中澤二朗『「働くこと」を企業と大人にたずねたい』

「キャリアデザインマガジン」第104号に掲載した書評を転載します。

「働くこと」を企業と大人にたずねたい ―これから社会へ出る人のための仕事の物語

「働くこと」を企業と大人にたずねたい ―これから社会へ出る人のための仕事の物語

 著者は新日鉄で30年間人事労務に従事し、同社が1980年代に大規模な経営合理化を断行した際には八幡製鉄所の労政掛長であったという。本社で決定された経営再建策を、製鉄所の現場で労組と折衝しながら具体化していく。それがきわめて困難な仕事であったことは想像に難くない。この本は、こうした長年の経験を通じて著者が考え抜いてきた「良き企業とは」「良き企業人とは」「良き社会とは」などの疑問に対する回答をまとめた本といえそうだ。
 手の込んだ語りと巧みな用語法で飽きさせずに読ませる本だが、そのメッセージはきわめてシンプルなものだ。前編の第1章では「良き企業とはどんな企業か」「良き社会人とはどういう人か」「良き社会人にどうしたらなれるのか」「良き社会とはどういう社会か」という4つの「素朴な疑問」が提示される。第2章では資本主義経済の発展とともに産業の論理が人間の論理を従属させたことが指摘される。第3章では、産業・企業の時間軸が人間のそれより短いことを指摘し、より長期の時間軸を持つべきことが主張される。
 後半の第4章から第7章では、4つの疑問への著者の回答が語られる。良き企業とは人間を大事にする企業であり、その核心は雇用を守る姿勢である。良き社会人とは仕事を通じて人間尊重を実践できる人であり、良き社会とは良き企業と良き家庭が存在し、人と社会の力が発揮される社会である。そして、それを実現する良き社会人になるためのステップとして「実践NJ法」が提案されている。
 こうした主張が、「赤の青年・黒の青年」「地軸のすすめ」「ニワトリの成果主義・タマゴの成果主義」「しごと壁の仕事人・しごと穴の仕事人」などの魅力的な用語法、多彩な語り口、そして入念に作られた分析図を駆使して縦横無尽に展開される。まことにめくるめく中澤ワールドである。
 評価は分かれる本だろう。実感こもった内容に共感し共鳴する人は多かろうと思う。これらの問題について心の中にもやもやと感じている人たちにとっては、それを鮮やかに整理してくれる本でもあるだろう。いっぽうで、日本経済の停滞の大きな原因のひとつを雇用の硬直に求め、市場主義の強化を主張する意見は根強く、著者はこうした議論を産業の論理の変質として批判しているが、逆にそうした論者からみれば、本書は時代遅れになった大規模製造業の人事管理を礼賛する反動の書ということになるだろう。かなりの程度個人的体験をベースにした議論であり、また社会分析や概念化なども独自のものなので、読み手それぞれの意見や立場、経験や現状などに応じて賛否は分かれそうだ。
 私個人としては、著者の膨大な思索と学びに圧倒される思いであった。自分の仕事についてこれだけ深く自省し、企業について、仕事について、社会について、そして人間について徹底的に調べ、考え抜いて、形あるものにまとめあげるという、すさまじいまでの勤勉さを前にすれば、内容に対する少々の違和感などはいかほどのものとも思えない。この人生の大先輩を前に、自らの至らなさを深く感じざるを得ない。
 論争的な本であり、すべての人に収穫を約束することは難しいが、しかし人によっては多くのものを得ることも多いのではないか。示唆に富んだ本である。