吐息の日々 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2009-09-15 若きキャリア官僚の秋

きのうから、日経ビジネスオンラインで「若きキャリア官僚の秋2009」という連載インタビュー記事がスタートしています。初回に登場するのは財務省主計局の高田英樹氏。聞き手はコンサルタントの佐藤ゆみ氏です。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090907/204180/

自身のブログを運営したり(http://plaza.rakuten.co.jp/takadahmt/)、財務省の採用情報サイトに魅力ある先輩として登場する(http://www.mof.go.jp/saiyou/honsyo/senpai18.htm)などしているお方です。このインタビューも、全体を通じて、志の高さが感じられて好感が持てます。

少しだけ紹介しますと、

佐藤 ゆみ(以下、佐藤) 最近、官僚と言うと、天下りで大金を手にしているとか、埋蔵金を隠しているとか、いかにも“日本の悪”のようなイメージで表現されることが増えています。ただ、官僚のイメージが実態以上に悪く伝わっているところに、私個人としては疑問を感じざるを得ません。もちろん、癒着体質の方もいるでしょう。しかし、それ以上に、国家のために真摯に働く方々が多いはずですから。

高田 英樹(以下、高田) 多いというより、ほとんどの官僚が「我が国のために」という使命感を持っていると思います。最近の論調では官僚を叩くだけのものもあり、実際の働きよりも評価が低いのではと感じて残念です。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090907/204180/?P=1

高田氏は後段で「「政府」という悪代官がいて、庶民からお金を巻き上げる一方でムダをしていると」「勘違いされている」とも述べています。実際、私は財務官僚とのおつきあいはあまりなく、以前財務省総研の研究会に参加したときに親しく交流したくらいのものですが、私の知る限りではみなさん強い使命感と責任感をもって仕事をしていると思います。他の省庁も含めて、ごく例外的な人を除けば全員そうではないでしょうか。

にもかかわらず、民主党はマニフェストの先頭に「ムダづかい」の排除を掲げ、それによって消費増税なしに各種施策の巨額の財源を捻出できるとの主張を行いました。総選挙での圧勝を受けて、ますますそうした主張が強まることも考えられます。

佐藤 今後、民主党が何をもってムダと判断するかは分かりませんが、「天下りがムダ!」と官僚批判をかなり強めています。実際に天下った方々の人件費というのはいかほどなのでしょう?

高田 「天下り法人に何兆円ものお金が行っている」と言われていますが、人件費に何兆というわけではなく、そのごく一部だと思います。「天下り」に多々批判があるのは否定しませんが、「天下り」というのは公務員のキャリアの最後の部分に過ぎません。

 大事なのは、なぜそうした慣行があったのか、どうすればこれを改善できるのか、公務員のキャリア全体を見直すことだと思います。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090907/204180/?P=2

このブログでも繰り返し書いていますが、私は政府がムダづかいのカタマリであるかのような誤解を国民に与えている最大の理由は、大多数の国民から見て明らかなムダづかいが、ビジブルな形であからさまに放置されていることにあるのだと思っています。明白なムダが明らかになっているのになんら変わらないということが「他もすべてそうなのだろう」という印象を与えるのではないでしょうか。その最たるものが「特殊法人・外郭団体のトップ・幹部への天下り」なのでしょう。日比谷や銀座の一等地にオフィスを構え、専用車で移動し、10時に出勤して16時には退勤、仕事の大半は決裁と会議出席(もっとも、その内容は豊富な知識や経験、専門性を生かした高度なものも多いわけですが)で、数年で退職して巨額の退職金…という、民間ではおよそ考えられないような、池田信夫先生いわゆるところの「ノンワーキング・リッチ」の存在は、ムダづかいではないと言われて納得する人はほとんどいないでしょう。

もっとも、それに対する高田氏の指摘は、これは行政の立場からすればまったくの正論と申せましょう。キャリア官僚はわが国でも最高水準の人材であり、仕事内容は非常に高度で複雑(そうでない仕事もあるでしょうが)、かつたいへんな激務であるにもかかわらず、若い頃は給与の水準は高くなく、およそ能力や職務に見合ったものではなさそうです。その分を、中高年になってから天下りと高額退職金で埋め合わせ、生涯を通じて精算するという強烈な後払い賃金のしくみとしているわけです。これがまさに「なぜそうした慣行があったのか」その理由であり(すなわち、必ずしも100%ムダづかいとまではいえないとの考え方もありうる)、であれば「公務員のキャリアの最後の部分に過ぎ」ない「天下り」だけを非難するのではなく、「公務員のキャリア全体を見直す」のでなければ解決しないでしょう。

具体的には、年功賃金の見直しに取り組んでいる民間企業と同様、若〜壮年期の賃金を能力や職務に見合った適正な水準に引き上げるとともに、「年下の上司・年上の部下」を容認し、中高年期の賃金上昇を抑制し、専門職制度を設けるなどして定年まで省内で働けるような人事制度・人事管理を行うことでしょう(実際、1種と2種との間であれば年齢や年次の逆転は当たり前になっているわけですから、なぜ1種の中でそれが容認されないのか不思議です)。そうすればわざわざ外郭団体への天下りで若い頃の低賃金を埋め合わせる必要はなくなるはずなのですが。もちろん、これはこれで役所の風土を変える必要があり、官僚にはストレスかもしれませんが、しかしキャリアの最後の部分だけ取り上げられるよりはマシではないかと思いますが…。

さて、天下り以外にも「明白なムダ」はありそうですが、それについてどうかというと、

高田 理想を語るのはたやすいけれど、800兆円もの借金をどうするかを避けては通れません。国の財政は、昭和40年頃まで赤字はありませんでしたが、その後、借金体質になり、バブルで税収がピークになった頃でさえ、毎年何兆円もの借金をしていました。

 今のままでは、それを次の世代に付け回すこととなります。今、福祉水準を上げたとしましょう。それを受益できるのは今の世代です。でも、その負担は将来の世代が負うのです。

佐藤 では、どうしたらよいのでしょう。

高田 まず、何が「ムダ」で、何が「必要」か、といった議論を国民がしなければなりません。よく勘違いされているのは、「政府」という悪代官がいて、庶民からお金を巻き上げる一方でムダをしているというイメージです。

 民主主義なのですから、国民vs政府ではなく、本来は国民=政府であり、政府の職員は国民の代弁者に過ぎないということを理解していただきたいのです。

佐藤 今回の総選挙で自分の1票が政権を動かしたと感じた方も多いと思います。1人ひとりの行動が政治を、社会を作っているはずです。

高田 財政とは、国民間の資源配分にほかなりません。政府の役人が国民から税金を取っていると思われがちですが、本当はそうではなく、国民Aに対する行政サービスのために、国民Bが税金を払っているのです。

 税金が行政サービスをまかないきれない場合に、行政サービスを減らすのか、それとも税金を増やすのか、それは国民Aと国民Bの間で解決しなければならない問題です。政治家や役人は、その仲介をしているに過ぎません。

佐藤 そう考えると、1人ひとりがもっと行政と政治についての理解を深めなくてはいけませんね。

高田 もちろんです。1人ひとりの税金からなる資源の配分は結局、民主主義の過程の中で決定されるわけですが、今日のその決定に加わることのできない、将来の世代のことも考えなければなりません。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090907/204180/?P=5

典型的な財務省の論理ということになるのかもしれませんが、高田氏は別のところでは「多くの人がムダに思うようでも、一部に必要としている人がいる予算があります。こうした予算を削るのであれば、必要としている人を説得しないといけません」とも語っています。民主党ならば(本当にそうかどうかは知りませんが、推測として)「既得権」と一刀両断しそうな話ですが、官僚としてみれば国会で議決されて法律になっているものを勝手に変えるわけにはいかないというのももっともな話でしょう。「明白なムダ」だって、決めたのは官僚ではなく政治家だ、と言われればそのとおりと申し上げざるを得ません(まあ、現実には官僚が専門性を生かして政治に「抵抗」したり政策を「骨抜き」にしたりすることなどはあるのでしょうが)。bewaadさんが福井秀夫(2004)『官の詭弁学 誰が規制を変えたくないのか』日本経済新聞社の書評(?)において、「民主政の枠内で合法な手続により決定される政策は、それが論理的でなく経済学的でなくても、行政はそれを遵守しなければならないし、また、その政策を覆すには、同様の手続により別の政策決定を行うことのみが必要十分条件」と述べられていたことが思い出されます(http://bewaad.sakura.ne.jp/archives/themebased/2004/challenge.html#Dec0704。このブログでもhttp://d.hatena.ne.jp/roumuya/20050208で取り上げています。そういえばbewaadさんはお元気だろうか)。

いずれにしても民主党は政権を獲得し、まさに「民主政の枠内で合法な手続により」従来の政策を覆すことができるようになったわけですので、「ムダづかい」排除の旗印のもとにどこまでのことができるか、注目されるところではあります。

この企画、どこまで続くのか知りませんが、厚生労働官僚の登場が楽しみです(笑)。登場しないかな。どんなものだろうか。

bewaadbewaad 2009/09/16 04:03 言及いただき恐縮です。とりあえず元気に政権交代を迎えております。

生存確認だけではなんですので、今回のエントリについて管見を申せば、「ムダ」の存在そのものよりも、官民の相対的な環境格差が官僚不信の根源にあると考えてます。総じて皆が幸せに生きていれば為政は総じて高く評価されるでしょうし、逆に総じて不幸なら為政は結果責任を問われざるを得ません。今般、自民党は結果責任を問われて政権与党の座から降りましたが、官僚にはそのようなことは起きておらず、引き続き結果責任を問われ続けることでしょう。

そうされたくないならばまともなマクロ成長を達成するしかないのですが、そのような発想をする官僚は圧倒的少数ですから、自業自得ではあります。その意味で官僚の評価は「実際の働き」にふさわしいもの(むしろまだ高いと言ってもいいぐらい)で、使命感云々を持ち出して抗弁する高田さんもピントが外れているなぁ、と。「志が高い」官僚の多くが高田さんと似通った認識しか持っていないことこそが、主観的には霞が関がダメなところだと認識してます。

労務屋@保守おやじ労務屋@保守おやじ 2009/09/16 09:33 おや、bewaadさんお久しぶりです。お元気なようでなによりです。コメントありがとうございました。
 行政のほうは政官ともに「まじめに頑張って、やるべきことはやっているんだから、結果がどうあれ評価してよ」という労働組合的発想があって、国民の側は「いくら頑張っても結果が悪くてはダメだ」という成果主義的発想だということでしょうかねえ。どちらも情においてはよくわかるのですが、人事管理論としてはこのふたつのバランスが重要なのですが…。実際のところ、先般の原油価格高騰や今般の金融危機はいかに日本政府としてもどうにもならなかった部分は大きいはずですし(後付けの結果論なら何とでも言えますが)、麻生政権は経済対策はよくやっていたとも思うのですが。労働関係で明らかにダメなのは労基法改正くらいのもので、それも公明党に言われてやらざるを得なかったという面がかなりありそうなわけで…。
 あと、国民の側には、国民に奉仕するというなら庶民より質素に暮らせよ、みたいな「志が高いのであれば清貧であるべき」という意識もあるのかもしれません。これも欧米の常識とは逆なんですが。

とおるとおる 2009/09/17 05:49 >bewaadさん
お久しぶりです。もうHPは更新しないのでしょうか?

官僚と言っても所掌する物が多岐に渡りますから、マクロ成長と密接には関連しない分野の人間を含めてそういう言い方をするのはバランスを大きく欠くのでは?
例えば、外務、防衛系にマクロ成長云々を言うのは、かなりずれてると思いますし、厚生労働系に対して、マクロ成長を重視せよというのは、その本来趣旨と相容れないのでは?
bewaadさんは経済系かもしれませんが、我田引水になってませんかね。

労務屋@保守おやじ労務屋@保守おやじ 2009/09/19 10:27  私が口出しすることは期待されていないのでしょうが、ひとこと。
 たしかに省庁によって優先順位やウェイトの置き方は異なるにしても、マクロの経済成長、つまり国民が(経済的に)豊かになるということは、政策目標のひとつとしてどの省庁も念頭におくべきことではないでしょうか。
 外務省にはマクロ成長は相当重視してほしいと思いますし、国の守りや国民の健康が確保できれば国民が貧しくなってもかまわない、ということでは国民の理解は得られないと思います。逆にいえば、経済産業省は環境や健康は考慮せずに経済成長だけ考えていればいい、ということにもなりかねません。
 現状では、むしろそうした「自分の縄張り」を過度に重視する姿勢が「縦割り」という批判を受けているのではないかと思うのですが。

とおるとおる 2009/09/19 13:08 >労務屋さん
観念論としては仰ってる方向性は分かりますが、ちょっと違うと思います。bewaadさんの「そのような発想をする官僚は圧倒的少数」というのは、その程度の話なのでしょうか?

何故なら、マクロの経済成長が政策目標であることを理解してない官僚なんて皆無とは言いませんがレアケースでしょうし、どんな官庁であっても、実体経済に悪影響を及ぼすことはなるべく避けて政策を出している筈です。

もちろん、個別の政策まで行くと、別の政策目標とのバランスの問題なので、経済成長よりも別の政策目標を重視したりは有り得るでしょうけれど。

仮に、bewaadさんの認識が労務屋さんの仰るような意味でのものなら、現実とずれてる様に思われます。
その場合、各省庁の優先課題の違いを考えずに、bewaadさんの観点だけから評価するから、上述のような発言になってるように思われます。

>現状では、むしろそうした「自分の縄張り」を過度に重視する姿勢が「縦割り」という批判を受けているのではないかと思うのですが。

そこを緩和するのは、最終的には、総合判断をすべき、内閣、国会の役割だと思います。
官僚は各自の担当する専門分野においてベストを尽くすようにするのが、本来の姿だと思います。
行政の縦割りの弊害が叫ばれて久しいですが、官僚が勝手に横で連携して国を統治することが生じたら、その方が問題だと思います。それこそ、「官僚主導」なのではないかと。

そもそも、現実の局面では、官僚同士が連絡を取り合ったり、調整をすることもある訳で、「過度に重視」かどうかは、見る人の評価基準の違いのような気もしますが。

(追伸)
個人的には、官僚不信の大きな要因は、明らかな「政」の失敗も含めてスケープゴートにされやすいこと、割と多い「エリート」に対する反感、マスメディアが売れるネタとしてバッシングを繰り返すこと、政治家はメディアを使った反論や裁判等の手段も利用できるが官僚は普通はできない等だと思っています。

正直な話、bewaadさんのコメントは、日頃から思っている同僚や他省庁への憤懣をぶつけただけなのでは?と思っています。

経済成長しても、格差が縮小しない限り、中〜下層のマス部分からの不信は消える筈無いじゃないですか。
マス部分に焦点を当てたメディアの姿勢が変わる筈も無いのですから。。

労務屋@保守おやじ労務屋@保守おやじ 2009/09/21 16:39  仮に「マクロの経済成長が政策目標であることを理解してない官僚なんて皆無とは言いませんがレアケース」であるとしても、「どんな官庁であっても、実体経済に悪影響を及ぼすことはなるべく避けて政策を出している筈」というのは、にわかには同意できないところです。とりあえず労働政策をみると(私は他のことはわからないので)、日雇派遣の禁止やインハウス派遣の規制強化、雇用保険の料率引き下げといったものが「実体経済に悪影響を及ぼすことはなるべく避けて政策を出している」とは私にはなかなか思えないわけです(政治家に較べればかなりマシであること、およびこれらも政治家の意向が強く働いたものであろうことは認めますが)。まあこのあたりはこれに限らず、それこそ優先順位がそういう優先順位なんだ、ということかもしれませんが、それだと優先順位についてのモノの考え方が違うんだから仕方ないだろう、民間人はもちろん他省庁の奴も口を出すな、という議論に終わってしまう危険性もありますが…。
 縦割り云々も同じことで、評価基準の違いというのはあるでしょう。私としては世間一般でそういう見方をされていることが多いのではないかということを申し上げたかっただけです。
 経済成長か格差縮小か、というのは難しい問題のような気がします。自分の生活が改善していれば、他人がもっと豊かになっても気にならない、ということはどの程度起きるのか、時と場合と人と条件によっていろいろありそうです。現在のマスメディアが作り出している風潮が「全体の底上げだけではなく、比較的富裕層の引き下げも実現しなければ納得できない」といったものになっているように思えてどうも心配なのですが…。

とおるとおる 2009/09/22 07:23 >労務屋さん
労務屋さんの仰っている方向性も分かるのですが、官僚に与えられている権限や裁量の範囲を過大評価されているように思われます。

政策の優先順位については、最終的には国民の判断に委ねられている所なのではないでしょうか?
産業政策にしても、労働政策にしても、100%の正解や普遍的な真理というのは無いのですから、
仮にマクロ成長よりも分かり易い公平さ等を国民が強く志向するのであれば、民主主義国家の行政においては、とりあえずの正解はそれになると思います。

そして、間接民主主義を採用している以上、国民の判断とは、現実には、国民の負託を受けた内閣や与党及び諸議員の判断と言うことになるかと思います。

専門家目線からすると少し(大いに?)おかしいことでも、行政というのはそういう妥協の産物というか、適当な落し所に落すのが正義であると言うことになるかと思います。

労働政策については、全くの素人なのでアレですが、労務屋さんから見て違和感があるというのも、やはり専門家目線と国民一般から見て分かり易い政策の相違と言うことに尽きるのではないでしょうか。
その現実について、妥協しながら現実解を模索するしかない官僚側の責に帰するのは、ちょっと酷な話と思います。
ましてや、その現実を見て、bewaadさんのように、官僚の多くはマクロ経済を云々というのは、論理が飛躍しているのではないでしょうか。

古き良き?時代には、強力な個性で官僚が主導することも在り得たかもしれませんが、今や国民の大半がそれを望まず、マスメディアは官僚の粗探しに邁進する中、
そういった裁量の余地はほとんど残されていない訳ですから。
官僚を敵視する現政権下では尚更そうです。

労務屋@保守おやじ労務屋@保守おやじ 2009/10/01 21:16  官僚が政治の決定、すなわち国民の意思に従わなければならないという限界があるということはよくわかります。現実には、政治が「これならわかりやすく国民に受けるだろう」と考えて政策を決めているという部分も大きいとは思います。実際、たとえば雇用保険料率の引き下げなどは、官僚や審議会は「政治がどうしてもというから仕方がない」というきわめてリラクタントな姿勢をとっていたと記憶します。
 ただ、具体論やそれが国民にとってわかりやすいかどうかといったことと同時に、国民が期待していることの多くはマクロ経済成長を通じてよりよく達成されるというのも大方の場合は事実だろうと思います。たしかに現実との妥協が必要な官僚の仕事の中では難しいこともあるとは思うのですが、しかし私としてはやはり官僚にはマクロ成長を常に一定程度念頭においてほしいと思わざるを得ません。
 たしかに、官僚を敵視する現政権下では、官僚の「高い志」を発揮することは容易ではなさそうですが…。