ABCD包囲網考【3】・尾崎秀実の論文

前回は、百科事典という二次資料的なものを題材にABCD包囲網について考察したが、今回は、日本人による同時代資料をとりあげようと思う。取り上げるのは、『尾崎秀実時評集』という本に所載されている論文である。尾崎秀実に関しては、過去の日記で既に名前は出しているが*1、有名なソ連スパイ・ゾルゲに協力していたことが露見し、死刑になった人物である。一方で、彼は戦前のジャーナリズムの世界で活躍し、近衛内閣のブレーンにもなった人物であり、今日に至るまで、同時代に書いた記事が史料として残っている。今日は、そういった史料を取り上げてみたい。今回、取り上げるのは『大陸』1941年10月号に所載された、「危機迫る東亜」と題された論文である。この中で尾崎は迫りつつある包囲網について描いている。

日本は仏印との間に共同防衛の取極めを行ひ(七月二十六日声明)これに基づいて南仏印増派を行つたのであるが、アメリカの攻勢はこれをきつかけとしてその鋭鋒を露呈し来つたのである。資金凍結令の実施はまさに対日経済宣戦といひつべきものであつた。七月二十六日から在米及在比島日本資金の凍結が行はれ、イギリスならびにその植民地もまたこれに呼応し、日本資産の凍結ならびに日英、日印、日緬〔ビルマ〕各通商条約の廃棄を通告した。更に之に引続き蘭印までも日本資金の凍結を敢てしたのである。*2

日本は仏領インドシナとの共同防衛協定をもとに、南部仏印に兵力を駐兵させたものの、この問題にアメリカが介入してきて、日本の海外資産凍結が行われたのは、経済戦争の宣言に等しいものであったとしている。いずれ、このブログにも書く予定だが、連合国側の歴史家にも、このような処置が日本を戦争に追い込んだと述べており不適切な処置であったという立場の人物も存在する。そして、このアメリカの措置にならって、イギリスとオランダも対日経済制裁を実施したとしているのである。これらの経過に関しては、今日でもABCD包囲網と呼称されている実態と概ね同じような内容であろう。
尾崎は、更に以下のようにも述べている。

米・英・支(蒋政権)・蘭四ケ国の対日包囲陣の結成は次第に明瞭な形態をとりつゝある。この所謂ABCD包囲線の紐帯がアメリカの積極的戦闘意識とその雄厚なる経済力に存することはいふまでもないのである。*3

ここでは、アメリカ、イギリス、中国、オランダの包囲陣が次第に明瞭に形成されつつあると述べており、それらの中心にあるのは、アメリカの積極的な戦闘的な態度と、強大な経済力にあるとしている。なお、細かい点であるが、尾崎秀実は「ABCD包囲網」ではなく、「ABCD包囲線」という用語を使っている。また、尾崎は、この論文の中で、ソ連がABCD諸国の後に続いて対日圧力を加える懸念についても述べていた*4
今回の稿で取り上げた内容から、1941年当時のジャーナリストが「ABCD包囲線」という用語を使用して、ABCD国からの圧迫について語っていたという点は、少なくとも確認できるのではないかと思う。

*1:d:id:royalblood:20090526

*2:尾崎秀実 『尾崎秀実時評集』 平凡社東洋文庫 P401-402

*3:尾崎秀実 『尾崎秀実時評集』 平凡社東洋文庫 P402

*4:これに関しては予言が外れたと考えるべきだろうか