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2011-06-22

うつ病と向かい合って自分で治す

| 21:08 | うつ病と向かい合って自分で治すを含むブックマーク

前回に引き続き『日本人だからうつになる』に書かれていることのまとめとなる。今回は治療編。


治療でよくなるのは良くて8割

今の日本は、うつ人口が増加の一途をたどり、医師の数が足りない状況である。そして腕のいい医師には患者がよってたかっているのが現実だ。極端な例かも知れないが、次のようなケースもある。

二時間待ったのに五分しか話さなかったというケースすらある。中には患者の顔さえ見ず、カルテばかり目を注いで、「いつもの薬を出しておきますから、様子を見てください」というだけの医師もいるそうだ。

明らかに治療になっていない。これで治る患者がいれば見てみたいものだ。昔自分が治療を受けていた医師がこんな感じだった。金返せ。

そして著者は次のように続ける。

私は精神医療を否定しない。薬の効果も確実にあると思う。その上で、あえて言う。医師や薬の力でうつが楽になるのは症状のせいぜい八割くらいではないだろうか。治療法が確立されておらず、根治する薬もない現状では、八割も楽になったら、幸運なほうだ。


自分でうつを治す

では残りの二割をどうするか。自分で治す、しかないのである。

自分で治すにはどうすればいいか。まずはうつと正面から向き合うことである。

今、どんな症状に悩まされているか、それは何が要因となって引き起こされていると思うか。これからどういうふうになっていけばいいと望んでいるか。

こうした自問自答を繰り返していく中で、自分のうつを見つめて、輪郭をはっきり見ることができるようになれば、医師に対する要望も変わってくるし、日々の生活にも変化が出てくるに違いない。

このように正面から向き合うことで自分で治すという努力を始めることができるのである。

今まで述べてきたように、うつの特徴とは、悪い方向にばかり考えが向くという厄介な症状にある。だからこそ、前向きになろうとする努力が必要だ。少しずつでもいいから前を見ようという「意志」が求められるのだ。

(中略)もちろん、うつになったら無理は禁物。多少の甘えは許されてもいい。しかしどこまでも甘えていては、うつを楽にすることはできない。

悪い方向にばかり考えが向くのは、いわゆる”認知の障害”である。これを改善するには本人の努力が不可欠という著者の意見は至極全うである。

私が提唱しているのが自分に「プチ課題」を設けることである。

蒲団から出られるようになった人なら、食後の片付けぐらいは自分でするようにしてみる。まずはその程度でいい。

外に出られるようになっている人なら、近所の喫茶店まで歩いていってぼんやりしてみる。

(中略)このように、ちょっとしたことが大切なのだ。このちょっとしたことができることで「課題」を克服した、という達成感を得られる。これが自分に自信を与えるようになる。

自分に「プチ課題」を与え、達成感を得て、自信をつけていく。これを読んだとき、「これだ!」と思ったが、実は私は以前すでに同じようなことをしていた。しかしそれは失敗に終わった。もちろん自分が不甲斐ない部分もあったし、不運が重なった部分もあった。だが次のことを守ってなかったことも大きい。

ひとつの課題をクリアしたら、今度はもう少し難度の高い課題を作り、それに挑戦してみる。一足飛びに高いハードルを飛ぼうとしてはダメ。亀の歩みのようでいいから、少しずつ着実に前に進むようにすることが秘訣だ。

亀の歩みのようでいい、この考えが自分には抜けていた。自分は何かと急かしてしまう癖がある。それがよくなかったのかもしれない。

それを繰り返して徐々に自信を取り戻していけるようになれば、それまで悪い思考ばかりにとらわれていたのが嘘のように、前向きな考え方に変わっていけるはずである。

前向きな考え方、ぜひ取り戻したいものである。


ちなみにブログ2回にわたってやたら引用したが、それはこの著者と私の考えがあまりに似ていたからである。そして著者のうつに関しての最終的な判断というか考え方は引用していない。その考えには私はまだ達していないからだ。回復期にある方やうつから脱した方は本書を手にとってぜひその目で確かめて欲しい。

2011-06-21

日本人とうつ病は切っても切り離せない

| 22:06 | 日本人とうつ病は切っても切り離せないを含むブックマーク

日本人にはうつ病が多い。もちろん日本以外の先進国にもうつ病は多い。しかし、日本には日本特有の風土病とも言えるうつ病が蔓延している。時期的にかぶってるからと言って雛見沢症候群とは関係ないですよ。

『日本人だからうつになる』

以降、うつ病のことをこの本の著者に合わせてうつと呼ぶことにする。

著者が10年ものうつ病歴を持つという非常に内容が詰まった本。うつ病のことを理解したいという人や、日本の現状を知りたいという人にお勧め。

さて、この本はジャーナリストによる著書ということもあり、前半はさまざまな企業・行政・自衛隊のうつ病の現状や対策についてよく調べられている。そして、後半は10年間うつ病に係わってきた著者自身のうつ病に対する考えがまとめられている。

自分が感心した後半の考察は鋭いものがる。

日本人は、そもそも頑張る国民である。それは明治維新後の歴史を振り返ってみても、うなずけるだろう。(中略)朝鮮戦争による戦争特需をきっかけに、日本はますます”頑張る”国へと発展していく。

そして、高度経済成長期を迎えた。働けば働くほど給料はあがり、出世の希望も出てきた。(中略)

やがてバブルの時代がくる。今から振り返ってみれば狂乱としか思えないほど、日本人全員が躁状態の生活に浮かれる(中略)。その狂乱が泡のように呆気なく吹き飛んでも、日本人は頑張り続けた。

そして、平成となった今もまだ日本人は頑張り続けている。若者のニート化が問題となり、「日本人の頑張り精神はどこにいったのか」と嘆く向きもあるだろうが、まだまだ頑張っている日本人のほうが大多数を占めている。(中略)

低成長時代に入り給与の格下げやボーナスの減少、そしてポストレスといった劣悪な企業社会になってもなお、サービス残業を当たり前にこなし、休日出勤も厭わないサラリーマンたちが、日本経済を支えている。

半ば狂ったように頑張る日本人の様子を順序だてて良く書き出している。日本人は高度成長期の夢をいまだに忘れられず、盲目的に頑張っているのである。もしかしたら頑張る以外の方法を知らないのかもしれない。


日本人独特の精神

そして日本人の「申し訳ない」精神と村社会が独特のうつ病を作り上げていったと展開する。

大多数の日本人は、「個」の確立よりも「村」の優れた構成員となることに汲々としているのではないだろうか。(中略)うつになると、その優れた構成員であるために必須の要素である労働力としての役割がこなせなくなり、「村」に貢献できなくなってしまう。ただ飯食い、という侮辱語があるが、うつはまさに「村」にとってただ飯食いの厄介者なのだ。だからうつになった人は「申し訳ない」と思うのだ。

その裏には「村」から排除されるのではないか、という恐怖心がある。

価値のない人間を「村」は排除する。だからうつになったことを他者に知られてはならない---。こんな恐怖があるゆえか、会社だけでなく家庭ですら、自分がうつであることをカミングアウトする人は少ないのだ。

私もうつになったことを周囲に言えなかった。今も言えてない人がたくさんいる。その心情の裏には、こういった「村」意識が存在しているのかもしれない。ただ単にうつは甘えって言われるのが怖かっただけかもしれないが。しかし私の中に次のような偏見があったのも事実だ。

精神科というと、何か特別な病気、それも口にするのもはばかられるものに罹った場合のみ受診するところ、と忌み嫌う精神風土が日本にはまだあるようだ。若い世代では敷居もかなり低くなってきているようだが、年長者になればなるほど、「精神科にいくようでは、人生終わりだ」という偏見が強い。

これは日本の精神医療のレベルの低さがもたらした結果ともとれるという。日本の精神医療は20年ほど前は入院治療が一般的だった。そしてそれは絵に描いたような精神異常者がうろつく病棟だったらしい。それでは世間の目が精神病=異常者とみなすのも無理もない話である。

このような偏見を払拭するために著者は、医者だけでなく患者サイドも偏見を正していく発言を諦めずに続けていく必要があると説いている。私も拙くながら協力をしようと思う。


正しい日本人とは?

さて本題である。日本人のクソ食らえ価値観をこれぞとばかりに的確にあらわした文章を以下に引用する。

人間は完璧ではない。時には疲れ、失敗や怠惰を繰り返すこともある。だが、日本人はそのように心が自然に落ち込む状態を、片時も許さないような風潮がある。

頑張りが足りなかったのではないか。

こんなことでは申し訳が立たない。

「心が疲れている」など甘えに過ぎない。

ふらふらになりながらも、自分を叱咤激励して、働き続けろ。

それが正しい日本人である、という価値観が、この国にはまだ根強いようだ。この価値観に彩られた社会では、うつになるなどということは自己管理ができていないだけの話。そんな人間の面倒を見ているほど社会に余裕はない、ということになってしまうだろう。

社会全体が、ピンと張り詰めたギリギリの精神状態で維持されているのが、現代日本の偽らざる姿だ。

メンタルヘルス的観点からみた日本はまさにこのような状況である。私も26年間生きてきて、学校、社会などでひしと感じた。甘えるな、努力しろ、上には上がいるぞ、無心で働け、身を削って働く姿は美しい、そんな言葉に囲まれながら生きてきた。

結果、運悪く、うつ病になった。そう、単に運が悪かっただけなのだ。上のような言葉に囲まれている日本人は多い。今もなおそんな教育が学校でも社会でも行われているのではないだろうか。このような状況ではふとしたきっかけでも、ペンを床に落とすくらい些細なきっかけでさえも、うつになるには十分なのである。

その意味では、日本人はいつ、うつになってもおかしくない状態で生きている、綱渡りの心理状態に置かれているとは考えられないだろうか。もちろん、誰しもがうつになる、ということではない。ただ、日本人ならば、うつの芽を心の中にもともと持っていて、それが発症するか、しないかはわずかな違いである、と考えれば、まったくうつ的な心理を持っていない日本人などいないのではないのだろうか。


うつは風土病

もちろん、うつは日本人だけがなる症状ではない。欧米でも、うつ患者の増加は問題になっている。ただ、日本人のうつと欧米人のうつは、とららえ方に大きな違いがあるように思えてならない。

欧米人たちは、うつ状態になったとしてもそれを隠すのではなく、一つの症状として対処していく。それに対して、日本人はうつになったこと自体を責め、隠蔽しようとする。

うつは日本人にとって恥なのだ。

(中略)つくづく思うのは、うつと日本社会の風土があまりに密接に関係しているがゆえの、捩れた価値観の存在である。

うつになりやすい国民性を持ちながら、認めてはならないという社会コード持っている日本。(中略)

ある精神科医は、うつを「風土病である」と言っている。

うつは、世界のどの国にも起こりうる症状だが、うつが起きる背景やうつになってしまったあとの対処は、文化・生活習慣によって、さまざまに異なっている。

日本人には日本人のうつがある、と考えるならば、欧米のうつ対処法をいたずらに学んだとしても、日本人には応用できないこともあるのは当たり前ではないだろうか。

だからこそ、日本人にはうつとの親和性があることを理解した上で、日本流のうつ対策を考えていくことが大切ではないかと私は思う。

そうでなければ、日本人のうつは良くならないし、また、予防することも難しい。

「風土病としてのうつ」という視点から、もう一度、日本人のうつをとらえなおす時期が、そろそろきているのかもしれない。

この理解は私にとっては目を見張るものがあった。なるほど著者はだてに10年もうつをやっているわけではない。風土病としてのうつ*1。特に日本のうつは恥ととらえられているぶん厄介だし、恥とは日本人が最も嫌う価値観である。つまり日本人にとってうつ病とは、価値観に照らし合わせてみると、最も忌み嫌うものであるのだ。これでは見てみぬふりをしても仕方がない。

さてそれでは、日本人のうつを治療していくにはどのような方法が効果的なのだろうか。少なくとも医療先進国の欧米を真似るだけでは、欧米と同様の効果がないことは、すでに明らかといっていいだろう。私もそれは肌で感じている。

もちろん日本人のうつに適合した治療法はまだ確立されていない*2。しかしこの本の中で、著者はいくつかの提案をしている。その方法は、次回の記事にまとめたいと思う。

*1:風土病として考えるならば、そこは雛見沢症候群と共通している

*2:あったら教えてください

再送信再送信 2013/12/16 07:01 日本人の働く時間は欧米の2〜3倍あるみたいです
オランダ人は1300時間しか年に働きません
中国人も定時で帰れます 2000時間を超えません

ミスったミスった 2013/12/16 07:02 日本人は2500時間です サービス残業も込めてです

ruisouruisou 2013/12/24 19:33 > 再送信、ミスった さん
コメントありがとうございます。
それぞれの国の仕事に対する意識を知るには、けっこう踏み込んだ歴史の知識が必要みたいですね。オランダ人はなぜその時間で社会が安定しているのか、あるいはしていないのか。知ることはたくさん有りそうです。個人的にオランダには興味があるので、時間が許せば調べたいと思います。