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2012-06-30

少年時代、TVゲームは救いだった

| 20:59 | 少年時代、TVゲームは救いだったを含むブックマーク

ちょっと増税の話題でもちきりの世間だが、ここは浮世離れしたニートのブログなのでそのことにはあまり語らない。ので一言だけ「不作のときに年貢米増やしたらどうなるかわかるよね?」

閑話休題

最近、日本のゲーム業界はみるみる縮小していっている。なげかわしい、と思うと同時に、これも時代かなぁとぼんやり思ったりもする。だけどいろいろ考えたので思い出話を交えて書いていきたい。


一日一時間のTVゲームが一番の癒しの時間だった

今の子供たちは、親から「ゲームは一日一時間まで」といわれているのだろうか?ゲームに理解のない親ならそう言っているだろう。ボクの親もそうだった。一時間以上するとめちゃくちゃ怒られていた。隣の家の柿の実を盗んだときより怒られた。

そんな話はどうでもいいとして、ともかくボクの中で一番幸せな時間はゲーム*1をする時間だった。

学校では、当時教師にいじめられていた。それに乗っかって生徒もいじめてくる奴がいた。別に暴力を振るわれたことはなかったからたいしたことはなかったけど、はっきりいって当時は学校がいやだった。

学校に行くことを考えて、どうしようもなく憂鬱になり朝からゲロを吐いたりしていた。でも学校をサボることはなかった。*2

そんな状況で、毎日疲弊して家に帰ってきて、習慣のようにゲームのスイッチを入れる。ボクがはまっていたのはRPGで、スイッチを入れた瞬間、別世界に行くことができるのだ。

知らない世界を旅する。不安と期待を込めて一歩を踏み出す。物語の中を自由に歩き回る。最初は町の人に話しかけるのも勇気がいった。タンスやつぼを調べるのは別に罪悪感はなかったが。ともかく一歩一歩が冒険で、毎日わくわくしていた。もうそこには不安でおびえる自分はいなかった。世界を救うため、信頼できる仲間と共に剣を振るう自分がいた。

当時はそのために生きていた。どんなに辛いことがあっても、家に帰ったらゲームが待っている。そこで異世界を冒険できる。それだけを心の支えに、どんなことでも我慢できた。単純なものである。しかし感心するほどの自己防衛である。うつ病になる前にこの自己防衛を思い出せていればあるいは……、まあ仮定の話をしたらきりがないのでやめよう。

このように、当時の子ども(の自分)にとってゲームとは癒しであり自己防衛であり救いだった。


リア充がコミュニケーションツールとして使うようになった

だが今はどうだろう?そのようにゲームを現実逃避に使っている子どもたちはいるのだろうか?もちろんオンラインゲームなら多数いるだろうが、ここではオフラインゲームに限らせていただく。*3

昔はゲームをする奴は少数で、ゲームの話題で盛り上がれる友人は限られていた。ボクは教室の隅っこに固まっている典型的なオタク集団によくいた。クラス全体としては、ゲームする人ってちょっとねぇ、という空気だった。

でも今はどうだろう?オタクって呼ばれるのは同じかもしれないけど、もうすでに否定的な意味合いは含まれていない気がする。今はもうリア充だってゲームをするのだ。むしろゲームに詳しいオタクは尊敬されていることもあるのではないだろうか。

ま、完全に想像だけど、ゲームしてるってだけで迫害される時代は終わったんじゃないのかな。そのための「ゆとり教育」だし。

ともかく今はゲームがコミュニケーションツールとして使われているのは確かだ。昔の子どもたちがドラマやバラエティ番組をみんなの共通話題にしていたように、今の子どもたちはゲームをそれに使っている。特にリア充の素質のある子どもはゲームをたくみに使って周囲との仲を深めているだろう。

ではオタク気味の子どもたちは、そんな環境のなか、ゲームをして現実逃避できるだろうか。

ボクみたいに、周りは一切関係ない、自分さえ楽しめれば孤独だろうと周囲のリア充が同じゲームをやっていようと、そのゲームで現実逃避してやるって子どもならまだいい。でも普通の子どもは現実逃避に特異性を求めるのではないのだろうか。自分だけが知っているゲーム、知識、そういうのを好むんじゃないのだろうか。自分は周りとは違う、学校では習わない知識をたくさん知っている、という特別感こそ現実逃避には必要だ。オフラインゲームはその点有利だ。その世界では自分が唯一の存在だし、クラスの奴らとは違って頼れる仲間がいる。それはその瞬間は自分は完全に特別な存在だ。

オンラインゲームでこの感覚を得るのは難しい。勇者は周りにたくさんいるのだから。なんとなく「この物語はもうすでに誰かがクリアした物語なんだな」と思ってしまう。だから真剣にのめり込めない。これはゲームにもよると思うが。FF11とかはストーリーもすばらしいって聞くし。だがオンラインゲームはまた別の現実逃避ができる。が、これはまた別の機会に。


心配していること

現実逃避したいのならネットゲームが一番だし、ゲームなんかしなくても掲示板にいけば同じ傷をもった同士たちと傷を舐めあうことも出来る。

というより、今は現実逃避が必要なくらい傷を負った子供たちがいるのだろうか。ネットがリア充に占拠されかけつつある今、そのような子をネットで見つけるのは難しい。捜したことないけど。

今の虐げられている子どもたちはうまく現実逃避できているのだろうか。子どもっていうのは案外強かだから大丈夫とは思うが、不器用な子どもが体調に不調をきたしながらも学校に通ってるとしたらいたたまれない。

また、オフラインゲームを作っている日本のゲームメーカが、リア充のコミュニケーションツールとしてのゲームのみを製作しているのではないか、という心配もある。リア充たちは人気が出るとコバエのように集まるが、飽きるときはすぐにいなくなる。確かに一時的には収益は上がるかもしれないが、将来確実に飽きられる。もちろん収益は下がる。つなぎとめるのは至難の業だ。

今のリア充たちはもう、出会いのない作業はやってないんじゃないのかなってくらいどこもかしこも出会い要素ばかりである。グリーやモバゲーがはやったのも出会い要素があったからだ。ゲーム性を求めてやり始めた奴なんていないはずだ。ゲームはあくまで出会いのきっかけのためにやっているにすぎない。そして今はゲームすらめんどくさくなって、LINEやカカオトークなどチャットアプリを用いて下心丸出しで行動している。10人当たれば1人は食えるとか自慢するクズもちらほらいる。

ついリア充批判をしてしまった。自粛。

つまるところ、日本のメーカーはこれ以上従来の顧客を見捨てるべきではない。今のソーシャルの流れにあわせてゲームを作るということは、従来の顧客を見捨てるということだ。もちろんぼっちなどすでにこの世には存在しない、存在してもゲームなど求めていない、という事実があるのなら今の流れでいいだろう。

だけどボクは「一つの神話を創造する!」という意気込みのあるゲームを作ってくれることを祈っている。そうすれば繋ぎ止められる顧客はまだまだいると思うし、洋ゲーに行ってしまった人も必ず戻ってくる。

ゲーム業界は誰が真の顧客か定義することから始めなければならない。ドラッカーも言っている「顧客から始めよ」と。

*1:ここではオンライン機能のない据え置きゲーム、ポータブルゲームを指す。

*2:田舎の登校義務感はすさまじいのです。竜宮レナみたいな子が脅しお見舞いに来てくれます。嘘です。

*3:オンラインゲームの現実逃避の力はまた別の意味を持つので別記事にまとめる。はず。

2012-06-24

ニートが政治を語ることほど滑稽なものはない

| 07:58 | ニートが政治を語ることほど滑稽なものはないを含むブックマーク

ちょっと前回のエントリは勢いで書きすぎた。それにあまりにも滑稽だ。解決策も浮かんでいるが俺が語っても虚しいだけ、負け犬の遠吠えだ。なんたってニートだからな。


死にかけた

階段で足を滑らせて頭を強く打った。全体重をかけて頭の先から壁に激突した。まるで人間魚雷である。怪我をしたときは、「ああ、もうだめだな。これ助からない」と思った。あんなに頭を強く打ったのは初めてだったから混乱していたのだろう。いろいろ検査を受けたけど、最終的に首の捻挫だけですんだ。頭に巨大なたんこぶもできたけど、これはどうしようもない。

ともかく死にかけた。でも死ぬ間際に思ったことは、とくに何もなかった。なんかいろいろ走馬灯とか言われるけどそんなの全然なかったし、童貞のまま死ぬのか!悔しい!なんて思うことは全くなかった。

はっきり言って死ぬときは何もかもがどうでもいい。野望とかがある人物ならば、志半ばで死んでたまるか!無念!とか言うかもしれないけど、俺は、あーホントに思い残すことねぇな、パソコンに残してあるエロ画像消したいな、ってくらいだった。あとメモ帳に残してある日記も出来れば消したいなって思った。総括すると、自分の生きた証を消したい、という願望しかなかった。自分の無価値さを思い知った。それに気が付いたとき少しだけ悲しかった。

ちなみに死にかける前は、童貞とか彼女いない歴イコール年齢とか結構気にしてたけど、今となってはどうでもよくなった。だって死んで地獄に行くときは全て無になるのだから。生きてたときどんなことしたかなんて、良いことも悪いこともまったく関係ない。ただただ死という事実の前では無力だ。

そう思うとこの世のことは全て意味がないようだ。たぶん、そう。全て無意味。毎日善行しようが悪行をしようが、死んだら全てリセットされる。死んだら全ての魂は平等になる。……なんか宗教くさくなってきたな。まあ、一度死にかけたらみんなわかると思う。

また、死ぬときにちょっと心に引っかかったのは家族のことかな。俺が死んでも、家族は悲しまないで欲しい、と思った。死者が最後に思うのは生きている人の幸せだ。まるで映画やドラマのようだけど、あれは事実だ。自分はどうせ死ぬのだから、そう考えるのが自然だ。ネトゲで引退する人がアイテムばら撒くのと同じ心境である。ひどい例えである。

だが死ぬ分際で、そんなことを口にするのはやめたほうがいい。心にしまっておけ。見苦しい。死にたくねぇ!って口にする脇役のほうがよほどマシである。死ぬときは黙って死ぬか、周りに嫌われてから死ぬほうがいい。それがプロというものである。何のプロかはわからない。


それでもネットゲームをやっている

では人間どのように生きるべきか、せっかく生きながらえたので考えてみた。俗世的に言うと、ストレスなく生きることが一番ってことになった。歯を食いしばってサラリーマンやる必要はないし、学校にいく必要もない。めんどくさい人間を相手に四苦八苦するくらいならその人間関係は断ち切ったほうがいい。友達であれ、彼女/彼氏であれ、ときには家族であれ。

つまり、そのとき自分がしたいことをやっていればいいのである。明日死ぬかもしれないのだ。そのときそのときを本能に忠実であったほうがいい。まるでDQNの思考だが、一周回るとこうなる。早くあと半周して欲しいものである。

とまあ、こんな風に考えた結果、俺は毎日ネトゲをしている。どうせ明日死ぬかもしれないからな。キャンペーンでもらったアイテム消化しないとなwwwwって感じだ。……つまり、いろいろ悟ったはずなのに結局ネトゲをしているわけである。最低だ。仏教の基本であり頂点でもある「無の概念」をわずかではあるが感じ取ったのに、やっていることは結局ネトゲである。

ダメ人間ここに極まれり。VIPPER も呆れるくらいのダメっぷりである。

結局、俺のダメ人間っぷりは死んでも治らないのである。生きている価値はないが死ぬ価値もない。世の中にとって、(事実上)一番邪魔な存在である。みんな優しいから口にしないだけで。


1年前の4月俺は実家に戻った

あのときは、はっきり言って今より元気だった。今みたいにネトゲに依存してなかったし。運動も今よりしていた気がする。

精神的には疲弊していたけど、今より前向きだった。

一年間実家で療養して結局ひどくなっている。そんなことがありうるのか。事実、そうなっているのだから否定しようがない。その原因は何か?俺の心が弱いからだ。慢心である。環境のせいではない。

日を追うごとに体は弱っていき、それに伴い心も弱っていく。心が弱ると、また体も弱まる。この負の連鎖を止めなければと行動すると、しばらくうまくいっても何かしら(今回の階段死にかけ事件のように)の妨害が入る。そういうことが起こると、いつも心が折れてしまう。今も首の捻挫が痛いからといって、散歩はほとんど行ってない。歩くのに首の捻挫は関係ないのに、なぜかそれを言い訳にしている。

実家に帰ってからはそればっかりだ。


もはや人間としての尊厳がなくなってしまっている

あまり言いたくないが、今の自分には寝たきり老人並みに生きている価値がない。

いや、寝たきり老人は維持費が掛かるだけで無害だが、俺の場合ネットで散々どうでもいい主張をしてみんなを混乱させている(とおもっているのは俺だけかもしれないが)ので有害である。寝たきり老人以下だった。すみません。

ともかくネットで1バイトでも無駄な情報を残す権利はニートにはない。ここでいう無駄な情報というのは、社会問題や政治問題である。ただし、ニートや引きこもり、うつ病の問題は当事者として書く権利がある。

20年後には誰もが忘れてしまっているようなニュースでいちいち騒ぐのは特権階級の人たちだけで十分だ。暇だからといってニートが政治を語るものではない。社会に参加したつもりになるし、無知な奴を叩いて優越感に浸ることも出来る。その姿は傍から見るとひどく滑稽だ。職探しもせず、(技能習得のための)勉強もせず、何か有益な活動をしているわけでもない人間が、ネットで声を荒げて語っている姿は見ていられない。鏡を見ると毎回目に映るのでどうしたものかと悩んでいる。

ぎょうぎょう 2013/01/16 18:10 >>ともかくネットで1バイトでも無駄な情報を残す権利はニートにはない。ここでいう無駄な情報というの
>>は、社会問題や政治問題である。ただし、ニートや引きこもり、うつ病の問題は当事者として書く権利がある。

あなたが書いた上の文章て矛盾してません?
ニートに書く権利はないと書いていながら、次の文章ではニートに書く権利があると
書いてますよ。

ruisouruisou 2013/01/16 19:32 > ぎょうさん
コメントありがとうございます。
>>ここでいう無駄な情報というのは、社会問題や政治問題である。
という文章を見てもらいたいです。ここで、”無駄な情報”という言葉は一般性を失っています。
もっと直接的に言うと、ニュースみてあれこれ騒ぐ前に、自分のことを考えたほうがいいよってことです。
つまり身近な問題(この場合、無職・うつ病)をそれなりに処理してから、政治経済の話をしなさいって言いたかったのです。

ちなみに個人のブログだから、文章の中で矛盾があっても強く言わないでください……。特に、[雑記]タグがついた記事は思いつくままに書いた文章なので、結構ひどいです。ブラックジョークというか、一つのエンターテイメントとして読んでいただければ幸いです。

それにしてもこの記事はひどいですね……。ご指摘の通り、わかりづらいです。余裕が出てきたら書き直そうと思います。