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2017-02-17

人に親切にしても力や才能が足りなくて足手まといの人間はどうするべきか

08:24 | 人に親切にしても力や才能が足りなくて足手まといの人間はどうするべきかを含むブックマーク

僕は、努力型ではあるが、全然才能がない。そして努力が認められるのは、学生時代までだ。もちろん、社会に出て才能が無くても、師匠となってくれる人と出会えれば、この限りではない。残念ながら僕たちの上の世代(今の50前後か)は、そういう人が極端に少ない。悪いのはバブル世代とか団塊世代後期であるが、この世代がバトンパスを忘れて、つまり後世を育てるのをないがしろにしてしまって、氷河期世代からの絶望の世代がある。これはあくまで全体的な話で、優良企業をはじめ、良い人の環境ではその限りではないかと思われる。その環境にありつけるのは、やはり才能がある人間だけである。


力や才能がないと人助けする資格が無い世の中

なんと絶望的な世の中だろう。才能がないと人助けもできない。力がないと、世の中に役立つことができない。それどころか、仕事も無い。田舎は単純作業の仕事ですら、奪い合いである。もしくはコネである。

NHKなどで、よく頑張る若者を特集するが、あれほど30代の不遇のおっさんを絶望させるものは無い。見ないようにしているが、番組内でCMを入れるので数秒見てしまう。それだけでセンチなハートが痛む。

20代の才能とかやる気を見ると、とても勝てる気がしない。いや、やる気は勝てそうだが、体力で押し負けそう。若いってすごい。それにしても、才能に満ち溢れていて、すごいなあ、と思う。

才能がなさそうで、自信もなく、小柄で、声も小さいような若者が特集されるときは、決まって顔にモザイクがかかっていて、貧困やら絶望とかのテーマで特集されるときである。その特集が絶望に拍車をかけているのではないかと、少しかわいそうになる。少し前の自分を見ているようである。

そしていざ、「貢献」をキーワードに一念発起をしても、「で、才能は?ないなら帰って」と一蹴されるわけである。悲しい。


才能なき者の勇気をくじくネット社会

よくこのブログには、学歴にすがるな、とお叱りをするコメントが書き込まれる。しかし、それなら、医師、看護師、薬剤師、教師、建築士・・・・・・なども資格に頼るな、である。若い頃に一度取った資格に頼っているわけである。更新制度にしてほしい。3年ペースでいいから、試験を実施してほしい。その対策の勉強で本来の業務に支障が出るようなら、それは自分の器以上の仕事をしている証拠であり、才能が無い証である。不合格なら免許剥奪でいい。

なぜ今は歳を取ったら学歴だけ叩かれるのだろう。資格を重視するのだろう。それなら資格だけとって、高校をはじめ、学校にいかなければよい、という結論になる。中卒で専門学校がもっとも効率がいい。そういう考えの人がいてもいいのはわかるが、ネットの中には多すぎやしないか。冷静に考えたら、学歴(笑)と現実で面と向かって言われたことなんて、面接のときしかない。叩かれるのはネットだけである。

歳を取ったら、経験実績、といわれるが、この変化の早い世の中で経験実績をしっかりと残すのは、至難の業である。それこそ、生まれ持った資質、才能が必要になる。

そしてそれがないと、ここぞとばかりに袋叩きにするネット社会。熾烈な足の引っ張り合い社会がここにある。


才能が無い人間は、どうするべきか

まずはネットにできるだけ頼らず、生きていくことである。なぜか。ネットの世界は、平等なようで、まったくそうではなく、才能と才能がしのぎを削りまくっている世界である。純粋な先天的な才能が勝負になるから、努力でどうこうできるような気がしない。*1

そして、才能がないと自覚している人間はネガティブな情報に流されやすい。ネットは良い情報も流れているが、圧倒的に負の情報のほうが多い。SNSだって、いつの間にか負の情報が流れ込んでくるのが常であろう。

また、才能が無くネットのハウツーで人生を乗り切ろうとしている人は注意である。ネットは只の媒体である。だれもあなたの人生など助けてはくれない。アドバイスはできるが、駆けつけて助けることはできない。

せいぜい信頼できる人のサイトを読み、己を律する程度である。


才能がないのを自覚する

なんだかんだ言っているが、自分はもうどうしようもなくなっている。きついと思うのは才能がないことである。おっさんが何言ってるんだ、とつっこまれそうだが、そんな表面上のことではない。根本的に、根底から、どうしようもなく才能がないのである。「生きる才能」である。いくら知識を詰め込んでも、経験をつんでも、根本的に「生きる才能」に不足している。だから、長く働いているとボロがでる。挙句の果てに恨まれる。

はい、先日恨まれました。世間がバレンタインだのはしゃいでるときに、僕は仕事上のことで恨まれてました。良かれと思って、親切心でやったことを話も聞かずに恨まれました。バレンタインなんぞ、バイト先のイケメンがもらっているところしか見ていない。ていうか、見えない聞こえないところで渡してくれ。法律を作ってほしいほどである。

それはともかく、世の中、仕事というのは適材適所というが、まったく無能が適する場所が今の日本にあるのか、僕は疑問である。単純作業は機械に奪われ、事務作業はパソコンに奪われ、肉体労働はそれこそ体格という才能が必要。

これからは高度な知識が必要とされる仕事も人工知能に奪われる世界である。

もう、どうしようもない。

最終的には「人柄」とかいうあいまいで主観的なもの、不器用な僕たちから最も縁遠いものが、就職の最も重要な判断基準になるような気がしてならない。*2それはまさに「生きる才能」である。

今のところ、僕に対抗する策は思いつかない。

しかしやることはわかっている。生活環境を変えて、社会を観測し、情報を収集し、分析する。同時に自分のことも分析する。策を考えるのはそれからである。

*1:もちろん、才能が無くてもまとめサイトなどは稼げるかもしれないが、果たしてどれだけ続くか。良質なサイトを作ろうとしたら、やはり才能の前に打ちひしがれる。

*2:もう、すでにそうなっているかもしれないが。