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2009-09-09 濱口桂一郎『新しい労働社会』

「キャリアデザインマガジン」第88号に掲載した書評を転載します。著者から「辛口の批評を」とのリクエストをいただいておりましたので、辛口に心がけたつもりです。…が、著者にとってはメンバーシップ型の支持者からこの程度の論評がなされることは想定の範囲内だったかもしれません。

新しい労働社会―雇用システムの再構築へ (岩波新書)

新しい労働社会―雇用システムの再構築へ (岩波新書)


 労働問題が世間の耳目を大いに集めるようになったのは、安倍内閣が発足した2006年頃からだろうか。以来今日に至るまで「格差」や「ワーキングプア」などが確たる検証もなしに政治的に喧伝され、「日雇い派遣」や「年長フリーター」、「均等待遇」などをめぐって印象論や感情論がばかりが先走り、不安定な政情の中で政策も右往左往した。こうした状況が端的に現れたのが、2008年から2009年の年末年始に行われた「年越し派遣村」であろう。総選挙、政権交代を経た現在(2009年9月)も、世間一般で労働問題について冷静な議論ができるような状況はほとんど見られないように思われる。

 本書は、このような混沌に投じられたまことに貴重な一石といえるだろう。著者は、労働社会においてはどの部分も他の部分と深く関わりあう「雇用システム」が成立しており、部分部分の改善は全体像を常に意識して行わなければならないと主張する。そして、社会問題を論ずる際に全体としての現実適合性を担保するために国際比較の観点と歴史的パースペクティブが必要だと述べる。極めて適切な指摘であり、本書においてもこの考え方は一貫している。

 それゆえ、「序章」は本書における最も有意義な部分ということになる(著者の意図とは異なるとしても)。現在問題とされているさまざまな事項を考えるには、わが国の雇用システム、すなわちメンバーシップ型雇用を基軸とした日本企業の人材戦略があり、人事労務管理・社会制度がそれを支える形で成立していることへの理解が不可欠だが、残念ながら世間ではおよそ理解が進んでいるとは言いがたい。序章ではそれがわかりやすく整理・解説されており、この章を通読・理解することで議論の前提が整えられるだろう。

 第1章から第3章は、近年世間を賑わせている主要な労働問題が取り上げられている。第1章は長時間労働とワークライフバランスの問題を取り上げる。名ばかり管理職ホワイトカラー・エグゼンプションなどをめぐる議論が「残業代」というカネをめぐる議論に終始し、健康確保のため労働時間の議論が忘れられていたという指摘は鋭い。第2章は派遣、請負、有期などの非正規労働が論じられる。諸形態について、歴史的経緯も含めてかなり詳細な解説がなされ、やや読みにくいかもしれないが、しかしここを理解することではじめて議論の準備が整う。「神は細部に宿る」のだ。第3章はワーキングプア問題について述べられる。メンバーシップ型の正社員に生計費賃金が支払われてきた歴史の中で、近年はメンバーシップに加われない生計維持者が増加してきたことがワーキングプア問題の原因であると指摘する。

 第4章はやや短く、内容も少し傾向が異なっていて、集団的労使関係が取り上げられる。制度の変更を通じて問題を解決するには職場レベルの集団的労使関係をベースとした産業民主主義の手続きによることが望ましいが、現状の企業別組合は正社員中心の組織となっていてそれには不十分であると述べている。

 このように、本書は現在の労働問題について国際比較と歴史的経緯を通じて理解するという意味で非常に有益なものであるといえる。ただし、そこには2点の重大な留保がつく。第一は、国際比較も歴史的経緯もそのすべてが述べられているわけではなく、述べられていない重要な部分がある、ということだ。そして第二は、あえてここまで紹介していないが、それゆえに著者が提示する政策提言には不適切なものがいくつか含まれているということだ。

 メンバーシップ型を基軸とした雇用システムには、たしかに功罪があろう。著者はその「罪」を強調するいっぽうで、「功」にはいささか冷淡な感がある。たとえば長期雇用・内部昇進制について「労働者は仕事に全力投球することを求められ、これが長時間労働のような弊害を伴いながらも、企業の発展に貢献したことは間違いありません」という記述が第3章にあるが、著者は企業の発展が労働条件の向上につながり、雇用の増加をももたらしたことには口を閉ざす。その雇用システムゆえにありふれた労働者が郊外のマイホームと一家に一台のマイカー、月に一度の外食や年に2回の宿泊旅行を手に入れることができたという「功」の部分は語られない。「部分部分の改善は全体像を常に意識して行わなければならない」「全体としての現実適合性を担保する」という理念との整合性にかすかな疑念を感じざるを得ない。

 国際比較も、ベンチマークの対象はEU(諸国)に著しく偏っており、米国などとの比較はまったくと言っていいほど行われていない。これはつまるところ、著者が書名にそのままあるように「新しい労働社会」「雇用システムの再構築」を志向し、それがEU類似のものである、ということゆえだろう。なるほど、かつてEUのレーバーアタッシェを務め、EU労働法・労働政策の第一人者である著者がそう考えるのは自然ではあろう。しかし、私たち民間企業の実務家としては、「EUと同じようにやっていて、われわれは国際競争に勝ち残れるのだろうか?現在の豊かさを維持できるのだろうか?」という素朴な、しかし深刻な疑問を抱かざるを得ない。そして、この疑問に対する明確な回答は本書には見当たらない。となると、企業としては引き続き、米欧にはない日本の特色である現行の雇用システムの強みを競争戦略に生かすよりないだろう。

 政策提言については、著者は現実的でなければならないとの立場をとり、長期的な移行期間を念頭に漸進的に進めるべきとしている。その方向性も現在の行政の方向性とそれほど大きく異なるものではない(もちろん同じではないが)。これは著者の官僚としての実務家的側面の現れと思われ、一部にはこれに対して「物足りない」との感想もありそうだが、しかし立場は違えど同じく実務家である評者には、これはまことに立派な姿勢に思われる。さらに為念申し上げれば、本書の提言の中には、ワークフェアの理念に基づくセーフティネットの整備や、雇い止めに対する金銭解決の導入、(最低)賃金ではなく「端的に公的な給付」による最低生計費の確保、三者構成の堅持など、私も賛同する主張も多く含まれている。

 しかしながら、日本の過小評価、EUの過大評価によるものか、違和感を禁じえない提言もある。たとえば、第1章の「普通の労働者に適用されるデフォルトルールは」「男女労働者とも家庭生活とのバランスが取れる程度の時間外労働を上限と」「明確に変更すべき」との提言である。そもそも特定のワークライフバランスを行政がデフォルトとしてセットするというのが余計なお世話なわけだが、それは別としても、なお「それで本当に日本は国際競争に勝てるのか?」という懸念はぬぐいがたい。もちろん健康を害するような働き方はよくないにしても、故飯田経夫先生は「日本という国の特色は(「人の上に立つ人」だけではなく)「ヒラの人たち」もまた非常に真面目に働くということにある*1」と言っておられたではないか?橋本久義先生は、「日本には報われることの少ない分野で、おそらく、一生報われることのない汗を流しつづけている従業員がたくさんいる。そういう「普通」の従業員が、素晴らしい力を発揮して、素晴らしい製品を生み出してきた*2」と述べているではないか?私が著者のこの提案に強く抵抗を感じるのは、これは結局「国の発展のためになる高度な仕事に没頭するのはエリートに任せて、『普通の労働者』はほどほどに働いて帰宅して家事・育児をやっていなさい」と言わんがばかりの印象を持つからだ(もちろん、著者はそんなことは一切考えていないと思うので、言いがかりに過ぎないのだが)。一定の要件を課され、審査をパスした人でなければ仕事に没頭することが許されないということになると、それは新たな社会階層の形成につながるのではないか、とまで考えるのは大げさかも知れないが…。

 また、第2章において、有期契約の反復更新と雇い止めを「偽装有期労働」と断罪しているのにも違和感を覚える。日本の雇用システムの強みを生かす立場からすれば、雇用量調整のために一定の有期契約労働を持たざるを得ず、雇い止めは有期契約の本質であって、何度反復更新されようとも変わるものではない。有期雇用で働く人がいかにしてスキルを伸ばし、キャリアを形成(期間の定めのない雇用への移行も含め)していくか、ということが重要であり、そのための政策が検討されるべきだろう。ここではこれ以上触れないが、他にも申し上げたいことは多々ある。

 このように、本書は現実的な政策を標榜しつつ、その目指すところはかなり大胆であるといえそうだ。案外「現実的を装った抜本改革の書」なのかもしれない。わが国の労働社会、雇用システムのあり方については諸説あり、まだ相当の議論が必要だろう。考え方が異なればそれぞれに対する評価も異なるのも当然だ。評者はまた異なる意見を持ってはいるが、本書はその中でもかなり有力な立論となっていることも間違いなかろう。冷静で有意義な議論のために有益な本として高く評価したい。

*1:飯田経夫(1980)『「豊かさ」とは何か』講談社現代新書、p.41。

*2橋本久義(2002)『町工場が滅びたら日本も滅びる』PHP研究所、p.243。