「高度成長体制の亡霊」はもういない

野川忍先生が、ツイッターで「現代の労働問題の根源はどこにあるか」を論じておられました。どうも野川先生はそれは「高度成長体制の亡霊」であるとお考えのようです。以下でそれについてコメントを試みようと思いますが、1ツイート140字というツイッターの制約は非常に大きいという印象で、おそらく先生もお考えを十分には述べきれておられないことでしょう。それを承知の上でのコメントなので、読者の方には先生の意図とは異なっているかもしれないことを了解の上お読みいただければ幸甚です。なお野川先生にはこうしたまとまった論考にはブログを並行して活用されることを老婆心ながらお薦めする次第です。
それではまず野川先生のツイートをご紹介します。上記の事情ですので基本的に省略なしの全文引用です。

(1)現代の労働問題の根源はどこにあるか。現在の企業社会における基本的な雇用慣行は、高度成長期に確立した「長期雇用」「年功制賃金人事制度」「企業内労使関係」に淵源を持ち、それが成功体験と結びついているために脱皮できないことが、最大の原因の一つである。

(2)高度成長期は、日本も第二次産業が中心であり、IT化など存在しなかった工場では労働集約的な集団的労働が主流であった。熟練工が重要な役割を果たし、企業への密着度がそのまま生産性の向上につながりえた。したがって、男性学卒労働者が貴重な担い手として重視された。

(3)つまり、この時期に男性は汗水流して朝から晩まで会社で仕事に打ち込み、女性は専業主婦としてそのような男性を支えて家事と育児に専念するという形態が定着したのは理由があるのであって、長時間の一致団結した現業労働を可能にするための、合理的選択だったのである。

(4)そこでは、能力があっても女性にはポストは与えられず、キャリア形成は社内のOJTが中心となり、基幹部門は屈強な男性壮青年が担って高齢者も障がい者も女性も縁辺労働力としてしか位置づけられなかった。

(5)多彩な雇用関係や、職業生活と家庭生活の調和や、雇用平等の理念や、一人一人の労働者のニーズに応じたキャリア形成の機会など、当時は全く二の次であり、とにかく先進国として離陸するために第二次産業・輸出産業中心の生産力向上を徹底的に推し進めたのである。

(6)最大の問題は、こうした高度成長期に確立した企業社会の雇用慣行が、「成功体験」と結びついていることである。当時働き盛りで、現在企業の幹部となっている人々には、「あのやり方で日本は豊かになり、経済大国となった。」という意識が強く残っている。

(7)雇用均等法が1985年にできる過程で、当時の経団連会長が反対の意を示し、「そもそも女に選挙権を与えたのがいけませんなあ。」と言い放ったというのは有名な話である。

(8)要するに、「あんなに成功したやり方をなぜ変えなければならないのか」という疑問が、現在の大企業役員らにもこびりついているのである。身を粉にして企業に滅私奉公する産業戦士としての男性、それを支えて家庭で銃後の守りに徹する専業主婦・・・

(9)…基幹的役割を果たす正規労働者と、その雇用のバッファーとしての非正規労働者、企業に長年貢献すれば賃金も地位も上がるという人事制度、全く成熟しない外部労働市場、…これらがなかなか変化しない原因の一つは、「高度成長期の成功体験の記憶」から脱せないことにある。

(10)もちろん、時代も環境も激変している。しかし、人間が「たぐいまれな成功体験」から脱することは非常に困難である。我々は、こうした事実を踏まえて、困難な道を歩まなければならないという覚悟が必要である。

http://twitter.com/theophil21/status/26996196221http://twitter.com/theophil21/status/26997856972

私も証拠をもって議論しているわけではありませんのでまったくの印象論ですが、企業経営者や役員に「高度成長期の成功体験の記憶から脱せない」人がどの程度いるのだろうかが疑問に思えるわけです。
一般的には、「高度成長期」は1973年のオイルショックをもって終了したと考えられていると思います。この年に学部新卒で就職した人は、浪人・留年などがなければ今年60歳を迎えるはずです。まあ70歳の企業経営者というのも珍しくはないわけですが、とはいえ現在の経営者や役員の大半は係長になる以前に高度成長が終了し、そのキャリアの大半を安定成長・低成長下で送っているはずです。「働き盛り」も幅は広いでしょうが、しかし一般的に20代を(会社員の)「働き盛り」という例は少ないはずで、となると高度成長期の最後、1973年に30歳であった人は今年67歳という計算になります。さらに「幹部」となると、幹部は役員ではない部長〜課長クラスの管理職を指すことが多いので、さすがに60歳を過ぎて経営に影響力のある「幹部」というのはごく稀でしょう(まあ、このあたりはツイッターの限界で用語が混乱しているのかもしれませんが)。
また、「高度成長期に確立した企業社会の雇用慣行」に対しては、高度成長が終わる前からすでに限界が指摘され、オルタナティブが模索されていました。日経連が「能力主義管理−その理論と実際」を発表したのが1969年で、その母体となった研究会が発足したのは1966年です。もちろん、これらの内容は野川先生が想定されるほどには(当時の)現状を変革しようというものではありませんが、少なくとも1960年代後半には「あんなに成功したやり方だが、変えなければならない」という疑問は持たれていたわけです。というわけで、高度成長の余韻というのはたしかに残ったでしょうが、雇用慣行に関してはそれほどでもなかったのではないかと思われます。
むしろ、オイルショック後の不況下においては「終身雇用の崩壊」「春闘の終焉」などがしきりに主張されましたし、その後もプラザ合意後の円高不況、そして近年ではバブル崩壊金融危機後の不況など、日本経済が大きなショックに見舞われるたびに「日本型雇用の改革」が叫ばれ、実際にもさまざまなモードチェンジ、バージョンアップが行われてもきました。現在の経営者、役員のほとんどはそれを身をもって経験してきた人たちですから、さすがに高度成長期に「あんなに成功したやり方を」こんにち「なぜ変えなければならないのか、という疑問が、現在の大企業役員らにもこびりついている」とは思えません。というか、30年以上の間にこれだけの環境激変があったにもかかわらず、それに応じて思考を変化させられない人が大企業の役員になれるはずもないわけで。

  • なお、私は不勉強にして均等法当時の経団連会長が「そもそも女に選挙権を…」と発言したのが有名な話とは知りませんでした。ただ、当時の経団連会長は新日鐵の稲山嘉寛氏で、同氏は当時の日米経済摩擦に対して輸出自主規制などにリーダーシップを発揮した方であり、これまた高度成長終了後の環境変化を身をもって痛感しておられたはずなので、とりあえず女性に対する偏見は格別としても「高度成長期にうまくいっていたやり方を変える必要はない」と思っておられたとは考えにくいものがあります。

ということなので、現状の(おもに大企業の)雇用慣行がなかなか目に見えて変わらないのは、経営者のアタマが古いからではなく、環境変化に応じてモードチェンジしてきた現行の雇用慣行が、現時点でも、あるいは将来にわたっても(適切なバージョンアップによって)有効であるからではないでしょうか(どのような点で有効なのかはこれまでも繰り返し書いてきたので省略します)。これは経営者のアタマを変えるか退場を待つかすれば済む話ではないという意味ではより一層「困難な道」かもしれませんが、理屈と損得で説得ができるという意味では多少は容易な道かもしれません。実際、現在は経済環境の悪さのためにネガティブな面ばかりが目立つように思われるかもしれませんが、しかしそれなりに野川先生が念頭におかれる「多彩な雇用関係や、職業生活と家庭生活の調和や、雇用平等の理念や、一人一人の労働者のニーズに応じたキャリア形成の機会」といった方向性への取り組みも行われつつあります。それを促進するために重要なのは、法による規制や禁止ではなく、労使にそれに対するインセンティブを与えるような制度改革ではないかと思うわけです。