革を推進する」べきだ、と述べているに過ぎません。そこには、「血まみれの大改革」で本当に成長率が上がり、財政が均衡するのだろうか、といった検証や、はたしてそうやって得た成長や財政均衡は「血まみれの大改革」に値するものなのだろうか、といった議論が欠落しています。

そこが城氏の佐高モデル(といったら佐高氏が怒るか?)たるところで、結局は「血まみれの大改革」で誰かが血まみれになるのを見たい、とりわけ自分より恵まれている人がそうなるのを見たい、ということなんですねたぶん(邪推ですよ)。これは城氏がそうだというよりは、そう思っている人が一定数いて、そういう人がこういう言説を求めているから、その需要に城氏が応えている、ということなのでしょう。まあ、城氏だって喰っていかなければいけないわけですし、供給されて気持ちよくなる人もいるわけですから、それはそれで経済活動の一つだということなのだろうと思います。

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