最後の努力もそこそこに

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中世ヨーロッパの知的職能集団

面白いくだりがあったのでメモ



中世ヨーロッパの医師の間では、オノラリアという習慣があった。医師は、治療のために患者のもとを訪れる際、背中に口の開いた袋を背負ってやってくる。医師が治療を終えて家を出る際、患者やその家族は、医師の背にあるその袋の中へいくばくかのお金を入れる。



これが医師の生活の糧となる訳だが、ここで入れるお金は、金額が明確に決まっている訳ではない。また、お金は医師の背の袋に入れるので、家を何軒もまわっていれば、誰がいくら入れたのかもわからない。



金額は、払う側の意思のまま、こころざしのままであり、いくら入れるかは問題ではなかった。これは、お金を入れる行為が単なる「サービスに対する対価」ではなく、「医師という仕事に対する名誉を尊重し、敬意と尊敬を表明する行為」であると考えられたからだ。



ではなぜ、医師はそれほどまでに尊ばれたのか。勿論高度な専門知識を必要とする職業であることは間違いない。しかし、医師への敬意はただ能力の高さに対するだけのものではない。



中世ヨーロッパにおける医師、加えて聖職者、法曹家という3つの職業は、高度な知識に基づく専門職であったが、まず何よりもそれらの職業は、神からの「召命」であるという決定的な前提があった。





1088年、西欧最初の大学としてAlma Mater Studiorum (現在のボローニャ大学)が、自由都市国家のボローニャに市民達によって開設された。それ以降、ヨーロッパ各地で大学 (universitas) が開設される。



学士号を取るための最初の6年は、哲学部において自由七科 (算術、幾何、天文、楽理、文法、論理、修辞)から成るリベラル・アーツを学ぶ。さらに、修士号や博士号を取得しようとする者は、学士取得後に、医学、神学、法学の内の1つを専攻する必要があった。



この医学、神学、法学とは言うまでもなく、先に挙げた医師、聖職者、法曹家に対応する。それ程、中世ヨーロッパにおいてこの3つの職業は特別な地位に存在した。



医師、聖職者、法律家などの職業に就くためには、それなりの才能や能力に恵まれている必要があるが、そうした才能や能力は、そもそも神が彼らにそうした仕事をさせるべく与えたものであると考えられていた。



なぜ、神はそのような仕事を人に望むのか。それは、この世で苦しんでいる人々に救いの手を差し伸べさせるためである。すなわち、身体の苦しみには医師が、精神の苦しみには聖職者が、社会的な苦しみには法律家が救いの手を差し伸べる。



つまり、生まれつき高い能力や才能を持つ者は、苦しんでいる人々のためにその才能を使うよう、神が常に呼び掛けているのである。そして、呼び掛けられた側が、ある時自らの自由意思に基づいて召命に応じることで、これらの職業が成立する。



英語の「profession」は「神との約束を受け入れ、実行する制約をする」という意味であり、「vocation」は「神の呼びかけ」という意味である。



オノラリアで示される医師への敬意とは、苦しむ人々を助けるため、神の呼びかけに応じて選択された職業に対する敬意なのである。




◆参考文献

科学者とは何か (新潮選書)

科学者とは何か (新潮選書)