働き方改革どこへ行く?

いまや政権の目玉政策となった感のある「働き方改革」ですが、先週金曜日(2日)には「働き方改革実現推進室」が内閣官房で発足し、中旬には「働き方改革推進会議」というのもスタートする予定とのことです。報道によれば、1億総活躍プランで示された「同一労働同一賃金の実現など非正規雇用の待遇改善」「長時間労働の是正」「高齢者の就労促進」に加えて「障害者障害者やがん患者が働きやすい環境の整備」についても議論されるとか(時事、http://www.jiji.com/jc/article?k=2016081800734)。
さて推進室の開所式には安倍総理も出席し、以下のとおり訓示されたということです。

 『働き方改革』にいよいよこれから我々は着手するわけでありますが、一億総活躍社会を目指す私たちにとって『働き方改革』は最大のチャレンジであります。
 同時に、まさに働き方は人々のライフスタイルに直結するものであり、そして経営者、企業にとっても大変大きな課題であります。
 それだけに大変困難が伴うわけでありますが、私も先頭に立って取り組んでいく決意であります。
 世の中から『非正規』という言葉を一掃していく。そして、長時間労働を自慢する社会を変えていく。かつての『モーレツ社員』、そういう考え方自体が否定される。そういう日本にしていきたいと考えている次第であります。
 人々が人生を豊かに生きていく。同時に企業の生産性も上がっていく。日本がその中で輝いていく。日本で暮らすことが素晴らしい、そう思ってもらえるような、働く人々の考え方を中心にした『働き方改革』をしっかりと進めていきたいと思います。
 最大のチャレンジでありますから、選りすぐりの皆さんに集まっていただきました。皆さんの獅子奮迅の活躍を加藤大臣の指揮下でしていただくことを期待しております。
 皆さん一緒に結果を出していきましょう。頑張っていきましょう。

たいへん短い激励のあいさつなので、具体的な話ではなく意気込みを訴えるというのはまあ自然な成り行きのようには思いますが、それにしてもこの意気込みはどうなのか
たとえば「長時間労働を自慢する社会を変えていく」というわけですがいまの日本社会ってそういう社会でしたっけという感は禁じえません。もちろん中にはそういう高度成長期の化石みたいな人もいることはいるでしょうし、そういう人たちが往々にして周囲にもそれを要求して迷惑だという実態もあるわけですが、しかし少数というか例外だろうとも思う。政策目標としてこれを担ぎ出すのは、わら人形を叩いていると言われても仕方ないのではないかと思います。
モーレツ社員については「かつての」がついているので過去の話として語っていただくにはいいのですが、しかし死語だよねえとも思う。まあ死語は言い過ぎとしても、電通総研が去年実施した「「若者」×「働く」調査(http://www.dentsu.co.jp/news/release/2015/0813-004113.html)のニュースリリースをみると「若者は「企業戦士」「モーレツ社員」という言葉を知らない。」とまとめられているわけで(具体的な認知度は40〜49歳の54.4%に対し18〜29歳は21.7%)、実際の用例としても「うちのおじいちゃんは企業戦士だったらしいのよねえ」という感じで、現役のビジネスパーソンをつかまえて「あの人はモーレツ社員だ」とはほとんど言わないでしょう。そんなものをつかまえて「そういう考え方自体が否定される」とかリキまれてもなあと思います。
というか、そもそも当時から「モーレツ社員」という語はそれほど積極的に肯定されてはいなかったのではないかと思われるフシもあり、たとえばこの時期の『日経ビジネス』のバックナンバーを検索してみると、1971年11月1日号では牛尾治朗氏(ウシオ電機社長=当時)の「日本の国民全体としては、モーレツ社員思想とかには反対で…週5日制にするとか、公害がなくなるとか…絶対数ではその方が多いと僕は思う」という発言が紹介されていますし、1972年9月18日号では「"モーレツ社員"とおだてられながら成長期を支えてきたミドル…の層がビジネス社会で最も膨らんだとき、従来の日本的な年功序列制度は内部崩壊してしまっているかもしれない」という記載があります。他にも、1973年5月18日号では大企業経営陣の「(会社のためではなく)自分と…家族のために働いてもらえばいい…自分のためのモーレツ社員ならかまわないが、会社のためのモーレツ社員になる…ほどバカなことはない」という発言が紹介されているなど、総じてあまり好意的ではなく、積極的に評価している例は見つかりませんでした。広く知られているように、「モーレツ」そのものの流行が1969年の丸善石油のテレビCMからなので、仮にモーレツ社員が賞賛されていた時期があったにしても(まあ"おだてられ"てはいたらしいのですが)それほど長いものではなかったのではないでしょうか。
もちろんこのあたりは私もリアルなビジネスシーンの経験があるわけではないのでなんとも言えないのではありますが、まあ引用した記事からの印象としても、モーレツ社員はモーレツに働けば昇給や昇進といった見返りがあったからそうしていたのだろうとは思われ、したがって多分に大企業の話ではなかったかという気はします。でまあそんなものは高度成長で企業組織が拡大し管理職ポストも比較的潤沢だった時代だったから成り立ったものであり、その前提がなくなれば消えていかざるを得ないはずだというのはこれまで繰り返し書いたとおりです。
ということで、長時間労働そのものや、見返りの薄い滅私奉公をよしとしたり自慢したりするというのはいまやかなりの珍種ではないかと思います。こう書くと、いやいや私はつい先日も友人の長時間労働自慢を聞いたぞという人がいるだろうと思いますが、しかしそれは長時間労働そのものではなく「長時間労働で成果をあげた」という話だったのではないでしょうか?ここが大事なところで、やはり繰り返し書いていますがイノベーションやブレークスルーを実現しようと思うと一定期間は集中的に働くことが求められるのは避けられないわけです。こういうわら人形の叩き方をするとこうした長時間労働まで含めて全否定してしまいかねないわけでそれはやはりマズいのではないかと私は思います。
たとえばバブル期の1989年にリゲインの「24時間戦えますか」というテレビCMが一世を風靡したわけですが、あれも歌詞を見ればグローバル大企業で世界をまたにかけて活躍するエリートビジネスマンの話であって、まあ本当に24時間戦うかどうかは別として、その手の人がワーカホリックであるのは洋の東西を問わないでしょう。そんなのは他人に迷惑をかけない限りはやらせておけばいいじゃないかと私などは思うわけです(というか、あのCMがそもそも前年に大流行したグロンサンの「5時から男」の反動という面もある)。で、この手の人が迷惑になるのはエリートでもない人にもそれを要求するからであり、そこでいや私あなたのようなエリートじゃありませんからと言えるような区別をどうするのかというのが人事管理の大問題だという話も繰り返し書いているとおりです。
「『非正規』という言葉を一掃」というのは首相は以前も言っておられましたが、これもどうするのさという感はなきにしもあらず。もちろん「非正規」にはネガティブなニュアンスがあることは間違いないわけなので、本当に言葉が使われなくなるというよりは、ネガティブな側面をなくしていきたいという意気込みなのかもしれません。
私はそもそも労働政策・雇用政策は政労使の三者の協議を通じて形成されるべきだという考え方なので、こうした官邸主導のやり方には必ずしも肯定的ではなく、推進会議のメンバーを見ても少々心許なさを覚えるわけですが、まあ首相が意気込みをもってリーダーシップを発揮するというのであれば、まあそれも悪いたあ申し上げません。ただまあもうちょっとモノのわかった人が回りを固めないと危なくて仕方ないとはこの訓示を読んで正直思った。
働き方改革どこへ行く。さてどうなりますか。