2012-02-10
理科離れは日本の歴史を象徴している
理科離れって何で起きるんだろう?
理科離れを防ぐにはどうしたらいいのか。そんなことを考えていたら案外話が壮大になってしまったのでここにまとめてみようと思う。
理科離れを考えるには、逆に子どもが理科好きになる場合を考えてみたらいいんじゃないかということで、自分を含め自分の周りの事を考えてみると、大体親が重要だなという結論に至る。特に母親。母親に知識・教養があれば子供もちゃんと知識や教養をつけて育つと考えている。
教師の影響も大きいと思うけど、母親に比べれば影響力は小さく、数年で接触しなくなるため接触時間という点でも影響は小さい。つまり、理科離れの背景には母親の理科離れがあるということ。
実はこの話は1ヶ月ぐらい温めていた話で、ぬくぬくと温めている間に似たようなことが書かれている文章を発見してしまったり。文科省の平成18年版科学技術白書にこんな記述がある。
●無関心の再生産
子どもの関心の低下をもたらすものは何であろうか。理科の好き嫌いに影響したものについて尋ねたアンケート調査の結果によれば、高校生のころまでは学校(先生)や家庭(保護者)を挙げる者が全体の8割以上を占め、周囲の身近な大人が大きな影響を与えていることが分かる(第1-2-56図)。
したがって、以上述べてきたことと併せて考察すれば、我が国では、関心の低い子どもがそのまま大人になり、関心の低い大人の影響で子どもの関心が低下するという無関心の再生産構造ともいえるものがあり、こうした状況で大人の科学技術に関する知識、理解も低くなっているのではないかと考えられる。
まあ皆同じ事を考えているということだなぁ。とはいっても同じ事考えてました!ではつまらないのでもう少し分析してみる。試しに計算をしてみよう。例えば今10歳の人を考えると母親は概算で40歳。もし「無関心の再生産」理論が成り立つとすれば、30〜40年前の教育に問題があったことになる。
30〜40年前というと、1970-1980。例えば15歳になるのは1985-1995である。バブル景気のころではないか。現在大学生の若者の父親母親の世代は高度経済成長からバブルにかけての時代を生きてきた人たちだということ。これは教育ではなくて世相なんじゃないかなぁと思うのだ。
−−そこでふと気づいた。現在の理科離れと前世代の理科離れは根拠が異なるのではないか?
現代の理科離れ
現代の理科離れとは何だろうか。
理数系の勉強というのはハードルがあって、その先にある理解が楽しい。そういう学問だと思う。しかし、現代の子供はハードルを見るだけで諦めてしまう。「うーん、いいや」と。これには上手くハードルの下をすり抜けたもの勝ちという考えがある。昨年の京都大学のカンニングもそういった文脈の事件だろう。大学生を見ていれば分かる。
ちょっと前に流行ったケータイ小説もそう。ハードルを超えたくない。だからハードルの低い小説が売れる。話し言葉でさらさらと軽く書かれた小説が。軽く書かれた小説という意味ではライトノベルの隆盛もそういうことかもしれない。
それは実は「ハードルを越えてその先にいいものがあるとは限らないのではないか」という思考にもとづいている。
昔の若者より頭が良くなったということだろうか?いや、失敗というものを見てきたからだと思う。彼らはバブルが崩壊したあとの世代だということが重要なんじゃないか。
前世代の理科離れ
これに関しては僕は今22歳でその頃の人たちを全く見ていないので間違っていたら指摘して欲しいのだけれど、僕はこれを「楽観的理科離れ」と名付けたい。株価や地価が際限なく上昇する環境にいて勉強なんてやっていられるかというのが正直なところなんじゃないか。ハードルの話でいけば、ハードルを飛びもくぐりもせず隣のレーンにあるパン食い競争用のパンに飛びつくようなそんな感じなのではないか。
バブルというのは案外短くて5年くらいしか無いじゃないか。と思うかもしれないが、人間にとってそういうハイな出来事というのはなかなか忘れられないものだし、物心ついたのがバブル期であれば十分この影響を受けるような気がする。
つまりこの理論で行くと、バブルが絶頂を迎えた1990年に10歳−−物心がつく年をこう仮定する−−であった人より前の世代は「楽観的理科離れ」の影響があるんじゃないかなぁと思う。
1965-1980生まれの人が「楽観的理科離れ」で、1980以降生まれの人が「戦略的理科離れ」であって、実は性質が異なっているのではないか。というのがここまでの考え。
じゃあ理科離れを防ぐにはどうしたらいいのか
理科離れを防ぐためにまず思い浮かぶのが「理科の楽しさを伝える」みたいな考えだろう。しかし、このスタイルは戦略的理科離れには通じないんじゃないか?というのが僕の考え。これは楽観的理科離れを防ぐための方法としては有用かもしれない。楽観的理科離れであれば「あ、なんだ理科も楽しいじゃん」と思ったらついてくるかもしれないから。でも戦略的理科離れはついてこない。いわば魚釣りをしていて仕掛けが完全にバレているような状態だろう。彼らにとっては「へぇそうなの」ですんでしまうような気がする。
じゃあどうすればいいのかというと、「ハードルを越える体験をさせる」という事が重要なんじゃないか。もはやこれは理科離れとかそんなレベルではなく、今の若い人にはハードルを越えて達成感を味わうという体験が決定的に不足しているような気がする。ハードルを超えた経験がきちんとあれば超えられるハードルか超えられないハードルかを見極める力もついてくるだろうし、何よりハードルを超えてみようかなという発想が生まれるのではないだろうか?
しかし「ハードルを超える体験をさせる」というのはそんなに簡単なことではない。教科学習という分野に限って言えば、受験のために勉強を天下りで教えるというのが最悪なパターンだろうと思う。それは生徒をおぶってハードルを乗り越えているだけで、おそらく達成感もそんなにない。適度な手助けと適度な本人の努力が上手く組み合わさって初めて「ハードルを越える体験を生む教育」ができるのではないか。
まとめ
ショックレーは、知的レベルの低い者ほど生殖率が高い現状は種族の退化をもたらすとし、知的レベルの低下は文明の衰退をもたらすとした。(Wikipedia - ウィリアム・ショックレー)
Twitterで冒頭の話−−理科離れは親が理科離れであることに由来する−−をしたところ、ショックレーだと友達に言われてしまった。ショックレーのことは全然知らなかったけど、この考えをみて納得してしまった(ショックレー自身はかなり差別的な発言をする人だったらしく、その点ではちょっと相容れないけれど)。親が理科離れ、勉強離れしている世代というのはこれからも(少なくともしばらくは)続くだろう。今のままではショックレーの予想どうり文明が退化してしまう気がしてならない。いち早く教育を見直すべきなんじゃないかなと思う。もしくは衰退した文明が人間のあるべき姿なのかもしれないが……
