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これからの「正義」の話をしよう その2

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〇第二章 幸福最大原理…功利主義 (Utilitarianism)
ジェレミーベンサム (Jeremy Bentham)の提唱した功利主義の基本理念は非常に明快だ。「最大多数個人の最大幸福」で知られるように、「『正しい行い』とは、「効用」を最大化するあらゆるものだ」とされる。



「効用」とは要するに「あらゆる要素を総合した幸福度」のことである。例えば、労働で得た「財産」や、余暇活動による「喜び」など、幸福に関するあらゆる要素は、「効用」という単一の指標に変換される。それによって、全ての政策や行いが「どれだけ効用を高めるか」という単一の物差しの上で比較できるようになるのである。



ベンサムはこの「効用を最大限に高める」という観点に基づき、パプティノコンの設計など様々なアイディアを提出し、社会の諸問題を解決しようとした。しかしながら、このような考え方に当然すぐに反論が生まれる。



1884年、南太平洋の沖合で沈没した船から、4名のイギリス人が救命ボートで脱出した。4名の内3名は、発見されるまでのひと月近い期間を命からがら生き延びた。残る1名の雑用係を食料とすることで、ぎりぎり命をつないだのだ。



3名の行いは人道上の観点から厳しく非難されたが、雑用係を殺さなければ、全員が間違いなく死んでいた。そして、幸福の最大化という観点から見れば、4名が死ぬより1名だけが死ぬ方が望ましいということになる。このように功利主義は、「最大多数個人の最大幸福」を達成するためならば、時に個人の権利を踏みにじることを正当化するという危険性をはらんでいる。



ジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill)は、こうした功利主義の問題点を克服すべく、効用の量だけでなく質にも注目した。すなわち、単に効用の量だけを扱うのでなく、やはり個人の権利は尊重されるべきであり、快楽についても単純な量の大小とは別に、質の良し悪し(高尚な快楽と低俗な快楽)があり、質の良い快楽をより追求するべきであるとした。ミルのこうした考え方は、ベンサムに比べてより人間的なものであると言える。



しかしながら、効用の量以外に権利や質の良し悪しといった観点を加える発想は、「全ての幸福を効用という単一の指標に変換する」という功利主義の基本的な原理からは外れることになる。あるいは権利や質の良し悪しが結果的に効用の最大化に資するのだと考えることもできるが、その場合、権利や質の良し悪しは、本質的に尊重されるべきものという訳ではなく、単に効用を最大化する上で重視すべき要素に過ぎないということになる。



いずれにせよ単に効用の最大化という観点で物事の正しさを説明することはできない。それは、最終的な結果の良しあしのみを問題することになり、個人の権利侵害へと容易に発展しうる。結局、正しさを考えるには、効用とは別次元の道徳的理念に訴えざるを得なくなるのである。



○補足説明
とはいえ功利主義もそこまで単純なものではない。本書には無い用語もあるが、以下にもう少し細く補足する。



◆ 行為功利主義と規則功利主義
どれだけ批判を受けようとも、残る1名を犠牲にすることによって、3名の船乗りが死を回避することができたのは事実である。しかし、仮に生き延びるために他者を犠牲にすることが正当化されることが公になれば、おそらく船乗りのなり手がいなくなり、結果的に社会全体の効用は減少する。このように、今まさに置かれている状況の中で利益をもたらす「行為」と、(自らのために他者を犠牲にすることは許されないのような)皆が従うことによって利益をもたらす「規則」とは必ずしも一致しない。前者を基準にするものを行為功利主義と呼び、後者を基準にする者を規則功利主義と呼ぶ。



◆ 自然効用と期待効用
行為が直接もたらす効用は「自然効用」と呼ばれる。船乗りの例でいうならば、1名を犠牲にし、3名の船乗りが生き残ることによって得た効用のことである。一方、生き延びるために他者を犠牲にすることが許されるようになれば、人々が船乗りになることを回避するようになる。そうなれば海運業は縮小し、将来的には社会の効用は減少する。



このように、将来的に増減するであろう効用は「期待効用」と呼ばれる。ベンサムによれば、効用を計算すると、「期待効用」は「自然効用」よりもはるかに高くなる。従って、多数者の利益のために少数者を犠牲にすることは、効用の枠内で見ても、望ましいとは言えないということができる。



◆ 幸福の単一尺度化は可能か
 しかしそもそも、幸福を「効用」という単一の尺度に置き換えることなど、誰も達成していない。当のベンサムも、幸福の計算方法は紹介しても実際の計算は行っていないのである。それは何よりもまず、計算が非常に複雑になるからだが、その他の事情も存在する。



例えば「1万円もらえる」ことが嬉しいかどうかは、その人がどの程度資産を所有しているかによって異なる。このように、などある特定の快楽がもたらす効用は、文脈によって異なるのである(近年の経済学はそれでもこうした効用の変動まで含めて計算しようとしているが)。



 また、「効果の法則」で有名な心理学者エドワード・L・ソーンダイク (Edward L. Thorndike)は、代償としていくらもらえれば「歯を引き抜く」「指を切除する」といったことを受けるかと言うことを調査した。これは様々な苦痛を金額という単一の指標の変換しようとした試みであるが、回答者の3分の1近くは「いくら貰っても嫌だ」、つまり、金額には換算不能であると回答した。ミルが効用の量だけでなく質に訴えざるを得なくなったように、全てを「効用」という単一の指標で測ること自体が(少なくとも現代の我々の計算能力では)そもそも不可能なのである。

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