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2012-01-21

ニートとして生きることにしたからその将来設計を語る

14:23 | ニートとして生きることにしたからその将来設計を語るを含むブックマーク

ホントは書くつもりなかったんだけど、自分のようなダメ人間がどのように生きているか/生きていくつもりか気になる人がちらほらいるみたいなので、ぼんやりとだが考えていることを書いていこうと思う。

ニートとして生きていく理由

自分はまずコミュ力(笑)がない。自分の信念は、たとえ相手が目上の人間であっても、曲げないし、ときには歯向かう。それに本当に尊敬する人間にしか、心を開かない。

まあ、そのことでよく問題を起こした。ついこの間も、知らない50代のおっさんがマナー違反していたから、注意したら相手がぶち切れて危うく警察沙汰になるところだった。結局そのとき、おっさんに罵詈雑言を浴びせられて、一週間ほど鬱で寝込んだのだが、そのときはっきりと確信した。「俺、社会で生きて行くの無理だ」薄々感じていたことだが、まだまだ社会にはあのような団塊の世代、その下のバブル世代のアホな人間が大勢いる。自分にはその下で働くなんて到底無理だ。

それを我慢して働くのが社会人だ、と言われるかもしれないが、我慢してまで生きるくらいならニートでいい。特に自分は目上の人間のマナー違反が許せない。社会的にそれなりの地位にいる人間ならマナーは守れよ、と言いたくなる。

そういうことを医者に話したら、軽いアスペルガー症候群と言われ、これはますます社会復帰は無理だな、と判断した。アスペって言われたことは別にショックではないし、社会的支援もないことは知っているから、ニート生活になんら支障はない。むしろ今までの経験を振り返って妙に納得した。でもこれは症候群であって病気ではないので、まあ、個性の一つとしてとらえることにする。うつ病がこの症状を助長しているかもしれないが。

余談だが、自分はカラオケが大嫌いだ。音痴だからである。どのくらい音痴かというと、自分の出している音の高い低いがわからない程である。中学生くらいまで音の高低の概念すらなかった。だからコミュ力(笑)を重視する社会では、だいたいカラオケ強制だろうから、そのことでも社会に戻るのは気が引ける。ちなみにサラリーマン時代は、カラオケだけは頑なに拒んで、つまらない奴、堅物のレッテルを貼られていた。まあ、実際そうなんだけど。首にならなかっただけましか。


ニートとして生きる

たぶん次の方法で生きて行くのは厳しい、無理だ、と言う人が大半だろう。だけど、自分にはそれしか残っていない。

ネットで稼ぐ。

それだけだ。今のところアフィリエイトしか思い浮かばないが、まずはコツコツ頑張ってみようと思う。

実は今、外出恐怖症みたいになっている。外に出るのが嫌でたまらない。二週間に一度の通院も断腸の思いで通っている。そんな状態の人間ができる唯一の金稼ぎは、アフィリエイトではないかと思っている。プログラマ時代にHTMLでガチャガチャ作っていたとき楽しいなと思って、いつか自分が一からサイトを作ってみたいなと思っていたから、一石二鳥である。二羽鳥を落とせるかはわからないが。

ただ、作ろうとしているサイトは、内容的に膨大な労力がいるので、形になるのは3ヵ月か4ヵ月先のことになるだろう。行程表とか書いた方がいいのかな……。まずは続けることを目標にコツコツやっていこうと思う。結果が出たらこのブログに報告しようかな。


ということでニートはニートでも、いつまでも親の脛かじりではなく、(ネットで)稼げるニートになりたい。ダメだったら首を吊る覚悟はできている。

‥ 2012/09/28 03:40 あなたもったいないから、社会にでてきなさい、世の中の人口考えたことあるかい?出会った人物なんて一部でしょ、あなたを必要とする人物が、これから待ってますよ

ruisouruisou 2012/09/29 01:23 > ‥ さん
コメントありがとうございます。
激励のコメントに反論することを許してください。

>あなたを必要とする人物が、これから待ってますよ
生まれてきて28年間出会ったすべての人と上手くいっていないのですよ?それなのに今から社会に出れば私を必要としてくれる人と出会えると?スカイツリーのてっぺんから地上の人に目薬をさせるくらいありえないです。

>世の中の人口考えたことあるかい?
人が生きているうちに出会う人の数とその分布を考えたことがありますか?私は私の人生で出会う人のうちほとんどの人と出会っていると思います。ましてや親しい間柄になる可能性の会った人とはすでに出会っているでしょう。しかし親しくはなれませんでした。
少し解釈が間違っているかもしれませんが、そういうことですし、もはや手遅れです。

ぎょうぎょう 2013/01/16 18:50 コミュ力がなくても、自分の信念は曲げないなんてうらやましいです。
マナー違反のおっさんも僕なら見て見ぬふりをすると思います。

ruisouruisou 2013/01/16 19:47 >ぎょうさん
こちらでもコメントありがとうございます。
あー、たぶんこれは性格とかじゃなくてアスペルガーのせいです。不正が許せないで怒り出すっていうのは典型的な症状みたいです。正式な診断をしていないのではっきりとしたことはいえませんが、病気として対処していかなければならないみたいです。
まあでも信念は曲げたくないですね。しかし小物は相手にしないで、正しい知識を正しいように使って、自分の周りだけでも良い環境にしたいですね。

メンヘラニート29メンヘラニート29 2013/07/11 13:52 社会って声が小さい人、出せない人の方が追いやられていく印象があります。自分もそうでしたし。
ブログ主さんは家庭教師も出来るし、しっかり怒れる人なので自分よりは社会適性ありそうですね。
自在性の高いマネジメント、主任クラスならうまくいくんじゃないですか?ああいうのってちゃんと怒れる人しかなれません。

ruisouruisou 2013/07/22 21:00 > メンヘラニート29さん
コメントありがとうございます。遅れてすみません。
怒れるっていうより、勝手に怒っている感じです。そしてなぜか自分より立場が上の人にしか怒りません。生徒や後輩に怒ったことはたぶんないです。

この空白期間から管理側の仕事になるには起業が一番ですね……。

2012-01-12

頭の良さは努力の量で決まるのか

| 18:08 | 頭の良さは努力の量で決まるのかを含むブックマーク

すばらしいエントリを見つけた。

僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった - しのごの録

簡単に言うと、MITに進学予定の学生が自分の頭の良さに自信を失いかけているときに、MITのOB(OG?)からやる気の出るアドバイスをもらうというエントリ。

すばらしいのはすばらしいが……

確かにすばらしいアドバイスだった。この文章なんて、はっとさせられた人も多いんじゃないのだろうか。

「頭がいい」ことが成績の良し悪しを決めるのだと言って自分自身を欺くのは簡単なことです。とても多くの場合で、これはあり得るなかで最も安易な説明です。なぜなら、これを認めれば努力をする必要もありませんし、自分の失敗をただちに正当化してくれるからです。

ただ、待って欲しい。これはMITを目指す学生とOBの会話である。東大の何ランクも上の人たちの会話である。もはや我々一般人とは次元が違うと言ってもいいだろう。

ウサギとカメでいうとウサギ同士の会話である。そして我々はもちろんカメである(そうでない人もいるかもしれないが)。たまたまネットという媒体を通じて、はるか先を行く、しかも休むことなく走り続けるウサギの会話を、カメが聞いているにすぎない。調子よく走り続けていたウサギが少しペースダウンして葛藤している姿を、カメが同調してやる気を出しても所詮カメである。遅いのに変わりはない。

そしてはっ、と気がつくのだ。ウサギとの差が開いていることに。

もちろんウサギはウサギ、カメはカメなりの世界を生きていけばいい。そこらへんの気持ちの解決はもう終わっている(参照:自信を持つって意外と簡単なことかもしれない - Random Work To )。だからカメがカメなりにやる気を出すのは悪いことではない。

ただ自分がカメであるという自覚を忘れてはならない。決してウサギであると錯覚してはならない。そうしないと走れなくなるばかりか、下手したら道を見失う。


勉強時間は頭の良さとはあまり関係ない

自分の経験で悪いのだが、以下のようなことがあった。

大学生時代、履修した全ての授業のノートは真面目に取っていた。板書以外の教授の言葉も取るようにしていた。わからないことがあれば図書館で調べたりしていた。

ある授業で、休みまくるA君という友人がいた。詳しくは書かないが、リア充である。テスト寸前、彼にその授業のノートを貸してくれと言われた。バイトが忙しかったとかもっともな理由も無く、ただ怠惰で授業をサボっていたA君に自分のノートを貸すのは癪だった。だが、そのころ自分にはA君とその取り巻きしか友達がいなかったので、A君の機嫌を損ねると友達が0になりかねないと考え、しぶしぶノートを貸すことにした。だが内心、今更勉強したってどうせダメだろうと思っていた。いろんな授業をサボりまくるA君にとっては、幸いにも出席を取らない授業だったので、テストで挽回しようと思っていたのだろう。彼はほぼ一夜漬けでテストに挑んだ。

結果、彼は見事良い成績を取った。そう、ノートを貸した自分よりも。はっきりと自分のほうが勉強時間は長いのに、彼は自分よりも優秀な成績を修めた。

彼には下積みがあったのだろうか?とてもそうとは思えない。その授業は高校のころの教科とはあまり関係なかったし、センター試験の結果も彼より70点くらい上だったと記憶している。

そのときなんだか自分は絶望した。ああ、俺って頭悪いんだなぁ、と痛感した。傷心している俺に、A君は「あのノートあんまり役に立たなかったねw」と言ってきた。それから俺はA君と疎遠になり、ぼっちになった。


はてなもゆとり化が進んだのか

ブコメを見て問題に思ったのが、ほとんどの人が絶賛しているということだ。絶賛し、感動し、やる気が出るのはいいことだ。だがそれはせいぜい大学受験までだろう?いい歳した大人がこれをみて絶賛するのは危険な気がする。

いや、幸せということか。きっと学問で真の挫折を味わったことがないのだろう。真の挫折とは、自分の定義では、行き詰まり、これまでにない失敗をし、非難され、食事もできず、睡眠もできず、精神病院に通い、何年も苦しむという状態を指す。

学問で真の挫折を味わうと、もうその学問は見たくもないし、無理して手をつけても頭が拒否反応を起こし、ほとんど頭が働かないという情けない体たらくになる。

これは味わわないならそれに越したことはない。きっと経験してない人のほうが幸せだろう。これをゆとり化というと批判されそうだが。

昔のはてなならもっと批判コメが多かった気がする。この引用元エントリのブコメをすべて見たが(自分がブクマした時点で約3600)、批判しているのはたったの8つだった。もちろん自分視点での判断であるが。自己啓発には斜に構えるはてな村にしては異例のことだ。海外の記事だから評価が上がったのだろうか。


あとこれ、日本の話じゃないってことに注意して

日本で正当な努力をして認められるのは学生のうちまでだ。社会人になると努力なんて認められないことが多い。

良い会社に就職できれば、それは努力も認められるだろう。もちろん結果を出さなければならないが。

しかし悪い会社に就職してしまうと、努力なんてあって無いようなものである。いくら上司に尻尾を振るか、他人の迷惑を顧みず自分の成果を伸ばすかが重要になってくる。しかもそれを努力と言い張る輩がいるから始末に負えない。

海外の会社事情は知らないけど、少なくとも日本ではこんな感じだ。まあ、ニートのいう情報だからあまりあてにならないが。

匿名匿名 2012/01/12 22:38 「僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった - しのごの録」がすばらしいのは、単純な努力の話ではなく、「何をどのように努力するか」という話だからでしょう。単純な努力については、むしろその危険性を警告しているようにさえ思います。MIT を卒業できない3パーセントの人は「努力しない」のではなく「難しい問題に遭遇し(中略)燃え尽きてしまう」のです。

http://blog.practical-scheme.net/shiro/20120109-intellectual-tools でも、この記事のポイントについて「「努力しなさい」というアドバイスは全く、これっぽっちも役に立たない。 何について努力するかが重要なのに」と述べています。はてなブックマークでは、そこを読み取らずにただ絶賛したり、「努力教」と批判したりしているコメントが多いように見えます。

通りすがり通りすがり 2012/01/15 22:40 「勉強時間は頭の良さとはあまり関係ない」との見出しで始まっている文章については、全く説得力を欠いています。
あなたは、センター試験の結果や期末試験の成績で彼と自分を比較していますが、二つの結果は、センター試験ではあなたが勝って、期末試験の成績ではあなたが負けたという事実を示すだけに過ぎません。あなたが事実に対してマイナスな評価を加えているだけです。
同じ大学にいる人は基本的にはあなたと同じレベルです。また、テストは水ものであり、その都度できるできないが人によって変わります。そうすると、同じレベルの人が同じテストを受けた場合、勝ったり負けたりするのは当然でしょう。
あなたは、勉強時間を積み重ねていた経験から、友人よりもご自身の方が試験ができると、お思いであったのかもしれません。しかし、それは友人にとってはできるテストで、あなたにとってはできないテストであっただけのこと。2回目受けたらあなたの方が勝っていたかもしれません。その場限りの事実をマイナスに捉え、悲観する必要は全くありません。
要するに、勉強時間が多いという事実は、必ずしも試験に直結するものではないことを示すにすぎないということです。


蛇足ですが、今は克服しましたが、私も大学生時代にうつ病でした。理由はあなたと全く同じです。自分自身優秀だと思っていましたが、勉強を重ねても重ねてもリアルに楽しく生活している人に全然勝てなかったからです。ですから、大学では完全なるひきこもり生活を謳歌していました(ちなみに、私はあなたよりもコミュ障が酷かったと思います。私には大学時代の友人は一人もいないからです。全く思い出したくもない記憶です…。)。
その後、就活もせず、カウンセラーの勧めでただ一つだけ受けた小規模の法科大学院(司法試験目指す学校です。)に入学したのですが、私にとってはこれが人生の転機でした。小規模だから、友人もできやすく、コミュ障の私にとっては極めて過ごしやすい環境でした。
また、何より私にとって励みになったのは、法律の勉強は頭の良し悪しがほぼ関係しないということです。私は低学歴ですが、旧帝大や早慶出身の方よりも好成績を取ったことがしばしばありました。やればできるんだということがわかると、うつ病のときに失っていた自信が湧いてくるのを実感したものです。自信がつくと、自然とコミュ障も治りました。
そして、一発で試験に合格し、いまはとある場所で弁護士をやっています。


嘘のようなストーリーですが、あなたのエントリを見て、私の大学時代そっくりだと思ったので、ついつい昔のことを書きたくなってしまい、コメントさせていただいた次第です。


最後に、学問によって傷つけられた自尊心は、学問によって回復するしかないのではないかと私は思います。勉強して、人と競争して、そして人に認められることによってしか、自分を取り戻すことはできなかったのではないかと、私は自分の経験からそう思いました。

あなたには、もう一度、何らかの荒波にのまれることをおすすめします。その点、小規模の法科大学院はおすすめかもしれません(笑)

ruisouruisou 2012/01/16 15:42 >匿名さん
コメントありがとうございます。
リンク先エントリ読みました。なるほど納得です。これを読んだ後なら私もこのようなエントリは書かなかったかもしれません。

>通りすがりさん
コメントありがとうございます。
貴重な体験談を書いていただきありがとうございます。「学問によって傷つけられた自尊心は、学問によって回復するしかないのではないか」という意見も興味深いです。もちろんそれが一番の解決だと思います。真にできる人ならば。自分も似た考えをもって大学院に進学しました。だけど結果は、己の無力さをまじまじと実感させられるものでした。少しだけ残っていた自尊心は跡形もなく吹き飛びました。あなたと逆ですね^^;
しかしそれは悪いことだけとは思ってません。完膚なきまでにぼろぼろになった分、違う生き方を模索するようになることができました。もっとも、そう思えるようになったのは最近ですが。まだ先は見えないですが、自分のペースで頑張っていきたいと思います。

makomako 2012/01/18 14:55 初めまして。makoと申します。20代中盤です。
仕事 辛い、やめたい・・・果ては死にたいという
言葉で検索して、気が付いたらこのサイトに居ました。
私はruisouさんと同じくIT業界で仕事をしております。
状況もほぼ一緒です。(現在もIT業界に身を置き、今年で2年目になります)
出先での仕事かつ一人での仕事(同僚は何人か居るが、プロジェクトが違う為質問できない)で、納期、品質面でのプレッシャーが凄く昼飯なんて食べる気がせず、毎日終電間際、寝るの午前3時とかで6時起床
の生活です。
いつも朝の出勤時、電車待ちをしている状況で、「誰か後ろから押してくれないかなぁ」とか考えてます。
苦しいです、やめたいです、仕事。でも辞められないんです。
私は長男です。これから両親の医療費、介護費、葬式代等、色々掛ってくると思います。
自分が辞めたり、死んだりしたら、どうしようも無くなる。
辞めたら辞めたで、今のご時世で再就職出来る可能性はごくわずか、
出来たとしても今と同じような状態になりそうです。
だから今、本当にギリギリのところで踏ん張ってます。
彼女、恋人なんてない。今生きているのは、長男としての責任で生きてます。
それだけです。両親に対して産んでくれた感謝の気持ちで生きてないです。
偽善者です。
・・・・なんか愚痴ばっかりですいません。
でも少なくとも同じような境遇のruisouさんを応援してます。
これからどうやって生き抜いていくのか、「人柱」って言葉は印象悪いですが
ruisouさんに続いてみたいなぁとか考えてます。(これで生きる意味が1つ増えたかも。感謝です。)
本当に愚痴ばっかりですいませんでした。今も仕事中ですが、もう精神的に限界でしたので
書かせて頂きました。
境遇が違いますので、安易に「お互い頑張りましょう」という言葉は使いたくないので
この言葉を・・・・「まだやれる!」
以上、長文、駄文失礼しました。

ruisouruisou 2012/01/19 21:49 > mako さん
コメントありがとうございます。
状況があまりに似ていますね。びっくりです。さぞ辛いことでしょう。
そして頭が煮詰まっている状態であることも伝わってきます。そのような精神状態では、もはや正常な判断はできません。「まだやれる!」とのことですが、これもまた正常な判断ではないかもしれません。
今のプロジェクトは土日は休めてますか?休めているとしたら、土日を使って是非先輩社員に相談してみてください。どんなにひどい会社でも良心的な先輩が一人くらいいるはずです。協力会社の方でもかまいません。図々しいとか考えてはいけません。mako さんが精神を病んで再起不能になることより会社に損失をもたらすことはないのですから。是非、相談を。土日が休めていない場合は、そのプロジェクトが終わるまでは耐えてください。さすがに2年目社員を2回連続で火のついたプロジェクトに、しかもたった一人で派遣することはないでしょう。たぶん。そして、そのプロジェクトが終わったら、誰かに相談してみてください。
実は私は辞める前に、友人の紹介で大手に勤めていらっしゃるSEさんに相談をしました(会社の先輩には病気のことを隠していたかったので相談できませんでした)。しかし、それが失敗でした(当時はそう思いませんでしたが)。そのSEさんもうつ病で休職経験がある方なので、気持ちはわかってもらえたのですが、零細企業に勤める私と大手に勤めるSEさんでは環境が違いすぎました。ちょっと的外れなアドバイスを頂きました。結果、休職し、最終的に退職しました。その方もまさか退職するとは思っていなかったでしょう(その後は音信不通になりました)。でも自分は退職しました。そして約一年たった今でもニートです。病気も治っていません。今となっては辞めるのが少し早すぎたような気もします。まあ、そのまま辞めずにいても精神を壊していた可能性大ですが。
相談する相手はできるだけ mako さんに近い人間にしてください。mako さんの状況を良くわかっていて、できるだけ心を許せる相手にしてください。また、コメントからはうつ病かどうか判断できませんが、うつ病だとしたら、そのことも話すべきです。勇気がいるでしょうが、mako さんが信頼を寄せている人ならばきっと大丈夫でしょう。
なお、余談ですが、あまりネガティブワードでネットを巡回しないほうがいいです。IT業界の底なしの暗さがわかってしまうだけです。知らないでいいことまで知ってしまいます。そしてますますIT業界をネガティブな目で見ることになります。そんな状態では仕事効率も下がってしまいます。気持ちは良くわかりますが、極力しないようにしてください。それよりも早く寝てください。でもまあ、そのおかげでこのブログを読んで頂いたんですけどね。
私の近況も、というかどうやって生き抜いていこうと考えているのか、気になっているようですので近々書きたいと思います。

2012-01-11

人生うまくいく人が持っている「運」とは何か

| 22:27 | 人生うまくいく人が持っている「運」とは何かを含むブックマーク

運がいい人というのは実際に存在する。金運、健康運、恋愛運、仕事運……、いろいろあるが、どれを持っているのが人生うまくいくのだろう。ちなみに自分は運が悪いほうである。


人生うまくいく人が持っている「運」

傍から見るとうまくいく人というのは、たいした努力もなく、だいたいのことはうまくいってしまう。総合運というのだろうか。麻雀でいうと天和とか地和をやってのけるくらいの強運である*1。そういう人は、きっと前世で非常に徳の高いことをやっていたのだろう。そこまで運の良い人はもはや相手にしない。相手にするだけ疲れる。

では、一般人レベルで「運がいい人」とはどんな人を指すのだろうか。自分の考える最強の運は「出会い運」である。これは自分が考えたカテゴリなのであしからず*2。この「出会い」は何にでもあてはまる。良い人との出会い、良い本との出会い、良いweb記事との出会い……、いろいろあるだろう。

その中でも特に「良い人との出会い運(以下、人運)」は最も人生にプラスに働く運である。人運が良いと、良い家族・友人・上司・恋人などに恵まれる。これだけ良い人たちに恵まれると、人はまっすぐ育つし、努力も自然にするようになるし、顔つきだってさわやかになるだろう。このような人はたとえ人生のどこかで転んだとしても、誰かが助けてくれる。努力に努力を重ねた結果、結局失敗しても誰かがそれを見ていてくれる。普通は努力なんて、結果が失敗だったら誰にも認められず、知られることすらないのだが、運のいい人はそこが違う。失敗しても誰かが見てくれるのだ。たまに努力をアピールしてくる人がいるが、あれは本当に勘弁して欲しい。チラシの裏にでも書いてろ。


人運を上げるにはどうすればいいか

正直わかりません。たまに、自分自身が徳の高い人間になれば、自然と周りに同類が集まってくるという馬鹿みたいなことをいう人がいるが、これはほとんどの場合誤りである。実際は人の良さを逆手に取られて利用されるのがオチである。仮にそうでない人がいたら、もともと(人)運が良い証拠である。

また、最近ならネットでの出会いがある。これはある程度フィルターを掛けられるので、良い人と出会える可能性は高い。しかし、そういう人はすでにリアルで良い人間に恵まれているし、ネットでもたくさんの知り合いがいるだろう。そこに今更割り込んでも、返って疎外感を感じるだけだ。もちろん気に入られれば、懇意にしてくれることもあるだろうが、そのためには絶え間ない努力が必要である。ネット上の知り合いなので、コンタクトを密にとらなければならないし、自分の実力も見せ続けなければならない。例えば、凄腕のプログラマのブログを見つけて、思い切ってメールを送ってみる。運よく返信がある。しかしその後も連絡を取り合う仲になるには、常に自分の技術的な向上が必要である。そうしないと見切られてしまう。……考えすぎだろうか。

*1:純粋な運だけではこの2つが最強と思っている

*2:正式な名称があるかもしれないが、軽く調べてわからなかったのでこの呼び方でご了承願いたい

solipsistsolipsist 2012/01/16 04:39 個人的に、運がいい・悪いっていうのは、因果的な説明をうっちゃって全部「神様のおかげです」とか言うのと同じにおいを感じるんですがどうでしょ。

ruisouruisou 2012/01/16 15:48 > solipsist さん
コメントありがとうございます。
半分遊びで書いたエントリなので深く考えないでください……。まあ、一個人の一ブログなので、こういう意見もあるんだな、くらいの認識で結構です。

napadienapadie 2012/06/01 07:10 運の解釈について、それが個人が持っている能力値という認識でしたら、
四柱推命はある程度納得しやすい考え方を示してくれるかもしれません。
運が良い人・悪い人は明らかにいて、それはその人の個性です。

徳を積む話は良く聞きますよね。私はボランティアとかをした事が
無いので、真偽の程はよく分かりませんが。

ruisouruisou 2012/06/01 15:17 > napadie さん
こちらにもコメントありがとうございます。
運の良し悪しは必ず存在しますよね。四柱推命も少し調べてみようかと思います。
そもそも運気にこだわらずに「無我」を貫ければ一番いいのでしょうが、仏様ではないのでなかなか難しそうです。

2012-01-05

大学院の同じ研究室に意識の高い学生とそうでない学生がいたらどうなるか

| 22:14 | 大学院の同じ研究室に意識の高い学生とそうでない学生がいたらどうなるかを含むブックマーク

ちょっと気になる記事を読んだ。ブコメでは文字数が収まりきれなかったのでここに書く。ちょっと昔話も添えて。

気になった記事は次のエントリ。

文系の研究者になりたい人達に知っておいてほしいこと - bluelines

もちろん、リンク元のエントリは大学教授さまの、こちらはうつ病ニートの書いたもの、どちらが有意義なエントリかは一目瞭然である。まあ、そもそも言いたいことが違うのだが。


自分が大学院に進学した理由

一言で言おう。単に研究がしたかったからである。もちろん綺麗ごとだ。でも半分厨二だった俺は、地元では中々の中堅企業からの内定を蹴って大学院に進学した。今思うと黒歴史の始まりである。

もちろん文系の大学院の就職率の悪さは知っていた。知っていても、その研究をそのときしたかったのだ。「後先考えながらいい研究ができるか!」あのとき俺は何かに酔っていた。

ここで言っておくと、当時の俺は猛烈な森博嗣のファンだった(今も好きだが)。だから森博嗣著の小説の登場人物が言った次の言葉が忘れられないでいた。

「面白ければいいんだ。(中略)面白くなかったら、誰が研究なんてするもんか」

もちろん他の理由もあるが、かっこいい理由だけを抽出すると上記のようになる。


進学してから

ただただ勉強していた。ちょっとした息抜きもあったが基本的に勉強していた。もちろん金がないのでバイト(塾講師)もしていた。23時にバイトが終わって、そのまま研究室に直行、というのも珍しくなかった。

しかし俺は周りの優秀な院生とは違い、圧倒的に頭が悪かった。研究は楽しかったが、その効率は最悪だった。他の院生が1時間で終わらせるものを10時間掛けてやっていた。大学院に入る前までは、他人との実力差を、時間を掛けることで補っていたが、大学院ではその方法は通用しなかった。次第に皆に追いつけなくなっていった。相談できる先輩も友人もいなかった。教授には、下らない内容で質問に来るなと釘を刺されていたので、滅多なことでは質問に行かなかった。

それだけならまだいいのだが、妙に意識の高い、将来教授になろうとしているほど頭も良く、おまけに運動も全国クラスの奴に俺は目をつけられた。まさに上リンク内容を良くわかっている奴(以下、デキル君)だった。俺は俺が楽しく研究がしたかっただけなのに、そいつに会うたびに意識の低さを馬鹿にされた。そして意識の低さだけでなく俺の頭の悪さも馬鹿にされるようになった。次第に研究室全体で俺のことを馬鹿にするようになった。デキル君は勉強もでき、人望も厚く、ちょっとした人気者だった。俺は何人か話すくらいの友人がいたが、基本ぼっちだった。

俺は研究室で研究することがなくなった。学部生に混じって図書館で研究するようになった。文系の研究は文献とパソコン、ペンと紙があればできるのでその点は助かった。でも図書館は院生も利用する。院生と会うと、気まずい空気になった。さすがに図書館の中では馬鹿にされなかったが。次第に図書館にも行かなくなった。というか講義のとき以外大学院に行くことがなくなった。

賃貸の近くにカフェがあったのでそこで研究をした。コーヒー一杯で何時間も居座った。今思えば迷惑な客である。

しかし忙しかった。学会・研究発表会が近づくと徹夜ばっかりしていた。誰にも頼れなかったので、研究の質も低かった。バイト先でも怒られることが多くなった。どこにいってもダメ人間だった。

発表ではもちろん罵倒され、挙句の果てにデキル君にも痛いところを突っ込まれたりした(普通身内の発表では身内が質問することはない。フォローならあるが)。

また、研究会が終わった後の打ち上げにて、隅っこで眠そうにしていると、デキル君から、交流の場でコネを作らないとは愚かだ、みたいなことを説教された。うるせー勝手にやってろよ、と言いたかったが、デキル君は自分より20センチも身長が高い巨漢である。ビビリの俺は何も言えず、曖昧に濁した。


結局

結果として、M1の終わりの頃、うつ病になった。周りには言えなかった。

出来なかった勉強がさらに出来なくなった。人生初の0点もとった。

就職活動も年度末の発表会とうつ病のせいでほとんど出来なかった。就職浪人しようかと諦めかけていたとき、何とか零細IT企業から内定をもらった。だが就職後、さらに心を壊すことになる。しかしそれは別の話。

バイトもうつ病のせいで春に辞めた。これ以上生徒の前で笑っていられる自信がなかった。しかしこんな俺にも慕ってくれる生徒が何人かいたのがちょっとうれしかった。その生徒たちも今では立派な大学生か社会人になっているだろう。今のニートの俺を見たらなんて言うだろうか。

M2になってからは研究も最低限のことしかしなくなった。というか講義すらサボることも多くなった。教授も俺のやる気がなくなったと思ったようで、発表の場には呼ばなくなった。デキル君は相変わらず学会やら発表会やらで忙しそうだった。教授陣には大モテだったようだ。

大学院に入学したときは大好きだった研究も、いつの間にか大嫌いになっていた。文献を見るのもいやだった。

あとはスクールカウンセリングと必要最低限の講義に出て帰る生活を続けた。カウンセラーの先生には本当にお世話になった。孤独だった俺は話を聞いてもらうだけで泣きそうだった。

家ではずっと寝てた。忙しさの反動か、薬の副作用か、はたまた絶望感からか、俺は過剰睡眠症状で悩まされていた。起きているわずかな時間を修士論文の作成に当てた。

結局誰が読んでもためにならない修士論文を提出して卒業した。もちろん卒業式には出なかった。一日中布団に包まって震えていた。

デキル君がその後どうなったかは知らない。知りたくもない。だが人の人生をめちゃくちゃにしておいて、人に指導する立場である大学の教授になるのはちょっと許しがたい。まあ、俺が許さなくてもなる人はなるんだろうけど。世間とはそんなものだ。

以上、意識の高い院生とそうでない院生が一緒の研究室に入ると不幸が生まれるかもしれないという話でした。


おまけ

読み返すと、俺の頭が悪かったのがそもそもの原因のような気がしてきた。俺の頭が良かったら、デキル君の罵詈雑言にも耐えれたかもしれない。そもそも言ってこなかった可能性もある。結局、頭が悪い奴は研究がおもしろいと思っても大学院には行くな、ということか。

でも簡単な因数分解もできない友人が理系の大学院に進学して、一流の研究をして(本人が言っていた)、一部上場企業に就職しているのを見ると、結局、運なのかな、と思わないでもない。

匿名匿名 2012/01/06 19:12 貴重なお話をありがとうございます。辛い思いをされましたね。うつ病からの回復を祈っています。プロフィールを拝見しましたが、大学院での専攻は数学だったのでしょうか(研究対象が自然現象でないという点で、たしかに数学は文系の学問かもしれません)。

私も数学を専攻していたので、その学問的な苦しさはわかります。苦労することも行き詰まることもあると思いますし、学問的な行き詰まり自体は能力不足が原因というしかないかもしれません。

しかし ruisou さんのケース場合、それ以外の不幸はすべてデキル君の人格の劣悪さが原因でしょう(そしてそれに乗せられた研究室の人々)。意識の低さを批判するのは、もしかしたら善意でそう言ってくれるのかもしれません。しかし実力不足を馬鹿にするのは、馬鹿にする方の人格が百パーセント悪いのです。

詳細はわかりませんが「下らない内容で質問に来るな」という教授も問題があるように思います。手取り足取りは無理でも、ちゃんとした教員なら最低限の手掛かり・道筋を示してくれるものです。

能力・意識が高くて、人格も立派な人はたくさんいます(そういう人をたくさん知っています)。能力・意識の高い人も、多くは、また別のレベルで劣等感に苛まれたりして、必死に戦っています(もちろんそうでない人もいるかもしれません)。その結果、研究職についたあとで心を病む人もいます。うまく復活した人も最終的に自殺した人も知っています。

優秀な人で、デキル君のように下劣な人格の人もいます。一方で、能力も意識も低くて、さらに人格も劣悪な人だっています。人はそれぞれいろいろです。能力の高さ低さ、意識の高さ低さ、心の強さ弱さ、人格の高さ低さ、これらはすべて独立した事象です。意識の高さを人格の劣悪さに直結させないでほしくて、それが言いたくてコメントいたします。

mkmk 2012/01/07 02:05 自分と重なる部分がたくさんありました。もっとも,ruisouさんの大学院が私の場合は大学なので,ワンランク下ですが。周りの人たちとの能力と意識の違いの差をつきつけられたことや「デキル君」のようなきつい言葉を浴びせた友人のことを思い出しました。私の場合,友人の言葉と自分の能力の低さから逃げるように,学部途中で「もうやめた!」となって,勉強もそんなにせず,卒業に必要な最低限の単位だけかき集めたというダメっぷりです。

学部(しかも入学早々)に撃沈した身としては,学部生としての素養を身につけ,意欲を持って大学院に進学されたruisouさんは眩しく見えます。一生懸命勉強し,曲りなりも研究発表もして修士論文も書いているし。私ももっと勉強すればよかったなぁ。たとえ何の役に立たなくても。

卒業してかなりの年数がたった今となっては,「デキル君」の私に対する苛立ちもわかるような気がしてきました。この人に会わなければもっと気楽でそれなりに充実した学生生活だったんじゃないかと思うこともありますが,考えてもしょうがないですし。ほとんど引きこもりのような生活ですが,これまでの経験や縁のあった人(どちらも少しですが)を足がかりに,「何か」がつかめないかと思っています。 ruisou さんの大学院時代の経験や勉強,IT企業時代の経験も,将来何かするときのヒントや武器になるかもしれませんよ。

お互い,焦らずぼちぼちといきましょう。

ruisouruisou 2012/01/11 16:05 >匿名さん
コメントありがとうございます。
匿名さんの意見もわかっています。理性的には。
だから最終的には、(人との出会いの)運かなぁ、とまとめました。
ただ私の中には、意識が高い人間というのは、往々にして上の人間におべっかを使う人間というイメージがあります。私は正直、そういうのは大嫌いです。私ができないということもありますが。
サラリーマン時代にも、意識が高いと上から評価される人間は、おべっかが得意でした。プログラマなのに実力はあまり関係ありませんでした。私はよく融通が効かないと怒られていました。融通って何ですかね?
基本的に私は自分自身で見たものしか信じません。だから匿名さんのおっしゃる通りの、意識が高く人格が良い人間に出会うまでは、まだ偏見は続くと思います。できれば早くやめたいですけど。
ちなみに、数学系(おっしゃるとおり私の専攻は数学系です)の大学院の研究室は、お互いの実力がわかりやすいです。だから自然に優劣が決まります。そして一番下の人間は必ずいます。数学のように難しい学問に挑戦している人は、日々実力のせめぎあいで苦しみ、ストレスを抱えています。そんなとき、自然にスケープゴートが生まれます。一番下の人間です。デキル君の性格が悪かったのは認めますが、私がスケープゴートになったのは自然な流れだったのかもしれません。大学院まで行くほど真面目な人間だからこそ、格下を馬鹿にするのが快感なのかもしれません。これはおそらくどこででも起こっていることなのです。それを知っておいてください。

> mk さん
コメントありがとうございます。
大学院なんて半分趣味の世界です。あまり上を目指すことに興味のない私には、ちょっと微妙な空間でした。学ぶだけなら一人でもできるなぁ、と痛感しました。もちろん効率は悪いですけど。
だから勉強してないからといって卑屈になる必要はありません。勉強というのは気になったときに、したいときにすれば良いのです。今私たちは自由です。なんでも学べます。文系とか理系とか、学部とか学科とかのカテゴリに縛られることなく学ぶことが出来ます。
しかし私のように大学院で燃え尽き症候群みたいになった身としては、mk さんのようにもっと勉強したかったなぁ、と思えることがうらやましいです。もっとも、最近は実益を兼ねた勉強ならしてもいいかなと思い始めていますが。
私の経験もどこかで生かされればいいんですが、それはうつ病が全快してからだろうな、と感じています。つまり当分先の話かと。
縁のあった人と連絡を取るのはいいかもしれませんね。私にもほんの少しいます。mk さんの書き込みをみて、勇気を出して連絡してもいいかなと思えました。

匿名匿名 2012/01/12 03:00 最初にコメントした「匿名」です。

大学院は狭い世界で、序列もつきやすく、たしかに人間関係に関してひどいことの起こりやすい環境ですね。アカデミック・ハラスメントという言葉もあるくらいですし。とくに数学は、基本的に個人プレーだし、つまづいたときに復活する糸口がつかみにくいし、余計にシビアかもしれません。(実験系などチームプレイの分野は、それはそれで別の恐ろしさがありそうですが)

ruisou さんの件の諸悪の根源はやはりデキル君の人間性だと思いますが、そのような劣悪な人格の者が(能力さえあれば)のさばりやすい世界なのは ruisou さんのおっしゃるとおりだと思います。そのことはよく心にとめておきます。

ニート未遂ニート未遂 2012/01/15 14:44 他人事とは思えない記事に心を打たれました。
実は私も数学系の専門に飛び込んでしまったのでお気持ちはわかります。私の場合、同じ研究室に外部から入ってきた人が凄く優秀だったのに加え、自分が進学前後にプライベートでトラブルを抱えて精神的に追い込まれていたことでその二つが悪循環に陥り、「自分は何もできない、何も生み出すことができない」と悲観的になってしまい、どんどん撤退してしまいました。メンタルをやられて就職活動に出遅れたのも同じです。

今になって思うのですが、そういう荒んだ空間でやっていくことのできない人は余り数学のような学問をやってはいけないと思うのです。私の場合、就職活動では幸運に恵まれて結果的に今はメーカーでIT方面の研究開発をやっていますが、この方面は人間関係の軋轢が少ないことと、理論的な知識の多寡だけで実力が決まってしまわないので、色々な人が居場所を見出すことができます。数学科の人は「工学なんて」という気持ちがどこかにあるかと思いますが、そういう人が変なプライドを捨てればそれだけで理論方面の強者になれると思います。

そういう風に、色々逃げ道はあるということを知っておくだけでもruisouさんのような悲劇は避けられると思うのですが、ああいう世界は自らを閉ざして象牙の塔に籠もることにむしろ誇りを見出すのだからなかなか難しいですね。

同じく同じく 2012/01/15 22:38 長年うつ病ニートのものです。「匿名」さんがお書きになられているように、「下らない内容で質問に来るな」という教授にはちょっと問題があったかと思います。先日こんな文章を読みました。

卒業研究・修士研究時の悪循環を防ごう
http://d.hatena.ne.jp/next49/20081019/p2

こういう教授に当たっていれば…と思いますね…。

また、おまけの「頭の悪い云々」というところが、丁度今日読んだ文章とひっかかりました。

僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった
http://d.hatena.ne.jp/tictac/20120110/p1

こちらの文章は大学に入学する前の「まだがんばってない」人に向けて、その意欲をかき立てるための文章なので、最後の段落や最後の言葉はうつの人にはちょっときついかもしれません。基本的にうつは「がんばりすぎた人」がなる病気であって、ruisouさんががんばったことは文章からもよくわかりますので。
ただ、「頭があんまり良くないのではなどと悩むには本当に若すぎる。年をうんととってボケ始めるまでは、「頭がよく」なるチャンスはあるのです。」という言葉が非常に素敵だったので長い文章ですが紹介させて頂きました。

同じく同じく 2012/01/15 22:49 「既にお読みになられていたら済みません」と書くのを忘れた、と思ったら、案の定読まれていましたね。失礼しました。

ruisouruisou 2012/01/16 17:48 > 匿名さん
再びコメントありがとうございます。
環境が悪かったのは、今ではしょうがなかったことだと思います。おそらく全国でこのようなことが起こっているのでしょう。できれば私のような悲劇(というには大げさかもしれませんが)は繰り返したくありません。しかしどうしても私のような人間は出てきてしまうでしょう。そういう人たちがまた顔を上げられるような機会を作っていきたいですね。そのためにも自身の治療を頑張りたいと思います。

>ニート未遂さん
コメントありがとうございます。
大変でしたね。やはり同じ境遇の人は(こんなブログで出会うくらいですから)たくさんいるんですね。しかし無事良いところに就職できたようなのでおめでとうございます。私もIT系に進んだのですが、そこでも幸運に見放され、結局うつ病をこじらせ退職し、今に至ります。でもそんなに悲観はしていません。私はただ数年分の努力が無駄になり、数年間病気で苦しんでいるだけです。そこで見えてきたものがいくつかあります。そのうちの一つは、ニート未遂さんの言う通り「逃げてもいい」精神です。これはすごく大切です。戦っている人からは見えにくいんですが。それがわかっただけでも、ニート未遂さんにとっても私にとってもそこまで悪い経験ではなかったのかもしれません。

>同じくさん
コメントありがとうございます。
リンク先「卒業研究・修士研究時の悪循環を防ごう」のエントリ読ませていただきました。この人は大学教授という理由だけで毛嫌いしていたんですが、認識が変わりました。同時に、このような研究室が日本に存在するというのに驚きました。単純にうらやましいです。少しメンタル系の知識が欠如しているようですが(当時の時点で)、大学教授にそこまで求めるのは酷というものでしょう。
しかし、私の大学院の教授は別に悪い人ではありません。本当に研究が大好きで、土日でさえ大学にきて研究をするような人でした。学生はそんな後姿に憧れて入ってくる人間ばかりでした。自分の研究をしたいがために「下らない内容で質問に来るな」と言ってしまったのでしょう。別に私はそれが悪いことだとは思っていません。大学院の研究室とはそういうもので、社会に出るともっともっと厳しいのですから。そういう意味では、「発声練習」の教授は、少々過保護なのかもしれません。
ただ、彼のサイドリンクのラジオのところに「田村ゆかりのいたずら黒うさぎ」が載っていたので一気に好感度が上がりました(なんだそりゃ)。

匿名2号匿名2号 2012/01/17 18:00 私はわがごとのようにみにつまされて読みました。私もデキル君と人間関係がうまくいかず、M1のとき地方へ実習に1週間行き、泊まりも助手と3人でした。ある夜、彼からメタメタに攻撃されました。泣きはしませんでしたが、自殺する勇気もありませんでした。それですっかりやるきをなくしました。あなたのようの修論も出さず、M3はアルバイトに専念、M4になるとき大学院在学のまま地方公務員に就職、論文をかけず退学しました。私の人生のなかで一番消したい部分です。それから30年余、昨年定年退職しました。それならば大学卒業のとき国家公務員上級甲種に合格していたので、大学院に行かなければよかったのですが、東大入試中止のあおりで不本意な私立大学に入学したゆえ、国立大学の大学院に入学し学歴是正したという強烈な意志がありました。もう還暦をすぎたのですが、今でも思い出したくないところです。

ruisouruisou 2012/01/20 00:28 >匿名2号さん
コメントありがとうございます。
もう還暦をすぎられたとのことですが、そんな方に読んで頂き恐縮です。しかしそのお歳で当時大学院に行かれていたとなると、かなり頭の良い方と思います。そのような方でも、一人の心無い人間に人生を乱される、許しがたいことです。しかも当時は(おそらく)大学にカウンセラーなどいなかったでしょうから、一人でずいぶん悩まれたことでしょう。
今でも強烈に覚えていらっしゃるくらいですから、本当に辛かったことと思います。しかし、これからも引きずることはないと思います。もっとも、そんなことは散々言われてきたことでしょうけど。
もう私のような若輩から語る言葉は聞き飽きたでしょう。しかしまだ心に「しこり」があるのなら、D・カーネギーの『道は開ける』を読んでみてください。既読でしたらすみません。これは私にとってもったいないくらいの良書です。もし既読だったとしても、もう一度読み直してみてください。きっと新しい発見があるはずです。

とうとう 2015/12/01 00:31 お話読みました。わたしもあなたのような難しい学問ではありませんが、文系の院生をしています。わたしはあなたの文章を読んで自分にかつを入れないとと思いました。
わたしの場合、あなたのように学問に対して真剣な気持ちはなく、働きたくなかったために大学院へ行きました。学部の時も人間関係が上手くいかず、悩んでいました。精神科にも通っていました。一度自殺未遂もしました。病名はありません。ただの構ってちゃんです。いまは修論のことを考えるだけで、頭がいたくなり、毎日忍者に逃げているフリーターのような生活をしています。先生にも会っていません。テーマも興味のあることももうわからなくなっています。わたしは逃げています。わたしは毎日遊んでいますが、毎日辛いです。こんな親にたかるばかりのクズもいます。

あなたのコメントを読んでいて、それでも修論をかいて、修了されたというのが本当に素晴らしいと思います。誰も読まない修論と仰っていますが、研究に対してそれだけの愛を持っていらっしゃったのであれば、必ず答えてくれる方はいます。どんな問題も無駄なものなんて一つもないのです。あなたが気になったことは必ず意味があると思います。あなたが気になったことですから。

学問をしていた方に失礼かもしれませんが、わたしは毎日トイレを掃除しています。スピリチュアルなものなんですが、トイレ掃除は腰を屈めて掃除します。時々情けなく思うかもしれませんが、あなたは人の痛みがわかる方なので、もし気持ちに余裕が出てきたら試してみてください。きっと上手くいくようになるはずです。わたしは人間関係は物凄く良くなりました。謙虚な気持ちになれます。トイレ掃除は金運がよくなるとのことですが、それは、人間関係がよくなることの派生的なものかなとも思います。

わたしはあとは修論だけです。それが上手くいきませんが…

生きていれば必ず道は開けます。ニートでもなんでも生きたもの勝ちです。社会的な地位やお金はただの言葉です。彼らの本質ではないです。
あなたを応援しています。上から目線ですが、修了されたことは本当に素晴らしいです。でも時間があるなら毎日わたしを励ましてほしいくらいです!

修了証書はほしいけど、修論書けないです!

変な文章書いてしまいすみません。あなたに愛のあふれる人生をお祈りしています。

ruisouruisou 2015/12/17 11:53 > とうさん
コメントありがとう御座います。返信遅れてすみません。。
これを書いたころはなかなかのいじけっぷりで、学問自体も嫌いになっていますが、7年たった今は、少しずつ最初の頃の学問への好きな気持ちを取り戻しつつあります。もちろん、そんなにブランクがあっては、研究の最前線に復帰するのは不可能ですが、こたつに入りながらマイペースで研究まがいのことができるのはそれはそれで幸福なことかもしれません。ネットと図書館でかなりの情報が手に入るようになったので自宅研究も、って話題が逸れてますね、すみません。

掃除は好きなほうなので、それなりにやっていますが、トイレ掃除毎日はすごいですね。見習ってやってみようと思います。寒くなると掃除もおっくうになりますよね……。いや頑張ります。そして金運上がってほしいです。

修論も、本当に下らないので今から書き直したいほどなのですが、応援いただいてなかなかうれしいです。こちらも、僕程度の応援なら、毎日でもしてあげたいほどです。若い人には、特に(文系の)院生には、頑張ってほしいですから。

また、論文作成は、ノートPCなど持ち出してできるなら、場所を変えつつやるといいかもしれません。カフェと書いてますが、ファミレスだったりファストフード店だったりします。自分が落ち着くところで研究するのは悪くないと思います。文書そのものの見直しとか検算とか、ほとんど外でやってました。

修論、頑張って下さい。こころより、存分に応援しています。

(こちらも、とうさんの言葉のおかげでずいぶん元気がでました。ありがとうございます。)

ともえともえ 2016/01/02 12:37 読ませて頂きました。大学院でストレスコーピングに関する研究をしたいなと考えている医療職種です。
しかし、私も同じ境遇になるかな・・・と共感致しました。純粋に研究をしたくても、実際には研究室という小さな組織の中での世界が大きく占めるようですね。論文で大きな世界での評価を受けるのは先の話で、まずは研究室内での処世術に重きをおかなくてはいけないなら、躊躇しました。

あなたのような人間味あふれる感性をお持ちの方に、新たな研究をぜひ続けてほしいと思いました。

ruisouruisou 2016/01/03 12:44 > ともえさん
コメントありがとうございます。
ストレスコーピングとは面白そうですね。軽く調べてみました。ただ、日本の大学院でやると、ちょっと大変そうですね。おっしゃるとおり、研究室の小さな世界が問題になってきますから……。それは欧米でも同じなのかなあ……。

研究に関しては、個人でできる範囲、かつ体力のない人間でもできることを、切り口をマニアックに選んで、やっていこうかなといったところです。アマチュア研究家ってやつですね。ネットのおかげで(取り寄せも含む)文献もかなり読めるようになっていますし、あとは物理的な環境(静かなところで一人暮らしなど……)を整えれば、どうにか再開できそうです。

人間味あふれるなどもったいない言葉ですが、お褒め戴きありがとうございます。期待に添えるよう、ぼちぼち研究を再開していきたいと思います。
ともえさんも、まずは個人的に研究をして、それで満足できなくなったら、研究室を探す、という順序がいいかもしれません(順序については個人差がありますので、聞き流す程度にしてくださいね)。

TypeNullTypeNull 2016/01/15 20:32 読ませて頂きました。私自身、今年の4月から大学院に進学します。しかし、今の所属している研究室に疲れて、この記事にたどり着きました。

私もruisouさんと同じで、好きだった研究やその活動が嫌になってきており、そんな状況下で研究をすすめることの苦しさは共感できます。
記事を初めて読みましたが、研究室特有の結果至上主義はやっかいな病気だと思います。身の上話で申し訳ないのですが、私は大学の研究なんざ金にならないから金になるものをどうやって作るかを習得する場だと思っています。だからといって、怠ける気はないので結果も大事にする。この過程と結果のバランスが難しく悩んでいます。

身の上話はここまでで、最後にruisouさんにとってはあまり良い話ではないので言葉が悪いのですが、たいへん貴重な話を知ることができて感謝しています。ありがとうございました。

ruisouruisou 2016/01/31 11:55 > TypeNull さん
コメントありがとうございます。
調子はいかがでしょうか。返信遅れて申し訳ありません。

結果至上主義は、確かに厄介です。アメリカのほうでは、研究職が自殺の多い職業の上位にランクインするほど苛酷なもののようです。かといって競争原理を排除すると腑抜けた研究者が大量生産されるでしょう。バランスは難しいですね。

また、修士程度なら、僕個人としては、研究のみに打ち込んで、バランス悪くてもいいんじゃないのかなぁと思います。経済的な価値が果たしてあるのかと考えていては、学問に純粋性がなくなります。その状況は、分野によりますが、よろしくないと思います。もっとも、学問と経済的価値のバランスそのものを研究する学問なら、それに集中していいとですけど、まあそれは、険しい茨の道でしょう。。

僕のブログに書いた経験をもとに、人生の軌道修正ができる人がいれば本望ですので、悪いなんて思わずに糧にして下さい。

匿名匿名 2016/06/14 01:46 貴重なお話、ありがとうございました。
状況は違うのですが、とてもみにつまされる思いです。私は今留年して学部5年生なのですが、私もできるくんに正論でめためたにバカにされうつになり、今は悔しいという思いで大学院進学を考えています(それと、自分の思考や根気が磨かれるのではないかという思いがあります)
しかし正直、研究にruisouさんが持たれていたほどの熱意があるのかと言われると自信がありません。私の場合、打ち込めることがない、なかった、ということがコンプレックスなのかもしれません。じぶんの納得するまでやった、という経験がないのです。しかしそのコンプレックスと罵倒への悔しさの解消のために院に行くのは、危険なのかもしれない、と、読んでいてぼんやり思いました。
あまりまとまらずすみません。私はruisouさんも羨ましいです。好き(だった)ものに打ち込み、うつになってもやりきったのですから。本当に素晴らしいと思います。

ruisouruisou 2016/06/14 10:26 > 匿名さん
コメントありがとうございます。
年をとった人の話を聞いているとよくわかりますが、若いころのコンプレックスを解消するために生きている人は多いです。それがいいのか悪いのか僕にはよくわかりません。
実は僕もまた、個人で研究をしています。あまり進んではいませんが・・・・・・。これもコンプレックスによる行動なのかもしれません。まあ、だから危険ということはないと思います。

ただ、文系ならば、院への進学によって、就職がほんの少し不利になる覚悟をしておいたほうがいいかもしれません。コネクションなどがあるようでしたら、問題ないですが、一般には少し不利になります。

よって、人生に対する覚悟は必要かもしれません。覚悟の上なら、どんな学問に進もうと、回り道しようと、十分かと思います。

現理系m2現理系m2 2017/09/11 11:42 僕は4月に内定は出ましたが、研究には一切興味がわかず、遅寝遅起きのだらしない生活をしているものです。
筆者様は現在もニートなのでしょうか。外に出なければ体調など崩しやすくなりますのでお気をつけください。
ここからは、文面を読んだ上での感想です。うざかったら消してください。
筆者様は、目の前のことばかりを考えすぎではないでしょうか。僕は最初に書いたように、研究なんかまったく好きになれず、修士に上がっても学会にも行ったこと研究者としてはクズです。ただ、毎日を楽しく過ごすのは、何も学校だけじゃないと思っています。学校にいる時間って長いので、なんとなく人生において優先順位が特別高くて、義務感のようなものを感じてしまいがちですが、僕はそれは勘違いだと考えています。最重要は好きなことか何かしたいことに繋がるための努力をすることだと思います。それ以外は不要だと思います。一つの考えとしてお聞きいただけると幸いです。過去のことですが、はじめは研究がしたくて修士に行かれたんですよね、それで、途中から環境も含めて嫌になってきたと。ならば、その時点で学校なんかすぐやめればよかったんですよ。もし、学校でどうしても何か成し遂げたい目的があったなら別ですが、そういう頑張りって僕はあんまりいらないんじゃないかなぁって思うんです。とてもめちゃくちゃで最低な考えかと思われるかもしれませんが、自分に必要なもの、特なもの、どうしても守らないといけないことやもの以外は、切るんです。そうでないと重荷すぎてしまって壊れます。ぼくも一時期研究のせいで壊れかけました。
楽しいことをしましょう。そのためにお金が必要なら稼げばいい、シンプルです。ただ一つ、僕は適当人間かもしれませんが、自分が損にならないような計算はしっかりします。それは自分を大切に思うからです、守るためです。そこに手を抜いてはいけません。
癌になって、交通事故で死ぬのはいつかわかりません。その前に、自分という1人の人間を幸せにしてやってください。長文失礼しました。

ruisouruisou 2017/09/29 11:29 > 現理系m2さん
コメントありがとうございます。
当時と今では景気が全然違います。当時は世界恐慌再来と言われたほどにひどい状況でした。中小企業の倒産件数は過去最大だったかと思いますし、不景気な統計(数字)は日々更新されていっていました。ほとんどの人が、個人の幸せを考えられる状況ではありませんでした。学校を辞めたらすなわち人生の終わりと皆が思っていました。
確かに、それは幻想でしたが、当時は時代があまりに悪すぎました。しかもなぜかコミュ力重視の社会でした。日本が自らの技術に自身を失っていた時代です(謙虚ともいえますが)。うわべ上でも好景気になり、国民が冷静に考えられる余裕ができて、日本はようやくこれからというところです。
今はニートではなく自営業で頑張っております。それではお互い頑張りましょう。

現理系m2現理系m2 2018/02/19 15:04 >>ruisouさん
ご返信ありがとうございます。
当時の現状はまた、違っていたのですね。時代感など学ぶ機会が少ないのでとても勉強になりました。
私もあと1ヶ月で社会人になります。
最近、悲観ではなく、私が社会人の一コマとして働いている時に、ぽっと死んでしまったら誰が困るのだろう。と考えて、凡な私による社会的な損失は0もしくは微々たるもので、直接私と関わった人たちが悲しむくらいなものだと気付きました。(遅いですよね笑自分が特別だと思いたかったんです。)
それなら周りの人のために生きようと思うようになりました。
ruisouさん、自営業頑張ってください。私も興味のゆくまま生きてゆきます。

ruisouruisou 2018/03/02 01:22 > 現理系m2 さん
コメントありがとうございます。
周りのために生きようと思える環境が少しうらやましいです。その頃の自分は、周りを恨んでばかりいましたから。ただ、あまり無理はしないで下さい。自分に優しくすることも忘れずに、進んで下さい。
こちらも、自営業は毎日のようにトラブルが発生し、胃潰瘍になりかねないですが、頑張っていきます。