Hatena::ブログ(Diary)

Random Work To このページをアンテナに追加 RSSフィード

2017-04-30

田舎は雑音が大きすぎて、良いものが成長できない感じがする

12:17 | 田舎は雑音が大きすぎて、良いものが成長できない感じがするを含むブックマーク

社会から、いい人がいなくなっている気がする。もちろん、所属するコミュニティだけを自分の行動範囲にしていれば、いい人に囲まれた幸せな人生になるかもしれないが、そんなことができるのは一部の富裕層だけである。一部とは部分的という意味であって、東証一部とは関係は無い。

関係は無いが、社会からドロップアウトした「いい人」と呼ばれる人たちは、東証一部上場レベルの企業に就職していれば、人生は良くなっていたような気がする。環境がいいとは人間にとって非常に重要なことだと思う。実態はよくわからんが。


田舎の仕事環境

実業家は姑息でハイエナばかりだと昔から言われているが(ソースなし)、それは当たらずとも遠からず、というか正鵠を得ている。やはり実業家のように何年も仕事をしていると、裏切っていい人間が、切り捨ててもいい人間が嗅覚でわかるのだろう。

自営業は、個人店は、規模こそ小さいものの、その店長は実業家である。

そして僕は、個人に雇われている側だが、切り捨ててもいいような、香ばしいにおいがするのだろう。結局いいように利用されて、せっせと規模拡大に貢献して、しかし賞与も無く、軌道に乗ってきたところで切り捨て。非正規の人間は、当たり前だが、いくらでも代わりのきく捨て駒である。

田舎でそれをやったら、人材の量的にあまり良くないような気もするが、しかしそれで長年うまくいっているのだから、いいのかもしれない。僕一人のために今更ルールを変えろと言っても、そんな都合のいいことはないだろう。


仕事ができる環境がない

パソコン一台で仕事ができる環境にはしているが、静かなカフェや喫茶店がほとんどない。信じられないくらいにおしゃべりな、おばちゃんおじいちゃんがたくさんいらっしゃる。なぜか田舎のおじいちゃんはおしゃべりである。しかも声がでかい。

ともかく、多少高い喫茶店に入っても、おしゃべりはとまらないようである。結局自宅が一番なのだが、自宅は工場が建ってしまって、やはり騒々しい。日曜と夜は多少静かだが、春になるとバイク野郎が、ハエのように田舎道を走っている。イヤホンや耳栓は耳が痛くなる。

夜型に変更して仕事をしているが、そこまでいいものではない。


人にイライラする理由はあれども、怒る理由はほとんどない

いつも怒られる人は、怒りやすいからだ。しかし、過去の書物は、集団の前で屈辱を受けてもそれに耐えてじっとしている人を絶賛している。宮沢賢治とかそうである。彼はきっと、周囲からの屈辱に耐えてきた。

僕はきっと怒りやすいのだ。怒りやすいと周囲に認識されるから、怒られるのだ。背が低いし、顔も強面ではないから、皆が皆、「こいつなら」と思って攻撃してくるのだろう。嫌がらせを受けるのだろう。

しかし、田舎は農業を始め工場・運送など肉体労働が多いためか、絶対的体格優位社会になっているので、体の大きい奴が正義である。

よって、オスで小さい奴は虐げられるのが当然である。怒る相手として存在しているのである。道端ですれ違いざまに怒鳴ってもいいのである。まるで童話のようだが、それが田舎の現実である。


公的な無料施設、低価格施設の問題点

市民公園や図書館・安い運動施設は、(質の悪い)老人のたまり場になっている。もちろん、病院もそうなのだが、いかんせん人数が多すぎる。どこもかしこも老人ばかりである。

そして、その場所に一日中占拠している年長者が絶対ルールになってしまって、その人の人柄で、施設の雰囲気が決まる。僕の通っているところは、ちょっとよくないかもしれない。

ニートで復帰しようとしている若者には、この老人天国はつらいものがある。特に仕事をやめて田舎に帰ってきた若者は、安く出利用できる施設に居場所が無いのでつらいところである。

これは老人が悪いのではなくて、公的な制度が悪いのである。

当たり前だが、人はより安く利用できる施設で時間を過ごす。老人は、バスも無料だし、晴れた日は公園で、雨の日は図書館で、運動したくなったら公的に安く提供されている施設でゆっくりしようと決め込んでいる。そしてそれは、一番賢い選択である。ごく自然な選択である。

結果として、悪いものがたまっていく。たまり場になっていく。いい老人も確かにいるのだが、その人たちはどこかにいってしまう。

金を払ってカフェなどに足を伸ばしても、先述のとおりうるさくてどうしようもない。そして、最近の若者はパソコンスマホを使って喫茶店の雰囲気を汚しているなどと文句を言って去っていく。おじいさん、僕が使っているのは2in1のタブレットです。

ともかく、喫茶店はまだ探せばいいところがあるかもしれないが、図書館や公的施設は、快適に(通常の)利用をするのはかなり難しい。

自宅に防音壁を買ったほうがいいかもしれない。自宅はずっとこもっていたら気分が滅入ってしまうのでまた問題があるのだが。


仕事も自分の勉学も

仕事・勉学を行なうには、田舎の環境はつらいものがある。もちろん、数的に僕のような人間のほうがイレギュラーなのだから、仕事・勉学をしたいのなら田舎から出て行け、という理屈かもしれない。

しかしこれでは、良いものが成長できない。出て行くために勉学に励むというのは何か社会として不安の残る努力である。

いくら勉学に励んでも、最終的に体躯の大きさが重要。もちろん、体が大きくて、勉学にも励んでいる人間もたくさんいる。でも、それはゆとりのある努力であって(いざとなれば農業でも運送業でもなんでもできるという安心感)、僕は不公平だなと感じてしまう。

しかし僕のような人間が田舎に残って頑張るのは、何か変化をもたらすかもしれない、と期待している。今のところ何も変わらないが。というか自分だけが不利な状況に陥っているが、ひとまず3年は頑張ってみようと思う。


参考

宮沢賢治全集10冊セット | 宮沢賢治 |本 | 通販 | Amazon……宮沢賢治の雨ニモ、の詩は世間の風当たりのことではなかろうかと思う。彼の目指した人間になりたい。

fdfdffdfdf 2017/05/12 10:13 あなたは生きることに苦しんでいるように見えます。
苦しんでいる理由はおそらく、常に外部に正解を求めていることにある。
常に外部に正解を求めるのは、自分に自信がないから。
どうして、自信がなかったのかといえば、たぶん、間違うことに対して恐怖をいだいているから。
何で間違うことに対して恐怖を抱いているのかというと、自分の価値判断の基準を外部に委ねており、自分の内部にそれがない。
自分の価値判断の基準だと思っているのは、外部に依存した「優等生な自分」「良くできる自分」という役に立たない基準なんです。
もちろん、「良く出来る自分」というものをきっちりと咀嚼し、自分の価値判断基準にしている人は大勢いる。
でも、あなたのは、「他人が君をどう思うか」という基準ではないですか?。
でも、価値判断基準として使えるのは「自分が自分をどう思うか」というものなんだ。
ざっくり言えば、他人が君のことをかっこ悪いと思っていても自分が自分のことをかっこよいと思っていれば動じないというもの。
何をもってかっこよいとするかは、親の見方、友達の見方、小説内の見方、アニメの中での見方など何に由来していてもかまわないのだけど、自分が咀嚼しているのが重要。
自分が咀嚼しているならば、周りの環境が急に変わっても、自分の背骨は急には不安定にならない。
私の判断基準の基礎は両親が作った。その基準をベースに、読んだ本、小学校・中学校・高校の素敵なあるいは面白い、個性的な先生達、見たテレビ番組、体験したいろいろなことをミックスして私の背骨はできている。
精神的な基準がある人は、自分が間違えることをだいたい許容できる。
自分の判断基準からしてどうでも良いことならば、間違えたって直してより良いものにしていけば良いだけだから。
自分の判断基準からして重要な間違いならば凹むかもしれないけどね。
でも、一度背骨を作り上げている人ならば、背骨自体を強化したり、変更したりできるので案外タフだ。
一方、精神的な背骨が無い人は、いかなる間違いも許容できない。
なぜならば、判断基準は外にあるためどの間違いが自分に致命的でどの間違いが自分に致命的でないかが判断できないから。
だって、判断するのは他人。
完璧に振舞いたいのだけど、どう振舞えば完璧かわからなくなり、自信が無くなり、自分が嫌いになる。
判断基準は外にあるので、自分が取れる選択肢は「他人に嫌われないようにする」「他人にかっこ悪いと思われないようにする」「他人にできない奴とみられないようにする」というものしかない。
強化も変更もできないんだ。
どんな価値判断基準でも良い。
周りがあなたをどう思うかではなく、あなたがあなたをどう思うかそれが重要。
あなたは周りの人じゃないし、周りの人はあなたじゃない。
究極的には、周りの人があなたをどう思おうがあなたはそれに左右される筋合いはない。
どうかお幸せに。

ruisouruisou 2017/05/26 06:55 > fdfdf さん
コメントありがとうございます。
確かに、価値基準の貧弱さは感じます。自己肯定感の低さでしょうか。しかしまあ、人間の短い一生において、30年以上、挑戦しては敗れ、挫折し、を繰り返し、誰からも肯定されずに生きてきた人間が、己を肯定するのは生半可ではありません。他人からの低評価が気になるのは、それ以上に己が己を肯定しきれていないからです。
この戦いに勝つのは、いつでしょうか。